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2015年9月の17件の記事

2015年9月29日

特急「スーパーはくと」で無料Wi-Fi開始

 特急「スーパーはくと」に無料Wi-Fi 訪日外国人のニーズに応え(2015年9月28日 乗りものニュース)

 智頭急行とJR西日本は2015年9月28日(月)から、京都~鳥取・倉吉間で運行する特急「スーパーはくと」で、無料Wi-Fi(公衆無線LAN)のサービスを試験的に開始します。

 今回、無料Wi-Fiサービスが提供されるのは、特急「スーパーはくと」の1・3・5号車。2・4号車でも利用はできますが、一部で電波の弱い席があるとのこと。また1・3・5号車でも、トンネルや山間部など一部で利用できない区間があります。

 特急「スーパーはくと」への無料Wi-Fi導入について、智頭急行とJR西日本の両社は「より多くの訪日外国人のお客様に鉄道旅行をお楽しみいただくため」とその理由を説明しています。

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〔因美線の国英駅(鳥取県河原町)付近を走る特急「スーパーはくと」(2003年4月撮影)〕

 米国などの海外ではカフェや観光地で無料Wi-Fi(無料の公衆無線LAN)サービスが提供されているのはごく普通のことだという。

 それに対して,日本ではまだまだ普及しているとはいえない状況である。無料Wi-Fiスポットがあったとしても事前登録が必要であったり,特定の携帯キャリアユーザーに限定されていたり,詐欺のような品質の回線だったり。未来を感じたFONの計画も,ニセFONルーターを無料でばらまいたソフトバンクによって壊されてしまった。

 増えつつある訪日外国人にしてみれば,メールのチェックや簡単なWeb検索程度の利用に高額なローミング料金を支払うのはつらい。良質の無料Wi-Fiポイントの充実は,観光日本には不可欠だと思う。

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〔智頭急行智頭線の久崎駅を通過する特急「スーパーはくと」(2003年4月撮影)〕

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2015年9月24日

北海道新幹線の札幌高架ルートで失態?

 新幹線、札幌中心部まで地下 用地買収難しく(2015/09/09 どうしん)

 2030年度までの開業を目指す北海道新幹線新函館北斗―札幌間の札幌市内のルートについて、建設主体の鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道・運輸機構)がJR札幌駅に近い都心部まで地下トンネルを建設する方向で、JR北海道や国土交通省と調整を始めたことが8日、分かった。当初計画では手稲区西宮の沢付近の手稲トンネル出口から地上に出る予定だったが、用地買収が難航する恐れが強まっているためだ。年内にも環境影響評価(アセスメント)の手続きを始める。

 鉄道・運輸機構が検討するのは、JR函館線の桑園駅と札幌駅の間まで地下を走行し、そこから高架に上がるルートだ。札幌駅のホーム位置がどこになるかにもよるが、高架部分は1キロ程度となる見通しだ。

 12年に認可された当初計画では、新幹線は手稲トンネルを抜けて西宮の沢付近で地上に出る。その後、札幌駅までの約8キロは函館線に沿うように高架を走る予定だった。地下を走行する場合もルートは大きく変えない方向で具体的な設計を行う。

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〔JR北海道札幌駅(2004年8月撮影)〕

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〔JR北海道札幌駅(2004年8月撮影)〕

 2016年春の北海道新幹線新青森〜新函館北斗開業を目前にして,北海道新幹線の札幌延伸が現実的となり,様々な取り組みが具体化してきた。
 ところが,北海道新幹線のルートや札幌駅の新幹線ホーム案が具体化するにつれて,信じがたい話がポロポロと出てくる。まずは北海道新幹線の札幌駅ホームの問題だ。

 札幌駅は1980年代後半に大規模な工事によって高架化された。そのときの謳い文句は,北海道新幹線開業を視野に入れた高架化だった。北海道新幹線が駅に乗り入れる際には,現在函館本線の小樽方面に使用されている1・2番線ホームが新幹線用に転換されることになっていた。1988年に北海道旅行をしたときに,新しくなりつつあった札幌駅で現地の方からはっきりそう聞いた。

 地上駅だった頃の札幌駅は,北6条に沿って東西にほぼ真っ直ぐ函館本線が延びていた。それを北側に少し移動するかたちで高架化が行われた。真っ直ぐ延びる1・2番線ホームの部分は北海道新幹線用にするのだろうと誰もが考える。

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〔JR札幌駅南口の札幌ステラプレイスから札幌駅前を見る(2004年8月撮影)〕

 札幌駅の1・2番線ホームが北海道新幹線用に転換される場合に拡張されるはずの札幌駅南口には,2000年以降にJRタワースクエアや札幌ステラプレイスなどの商業施設が開業したわけだが,まさかこれらの施設が北海道新幹線を考慮していないものだったとは,開いた口がふさがらない感じだ。というより,関係者はこの問題をとうに知っていて,それが単に表沙汰になっただけだろうというのが腹立たしい。

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〔札幌駅北口側にあるホームのない11番線。新幹線開業時に利用する予定だったはず?(2004年8月撮影)〕

 JR北海道が札幌駅のホームの代替案として出しているのは,(1) 現札幌駅の300メートル西側,(2) 現札幌駅東側の市有地,(3) 現札幌駅の地下,なのだとか。札幌駅を市内公共交通の結節点として,市営地下鉄の南北線・東豊線,札幌エスタの札幌駅前バスターミナルを整備している札幌市としては,(1)(2)案は考えられないだろうし,(3)は工費が天文学的なものになりそうだ。

 JR北海道が(3)の地下駅にしたい理由は,冒頭の記事に繋がってくる。

 手稲トンネルを出た後で函館本線と平行に走る発寒駅から札幌駅までの区間を,JR北海道は地下にしたいと言い出している。札幌駅の新幹線ホームも含めて,どうしても地下にしたい人たちが多いようだ。
 もともとこの区間は北海道新幹線を高架線で通す計画で,そのための用地の多くも地図を見る限りでは確保済みであると思われるにもかかわらず,である。

 地図を見て気になるのは,札幌駅の高架化と同時期に行われた琴似駅〜札幌駅間の高架化工事が,新幹線の高架線を考慮していないように思われる箇所が多く見られる点である。

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〔琴似駅の高架ホーム(2004年8月撮影)〕

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〔北海道新幹線の高架線を作るのに邪魔になりそうな琴似駅前のヴェルビュタワー琴似(2004年8月撮影)〕

 国鉄分割民営化のドタバタとほぼ同時に高架化された札幌駅と函館本線琴似〜札幌間。
 北海道新幹線を考慮して設計されたはずが,実はほとんど考えられていなかったことが判明した。2010年以降,事故や不祥事が頻発し,JR北海道への信頼度は大きく低下している。経営基盤が脆弱なJR北海道に,このまま北海道内の鉄道を運営させるのは無理なのかもしれない。

 北海道新幹線の青函トンネル区間は三線軌条となり,在来線や貨物列車と併走することになる。北海道と本州を結ぶ貨物輸送の大動脈であり,一日に50往復もの貨物列車が運行される合間を,わずか13往復の新幹線が走行する。新幹線が開業して以来の事態である。走行性能や安全性を世界に誇る日本の新幹線の名声を貶めるような事故のないことを祈りたい。

 私はJR東日本のささやかな株主なので,保有株の株価が下がるのは嬉しくないところだが,JR北海道をJR東日本に吸収合併するとか,あるいは大胆に上下分離経営に移行するとか,抜本的なてこ入れが必要なのではないだろうか。

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2015年9月21日

PENTAXフルフレーム機は意外に小さいかも

 Size comparison between the new Pentax full frame and K-3 DSLR cameras(2015年9月19日 Photo Rumors)

Xitek forum member created a size comparison between the Pentax full frame DSLR camera (screenshots taken from the new teaser) and the K-3 (via Ricehigh).


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 RICOHイメージングのティーザーサイトに,PENTAXのフルフレーム一眼レフが2016年春にデビューするという情報が提示されている。
 少しずつ外観などが公開されていくと思われ,今後の展開がとても気になる。

 Photo Rumorsのサイトとそこからのリンクに,ティーザーサイトの画像のマウント径から,PENTAX K-3とのサイズ比較画像が公開されている。まだ形状に不確定なところがあるので正確な比較にはならないが(大きい小さいにはサイズ以外に見た目の影響も寄与するため),とても参考になる。

 フルフレームだけあってペンタミラー部がとても大きい。RICOH IMAGING社は意地でも視野率100%を実現してくるだろうから,これは事前に予想できていたことだ。その他は,意外にコンパクトにまとまっているようにも見える。PENTAXの一眼レフは他社に比べて非常に小型なのが特徴で(エントリー機を除く),アルミニウム合金やマグネシウム合金に比べて非常に重い金属であるステンレス製のシャシを使い続けていることから,外装はマグネシウム合金で小型なのにみっしり重いという特徴がある。

 PENTAXのフルフレーム一眼レフには,ぜひとも「小型」を実現してほしいため,期待を込めて,マウント径情報を頼りに,Canon EOS 5D Mark III そしてNikon D810 と予想サイズを比較してみよう。

 ボディサイズの情報は,私がよく利用している Camera Size(Digital Camera Size Comparison)のサイトを利用した。

 まずはPENTAX K-3とCanon EOS 5D Mark III そしてNikon D810のサイズ比較情報を得る。

Eos_5d_mark_iiipentax_k3

Nikon_d810pentax_k3

 こうやって並べてみると,やっぱりPENTAXの一眼レフは小さい。もちろん,センサーサイズがフルフレームとAPS-Cという違いはあるのだが,日頃からNikon D3・D800E(バッテリーグリップ付き)とPENTAX K-5 IIs(バッテリーグリップ付き)を併用していると,PENTAXのカメラは西欧人より小さい日本人の手に馴染むような気がする。

 これらの画像のPENTAX K-3のマウント径を基準にして,来春の新フルフレーム一眼レフの大きさを予想してみることにする。

Canon EOS 5D Mark IIIとPENTAXフルサイズの比較

Nikon D810とPENTAXフルサイズの比較

 PENTAX K-3との比較では,ずいぶん大きくも感じたPENTAXのフルフレーム一眼レフだが,Canon EOS 5D Mark III や Nikon D810 に比べれば十分コンパクトなサイズに収まりそうだ。

 残念ながら今年中の発売はなくなってしまったPENTAXのフルフレーム一眼レフ。春の訪れとともに登場する,匂い立つような美しさの一眼レフに期待したい。

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2015年9月20日

ラグビーW杯で日本が歴史的大金星

 <ラグビーW杯>日本金星 強豪南ア破る(2015年9月20日 毎日新聞)

 ラグビーのワールドカップ(W杯)イングランド大会は19日、当地で1次リーグB組の日本が過去2回優勝で世界ランキング3位の南アフリカと初戦を戦い、34-32で破る「金星」を挙げた。

 日本は前半、五郎丸(ヤマハ発動機)のPGで3点を先取。その後、逆転されたものの、リーチ(東芝)のトライで逆転するなど互角に戦い、10-12で折り返した。後半開始直後に再逆転し、その後も2度同点に追い付く粘りを見せたうえ、終了間際にトライを決めて逆転勝ちした。

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 凄いものを見させてもらった。感動的な試合だった。涙が止まらなかった。
 鋭く粘り強いタックル,低いスクラム,確実なハンドリング,そして継続継続……

 今回のW杯でも優勝候補と言われ,過去に2回も優勝している南アフリカは,W杯通算25勝4敗でW杯では最も勝率の高いチーム。対する我が日本は通算1勝21敗2分け。勝敗に運が大きく左右する野球やサッカーと違い,ラグビーは番狂わせの少ないスポーツだから,戦前は“どこまで善戦するか”が注目されていた。世界ランク3位と13位では大きな実力差があり,失点が20点台で1トライ取れれば大健闘という新聞の予想もあった。

 日本は五郎丸のPGで先制。逆転された後も,離されては追いつき,離されては追いつく手に汗を握る展開。最後の最後まで接戦だった。

 そしてノーサイド直前,日本はペナルティゴールのチャンスを得た。得点は29-32と3点ビハインド。決めれば南アフリカ相手に引き分けて,勝ち点2をゲットできる。

 なんと,そこで日本は敢えてトライを狙いに行くため,PGではなくスクラムを選択するのだった。大きな賭けだった。スタジアムに響き渡るジャパンコールとどよめき。

 その数分前,29-29の同点で南アフリカのゴール前で日本は痛恨のファウルを取られ,南アフリカはスタジアムの大きなブーイングの中でPGを選択し,3点をリードしていた。格下の日本相手にトライを狙わない消極的な選択。離しても離しても追いついてくる日本の粘りに,明らかに南アフリカは追い込まれていた。

 対照的に,PGによる引き分けではなく,あくまで勝ちを狙いにいった日本。スタジアムの盛り上がりは最高潮。最後はヘスケスが逆転のトライを決めた。ラグビーW杯の歴史に残る番狂わせとなった。

 2019年のラグビーW杯の開催国は日本である。開幕戦や決勝戦を行うメインスタジアムは新国立競技場のはずだったが,例のゴタゴタで日本のラグビー界は聖地を失った。ゴタゴタについての言論の中には,2019年のラグビーW杯開催に対する言及が一言もない,いい加減なものも多く,ラグビーファンの不満は鬱積するばかりだった。

 今回の南アフリカ戦が,そんな鬱憤を一気に晴らしてくれた気がする。今までに見たラグビーの中でも最高の試合だった。勝ったことだけじゃなく,その内容がまた素晴らしい。

 50ウン回目の誕生日に,最高のプレゼントをもらった。

 そして,“ラグビーW杯地上波独占放送”を謳いながら日本×南アフリカ戦を生中継せず,録画放送にするという「0テレ」。過去にも生放送と言いながらラグビーのディレイ放送をして,しかも試合が放送時間に収まらないという醜態をさらしたことのある「0テレ」が,またもや歴史的大失態。既に削除されているけど,セクシー解説動画もひどかった。日テレ,ざまあ……


〔日本対南アフリカ 感動のラスト10分(YouTubeから)〕


〔Irish fans in Cardiff celebrate Japan's Rugby World Cup win(YouTubeから)〕

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2015年9月19日

札幌市電のループ化運転は12月下旬開始

 市電ループ化12月下旬 札幌市、開業日は11月決定(2015/09/18 北海道新聞)

 札幌市は17日、路面電車(市電)のループ(環状)化に伴い延伸する西4丁目停留場(中央区南1西4)―すすきの停留場(同南4西4)間約400メートルについて、12月下旬に開業する方針を固めた。工事の入札不調が相次ぎ、当初計画から約9カ月遅れとなるが、市中心部を周回する新たな公共交通網が誕生する。開業日は試験運転の状況を踏まえ、11月中旬に発表する。

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〔札幌市電の西4丁目停留場〕

 札幌駅前大通りでの軌道敷設工事が進み,現在,西4丁目停留場〜すすきの停留場のCの字(or Uの字)状の運転区間で運行されている札幌市電(路面電車)の環状化が目前となった。

 環状化(ループ化)すれば,現在は西4丁目とすすきのの間で往復運転している電車が,環状運転を始めることになる。わずか約400mの延伸だが,環状運転することによって利便性は限りなく大きくなるはずだ。

 札幌駅前大通りの延伸区間の完成予想図を見たら,電車は両側の歩道寄りを走行するダブルサイドリザベーション方式になっている。大通りに出るところの交差点は複雑になるが,路面電車の利用客は乗りやすく,安全が確保できる方式だ。

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〔西4丁目電停に向かう札幌市電のM101電車(2004年8月撮影)〕

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〔現在は行き止まりになっている西4丁目停留場。南1条通の南1西3南1西4交差点には三越・パルコ・4丁目プラザが集まっている(2004年8月撮影)〕

 軌道が敷設される札幌駅前大通りには40年前まで路面電車が走っていた。今回環状化が完了すれば,40年ぶりの復活ということになる。
 一時は廃止も取りざたされていた札幌市電の路面電車だが,2013年からは新型の超低床電車A1200形「ポラリス」も走り出した。
 環状化運転による路線の活性化を期待したい。

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〔現在のもう一つの行き止まりのすすきの停留場(2004年8月撮影)〕

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2015年9月16日

国勢調査パスワード入り書類配布方法が…

 国勢調査 配布法に苦情 郵便受けをはみ出し ID盗み見の恐れ(2015年9月16日 東京新聞)

 国勢調査のインターネット回答に必要なIDとパスワードを記した書類が、封をされずに郵便受けからはみ出た状態で投函(とうかん)される事例が相次いでいることが十五日、総務省への取材で分かった。総務省は第三者の盗み見による「なりすまし」の回答につながる恐れもあるとして、全自治体に調査員の指導を徹底するよう文書で注意喚起した。

 ネット回答は今回初めて全国で導入された。総務省が自治体の推薦を受けて任命した約七十万人の調査員が、十日から十二日までに全国の五千二百万世帯を訪問し、IDとパスワードを記した書類を配布した。ところが、総務省に「封筒が郵便受けからはみ出ている」「個人情報が漏れるのではないか」といった苦情が殺到。高市早苗総務相は十五日の記者会見で「配布の仕方は調査の信頼性を損なうものだ」と述べた。

 国勢調査の書類は、調査員が手渡しするのが原則だが、不在の時は郵便受けへの投函が認められている。総務省は自治体を通じて封筒を二つ折りにして郵便受けの奥に入れるよう指導していたが、徹底していなかったとしている。

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 国勢調査のネットでの回答に必要な世帯IDとパスワードを記した書類の配布方法で大騒ぎ。調査員が手渡しするのが原則だが,2〜3回訪問して不在の時には郵便受けに投函されるのだという。

 あらあら,封をしない状態でこんなふうにはみ出した状態で配布されたら,そりゃマズいわな……と思って自宅の郵便受けを見たら,うちのもはみ出してましたよ,見事に……

 日中は不在の単身世帯は多いだろうし,短期間での配布を指示された調査員の方には少し同情してしまう。選挙のときに公示後に郵送されてくる投票所入場券と同様に,郵送でも良かったんじゃないだろうか。

 今回の書類に入っているのは世帯IDと仮パスワードなので,たとえIDとパスワードを盗み見されたとしても情報が漏洩することはないし,なりすましで不正に入力された場合にはその判別は可能だが,そもそもの認識の甘さは「お役所仕事」そのまんまだ。
 こんなんで,マイナンバー制度は大丈夫なのだろうか……

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鶴見市場の模型店「はやぶさ」が閉店へ

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 横浜市鶴見区,京急線の鶴見市場駅前にある老舗の模型店「はやぶさ」が,“店主の事情により”,2015年9月30日(水)をもって閉店することになったようだ。

 珍しいHOゲージ中心の品揃えで,鉄道模型雑誌「鉄道模型趣味」の広告で見たことのある方は多いと思う。
 街の中の老舗がなくなってゆくのは寂しい。

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2015年9月14日

関東鉄道常総線 取手〜下妻間が不通に

 当分運休も 関東の鉄道、複数路線が豪雨で不通に(2015年9月11日 乗りものニュース)

 特別警報が茨城・栃木県内に発令されるなど、大雨に見舞われた2015年9月10日(木)の関東地方。その翌日、9月11日(金)になってもJR宇都宮線などの遅延や、上野東京ラインの直通運転中止といった影響が出ているほか、不通区間が発生しています。

 9月11日午前10時現在、関東鉄道常総線は鬼怒川堤防決壊で線路が冠水。設備に多大な影響が出ているため、取手〜下館間の全線で運転を見合わせています。

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〔常総市新石下にある石下駅(2002年8月撮影)〕

 鬼怒川の堤防の決壊と越水で甚大な被害を受けた常総市。常総市は平成の大合併で旧水海道市が旧石下町を吸収合併してできた市だ。堤防が決壊した常総市三坂町,越水したのは常総市若宮戸で,どちらも旧石下町域だが,鬼怒川と小貝川に挟まれた一帯は平坦であり,浸水は下流の旧水海道市域まで大きく広がっている。

 同地域を走る関東鉄道常総線の線路は大部分が冠水したようだ。水海道駅の南には水海道車両基地があり,同基地に留置していた車両(7両)は床下まで浸水したらしい。

 関東鉄道では,線路が冠水する前に車両の一部は南守谷と下妻に退避したそうで,車両の大半が被害を受ける事態は避けられたようだ。

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〔常総市水海道の水海道駅付近(2002年8月撮影)〕

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〔水海道車両基地(2002年8月撮影)〕

 冠水が大規模で,水が引くまでにはだいぶ時間が掛かりそうだし,たとえ水が引いても,線路や付帯設備が使えるかどうかの確認にも時間が掛かりそうだ。

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2015年9月13日

鬼怒川の堤防決壊 常総市で大規模浸水

 鬼怒川決壊、12人不明か 浸水地域に6500棟(2015.9.11 産経ニュース)

 台風18号の影響で関東や東北で記録的な豪雨が降り続いた10日午後、茨城県常総市三坂町の鬼怒川の堤防が決壊し、大規模な水害に見舞われた。常総市は「12人が行方不明になっている」と明らかにした。ほかにも、人が流されたとの情報が複数あり、安否の確認を進めている。県によると浸水地域は約32平方キロで、約6500棟の住宅があり、一部は流失した。警察、消防、自衛隊、海上保安庁は同日夜までに、取り残された周辺の住民ら約200人をヘリコプターなどで救助した。警察庁によると午後11時現在、約690人が救助を待っている。

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〔常総市三坂町の堤防決壊地点(Googleマップ)〕

 温帯低気圧に変わった元台風18号と太平洋上の台風17号の影響で関東地方や東北地方では記録的な豪雨となり,茨城県常総市三坂町地区では鬼怒川の堤防が決壊,さらにその上流の常総市若宮戸地区では自然堤防を越水し(太陽光発電業者がソーラーパネル設置のために自然堤防を幅約150m,高さ約2mにわたって掘削したという話がある),大規模な浸水被害が生じた。
 関東地方で国の直轄河川の堤防が決壊するのは,1986年の小貝川以来29年ぶりになる。

 専門家の話によれば,記録的な豪雨となった原因は,関東地方に発生した「線状降水帯」と呼ばれる雨雲の帯だという。

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 ちょうど茨城県から栃木県の上空に「線状降水帯」が発生し,長時間にわたって同じ地域に雨雲が次々と発達することになってしまったようだ。

 今回は「線状降水帯」がたまたま鬼怒川流域に留まったことにより,鬼怒川で堤防が決壊することになったが,ほんの少し東にずれればまた小貝川だった可能性もあるし,少し西にずれれば利根川で被害が生じた可能性もある。

 たとえば,同じ雨雲が私が住んでいる横浜市港南区の上空に留まったとすれば,やはり何らかの被害が生じただろう。


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〔2015年9月6日に届いた横浜市の防災メール〕

 私は横浜市の防災メールに登録しているのだが,自宅からそれほど離れていない平戸永谷川は典型的な都市河川で,少し強い雨が降っただけでも「横浜市河川水位情報」で避難判断水位を越えたという防災メールが届く。私の自宅は「下永谷3号橋」よりも少し上流側の上永谷にあるので(しかも川から離れ,地盤のしっかりしたところを選んで住んでいる),直接影響を受けるわけではないが,やはり水位情報はとても気になる。


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〔2015年9月6日の下永谷3号橋(平戸永谷川)水位の変化〕


 平戸永谷川の流域はコンクリートとアスファルトに覆われた,典型的な都市河川であるため,わずか30分程度強い雨が降っただけで一気に水位が上がり,はん濫注意水位どころか避難判断水位を軽く超えていることがわかる。その上の溢水水位というのは河川の両岸の天端を意味する。

 このような水位の変化は,強い雨が降るたびに生じる。運良く30分程度で雨が小降りになったため水位の上昇はおさまったが,ここに栃木県上空に留まった線状降水帯のような雨が降り続いたら,どのような被害が生じるのか不安になる。被害がなかったのは“たまたま”だから……

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JR南武線浜川崎支線に新駅設置

 JR南武支線新駅 住民による投票結果発表「小田栄駅」が最多(2015年9月11日 タウンニュース)

 市は4日、2016年3月の開業を目指している小田栄に設置する新駅の駅名について、先月行った投票の結果を発表した。

 「小田栄駅」、「小田川崎駅」、「小田弥栄駅」の3つの案から選ぶ投票方式で、小田栄付近の11町会約9500世帯を中心とした地域を対象に、8月5日から21日までの期間、投票を呼びかけていた。

 投票総数は1125票。結果は「小田栄駅」が889票で最多得票。次いで小田川崎駅が182票、小田弥栄駅は54票だった。市はこの結果をJR東日本に伝える。同社は検討した上で正式名称を決定し、10月頃に発表する予定だという。
(中略)
 今後は、9月中に市とJR東日本が施行協定を結び、JRが施行業者を決定。予定では10月中に住民向けの工事説明会を開き、その後着工に移るという。

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〔川崎新町駅から浜川崎駅方向を見る(2001年7月21日撮影)〕

 今年初めに新駅設置の記事を読んで驚いたニュースだったが,実現に向けて着々と動いているようだ。

 新駅の場所は,川崎新町駅と浜川崎駅のほぼ中間の川崎市川崎区小田栄地区となる。ここは,かつての昭和電線の工場跡地に商業施設や大きな集合住宅が建ち,人口も増えている。

 近くの小田栄町交差点付近には約50年ぐらい前まで川崎市電が走り,小田栄電停があった。幹線道路には「市電通り」という名称も残っている。新駅の駅名の投票で「小田栄駅」がダントツの1位になったのは,川崎市電小田栄電停を思う人たちの影響があったのかもしれない。

 小田栄からは川崎駅行きのバスが多く走っている。新駅から川崎方面へは,南武線の尻手駅で川崎方面に乗り換えるか,八丁畷駅で京急線に乗り換えることになる。あまり便利な感じはしない。南武線浜川崎支線の運転本数や乗り換えの手間を考慮しても,新駅設置の要望が強かったということは,川崎駅行きのバスが渋滞による影響を受けやすいなどの問題が大きかったのだろう。

 川崎市は,八丁畷駅付近から川崎駅に続く短絡線(東海道本線貨物支線)を復活し,旅客化しようという「川崎アプローチ線」の計画を検討していたことがあって,それができれば南武線浜川崎支線の位置づけは大きく変わることになる。今回の新駅設置は「川崎アプローチ線」計画の端緒となるのか,なかなか興味深い。

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〔南武線浜川崎支線の浜川崎駅(2001年7月21日撮影)〕

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〔浜川崎支線浜川崎駅に停車する101系電車(2000年9月10日撮影)〕

 南武線浜川崎支線は1980年まで旧型国電,2003年までは101系電車が2両編成で往復運転をしていて,時代に取り残されたような路線だ。新駅がひとつできるぐらいで状況は変わらないだろうが,浜川崎駅周辺に広がる巨大工場が将来的にマンションや大規模商業施設に変わっていくようなことになると,川崎駅と至近距離にあるだけに,魅力的な路線に化ける可能性が見えてきそうだ。

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2015年9月11日

iPodクリックホイール特許訴訟でApple敗訴

 iPod操作ボタン訴訟、アップルの敗訴確定(2015年09月10日 読売新聞)

 携帯音楽プレーヤー「iPod(アイポッド)」の操作ボタンに使われた技術の特許権を巡る訴訟で、最高裁第2小法廷(小貫芳信裁判長)は9日付の決定で、米アップルの日本法人と発明家の日本人男性側の双方の上告を棄却した。

 米アップルによる特許侵害を認め、日本法人に対し、約3億3600万円の賠償を命じた2審・知財高裁判決が確定した。

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〔第1世代iPod:特許侵害対象外(2001年11月発売)と第1世代iPod nano:特許侵害対象(2005年9月発売)〕

 日本の発明家は約100億円の損害賠償を求め,Apple側は特許の無効を主張したが,最高裁は上告を棄却,iPodシリーズ5機種の特許侵害を認めた2審判決が確定した。

 特許侵害したのは2004年以降の機種ということなので,物理的に回転するスクロールホイールを採用した第1世代iPod(上記写真)やタッチホイールでもボタンは別に付いていた第2世代や第3世代(下記写真)は対象ではなく,タッチホイールにクリックボタンを内蔵した第4〜6世代iPodが対象になっているものと思われる。

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〔第3世代iPod:特許侵害対象外(2003年5月発売)〕

 しかし,タッチホイールにクリックボタンを内蔵しているのは,第1〜5世代のiPod nanoと第1〜2世代iPod miniも同様なので,「5機種」とつじつまが合わない。

 5機種というのは何なのだろう。無理矢理5機種を考えると,iPod,iPod photo,iPod classic,iPod nano,iPod miniかな……

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〔第4世代iPod:特許侵害の対象(2004年7月発売)〕

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2015年9月 8日

山口百恵と松田聖子・AKB48を比較する

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 8月22日の「ピンク・レディーとAKB48を比較してみた」という記事において,オリコン週間ランキング1位曲が9曲のピンク・レディーと,26作連続1位のAKB48を,オリコン週間ランキングの推移をグラフ化することにより,当時社会現象化したピンク・レディーの人気のすごさを示した。

 また,2014年7月31日の「オリコン1位が4曲・山口百恵はホントに凄かったの?」という記事では,1980年代中頃から多くの“オリコン週間シングル1位”が作為的に作られている可能性について言及し,その価値が大きく下がっていることを示すとともに,週間ランキングでの作為が働きにくい“年間ランキング”の推移をグラフ化することによって,オリコン1位曲が4曲しかない山口百恵が,はるかに多くのオリコン1位曲を記録している近年のミュージシャンと比べても遜色がないことを示した。

 今回は,オリコン週間ランキングの推移グラフを使って,1970年代の(女性歌手の)トップだった山口百恵と,入れ替わるようにデビューし1980年代に圧倒的な人気だった松田聖子を比較してみる。また,手間を掛けて入力したデータを使わないのはもったいないので,山口百恵とピンク・レディー・AKB48の比較も行った。


■ 山口百恵と松田聖子をオリコンランキングで比較する

 学生時代にジャズばかり聴いていた私は,ボーカルもののレコードを山口百恵以外はほとんど聴かず,シャンソンとファドを少し聴く程度だった。貧乏学生だったのでアパートにレコードプレーヤーはなく,レコードを買っては友人のところでカセットテープにダビングしてもらって聴いていた。私が買うレコードは友人に評判の悪いものが多く(友人のライブラリにも追加となる百恵ちゃんのレコードは別にして,シャンソンやジャズは彼には興味の対象外だった),あれこれ文句を言われながらダビングしてもらったのだった……

 その友人が松田聖子のファンだった。デビュー直後から,松田聖子は一気にトップアイドルに駆け上がった。その人気がすさまじかったことは覚えている。

 山口百恵は1970年代までにもっとも多くのレコードを売り上げた歌手だったが,レコードの売上げやオリコン週間ランキング1位の回数において,松田聖子はあっという間に山口百恵を上回ったと思われる。山口百恵が老若男女に幅広く支持されたのに対して,松田聖子はアイドルらしいアイドルで,男子高校生や男子大学生にずば抜けた人気があった。

 オリコン週間ランキングで山口百恵と松田聖子を比較しても,山口百恵が完敗して意気消沈するだけだからやめておけという考えが自分の中に浮かんでくることもあったが,とりあえずグラフにしてみた。

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〔山口百恵と松田聖子のオリコンランキング順位の推移〕

 青が山口百恵,赤が松田聖子である。
 横軸は週単位の時間軸,縦軸がオリコン週間ランキングで,一番上が1位で一番下が20位となっている。両者の活動時期が異なっているので,横軸でデビュー日時を一致させている。また,松田聖子は活動期間が非常に長いが,2000年以降は上位にランキングされることが非常に少ないため,2000年1月3日付けまでのデータとした(ごめんなさい,データを読み取る気力がなくなりました)。

 さて,グラフを見てどのように感じるだろうか。

 松田聖子は24曲連続オリコン1位,通算でも25曲で1位。山口百恵は1位が4曲なので,松田聖子の赤い色が目立つ? いやいや,意外に山口百恵の青色が目立っている?

 グラフが左側に小さく偏っていて見づらい? ごもっとも。
 それでは,デビューから3年ごとにグラフを区切って表示してみよう。


(1) デビューから3年間の比較

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〔山口百恵と松田聖子 デビューから3年間の比較〕

 山口百恵(青)は1973年5月21日発売「としごろ」〜1975年12月21日「白い約束」,松田聖子(赤)は1980年4月1日発売「裸足の季節」〜1982年10月21日「野ばらのエチュード」までの3年間の比較である。年齢でいえば,山口百恵が14歳〜17歳直前,松田聖子が18歳〜21歳直前の期間となる。
 どちらも1年間に4曲のペースでシングル曲を発表しているので,グラフの山が比較的重なっていて,比べやすい。

 デビュー曲の「としごろ」が最高位37位とふるわなかった山口百恵に対して,松田聖子の「裸足の季節」は最高位12位となり,デビュー直後にいきなりランキング20位内に登場している。
 2曲目の「青い珊瑚礁」も順調にランキングを駆け上り,4週連続2位を記録。その翌々週には3曲目の「風は秋色」が初登場1位となり,5週連続1位を記録。この衝撃的な登場で,松田聖子は一気にトップアイドルとなった。松田聖子は山口百恵と同じCBSソニー所属であり,既に引退を発表していた山口百恵の穴を埋める“ポスト百恵”として,CBSソニーの強力なプッシュもあった。この3曲は,いずれもCMソングとしてテレビから流れ続けた。

「ピンク・レディーとAKB48を比較してみた」で書いたように,“ランキング初登場1位”は,後年になってレーベル・音楽事務所間でのレコード/CD発売時期の調整手法等が確立し,オリコン1位濫発のひとつの結果と考えることができるのだが,この時期の松田聖子に“ランキング初登場1位”は「風は秋色」しかなく,それ以外の曲は“ランキングを駆け上る”カーブを描いている。

 デビュー2曲目の「青い果実」の♫あなたが望むなら わたし何をされてもいいわ…という大胆な歌詞が話題になり,やっと最高位9位となった山口百恵は,5曲目の「ひと夏の経験」♫ あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ…がヒットして最高位3位,そして7曲目の「冬の色」で初めてランキング1位を記録,5週連続1位となる。
 懐かしのメロディ的な番組で映像が放送されることもなく,現在では百恵ファン以外にはほとんど知られていない「冬の色」がなぜ5週連続1位なのか,不思議に思われるかもしれないが,B面の「伊豆の踊子」が映画『伊豆の踊子』の主題歌だったことの影響が大きいと推測される。

「冬の色」以降は,「湖の決心」「夏ひらく青春」「ささやかな欲望」と伸び悩む。“青い性路線”と“純愛プラトニック路線”を繰り返す路線がややマンネリ化していた印象があり,山口百恵自身もそれを自覚していたんじゃないだろうか。宇崎竜童の曲を歌いたいと主張したのもこの時期だったはずだ。

 デビューから3年間のグラフの面積(1位を20ポイント,2位を19ポイント…20位を1ポイント,21位以下はポイントなしとする)は,山口百恵(青)が1238[ポイント・週],松田聖子(赤)が1769[ポイント・週]となる。この期間の社会的影響は松田聖子のほうがはるかに大きかったと考えられる。


(2) 4年目〜6年目の比較

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〔山口百恵と松田聖子 4年目〜6年目の比較〕

 山口百恵(青)は1976年3月21日発売「愛に走って」〜1978年11月21日「いい日旅立ち」,松田聖子(赤)は1983年2月3日発売「秘密の花園」〜1985年6月24日「ダンシング・シューズ」までの3年間の比較である。年齢でいえば,山口百恵が17歳〜20歳直前,松田聖子が21歳〜24歳直前の期間となる。

 山口百恵17歳。自ら希望した宇崎竜童の作曲で1976年6月21日発売の「横須賀ストーリー」が大ヒット。「横須賀ストーリー」は7週連続の1位を記録,次の1976年9月21日発売の「パールカラーにゆれて」も5週連続1位となる(近年のオリコン1位は複数週にまたがる連続1位はなく,たった1週だけの1位なので,「横須賀ストーリー」と「パールカラーにゆれて」の1位は12週分=12曲分に相当すると強弁することもできる)。

 しかし,1976年8月25日に「ペッパー警部」でデビューしたピンク・レディーが,ここから2年間,爆発的なヒットを連発し,オリコン週間ランキングの1位を独占することになる。山口百恵もピンク・レディー旋風には圧倒され,1977年4月1日発売の「夢先案内人」で1週間だけ1位を獲得した以外はオリコン1位になることはなかった。

 松田聖子は「秘密の花園」から「ダンシング・シューズ」まで11曲連続でオリコン1位になっている。そのうち9曲が“初登場1位”であり,1位を獲得した後でベスト10に留まっている期間は短くなっている。ランキング推移のグラフにおいて,青い線よりも赤い線のほうが山が急峻で,ピークの幅が狭いのが見てとれる。
 これは,下に示す1977年4月〜5月のオリコンランキング順位の推移と2014年4月〜5月のランキングの推移のグラフの違いほど極端ではないが,毎週ランキング1位曲が入れ替わり,オリコン1位曲を増やしたいレコード会社側の意向が反映されつつあることを意味する可能性がある。

 この期間は,中森明菜がデビューしてライバルとなっただけでなく,田原俊彦や近藤真彦,チェッカーズなどの若いアイドルがランキング1位を競っており,1970年代は1年間にオリコン1位曲が10曲前後しかなかったのに対して,1983年20曲,1984年26曲,1985年28曲と2〜3倍にオリコン1位曲が増えている。

 1968年から2014年までの年間オリコン1位曲数の推移を示すので,その傾向を見てほしい。

年間オリコン1位曲数の推移
〔年間オリコン1位曲数の推移(1968年〜2014年)〕

 1981年から増え始めたオリコン1位曲の数は,1986年と1987年に最初のピークとなる。この2年間のオリコン1位曲数は,1986年が46曲,1987年が44曲となっている。1年間は52週であり,オリコン週間ランキングでは年初の2週間を1週分にまとめていることから,1年間は51週となっている。つまり,ほぼ毎週オリコン1位曲が入れ替わったことになる。

 この2年間はレコード会社側が意図的におニャン子クラブとそのメンバーが毎週交互に曲を発売,それ以外のアイドルもそれとかち合わないように新曲を発売することによって,その多くがオリコン初登場1位を獲得し,翌週から一気にランキングを下げるという状況となった。その手法が,2000年代半ばから完全に確立し,ほとんどの(レコード会社の支援があるという意味で)メジャーなミュージシャンは,発売する曲がすべてオリコン1位となっている。

1977年4月〜5月のオリコン順位の推移
〔1977年4月〜5月のオリコンランキング順位の推移〕

2014年4月〜5月のオリコン順位の推移
〔2014年4月〜5月のオリコンランキング順位の推移〕

 さて,山口百恵と松田聖子のデビュー4年目〜6年目を比較すると,松田聖子のランキング推移の曲線のピークの幅が狭いのに対して,山口百恵はランキング10位に入っている期間が長くてグラフの幅が広く,ランキングが下がっていくと同時に次の曲がランクインするため,曲と曲の隙間が小さいことがわかる。
 松田聖子には1985年6月24日「ダンシング・シューズ」の後から年末までブランクがある。このブランクは,翌年の郷ひろみとの破局,神田正輝との結婚・出産へと続くことになる。

 山口百恵の後半の4つの山は,それぞれ「プレイバックPart2」「絶体絶命」「いい日旅立ち」「美・サイレント(山の途中まで)」を示している。「プレイバックPart2」で紅白歌合戦の紅組のトリをとった山口百恵だが,実はこの1978年後半には相手の名前は伏せたまま“恋愛中”宣言をしており,YouTubeにはTBS『3時にあいましょう』で司会者の野村・三雲に恋愛の相手は誰か,しつこく突っ込まれるシーンがアップされていたことがある。

 よく見ると,女性歌手としてはほぼ頂点に立ったと思われる「プレイバックPart2」以降に,ややランキングが下がり気味なのは,ピンク・レディーの影響に加えて,“恋愛中”宣言によってアイドル的人気を支えていた若い男性ファンが多少離れていった影響があるのではないかと思われる。

 この3年間のグラフの面積=社会的影響は,山口百恵(青)が2202[ポイント・週],松田聖子(赤)が1585[ポイント・週]となる。この期間の社会的影響は山口百恵が松田聖子をやや上回っている。


(3) 7年目〜9年目の比較

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〔山口百恵と松田聖子 7年目〜9年目の比較〕

 山口百恵(青)は1979年3月1日発売「美・サイレント」〜1980年11月19日「一恵」,松田聖子(赤)は1987年4月22日発売「Strawberry Time」〜1988年9月7日「旅立ちはフリージア」までの3年間の比較である。年齢でいえば,山口百恵が20歳〜21歳での引退,松田聖子が24歳〜26歳直前の期間となる。

 山口百恵のランキング推移でもっとも低い山は堀内孝雄作曲・松本隆作詞の「愛染橋」である。演歌風の曲で,現在でもカバーする人が多い曲だ。デビュー直後の曲を除くと最も売れなかった曲になる。山口百恵の曲としてはインパクトが弱かったことに加えて,そのひとつ前の「しなやかに歌って」発売後のリサイタル中に,“私が好きな人は三浦友和さんです”と発表したことの影響があったのかもしれない。

 1年前の“恋愛中”宣言に続いての“好きな人は三浦友和さん”宣言。デビュー2年目の映画『伊豆の踊子』から,三浦友和とのペアで認識され続けていた山口百恵は,今も昔も恋愛がタブーとされている女性アイドルとしては稀有な存在だったと思うのだが,それでも恋人宣言はランキングに影響した可能性がある。
 そんな中で,「謝肉祭」「ロックンロール・ウィドウ」「さよならの向こう側」「一恵」と,超弩級の曲で盛り返しての引退はさすがだった。

 松田聖子は,この3年間で「Strawberry Time」「Pearl-White Eve」「Marrakesh〜マラケッシュ〜」「旅立ちはフリージア」の4曲しか出していない。いずれも“初登場1位”ではあるが,長くても「旅立ちはフリージア」の7週間しか20位以内に入っていない。1987年は上にも書いたようにおニャン子クラブとそのメンバーを意図的にオリコン1位にする動きが強かった年であり,松田聖子もその動きに飲み込まれたように見える。

 この3年間のグラフの面積=社会的影響は,山口百恵(青)が889[ポイント・週],松田聖子(赤)が353[ポイント・週]となる。この期間の社会的影響は山口百恵が松田聖子を上回っている。


(4) 10年目以降……

山口百恵と松田聖子(1989〜1991)
〔松田聖子 10年目〜12年目のランキング推移〕

山口百恵と松田聖子(1992〜1994)
〔松田聖子 13年目〜15年目のランキング推移〕

 松田聖子の10年目〜12年目のグラフの面積は39[ポイント・週],13年目〜15年目の面積は143[ポイント・週],15年目〜20年目(2000年1月3日まで)は216[ポイント・週]となった。


(5) 山口百恵と松田聖子の比較のまとめ

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〔山口百恵と松田聖子のオリコンランキング順位の推移(再掲)〕

 レコードやCDの売上げ枚数は時代によって大きく異なる。1990年代〜2000年代始めのCDバブル時代は売上げ枚数が突出しており,売上げ枚数で活躍年代の違う人を正確に比較するのは困難である。そこで,相対的な影響力を比較的正確に示すと考えられるオリコン週間ランキングの推移グラフを使って,山口百恵と松田聖子が社会に及ぼした影響を比較してみた。

 デビューから2000年1月3日分までのオリコンランキング順位の推移をあらわすグラフのトータルの面積=社会的影響は,山口百恵(青)が4329[ポイント・週],松田聖子(赤)が4105[ポイント・週]となる。この期間の社会的影響は山口百恵が松田聖子を上回るという結論になった。松田聖子は2015年の現在でも現役であり,2000年以降のポイントを加えれば山口百恵を上回っている可能性もある。

 毎週のランキングから名前を探し出し,順位を読み取る作業は,ある程度連続してランキングに登場している場合は比較的簡単に名前と順位を見つけることが可能だが,数年おきにしかランキングに登場しないものを見つける労力は想像以上であり,今回は2000年以降の松田聖子のポイント計算を断念した。この点については次回までの課題としたい。

 事前の予想では,松田聖子のほうが山口百恵を上回るであろうと考えていたが,予想外の結果となった。1位を20ポイント,2位を19ポイント…20位を1ポイントという重み付けが妥当なのかどうか,少し検討する必要があるだろう。1位と2位の差は,19位と20位の差よりも大きいと考え,指数関数的な重み付けのほうが,より正確な判断ができるかもしれない。


■ 山口百恵とピンク・レディーを比較する

 ずいぶん長くなってしまったが,最後に山口百恵とピンク・レディー,桜田淳子,AKB48を比較したグラフを提示して終わりたい。

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〔山口百恵とピンク・レディーのオリコンランキング順位の推移〕

 ピンク・レディー(赤)がオリコンランキング20位以内にチャートインしていたのは約3年間で,そのうち2年間近くはオリコン1位に君臨し続けた。しかし,約7年半の活動期間中,ほとんどの期間,オリコン20位以内に入り続けた山口百恵(青)が4329[ポイント・週]なのに対して,ピンク・レディー(赤)は2457[ポイント・週]で,トータルの社会的影響は山口百恵のほうが大きかったと考えられる。


■ 山口百恵と桜田淳子の比較

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〔山口百恵と桜田淳子のオリコンランキング順位の推移〕

“デビューしてから数年間は桜田淳子のほうが売れていた”,“引退後の過大評価によって,現在では山口百恵のほうが売れていたと言われるが,実は桜田淳子も同じぐらい売れていた”,という話を聞くことがある。そこで二人のオリコンランキング順位の推移を比較してみた。

 デビューは桜田淳子のほうが約3カ月早く,デビュー曲の「天使も夢みる」が最高位12位まで行ったのに対して,山口百恵のデビュー曲「としごろ」の最高位は37位。
 しかし,1年目の桜田淳子は「天使も夢みる」が12位,「天使の初恋」が27位,「わたしの青い鳥」が18位,「花物語」が9位だったのに対して,山口百恵は「としごろ」37位,「青い果実」9位,「禁じられた遊び」12位で,ベスト10に入ったのは山口百恵のほうが早く,1973年のランキングの面積も山口百恵のほうが大きい。1973年の桜田淳子「わたしの青い鳥」のレコード大賞最優秀新人賞には,疑問の声が多かったことも付け加えておきたい(同年の新人,浅田美代子の「赤い風船」はオリコン1位を記録している)。
 翌1974年も山口百恵が圧倒。唯一1975年はわずかに桜田淳子が上回っている。1976年以降は勝負にならない。

 山口百恵が老若男女に幅広い人気だったのに対して,桜田淳子はアイドルの本道となる男子中高生に人気だったため,周囲に同じ桜田淳子ファンが多かった当時の中高生が,当時の記憶から“実は桜田淳子も同じぐらい売れていた”と主張しているのかもしれない。実態はだいぶ異なっている。


■ 山口百恵とAKB48のオリコンランキング推移を比較する

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〔山口百恵とAKB48のオリコンランキング順位の推移〕

 活動時期が大きく異なるので,手元にデータがあった最新の2015年5月25日の週と山口百恵のラストシングル「一恵」がオリコン週間ランキング20位から消えた1981年1月26日の週のデータで横軸を一致させている。

 オリコン1位曲が4曲しかない山口百恵(青)のほうが,26曲連続オリコン1位を続けるAKB48を圧倒していることがわかる。26曲連続オリコン1位といっても,AKB48は“初登場1位”でランキングに登場し,わずか3〜6週程度でランキング20位から消えていくため,活動期間の半分以上はランキングにいない。

 それに対して,山口百恵は活動期間の大部分がランキング20位以内にいて,20位以下に落ちる前に次の曲がランク入りしてくるため,ランキング20位に入っている期間が途切れないことも多い。

 山口百恵(青)が4329[ポイント・週]なのに対して,AKB48(赤)は 2068[ポイント・週]で,現時点でのトータルの社会的影響は山口百恵のほうが2倍以上になる。オリコン1位曲数の比較では絶対に説明できない,当時の山口百恵の影響力の大きさがわかる。

【関連記事】
ピンク・レディーとAKB48を比較してみた』(2015年8月22日)
オリコン1位が4曲・山口百恵はホントに凄かったの?』(2014年7月31日)

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2015年9月 7日

新潟市のBRTが運行開始

 新潟)BRT、波乱の幕開け 混雑や遅れ、接触事故も(2015年9月6日 朝日新聞)

「BRT」と呼ばれる新潟市の新しいバス路線が5日、主にJR新潟駅前―青山間(約7キロ)を結んで運行を始めた。この路線を走る連節バス「ツインくる」に乗ろうとする市民らで、停留所は混雑。遅延などのトラブルや事故も起き、波乱の幕開けとなった。

 繁華街の古町停留所で多数の乗客が降りるまで、バスはすし詰め状態。目的地に着いた際、「降ります、降ります」と焦った声で出口に向かう乗客の姿も目立った。バス前方にはモニターが設置され、白山駅前、青山など電車や他のバスとの乗り換え拠点となる停留所が近づくと、接続便の発車時刻や、停留所の場所を示す地図が表示された。だが、この日から西区の病院に行くのに青山での乗り換えが必要になった秋葉区の60代女性は、不満顔だ。「モニターを見ても、私には分からない」。青山停留所には、予定時刻を約30分遅れて到着した。

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〔万代橋を渡るバス〕

 注目されていた新潟市のBRT(Bus Rapid Transit)が走り始めた。珍しい連節バス「ツインくる」に乗客が集中し,大きな遅延が生じたようだが,運賃収受に関する問題以外は大きなトラブルはなく,BRTそのものの根本的な問題はなかったようにも読み取れる。
 青山〜市役所前〜古町〜万代シテイ〜新潟駅前は,平日ラッシュ時約3分間隔,日中10分間隔と運転本数も多い。従来のように,行先の異なる多くのバスが途中まで同じところを走るよりも,バスに乗り慣れない人が利用しやすくなる。走行区間が明確な鉄道のほうが利用しやすいのと同じだ。

 運賃収受に関する問題(乗り継ぎの改善を含む)や利用者への案内を改善すれば,初日に発生したトラブルは次第に収まって行くんじゃないだろうか。冬期の降雪時に正常運行できるかどうかがカギになりそうだ。

 新潟市内のバスの多くは,古町〜万代シテイ〜新潟駅前の区間に集約されるため,全般的には乗客の少ないバスがこの区間にひしめくことになる。今後さらにバスの利用者が減少し続けることになれば,維持できなくなるバス路線も多い。バス路線を基幹バス(今回のBRT区間)とフィーダーバスに分け,効率的にバスを運行するメリットは大きい。バスの台数を減らせることから,バス乗務員の負担も軽減される(将来的な乗務員の減少にも対応できる)。

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 BRTだからといって連節バスにする必要があったのかどうかはよくわからない。今回の新潟では,まず4台だけを連節バスにしたことで,連節バスに乗客が集中し,混雑に拍車を掛けたようだ。
 また,記事に“目的地に着いた際、「降ります、降ります」と焦った声で出口に向かう乗客の姿も目立った”とあるように,乗車扉が前後車両に2カ所あるのに降車扉は運転席横の1カ所で,後ろ乗り・前降り,運賃降車時払いというシステムになっていることが,途中のバス停での降車時間を延ばす原因になったようだ。降車扉が前にしかないので,どうしても前のほうに乗客が集中し,降車客が車内を通りにくくなってしまう。バス停での停車時間を短縮し,車内の混雑を均一化するためには,基幹バス区間は均一運賃にして,運賃前払い,前乗り・後ろ降りにすべきだと思う。

 乗り換えが必要になる乗客も多いことから反対運動も起きている新潟のBRTだが,BRTが走り始めた青山〜市役所前〜古町〜万代シテイ〜新潟駅前の区間を冷静に見れば,BRT化するのに適した区間だと思う。と同時に,青山〜市役所前は旧新潟交通電車線・旧併用軌道区間でもあり,そこから新潟駅前までの区間はかつて電車線の延伸計画があったことを思い出す。

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 当時は旧新潟交通電車線が生き残れる状況ではなかったが,将来を見越してLRT化し,新潟駅前まで延伸することも考えられたのではないかという思いが湧いてくる……

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〔新潟交通月潟駅の運賃表。東関屋を結節点として新潟駅までの運賃が書かれていた〕

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横浜の9月最初の夜は熱帯夜だったか?

 2015年9月1日,横浜の朝6時の気温は22.6℃。湿度は94%RHで高めだったが,熱帯夜続きだった8月とは打って変わり,涼しい朝だった。
 日中は雨が降ったりして,12時になっても気温は23.1℃までしか上がらなかった。

 午後になってからは南風になり,気温が少しずつ上昇。午後2時には25℃を越えて夏日となる。夏日とはいえ,連日真夏日・猛暑日が続いた8月中旬までとは違い,そこそこ過ごしやすい午後だったが,夜になっても気温は上がりも下がりもせず,25.7℃のまま日付が変わった。

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 日付が変わり9月2日になってからも気温は下がらず,逆に少し上昇して午前3時には26.5℃を記録。25℃を越えたまま朝7時を迎えた。

 気象庁の「天気予報等で用いる用語」のページを見ると,熱帯夜の定義は“夜間の最低気温が25度以上のこと(備考:気象庁の統計種目にはない)”となっている。

 9月1日〜9月2日の夜は熱帯夜だったことになる。最近は適温が高めにシフトしている人が多く(個人的な経験からの推測),25℃以下になると寒いと感じる人もいるほどなので,特に寝苦しいとは感じなかった人も多いと思われるが,暑いのが苦手な私は少し寝苦しく,軽くエアコンを入れっぱなしにしていた。れっきとした熱帯夜だし……

 ところが,この9月1日と9月2日の気温の変化は通常とは大きく違っていて,夜が明けてから雨が降り始めたこともあって気温が下がりはじめ,9月2日の午前9時には24.8℃と,25℃を下回る。

 さて,そうなると,気象庁のページの熱帯夜の定義“夜間の最低気温が25度以上のこと(備考:気象庁の統計種目にはない)”の備考欄が気になってくる。

 気象庁の定義では,9月1日から9月2日の夜は紛れもなく熱帯夜になるのだが,気象庁では熱帯夜の公式的な記録は取っていない。そのため,気象庁が統計的に熱帯夜の日数の増減を調べる場合には,「日最低気温25℃以上の日数を熱帯夜日数として扱う」ことになる。マスコミの報道もこれに準じている。

 9月1日と9月2日の日最低気温は25℃を下回っているため,統計上は熱帯夜としてカウントされない。横浜の住人は,寝苦しい幻の熱帯夜を経験したわけだ。貴重な体験かもしれない。

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2015年9月 5日

東武鉄道が蒸気機関車C11の運転を発表

 C11形207号機を鬼怒川線に導入、東武(2015年8月12日 鉄道コム)

 東武鉄道は10日、蒸気機関車C11形207号機を鬼怒川線下今市〜鬼怒川温泉間で運転すると発表した。2017年度をめどに運転を始める予定。

 導入するC11形207号機は、JR北海道が所有する蒸気機関車(SL)。JR北海道から借り受ける形で導入する。運転区間は、鬼怒川線の下今市〜鬼怒川温泉間(12.4キロ)。SLの運転により、鉄道産業文化遺産の復元、保存と、日光・鬼怒川地区の活性化を図るとしている。運転開始時期は、2017年度の予定。

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 これが実現すると,東武鉄道での蒸気機関車の運転は約50年ぶりになる。

 JR北海道のC11形蒸気機関車は「SLニセコ号」「SL冬の湿原号」「SL函館大沼号」などに使われていたもので,JR北海道から貸し出されることになる。東武には運転が可能な機関士・機関助士がいないと思われるので,運転や点検・検査もJR北海道から社員が出向することになるかもしれない。あるいはJR東日本の協力を仰ぐか。

 東武鉄道では,大手私鉄では珍しく10年ぐらい前まで佐野線で貨物列車を運行しており,そのための電気機関車も所有していた。C11の全検をどこで行うのかは不明だが,C11を牽引できる電気機関車を所有していない東武鉄道がどうやって回送するのかも課題になる。ターンテーブルを設置するのかどうかも気になる。

 運転開始は2017年ということで,保安設備の設置なども含めて,まだまだ課題は残りそう。

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2015年9月 4日

小田急のロマンスカー海老名・伊勢原停車へ

 小田急電鉄のロマンスカー、海老名と伊勢原に停車へ…来春ダイヤ改正から(2015年8月28日 レスポンス)

小田急電鉄は8月28日、来春実施予定のダイヤ改正から、小田原線の海老名駅(神奈川県海老名市)と伊勢原駅(同県伊勢原市)を特急ロマンスカーの停車駅にすると発表した。海老名は日中1時間に上下各1本程度、伊勢原は朝方の下りと午後の上りに数本を予定しているという。

海老名駅は小田急小田原線のほか、相鉄本線、JR相模線が乗り入れる神奈川県央のターミナル駅。小田急線海老名駅の1日平均利用者数は13万5861人(2014年度)で、同社の全70駅中で7番目に多い。海老名市は以前から小田急に対し特急ロマンスカーの同駅停車を要望していた。

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〔小田急海老名駅を通過する特急「はこね」。右は相鉄海老名駅〕

 来年2016年3月のダイヤ改正により,海老名・伊勢原に特急が停車することになるようだ。
 海老名へは日中1時間に1本程度,伊勢原へは朝方の下りと午後の登りに数本の停車となる。現在は特急「はこね」が1時間に2本程度走っているので,そのうちの1本が海老名に停まることになりそう。

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〔小田急海老名駅とJR相模線海老名駅の間の再開発予定地〕

 小田急海老名駅とJR海老名駅の間にある巨大な空き地の再開発は,小田急が約600億円を投じて商業施設やオフィスビルを建てることになる。海老名駅の北側では,この秋2015年10月29日に大型ショッピングセンター「ららぽーと海老名(仮称)」の開業が控えている。
 海老名駅への特急停車は,もちろんその動きを見越してのものだろう。
 数年後には,海老名駅の南北の賑わいが逆転するような,人の流れの大きな変化が起こりそうだ。

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小湊鐵道でDL式SL「里山トロッコ」号運行へ

 小湊鉄道、「里山トロッコ」号運行へ 現代版の復刻SLが牽引(2015/09/01 鉄道新聞)

千葉県の房総半島を走る小湊鐵道は8月31日、トロッコ列車「里山トロッコ」号を2015年11月頃より運行開始すると発表した。

かつて同線で活躍したドイツ製SL、”C型コッペル蒸気機関車”を、クリーンディーゼルエンジン搭載の現代版機関車として復刻の上、客車4両を連結して運行する。

「里山トロッコ」号の運行区間は里見〜養老渓谷間(9.2km)で、通常列車の半分程度の速度(時速30km弱)で約30分かけて走行。なお当面は暫定的に上総牛久〜里見間を延長運行し、上総牛久〜養老渓谷間18.5kmを約54分で結ぶ。

養老渓谷行き(下り)は機関車が先頭、里見・上総牛久行き(上り)は「クハ」を先頭に、機関車が最後部から”推進”する形となる。

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〔で、つくっちゃいました…キカンシャを!(小湊鐵道)〕

 小湊鐵道で里山トロッコ列車を準備中。その昔,小湊線で活躍したSLをモチーフに,クリーンディーゼル搭載のC型機関車を蘇らせるという。小湊鐵道のサイトには,既に相当レベルまで作り込まれた機関車の写真が掲載されている。

 驚きのニュースである。
 クリーンディーゼル搭載のC型機関車が,トロッコ4両編成を牽いて,今年の秋には走り始めるらしい。本物の蒸気機関車を走らせる場合には,機関士や機関助士の資格が必要になるが,ディーゼル機関車ならばハードルが低い。

 小湊鐵道が持っている周辺環境があれば,本物の蒸気機関車ではなくても,人気を呼ぶに違いない。さらにはいすみ鉄道とのコラボも,と妄想したくなってくる。

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