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2010年11月18日

新可児−御嵩間の通勤定期半額補助実験が苦戦

 新可児―御嵩、通勤は電車より車?定期代半額実験、苦戦(2010年11月12日 朝日新聞)

 名鉄広見線の新可児―御嵩間の利用客を増やそうと、10~11月の期間限定で始まった定期券半額のモニター制度の利用が伸び悩んでいる。車で通勤する会社員らを取り込むのが狙いだったが、電車に切り替えてもらうのは予想以上に難しいという。実施期間を1月まで延長して利用を呼びかけることにした。

新可児−御嵩の定期代半額実験,苦戦
 名鉄広見線御嵩駅(2009年9月)

 御嵩町などの沿線自治体で作る「名鉄広見線活性化協議会」が実施した期間限定の補助制度。名鉄広見線の新可児−御嵩の末端区間は,名鉄と沿線自治体が存廃について協議中であり,この補助制度は“乗って残そう,広見線”を訴える名鉄広見線活性化協議会の苦難の策だ。

 残念ながら,期間を限定(しかも,わずか数ヶ月)しての補助では,車で通勤している人が乗り換えるだけのインセンティブにはならないのだろう。うまくいくとしたら,電車通勤にしたら断然便利だったとか,楽ちんだったとか,車通勤に比べて電車通勤が魅力的だった場合(そして,車通勤の人がそれに気づいていなかった場合)しかない。

 広見線の同区間の利用者は,1998年度に194万人。2006年度には108万人まで減少してしまったという。
 1998年といえば,わずか12年前だ。2006年に比べて,自動車の普及率が低かったわけでもないし,その間に社会情勢が大きく変わったわけでもない。この付近で,急に道路整備が進んだとも思えない。
 ならば,なぜこれほど急激に利用客が減ってしまったのだろうか。

 その原因は,名鉄広見線活性化協議会の活動が及ばない(及びにくい)名鉄の施策──これも苦渋の施策なんだろうけど──によるものと思われる。ひとことで言えば,名鉄広見線の新可児−御嵩間の電車がこの時期に非常に不便になったとしか考えられないのだ。

 1998年から2006年の間に,名鉄広見線で何が起こったかを挙げてみる。

・2001年10月:明智駅から八百津駅まで延びていた八百津線が廃止
・2003年3月:名古屋方面への直通列車が大幅に削減(それまではほとんどが常滑行きだった)

 そして現在,この区間の電車はすべて新可児止まりとなっている。明智駅から広見線の乗り換えていた八百津線の利用客のかなりの部分は車通勤に移行しただろう。約10年ほどの期間に,利用者が半減してしまっても仕方のない状況だ。

 名鉄がぎりぎりまで経費を抑え,不便になればなるほど利用客が減少し,路線の存続が危うくなるという悪循環。うまい解決策が見つかればいいのだが……。

新可児−御嵩の定期代半額実験,苦戦
 八百津線廃止直前お名残乗車の客で賑わう明智駅(2001年9月)
 左端が八百津線のディーゼルカー。右が広見線。

新可児−御嵩の定期代半額実験,苦戦
 名鉄3400系電車。晩年は広見線を走っていることが多かった(2002年8月)

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