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2016年1月17日

江戸時代の温泉番付の嶽温泉とは?

Wikipedia温泉番付
 〔Wikipediaより「諸国温泉功能鑑(文化14年=1817年)」〕

 ブラタモリの「熱海」を見ていたら,江戸時代に作られたという温泉番付がチラッと出てきて,番付上位がアップになった。
 東西の大関は草津温泉と有馬温泉,関脇は那須温泉と城崎温泉,小結は上諏訪温泉と道後温泉。まあ,歴史のある有名どころが上位に並んでいる。

 そんな国内有数の温泉が並ぶ上位陣の中,東前頭三枚目に「陸奥嶽の湯」とあって目が釘付けになった(西の前頭三枚目は別府の浜脇の湯)。

 陸奥国(みちのく)にある嶽(だけ)の湯といえば,福島県人ならやっぱり二本松の「岳(だけ)温泉」ではないかと考える。安達太良山の山腹にあり,吉里吉里人ブームのときには,ミニ独立国「ニコニコ共和国」となった温泉街である。

 でも,福島県内では知られていても,全国的にはマイナー中のマイナーのはず。こんな上位にあるのも,ちょっと疑わしい。

 陸奥嶽の湯といえば,青森県弘前市の岩木山の山麓にある嶽(だけ)温泉の可能性もある。こちらも陸奥国だし,読みだけでなく「嶽」の字も同じだ。こちらも古くからの温泉街である。福島県二本松市の岳温泉ではなく,弘前の嶽温泉のなのかなとも思うが,マイナーなことでいえば,嶽温泉もかなりのものである。

 手っ取り早く判断するため,Wikipediaの岳温泉と嶽温泉の記述を比較してみる。

 ◎岳温泉(福島県二本松市)

 源泉は安達太良山直下にあるくろがね小屋近辺にある。そこから温泉街の距離は8kmも離れており、引湯管を用いて湯を供給している。
 江戸時代中期までは源泉地付近に温泉街があったが、土石流によって温泉街が埋まり、現在地より少し離れた場所に移転した。この時から引湯管を用いた温泉供給が始まった。
 戊辰戦争の際に、官軍の拠点になることを恐れた二本松藩によって温泉街は焼き払われた。その後、現在地に温泉街が再建された。


 ◎嶽温泉(青森県弘前市)

 岩木山の麓に位置する、昔ながらの湯治場の風情を色濃く残す温泉街には、旅館、お土産店が立ち並ぶ。日帰り入浴はいずれの旅館でも受け付けている。泉質は宿ごとに多少違いが見受けられる。築年数の古い伝統的な旅館のほかに、マタギ料理や津軽らしさを売り物とする近代的な設備の良い旅館も建つ。
 津軽藩4代藩主の津軽信政によって開かれ、400年近い歴史がある。

 これらの記述から,どちらが「陸奥嶽の湯」かの判別をするのは難しい。現在の温泉街自体は,岳温泉のほうがかなり大きく,しかも江戸中期の土石流と戊辰戦争での焼失と,2度も温泉街を失ってから再興したほど魅力のある温泉だと考えれば,二本松の岳温泉こそが「陸奥嶽の湯」であると思い込みたいところだが,Wikipediaの「温泉番付」の記述では,「陸奥嶽の湯」は弘前の嶽温泉にリンクが張られている

 すっきりしないまま終わるのかと思いながら,「諸国温泉功能鑑」を見ていたら,東前頭八枚目に「津軽嶽の湯」が掲載されていることに気付いた。「陸奥嶽の湯」が嶽温泉と仮定すると,嶽温泉であることが明確な「津軽嶽の湯」と重複することになり矛盾が生じる。なぜなら「陸奥嶽の湯」は嶽温泉ではなく岳温泉だからである。

 すっきりした!

 結論。
 江戸時代の温泉番付の東前頭三枚目「陸奥嶽の湯」は福島県二本松市の岳温泉である。

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