
8月22日の「ピンク・レディーとAKB48を比較してみた」という記事において,オリコン週間ランキング1位曲が9曲のピンク・レディーと,26作連続1位のAKB48を,オリコン週間ランキングの推移をグラフ化することにより,当時社会現象化したピンク・レディーの人気のすごさを示した。
また,2014年7月31日の「オリコン1位が4曲・山口百恵はホントに凄かったの?」という記事では,1980年代中頃から多くの“オリコン週間シングル1位”が作為的に作られている可能性について言及し,その価値が大きく下がっていることを示すとともに,週間ランキングでの作為が働きにくい“年間ランキング”の推移をグラフ化することによって,オリコン1位曲が4曲しかない山口百恵が,はるかに多くのオリコン1位曲を記録している近年のミュージシャンと比べても遜色がないことを示した。
今回は,オリコン週間ランキングの推移グラフを使って,1970年代の(女性歌手の)トップだった山口百恵と,入れ替わるようにデビューし1980年代に圧倒的な人気だった松田聖子を比較してみる。また,手間を掛けて入力したデータを使わないのはもったいないので,山口百恵とピンク・レディー・AKB48の比較も行った。
■ 山口百恵と松田聖子をオリコンランキングで比較する
学生時代にジャズばかり聴いていた私は,ボーカルもののレコードを山口百恵以外はほとんど聴かず,シャンソンとファドを少し聴く程度だった。貧乏学生だったのでアパートにレコードプレーヤーはなく,レコードを買っては友人のところでカセットテープにダビングしてもらって聴いていた。私が買うレコードは友人に評判の悪いものが多く(友人のライブラリにも追加となる百恵ちゃんのレコードは別にして,シャンソンやジャズは彼には興味の対象外だった),あれこれ文句を言われながらダビングしてもらったのだった……
その友人が松田聖子のファンだった。デビュー直後から,松田聖子は一気にトップアイドルに駆け上がった。その人気がすさまじかったことは覚えている。
山口百恵は1970年代までにもっとも多くのレコードを売り上げた歌手だったが,レコードの売上げやオリコン週間ランキング1位の回数において,松田聖子はあっという間に山口百恵を上回ったと思われる。山口百恵が老若男女に幅広く支持されたのに対して,松田聖子はアイドルらしいアイドルで,男子高校生や男子大学生にずば抜けた人気があった。
オリコン週間ランキングで山口百恵と松田聖子を比較しても,山口百恵が完敗して意気消沈するだけだからやめておけという考えが自分の中に浮かんでくることもあったが,とりあえずグラフにしてみた。

〔山口百恵と松田聖子のオリコンランキング順位の推移〕
青が山口百恵,赤が松田聖子である。
横軸は週単位の時間軸,縦軸がオリコン週間ランキングで,一番上が1位で一番下が20位となっている。両者の活動時期が異なっているので,横軸でデビュー日時を一致させている。また,松田聖子は活動期間が非常に長いが,2000年以降は上位にランキングされることが非常に少ないため,2000年1月3日付けまでのデータとした(ごめんなさい,データを読み取る気力がなくなりました)。
さて,グラフを見てどのように感じるだろうか。
松田聖子は24曲連続オリコン1位,通算でも25曲で1位。山口百恵は1位が4曲なので,松田聖子の赤い色が目立つ? いやいや,意外に山口百恵の青色が目立っている?
グラフが左側に小さく偏っていて見づらい? ごもっとも。
それでは,デビューから3年ごとにグラフを区切って表示してみよう。
(1) デビューから3年間の比較

〔山口百恵と松田聖子 デビューから3年間の比較〕
山口百恵(青)は1973年5月21日発売「としごろ」〜1975年12月21日「白い約束」,松田聖子(赤)は1980年4月1日発売「裸足の季節」〜1982年10月21日「野ばらのエチュード」までの3年間の比較である。年齢でいえば,山口百恵が14歳〜17歳直前,松田聖子が18歳〜21歳直前の期間となる。
どちらも1年間に4曲のペースでシングル曲を発表しているので,グラフの山が比較的重なっていて,比べやすい。
デビュー曲の「としごろ」が最高位37位とふるわなかった山口百恵に対して,松田聖子の「裸足の季節」は最高位12位となり,デビュー直後にいきなりランキング20位内に登場している。
2曲目の「青い珊瑚礁」も順調にランキングを駆け上り,4週連続2位を記録。その翌々週には3曲目の「風は秋色」が初登場1位となり,5週連続1位を記録。この衝撃的な登場で,松田聖子は一気にトップアイドルとなった。松田聖子は山口百恵と同じCBSソニー所属であり,既に引退を発表していた山口百恵の穴を埋める“ポスト百恵”として,CBSソニーの強力なプッシュもあった。この3曲は,いずれもCMソングとしてテレビから流れ続けた。
「ピンク・レディーとAKB48を比較してみた」で書いたように,“ランキング初登場1位”は,後年になってレーベル・音楽事務所間でのレコード/CD発売時期の調整手法等が確立し,オリコン1位濫発のひとつの結果と考えることができるのだが,この時期の松田聖子に“ランキング初登場1位”は「風は秋色」しかなく,それ以外の曲は“ランキングを駆け上る”カーブを描いている。
デビュー2曲目の「青い果実」の♫あなたが望むなら わたし何をされてもいいわ…という大胆な歌詞が話題になり,やっと最高位9位となった山口百恵は,5曲目の「ひと夏の経験」♫ あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ…がヒットして最高位3位,そして7曲目の「冬の色」で初めてランキング1位を記録,5週連続1位となる。
懐かしのメロディ的な番組で映像が放送されることもなく,現在では百恵ファン以外にはほとんど知られていない「冬の色」がなぜ5週連続1位なのか,不思議に思われるかもしれないが,B面の「伊豆の踊子」が映画『伊豆の踊子』の主題歌だったことの影響が大きいと推測される。
「冬の色」以降は,「湖の決心」「夏ひらく青春」「ささやかな欲望」と伸び悩む。“青い性路線”と“純愛プラトニック路線”を繰り返す路線がややマンネリ化していた印象があり,山口百恵自身もそれを自覚していたんじゃないだろうか。宇崎竜童の曲を歌いたいと主張したのもこの時期だったはずだ。
デビューから3年間のグラフの面積(1位を20ポイント,2位を19ポイント…20位を1ポイント,21位以下はポイントなしとする)は,山口百恵(青)が1238[ポイント・週],松田聖子(赤)が1769[ポイント・週]となる。この期間の社会的影響は松田聖子のほうがはるかに大きかったと考えられる。
(2) 4年目〜6年目の比較

〔山口百恵と松田聖子 4年目〜6年目の比較〕
山口百恵(青)は1976年3月21日発売「愛に走って」〜1978年11月21日「いい日旅立ち」,松田聖子(赤)は1983年2月3日発売「秘密の花園」〜1985年6月24日「ダンシング・シューズ」までの3年間の比較である。年齢でいえば,山口百恵が17歳〜20歳直前,松田聖子が21歳〜24歳直前の期間となる。
山口百恵17歳。自ら希望した宇崎竜童の作曲で1976年6月21日発売の「横須賀ストーリー」が大ヒット。「横須賀ストーリー」は7週連続の1位を記録,次の1976年9月21日発売の「パールカラーにゆれて」も5週連続1位となる(近年のオリコン1位は複数週にまたがる連続1位はなく,たった1週だけの1位なので,「横須賀ストーリー」と「パールカラーにゆれて」の1位は12週分=12曲分に相当すると強弁することもできる)。
しかし,1976年8月25日に「ペッパー警部」でデビューしたピンク・レディーが,ここから2年間,爆発的なヒットを連発し,オリコン週間ランキングの1位を独占することになる。山口百恵もピンク・レディー旋風には圧倒され,1977年4月1日発売の「夢先案内人」で1週間だけ1位を獲得した以外はオリコン1位になることはなかった。
松田聖子は「秘密の花園」から「ダンシング・シューズ」まで11曲連続でオリコン1位になっている。そのうち9曲が“初登場1位”であり,1位を獲得した後でベスト10に留まっている期間は短くなっている。ランキング推移のグラフにおいて,青い線よりも赤い線のほうが山が急峻で,ピークの幅が狭いのが見てとれる。
これは,下に示す1977年4月〜5月のオリコンランキング順位の推移と2014年4月〜5月のランキングの推移のグラフの違いほど極端ではないが,毎週ランキング1位曲が入れ替わり,オリコン1位曲を増やしたいレコード会社側の意向が反映されつつあることを意味する可能性がある。
この期間は,中森明菜がデビューしてライバルとなっただけでなく,田原俊彦や近藤真彦,チェッカーズなどの若いアイドルがランキング1位を競っており,1970年代は1年間にオリコン1位曲が10曲前後しかなかったのに対して,1983年20曲,1984年26曲,1985年28曲と2〜3倍にオリコン1位曲が増えている。
1968年から2014年までの年間オリコン1位曲数の推移を示すので,その傾向を見てほしい。

〔年間オリコン1位曲数の推移(1968年〜2014年)〕
1981年から増え始めたオリコン1位曲の数は,1986年と1987年に最初のピークとなる。この2年間のオリコン1位曲数は,1986年が46曲,1987年が44曲となっている。1年間は52週であり,オリコン週間ランキングでは年初の2週間を1週分にまとめていることから,1年間は51週となっている。つまり,ほぼ毎週オリコン1位曲が入れ替わったことになる。
この2年間はレコード会社側が意図的におニャン子クラブとそのメンバーが毎週交互に曲を発売,それ以外のアイドルもそれとかち合わないように新曲を発売することによって,その多くがオリコン初登場1位を獲得し,翌週から一気にランキングを下げるという状況となった。その手法が,2000年代半ばから完全に確立し,ほとんどの(レコード会社の支援があるという意味で)メジャーなミュージシャンは,発売する曲がすべてオリコン1位となっている。

〔1977年4月〜5月のオリコンランキング順位の推移〕

〔2014年4月〜5月のオリコンランキング順位の推移〕
さて,山口百恵と松田聖子のデビュー4年目〜6年目を比較すると,松田聖子のランキング推移の曲線のピークの幅が狭いのに対して,山口百恵はランキング10位に入っている期間が長くてグラフの幅が広く,ランキングが下がっていくと同時に次の曲がランクインするため,曲と曲の隙間が小さいことがわかる。
松田聖子には1985年6月24日「ダンシング・シューズ」の後から年末までブランクがある。このブランクは,翌年の郷ひろみとの破局,神田正輝との結婚・出産へと続くことになる。
山口百恵の後半の4つの山は,それぞれ「プレイバックPart2」「絶体絶命」「いい日旅立ち」「美・サイレント(山の途中まで)」を示している。「プレイバックPart2」で紅白歌合戦の紅組のトリをとった山口百恵だが,実はこの1978年後半には相手の名前は伏せたまま“恋愛中”宣言をしており,YouTubeにはTBS『3時にあいましょう』で司会者の野村・三雲に恋愛の相手は誰か,しつこく突っ込まれるシーンがアップされていたことがある。
よく見ると,女性歌手としてはほぼ頂点に立ったと思われる「プレイバックPart2」以降に,ややランキングが下がり気味なのは,ピンク・レディーの影響に加えて,“恋愛中”宣言によってアイドル的人気を支えていた若い男性ファンが多少離れていった影響があるのではないかと思われる。
この3年間のグラフの面積=社会的影響は,山口百恵(青)が2202[ポイント・週],松田聖子(赤)が1585[ポイント・週]となる。この期間の社会的影響は山口百恵が松田聖子をやや上回っている。
(3) 7年目〜9年目の比較

〔山口百恵と松田聖子 7年目〜9年目の比較〕
山口百恵(青)は1979年3月1日発売「美・サイレント」〜1980年11月19日「一恵」,松田聖子(赤)は1987年4月22日発売「Strawberry Time」〜1988年9月7日「旅立ちはフリージア」までの3年間の比較である。年齢でいえば,山口百恵が20歳〜21歳での引退,松田聖子が24歳〜26歳直前の期間となる。
山口百恵のランキング推移でもっとも低い山は堀内孝雄作曲・松本隆作詞の「愛染橋」である。演歌風の曲で,現在でもカバーする人が多い曲だ。デビュー直後の曲を除くと最も売れなかった曲になる。山口百恵の曲としてはインパクトが弱かったことに加えて,そのひとつ前の「しなやかに歌って」発売後のリサイタル中に,“私が好きな人は三浦友和さんです”と発表したことの影響があったのかもしれない。
1年前の“恋愛中”宣言に続いての“好きな人は三浦友和さん”宣言。デビュー2年目の映画『伊豆の踊子』から,三浦友和とのペアで認識され続けていた山口百恵は,今も昔も恋愛がタブーとされている女性アイドルとしては稀有な存在だったと思うのだが,それでも恋人宣言はランキングに影響した可能性がある。
そんな中で,「謝肉祭」「ロックンロール・ウィドウ」「さよならの向こう側」「一恵」と,超弩級の曲で盛り返しての引退はさすがだった。
松田聖子は,この3年間で「Strawberry Time」「Pearl-White Eve」「Marrakesh〜マラケッシュ〜」「旅立ちはフリージア」の4曲しか出していない。いずれも“初登場1位”ではあるが,長くても「旅立ちはフリージア」の7週間しか20位以内に入っていない。1987年は上にも書いたようにおニャン子クラブとそのメンバーを意図的にオリコン1位にする動きが強かった年であり,松田聖子もその動きに飲み込まれたように見える。
この3年間のグラフの面積=社会的影響は,山口百恵(青)が889[ポイント・週],松田聖子(赤)が353[ポイント・週]となる。この期間の社会的影響は山口百恵が松田聖子を上回っている。
(4) 10年目以降……

〔松田聖子 10年目〜12年目のランキング推移〕

〔松田聖子 13年目〜15年目のランキング推移〕
松田聖子の10年目〜12年目のグラフの面積は39[ポイント・週],13年目〜15年目の面積は143[ポイント・週],15年目〜20年目(2000年1月3日まで)は216[ポイント・週]となった。
(5) 山口百恵と松田聖子の比較のまとめ

〔山口百恵と松田聖子のオリコンランキング順位の推移(再掲)〕
レコードやCDの売上げ枚数は時代によって大きく異なる。1990年代〜2000年代始めのCDバブル時代は売上げ枚数が突出しており,売上げ枚数で活躍年代の違う人を正確に比較するのは困難である。そこで,相対的な影響力を比較的正確に示すと考えられるオリコン週間ランキングの推移グラフを使って,山口百恵と松田聖子が社会に及ぼした影響を比較してみた。
デビューから2000年1月3日分までのオリコンランキング順位の推移をあらわすグラフのトータルの面積=社会的影響は,山口百恵(青)が4329[ポイント・週],松田聖子(赤)が4105[ポイント・週]となる。この期間の社会的影響は山口百恵が松田聖子を上回るという結論になった。松田聖子は2015年の現在でも現役であり,2000年以降のポイントを加えれば山口百恵を上回っている可能性もある。
毎週のランキングから名前を探し出し,順位を読み取る作業は,ある程度連続してランキングに登場している場合は比較的簡単に名前と順位を見つけることが可能だが,数年おきにしかランキングに登場しないものを見つける労力は想像以上であり,今回は2000年以降の松田聖子のポイント計算を断念した。この点については次回までの課題としたい。
事前の予想では,松田聖子のほうが山口百恵を上回るであろうと考えていたが,予想外の結果となった。1位を20ポイント,2位を19ポイント…20位を1ポイントという重み付けが妥当なのかどうか,少し検討する必要があるだろう。1位と2位の差は,19位と20位の差よりも大きいと考え,指数関数的な重み付けのほうが,より正確な判断ができるかもしれない。
■ 山口百恵とピンク・レディーを比較する
ずいぶん長くなってしまったが,最後に山口百恵とピンク・レディー,桜田淳子,AKB48を比較したグラフを提示して終わりたい。

〔山口百恵とピンク・レディーのオリコンランキング順位の推移〕
ピンク・レディー(赤)がオリコンランキング20位以内にチャートインしていたのは約3年間で,そのうち2年間近くはオリコン1位に君臨し続けた。しかし,約7年半の活動期間中,ほとんどの期間,オリコン20位以内に入り続けた山口百恵(青)が4329[ポイント・週]なのに対して,ピンク・レディー(赤)は2457[ポイント・週]で,トータルの社会的影響は山口百恵のほうが大きかったと考えられる。
■ 山口百恵と桜田淳子の比較

〔山口百恵と桜田淳子のオリコンランキング順位の推移〕
“デビューしてから数年間は桜田淳子のほうが売れていた”,“引退後の過大評価によって,現在では山口百恵のほうが売れていたと言われるが,実は桜田淳子も同じぐらい売れていた”,という話を聞くことがある。そこで二人のオリコンランキング順位の推移を比較してみた。
デビューは桜田淳子のほうが約3カ月早く,デビュー曲の「天使も夢みる」が最高位12位まで行ったのに対して,山口百恵のデビュー曲「としごろ」の最高位は37位。
しかし,1年目の桜田淳子は「天使も夢みる」が12位,「天使の初恋」が27位,「わたしの青い鳥」が18位,「花物語」が9位だったのに対して,山口百恵は「としごろ」37位,「青い果実」9位,「禁じられた遊び」12位で,ベスト10に入ったのは山口百恵のほうが早く,1973年のランキングの面積も山口百恵のほうが大きい。1973年の桜田淳子「わたしの青い鳥」のレコード大賞最優秀新人賞には,疑問の声が多かったことも付け加えておきたい(同年の新人,浅田美代子の「赤い風船」はオリコン1位を記録している)。
翌1974年も山口百恵が圧倒。唯一1975年はわずかに桜田淳子が上回っている。1976年以降は勝負にならない。
山口百恵が老若男女に幅広い人気だったのに対して,桜田淳子はアイドルの本道となる男子中高生に人気だったため,周囲に同じ桜田淳子ファンが多かった当時の中高生が,当時の記憶から“実は桜田淳子も同じぐらい売れていた”と主張しているのかもしれない。実態はだいぶ異なっている。
■ 山口百恵とAKB48のオリコンランキング推移を比較する

〔山口百恵とAKB48のオリコンランキング順位の推移〕
活動時期が大きく異なるので,手元にデータがあった最新の2015年5月25日の週と山口百恵のラストシングル「一恵」がオリコン週間ランキング20位から消えた1981年1月26日の週のデータで横軸を一致させている。
オリコン1位曲が4曲しかない山口百恵(青)のほうが,26曲連続オリコン1位を続けるAKB48を圧倒していることがわかる。26曲連続オリコン1位といっても,AKB48は“初登場1位”でランキングに登場し,わずか3〜6週程度でランキング20位から消えていくため,活動期間の半分以上はランキングにいない。
それに対して,山口百恵は活動期間の大部分がランキング20位以内にいて,20位以下に落ちる前に次の曲がランク入りしてくるため,ランキング20位に入っている期間が途切れないことも多い。
山口百恵(青)が4329[ポイント・週]なのに対して,AKB48(赤)は 2068[ポイント・週]で,現時点でのトータルの社会的影響は山口百恵のほうが2倍以上になる。オリコン1位曲数の比較では絶対に説明できない,当時の山口百恵の影響力の大きさがわかる。
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