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2010年8月の28件の記事

2010年8月31日

山頂に割れ目,大井川鉄道井川線で一部バス代行輸送

 山頂に割れ目、バスで一部代行輸送 大井川鉄道井川線(2010年8月29日 朝日新聞)

 大井川鉄道(静岡県島田市)は28日、同県川根本町千頭の井川線川根両国—沢間駅間で、山頂に生じた割れ目が進行しているのを確認したとして、当分の間、この区間を含む千頭—奥泉駅間の列車運行を中止し、バスによる代行輸送を決めた。奥泉—井川駅間は通常通り列車を運行するという。

 川根両国−沢間駅間では数日前から落石が確認され,山頂に長さ約60メートル(最大約1メートルの亀裂)を確認したという。「割れ目」という語感から感じた亀裂の規模を大きく上まわる,大規模な亀裂が生じているようだ。
 割れ目にひずみ計を設置したところ,最大8mmのひずみを計測した(1日で?)ということで,亀裂が進行中であることも気になるところだ。

 大井川鉄道の井川線ではないが,

 タイ仕様の大井川鉄道C56、旧国鉄仕様の黒に(2010年8月23日 読売新聞)

 大井川鉄道(静岡県)を走る蒸気機関車「C56形44号機」の塗色が、緑を基調とする現在のタイ国鉄仕様から、日本の旧国鉄仕様の黒に戻ることになった。

 戦争に巻き込まれて異国で長く活躍し、日本に戻る数奇な運命をたどった機関車が、再びオリジナルの姿で川根路を走ることになる。タイ国鉄仕様での運転は今月28日が最後となる。

 というニュースもあり,(既に8月28日を過ぎているので,カラフルなタイ国鉄仕様のC56を見ることはもうできないが),新しいC56機関車が見られるので,また乗りに行ってみたい。

大井川鉄道のSLでまた連結器が外れる事故
 抜里駅付近を走る大井川鉄道の蒸気機関車列車(2005年8月)

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長崎新幹線の着工条件は厳しいけど

 整備新幹線、区間別の着工条件を明示 前原国交相(2010年8月27日 朝日新聞)

 前原誠司国土交通相は27日、北海道、北陸、九州新幹線の未着工3区間についてそれぞれ着工に必要な具体的な条件を示した。今年度中にも着工できる予算措置はしてあるが、条件はどれも厳しく、早期着工は困難とみられる。

(中略)

 九州は(1)軌間可変電車(フリーゲージトレイン)の開発(2)肥前山口—武雄温泉間の単線区間のあり方の2点を挙げ、これらの課題の解決策を示すことを着工条件とした。

 あ〜あ,やっぱり……という感じだ。前原国土交通相が示した条件は,九州新幹線長崎ルートにとっては,非常にハードルが高い。これらの解決策を示せなければ,着工は先送りと言うことになるらしい。

 そしてもう一つ。記事には書かれていないが,軌間可変電車(フリーゲージトレイン)の開発という最大の課題が解決したとしても,JR西日本は,山陽新幹線へのフリーゲージトレインの乗り入れを認めていないのだ。非常に高いハードルの向こう側には,ハードルじゃなくてコンクリートの壁がある。

 仮にフリーゲージトレインの開発が上手く行くと,博多駅からフリーゲージトレインを使った長崎新幹線に乗り換えることになる。この長崎新幹線は,博多駅からどこを走るのだろうか?

 現在出回っている資料では,フリーゲージトレインを使った長崎新幹線は,博多から新鳥栖までは九州新幹線鹿児島ルートを走り,新鳥栖でゲージを変更して,在来線の長崎本線に乗り入れることになっている(Wikipediaでは「博多−新鳥栖間は鹿児島ルートと共用」という表現)。

 Googleマップで新鳥栖駅予定地を見てみる。
Shintosu2
 航空写真の中心部分が九州新幹線新鳥栖駅予定地。南北に通る巨大な建造物が九州新幹線,東西に走るのが長崎本線で,交点に新鳥栖駅が予定されている。
 Googleマップを見てわかるように,新鳥栖駅は長崎本線(在来線)の鳥栖駅と肥前麓駅の中間付近に設けられる。

 これは以前もブログの記事にしたが,既に建設が始まっている新鳥栖駅の構造は,九州新幹線鹿児島ルートと在来線長崎本線がほぼ直行しており,新幹線の車両が在来線の線路に乗り入れられるようにはなっていないのだ。「列車は直角には曲がれない」のは小学生にだってわかる。

 もし,この地図に九州新幹線鹿児島ルートと長崎本線の短絡ルートを造ろうとすると,九州新幹線鹿児島ルートを博多から(写真上方向から)走ってきたフリーゲージトレインは,写真の一番上のあたりで写真左側に大きくカーブして原古賀の街を横断し,写真の左端のあたりで長崎本線に接するような急カーブが必要になる。長崎本線に接する付近の西側は,新鳥栖駅というよりも肥前麓駅のほうが近いぐらいだ。

 つまり,たとえ長崎新幹線をフリーゲージトレインで走らせるにしても,博多から既存の長崎本線で鳥栖−佐賀−……と走ることになるのを前提として,新鳥栖駅は作られているようにしか見えない。
 そして,博多から長崎まで,フリーゲージトレインが在来線と同じ狭軌ゲージのまま走り続けるとしたら,それは現行の特急「かもめ」と何が違うんだということになる。カーブでレールに加わる横荷重の大きさが問題となったフリーゲージトレインより,現行の特急「かもめ」のほうが速く走ってしまう可能性だってないことはない。

 日本のどこを走らせるとメリットがあるのかがよくわからないフリーゲージトレインより,現行の特急「かもめ」の車両や路盤の改良にお金を掛けたほうが良いんじゃないのかと思いたい,今日この頃である。

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2010年8月30日

東北新幹線の玄関口,新青森駅が更地だらけで大丈夫か

 東北新幹線の玄関口、更地だらけ 全線開業あと100日(2010年8月27日 朝日新聞)

 12月4日の東北新幹線の全線開業まで、26日であと100日。東京や県内ではムードを盛り上げる行事があり、鉄道・運輸機構などによる開業に向けた準備も順調なようだ。ただ、延伸によって新たに開業する新青森駅前(青森市)は今も保留地の大部分が売れ残ったまま。「玄関口」のにぎわいをどう作り出すかが課題となっている。

 東北新幹線の全線開業まで,あと100日を切った。途中駅の七戸,十和田両七戸十和田駅は既に完成し,八戸〜新青森駅間で行われている車両の夜間の走行試験も順調だそうだ。
 9月中には運転手らによる訓練運転も始まり,日中にも試験走行する車両が見られるようになるというから,青森県を走行する新幹線の写真も出回ってくるに違いない。

 そこで心配なのが,新青森駅周辺だ(と記事には書かれているが,七戸,十和田七戸十和田駅に心配がない状態とは思えない)。

 以前にもブログの記事に書いたが,東北新幹線の新青森駅ができる駅は,単線の奥羽本線の線路に単式ホーム1面1線を持つ無人駅である。周辺には何もない。そこで青森市が土地区画整理事業を行い,青森市の新しい玄関口を設ける計画なのだ。

 青森市のまちづくりのWebサイト「くるぞ新幹線!活かすぞチャンス」のページにある,新青森駅の周辺整備イメージ図(の一部)は次のようになっている。

Shinaomori
[青森市のまちづくり>くるぞ新幹線!活かすぞチャンス>新幹線新青森駅周辺地区の整備]より

 高架線が東北新幹線のホーム,地上で交差しているのが奥羽本線のホーム。奥羽本線のホームは1面2線になり,2本の待避線ができているように見えるが,実際にそのような工事が行われているかどうかは不明である。

 この青森市の新しい玄関口となる新青森駅の周辺で,市が行っている土地区画整理事業の保留地の大半が売れ残っているというのだ。
 保留地約3.9ヘクタール,9区画の内,売れたのは2区画だけ。面積は0.8ヘクタールと全体の2割にとどまっている。「不景気で投資意欲が冷え込んでいる」ことだけが問題とは思えない。
 
 開業まで100日を切ったにもかかわらず,新青森駅と青森駅の列車の運行形態がどうなるのか,バスの運行がどうなるのか,どういう区間の列車やバスが運行されるのかが,公開されているように見えないのだ(土地購入希望者には提示されている可能性はある?)。

 青森市が掲げている「コンパクトシティ」構想では,青森市の郊外における大型店舗の開発は抑制する方針なので,新青森駅周辺に大型のショッピングモールを作ることはできないだろう。
 そもそも,今までほとんど利用されていなかった駅である。新幹線と在来線の乗り換え以外の利用で,駅の外に人が出てきてくれるかどうかすらわからないような現状で,民間の商店が新幹線の開業前に建ち並んでいくことはあり得ない。

 ようは,「これから」だ。新青森駅−青森駅−中心市街地−ショッピングモール−郊外住宅地を頻繁に結ぶバス路線や既存レール(並行在来線)を使ったLRTなど,青森市がどのような政策を打ち出すかに将来が掛かっているのだ。

 ヘタをすると,新青森駅構内に入ったみやげ物業者や飲食店だけが繁盛して,現青森駅や駅前の中心商店街に乗り換え客が全然出てこないという事態だって,十分考えられるのである。これは怖いよ。

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2010年8月25日

キハ58・65系,日田彦山線でラストラン?

 キハ58・65系、日田彦山線ラストラン(2010年8月24日 朝日新聞)

 今月末で姿を消す予定のキハ58・65系の特別列車が22日、JR門司港駅(北九州市)と日田駅(日田市)間を折り返し運転した。日田彦山線ではラストランで、別れを惜しむ鉄道ファンが記念写真を撮るなどした。

 記事を読んで,実は意味がよくわからなかった。辛うじて,キハ58・65系が今月末で姿を消す予定だということはわかった。「日田彦山線ではラストラン」ということは,他の線区よりも遅くまで日田彦山線で走っていたということだろうか。うーむ,熱心な鉄ちゃんじゃないので正誤は不明だが,どうもそのような記憶はない。

 引退予定のキハ58・65系が,九州各地を走り回っていて,22日には日田彦山線を走り,今月末までは他の路線を随時走るのだということであれば,意味が通じるけど,それじゃ月末まではどことどこを走るのかを書いたほうが,記事としては親切なように感じた。

 と,まぁ,どうでもいいようなブログ記事になってしまった。先週から,足が痛くて歩けなかったため,あれこれといい加減なブログ記事を大量に作りかけてしまったのだ。仕方がないので,日田彦山線に乗ったときの写真や,キハ58・65系の写真を貼り付けておこうっと。

キハ58・65系,日田彦山線でラストラン?
 久大本線の日田駅。日田彦山線の列車の始発駅でもある(2003年8月)
 久大本線の列車は,カラフルなキハ125やキハ200系が多く,日田彦山線のキハ40系車両とは別世界だった。

キハ58・65系,日田彦山線でラストラン?
 久大本線光岡(てるおか)駅で対向列車を待つ,日田彦山線小倉行きのディーゼルカー(2003年8月)
 2003年当時,既に日田彦山線には,キハ58・65系は走っていなかったように記憶している。

キハ58・65系急行くまがわ
 同じ頃,肥薩線の人吉−八代−熊本の区間には,キハ58・65系の急行「くまがわ」が走っていた(2003年8月)

キハ58・65系急行くまがわ
 人吉駅の跨線橋から急行「くまがわ」を見る(2003年8月)

キハ58・65系急行くまがわ
 人吉駅のホームに停車するキハ58・65系の急行「くまがわ」(2003年8月)
 熊本側にキハ65,人吉側にキハ58がつながっていた。

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高岡駅の氷見線ホーム移設

 高岡駅、全ホームが直結 ハットリくんもお祝い参上(2010年8月24日 朝日新聞)

 工事は、構内東端にあった乗り場を150メートルほど移動。正面改札口そばにあった旧貨物線を改良して「7番線」とし、長さ90メートルの新ホームとした。旧氷見線乗り場は廃止し跡地に駐輪場を設ける。

 この結果、同駅の氷見線と北陸線のほか、1.5キロ南にできる北陸新幹線新駅とつながる城端線の全ホームが連絡通路で南北に直結される。また路面電車の万葉線も駅舎北に隣接する計画で、各線乗り換えの利便性が格段に向上すると同市は期待する。

 JR高岡駅構内で,他のホームから東側に少し離れたところに設置されていた氷見線ホームの移設工事が完了したようだ。「忍者ハットリくん」については,よくわからない。
 これによって,氷見線,北陸本線,城端線のホームが同じ連絡通路で繋がり,各線間の乗り換えの利便性が向上するという。150メートルも離れていたホームが横に並んだのだから,確かに乗り換えは便利になるだろう。
 駅前の路面電車「万葉線」の電停も,駅舎の北に隣接することになっているので,これも確かに乗り換えは便利になるに違いない。

 しかし,北陸新幹線の新駅ができる城端線との乗り換えは,「その程度の対策で,本当に良いのですか? 高岡市さん」と問いたい。

 高岡市の新駅(城端線)に北陸新幹線がやってきたとき,現高岡駅のメインである北陸本線は並行在来線になるのですよ。

 つまり,鉄道を使って周辺から新幹線の新高岡駅に乗りにやってくる乗客は,多少おしゃれな服装に身を包み,並行在来線である元北陸本線や,氷見線を使い,あるいは万葉線の路面電車を使い,いったん高岡駅に集合するのだ。そして,ほとんどの利用客は高岡駅自慢の南北連絡通路を通って,狭い城端線のホームに移り,数両編成のディーゼルカーに乗り込むんである。
 城端線のシャトル列車がどのような車両になるのかは不明だが,新幹線利用客の荷物などはちゃんと積み込みやすくなっているのだろうか。

 北陸新幹線の新高岡駅に到着するまで,わずか数分間。城端線のシャトル列車への乗車時間は驚くほどあっという間だけど,連絡通路を移動したりしてイライラしてしまう人も多いに違いない。

 これで本当に高岡市は大丈夫なのか。今までなら,高岡駅に着いたら,そこから越後湯沢までの特急列車や名古屋や大阪までの特急列車にすぐに乗れていたのだ。それが城端線の列車を一度乗り継ぐ必要があるというのは,忍耐のハードルをかなり高くしてしまうのではないだろうか。乗り換えに関しては圧倒的に不便になると言う印象だ。

 そう思ったら,鉄道以外のアクセス方法を考えたくなるよね。伏木の人たち,射水,新湊の人たち,越中大門の人たちは,これじゃたぶん鉄道使わないよね。そんなんだったらマイカー使うよ。直通バスだって設定されるだろうし……。高岡駅前なんか通らずに,直接新高岡駅を目指せば良いだけなんだから。

 正直なところ,高岡駅−新高岡駅の交通の問題は,どうなってしまうのか,情報が少ないだけに心配していた。ちゃんと考えているんだろ言うかという不安もあった。何かその不安が的中してしまった気分だ。

 個人的には(妄想も入っているが),次のようなアクセス経路を確保してほしいと思っている。

(1) 氷見線の列車をそのまま城端線に乗り入れ,新幹線の新高岡駅までも直通にする。
(2) 万葉線の電車を高岡駅の駅構内を通して,南口まで(どうにかして)走らせる。
(3) 万葉線の電車を城端線に乗り入れる。万葉線も新高岡駅に乗り入れる。

高岡駅の氷見線ホーム移設〜全ホームが直結
 高岡駅の旧氷見線ホーム(2002年9月)
 この日運行されたSL列車「シーサイド号」の機関車C56が車庫に帰るところ。
 左奥に見える跨線橋が,高岡駅の北陸本線,城端線のホームに架かるもので(2007年には橋上駅化されている),旧氷見線のホームが駅の東側に分離して存在していたことがわかる。

高岡駅の氷見線ホーム移設〜全ホームが直結
 地上に改札があったころの高岡駅ビル(2002年9月)
 改札口の正面にホーム状の場所(線路も見える)があったが,なぜかホームとしては利用されていなかった。この部分を氷見線の新しいホームにしたと思われる。

高岡駅の氷見線ホーム移設〜全ホームが直結
 蛇足。高岡駅のホーム。今はなくなってしまった列車も多い(2002年9月)

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2010年8月24日

やっと発表! 最速「みずほ」3時間47分 大阪−鹿児島直通

 最速「みずほ」で3時間47分 大阪—鹿児島直通新幹線(2010年8月24日 朝日新聞)

 九州新幹線鹿児島ルートが来年3月12日に博多—鹿児島中央間で全線開業するのに合わせ、JR西日本と九州が直通運転を始める。「みずほ」は1961〜94年に東京—熊本・長崎を走った寝台特急(ブルートレイン)の名。新大阪—鹿児島中央を1日数往復し、停車駅は新神戸、岡山、広島、小倉、博多、熊本の見通し。最高時速は山陽区間で300キロ、九州区間で260キロ。同区間を約4時間かかる「さくら」より10分程度短縮される。

(リンク切れ)

 山陽新幹線に乗り入れる「さくら」の停車駅や運賃が,開業を目前にしても決まらない(「おらほの駅さも停めてけろ」的な話が多くて)とか,やや不安なニュースが多かった九州新幹線に,サプライズだ。
 鉄道ファンの方などには,既知のニュースだったかもしれない。しかし,たぶん公式的には「さくら」と「つばめ」が走ることしか公表されてなかったので,速達タイプの列車が「みずほ」だというのはサプライズと言っても良いんじゃないかと思う。「さくら」は公募で決めた愛称だったはずで,相変わらず“公募”ってのは軽く見られてるんだな,という印象もある。

「みずほ」の博多−鹿児島中央間の停車駅は熊本のみで,新大阪−鹿児島中央間の所要時間は3時間47分と,4時間を切ってきた。航空機との顧客争いを重視したいとしていた,JR西日本の要望に近いところで決着したことになるだろう。

 記事によると,大阪−鹿児島間を航空機で移動すると,空港へのアクセス時間も含めて3時間15分。「みずほ」の所要時間3時間47分は,なんとか勝負できるレベルになったと思う。あとは料金設定がどうなるかが問題かな。

 イメージとしては「みずほ=のぞみ」「さくら=ひかり」「つばめ=こだま」なんだろうけど,山陽新幹線内はたくさんの愛称の列車が入り交じって,混乱したりしないだろうか。

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2010年8月23日

交通手段の自発的転換を促すモビリティ・マネジメント 富山

 以前から富山市の都市交通行政に興味があって,富山市が発行している「ふるさとメール富山市」というメールマガジンを購読している。発行は富山市で,記事の内容は富山新聞データベースサービスからの抜粋とのこと。(同様に,高岡市の情報メールマガジン「ほっとホットメール高岡」も購読している)

 送られてくる記事は富山市に関するものだから,富山市民か故郷が富山にある人以外にはピンと来ないものも多い。けど,ときどき都市交通行政に関してはハッとさせられる記事があって面白いのだ。

 さて,富山市といえばコンパクトシティ(現在は「コンパクトなまちづくり」)である。
 コンパクトシティとは,郊外に向かって膨張してしまう都市機能(商業,医療,教育等)を,公共交通機関でのアクセスが容易な都市の中心部に集約し,徒歩圏内での生活を可能にすることで,都心部への住居回帰,都市生活でのコスト・環境負荷を削減しようとする都市政策で,その先頭集団にいるのが富山市である。

 もちろん,郊外に住宅を持ち,移動はもっぱらマイカー。道路が混雑する都心部よりも,ロードサイドにあるショッピングモールで買い物をするほうが面倒くさくないし楽しい……という意見は多いだろうし,実際にそういう生活をしている人も多い(それしか選択肢がないという問題もある)。

 だから,実際にコンパクトシティを目指そうとしても,具体的な施策が伴わず,都市計画書にWordで描かれた餅になってしまっているところも多いと聞く。

 そんな中,具体的な活動が目立っているのが富山市なのだ。2010年8月6日付けの配信に,次のような記事があった。

2010年08月06日(金)付富山新聞朝刊----------------------------☆

◎車から自発的に転換 富山市 全市的な新施策検討 

 富山市は路面電車や鉄道、路線バスなどの利用者を増やすため、市民に交通手段の自発的転換を促す新しい手法「モビリティ・マネジメント」の全市的な取り組みを検討している。市は「広く意識の変化を図り、公共交通の活性化につなげたい」(交通政策課)としている。

 モビリティ・マネジメントは、行政が個人とコミュニケーションを図りながら、移動を過度に車に頼らず、公共交通や自転車などに自発的に転換するよう誘導する交通政策。1990年代後半以降の考え方で、グッズを配布するような一方向の利用促進キャンペーンではなく、双方向の意思疎通などで意識の変化を促す。

 全国でさまざまな方法が試みられ、福岡市では職員が各家庭を戸別訪問して公共交通の利用を促し、大阪府池田市では地域通貨と連携した取り組みをしている。小学校で環境問題と組み合わせて公共交通の重要性を児童に教えている自治体もある。
(続く)

 マイカーから公共交通機関への転換は,この記事にもあるように,全国の都市に共通の問題である。しかし,実態は「○○鉄道を使いましょう」「乗って残そう○○電鉄」という利用促進キャンペーンにとどまってきた。
 なかなか公共交通機関への転換は難しく,ローカル線が廃止になった後は代替バスへの転換も進まず,マイカーへの移行が交通渋滞を悪化させてしまっているという話も漏れ聞く。

(続き)  富山市では、2008年10月に柳町小で市と北陸信越運輸局が交通エコロジー教室を開いたが、全市的な取り組みはない。

 このため、今年度はまずJR高山線の沿線住民を対象とした記名式のアンケートを実施し、回答に応じて公共交通の利用を提案する方法でモビリティ・マネジメントを実施する予定。沿線住民だけでなく、市民一人一人が移動手段を考える機会を設けるため、アンケート以外にもモビリティ・マネジメントを実施したい考えだ。

 今後、効果的な手法を検討するが、市では「交通政策としては新しい分野で、確実に成果が得られる手法は確立されておらず、多様な事例を研究したい」(交通政策課)としている。

 JR高山線は廃止が取りざたされている路線ではないが,他の地方都市のJR路線と同様の問題を抱えている。そんな中,富山−猪谷間はJR西日本の管轄(猪谷から岐阜まではJR東海)になっており,富山市が主体となった社会実験が行われている。運行本数が富山−越中八尾で毎時2本,越中八尾−猪谷で毎時1本と,JRのローカル線としては破格の運転本数が確保されているのだが,この実験が上手く行くかどうかは,沿線住民の利用促進が進むかどうかにかかっている。

 JRが赤字による路線廃止を言い出した途端に,そんな話は聞いていない,○○線が無くなったら困る,廃線なんてあり得ない……と騒ぎ出す自治体には,富山市の取り組みをよく見てほしいと思う。そんなことは昔からやってるよ,と言うことであれば申し訳ない。

 まぁ,富山市の取り組みには今後も注目していきたい。

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 JR高山線猪谷駅に停車する富山行きのディーゼルカー(写真左)[2001年5月]
 右の車両は神岡鉄道神岡線のディーゼルカー。神岡鉄道は2006年12月に廃止になってしまった。

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肥薩線全線開通101年目を真幸駅で祝福

 肥薩線「101年目」も祝福 真幸駅で11月にまつり(2010年8月22日 朝日新聞)

 11月のJR肥薩線「全線開通101年」を、同線唯一の県内駅、真幸(まさき)駅(えびの市)で祝うイベントを地元住民らが計画している。昨秋の「100周年」のにぎわいを一過性にせず、同駅を市の観光地としてさらに定着させたいとの思いからで、来春には、開業から100年になる同駅の「まつり」も開く予定だ。

 駅のある同市西内堅地区の住民や町おこしグループ「真幸駅友の会」のメンバーらが「真幸駅まつり実行委員会」を発足させ、今月から準備作業を本格化させた。

肥薩線全線開通101年目を真幸駅で祝福
 スイッチバックの上の線を通過する列車から見下ろした真幸駅(2003年8月)

 真幸駅といえば,通過線のないZ字型のスイッチバックがあることで有名な駅である。肥薩線の駅の中で唯一宮崎県にある駅でもある。
 ホームには「幸せの鐘」があって,たたくと幸せになれるとかなんとかで人気なんだとか。

 ただし,真幸駅を通る列車は,一日に往復5本しかない。一日の平均乗車客はわずか1人。公共交通機関である鉄道の駅としては,既に破綻状態にある。

 駅に賑わいとか,観光客を誘致といっても,駅に列車が停まっているときにホームに降りる客だけでは成り立たないはずで,近くを走る国道を使った観光客を誘致するという話になるのだろう。正直なところ,なんだか焦点が外れているような気がしないでもない。

 しかも,祝福するのは肥薩線「101年目」。昨秋が100周年で賑わったそうなので,当然今年が101周年ということなんだろうけど,それでホントにいいのか?
 来春には,肥薩線真幸駅開業「100年」のまつりを開く予定ということは,今後は開業2年目から「100年」,開業3年目から「100年」……というふうに,「100年まつり」を開こうというのだろうか。
 まつりが賑わうといいね。……大丈夫だろうか。

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2010年8月22日

「くりはら田園鉄道」解散式&動態保存は継続

 「くりでん」お別れ 栗原で解散式、「遺産」活用検討へ(2010年8月22日 朝日新聞)

 2007年3月まで運行していた「くりはら田園鉄道」の解散式が21日に栗原市若柳の料理店で開かれ、「栗原軌道」として1918年に設立されて以来、90余年の歴史に終止符を打った。今後は残された車両や資料をどのように利用していくかに課題が移り、約120人の参加者は地域の活性化をもたらすように務めることを確認しあった。

 旅客用としては細倉マインパーク前—石越の約26キロを運行、「くりでん」の略称で親しまれた同鉄道は今年3月、旧若柳駅舎と同駅近くの本社屋などの資産を栗原、登米の両市に寄付し、7月に清算を終了した。電車を動かせる状態にしておく「動態保存」をし、6月からは月に1度の「電車会」で旧若柳駅を起点に約500メートルを往復させ、ファンを楽しませている。

 解散式というのは,清算が終了したということかな。
 特徴のあった石越駅の駅舎などもすっかり取り壊されているらしいので,わずかに残った旧若柳駅や「動態保存」はうまくいってほしい。

 動態保存してるのは電車ではなくディーゼルカーのはずなので,「電車会」というのは微妙に思ったけど,長年親しんだ「栗原電鉄(くりでん)」に対する愛着の表れに違いない。非電化になったときの名称を「くりはら田園鉄道」にしたのも,「くりでん」の愛称を残すためだったそうだ。

「くりはら田園鉄道」の解散式
 若柳駅に停車するディーゼルカー(2003年8月)

「くりはら田園鉄道」の解散式
 若柳駅には,まだ電化されていた頃(栗原電鉄)の電車が残されていた(2003年8月)

「くりはら田園鉄道」の解散式
 若柳駅のホーム(2003年8月)

「くりはら田園鉄道」の解散式
 若柳駅の改札口。乗って残そう孫子のために,の文字があった(2003年8月)

「くりはら田園鉄道」の解散式
 若柳駅の駅舎(2003年8月)

「くりはら田園鉄道」の解散式
 雨ざらしになっていた古い電車(2003年8月)

「くりはら田園鉄道」の解散式
 そのまま朽ちさせてしまうのはもったいない感じの,典型的なローカル私鉄の電車(2003年8月)

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引退一年 名鉄7000系パノラマカーに再会するツアー

 名鉄がパノラマカー再会ツアー 引退1年記念、限定発売(2010年8月20日 朝日新聞)

 名古屋鉄道は、同社を象徴する車両だった「7000系パノラマカー」が引退して1年になるのを記念して、同車両が保存されている舞木検査場(岡崎市)の見学ツアーを企画している。28日に170人限定。名鉄全線1日乗り放題切符とセットになった乗車券(大人3500円、子ども1750円)を21日から発売する。

 名鉄のシンボル的存在だった7000系パノラマカーが引退してもう一年。見学ツアーということは,7000系パノラマカーは動かず,完全に静態保存になっていることを意味するようだ。

 名鉄は,「いもむし」とか「流線」と呼ばれた3400系の晩年を,広見線などで動態保存的に走らせていた歴史があるので,7000系もそのような扱いをするのかと思っていたが,現在の名鉄にそこまでの財政的余裕はないのかもしれない。
 経営的に厳しいローカル線区を多く持つ名鉄にとって,ローカル区間で最低限の運行本数を確保することや,本線でのJR東海との乗客争奪戦のほうが,博物館的業務よりも優先されるのは残念ながら仕方がない。

 今後,日本の経済状況が良くなり,名鉄の経営にも余裕ができ,7000系が復活運転する……日は来るのだろうか。

引退一年 名鉄7000系パノラマカー
 阿久比駅近くの築堤を走る名鉄河和線の7000系パノラマカー(2003年11月)

引退一年 名鉄7000系パノラマカー
 パノラマカーの運転席は2階にあり,乗務員は車体の外側に設けられた階段を使って運転席に乗り込む(2003年2月 神宮前駅)

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九州新幹線「さくら」車両基地で公開!

 九州新幹線「さくら」、熊本車両基地の公開に2800人(2010年8月21日 朝日新聞)

 来年3月に全線開通する九州新幹線鹿児島ルートを走る車両の整備などを行う熊本総合車両基地(熊本市)が21日、初めて一般に公開された。訪れた人は、新大阪—鹿児島中央間を直通運転する新型車両「さくら」の車内も見学した。

 (リンク切れ)公開された熊本総合車両基地には、「さくら」(右)と「つばめ」が並んでいた=21日午後2時16分、熊本市、山本壮一郎撮影

 とうとう来年3月に九州新幹線鹿児島ルートが全線開通か。紆余曲折はあったけど,とりあえず万々歳ということで。

 でも,九州新幹線は,グダグダになっている長崎ルートを先頭に,やっぱり説明不足なところが多いと思う。記事には,ちゃんと「新大阪−鹿児島中央間を直通運転する新型車両「さくら」と記されているが,テレビのニュースでインタビューを受けている人には,それがちゃんと伝わっていないように感じた。

 ある親子(母娘)のインタビュー。「早くこの電車に乗りたい」「名古屋におばあちゃんがいるから,この電車で行こうね」……って,多くの人はいまだに西鹿児島鹿児島中央から東京まで新幹線が繋がって,そこを直通の列車が走ると思っているのではないかとの予感がある。

 残念ながら,現状では九州新幹線の東海道新幹線への乗り入れは,東海道新幹線(JR東海)が認めていないし,JR西日本の新幹線車両は勾配の多い九州新幹線に乗り入れることができないはず。結局,名古屋駅まで来るには,博多駅か新大阪駅で乗り換えなければならないのだ。ちゃんと説明するところは正しい事実を説明すべきだと思う。

 まあ,九州新幹線鹿児島ルートはまともなほうで,問題は長崎ルートの方だけどね。
 こっちは,一刻も早く計画を公表すべきである。
 現在公表されている,「フリーゲージトレインを採用し、博多 - 新鳥栖間は九州新幹線 (鹿児島ルート)に乗り入れる予定。新鳥栖 - 武雄温泉間は、長崎本線・佐世保線を活用。」というところだけでも,現在鹿児島ルートとして作り終わりそうな新鳥栖駅の構造を見れば,ここで新幹線鹿児島ルートから長崎本線へ乗り入れることが不可能なことは,素人の目にも分かる。
 こんないい加減な情報のままに,日々工事が続けられていることに,恐ろしさを感じる。

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仰ぎ見る巨大なガラス屋根 大阪駅大改修

 シンボルはガラスの大屋根…大阪駅が変身中(2010年8月14日 読売新聞)

 2011年春の完成を目指し、全面改装中のJR大阪駅の外観がほぼ完成した。

 初代から数えて5代目。来春、九州新幹線鹿児島ルートの全線開通に伴い、新大阪―鹿児島中央間を直通する「さくら」もデビューし、大阪駅は九州から関西に訪れる観光客らの集客の要としても期待が高まっている。

 最大の特徴は、シンボルのガラスの大屋根(東西180メートル、南北100メートル)。駅北側にできる新北ビル「ノースゲートビルディング」(28階建て)の12階から、線路をまたいで、駅南側の「サウスゲートビルディング」に向け、斜め下に張り出している。ヨーロッパでは一般的だが、日本では極めて珍しい。

(リンク切れ)来年春の開業に向け、工事が進む大阪駅=関口寛人撮影
(リンク切れ)完成間近の5代目JR大阪駅=永井哲朗撮影

 なにしろ,この大阪駅の変貌ぶりはすごいね。本当にすごい。

 20年近く前,伊丹の某所に長期出張をしていたときに,休日に福知山線の電車で大阪に出ることに飽きたので,某所の前の停留所を通る大阪駅行きのバスに乗ったことがある(この長距離の路線バス,現在でもあるのだろうか)。結構な時間が掛かって付いたのは大阪駅北口で,当時は本当に何も(まったく)なかったところだった。その違いだけで目の玉が飛び出るほどびっくりである。

大改修工事前の大阪駅
 1999年12月の大阪駅北口側の写真。歩行者用通路か何かがあって,そこから撮影したもの。
 この空き地にヨドバシカメラが建った。

 大阪駅のホームに屋根ができると,いままでホームから見えていたアクティ大阪の大丸梅田店・ホテルグランヴィア大阪の側面は見えなくなっちゃうんだな。なんとなく見慣れていた気がするので,ちょっと寂しい気もする。

大改修工事前の大阪駅
 2003年1月の大阪駅ホーム。
 大阪ターミナルビル(アクティ大阪)に入っていた大丸梅田店・ホテルグランヴィア大阪の印象が強く残っている。

大改修工事前の大阪駅
 2004年3月。発車を待つ東京行き寝台急行「銀河」。

大改修工事前の大阪駅
 2004年3月。急行「銀河」は2008年3月に廃止になってしまったため,大丸梅田店・ホテルグランヴィア大阪とのツーショットは,その時点で見られなくなってしまった。

 この大阪駅の変貌ぶりに関しては,『ゴリモンな日々』というブログの記事がすごい。写真に迫力があるし,長期的に丁寧に取材しているので,都市の変貌に興味がある人にはお勧めのブログである。

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小樽駅は耐震補強工事に合わせて建設当初の姿に

 レトロなJR小樽駅、建設当初の姿に復元へ(2010年8月16日 読売新聞)

 北海道内最古の鉄筋コンクリート造りの駅舎で、レトロな雰囲気で知られるJR小樽駅が、耐震補強工事に合わせて一部が改装され、建設当初の姿に復元される。

 1934年(昭和9年)に建設された小樽駅は、吹き抜けのホールなどに昭和初期の雰囲気を色濃く残し、駅舎とプラットホームは2006年に国の登録有形文化財に選ばれた。

(リンク切れ)かつての小樽駅は駅舎が左右対称となっていた=小樽市総合博物館提供
(リンク切れ)現在の小樽駅

 小樽といえば思い出の地である。

 いまは無き北海道鉄道文化協会の会員として何度も訪問した駅であるが,少しは協力できたかと思っているC62 3号機の復活運転が終わってしまってからは,一度も訪れたことがない。あの喪失感を思い出したくないからかもしれない。
 夜行列車で札幌駅に到着した後,小樽駅まで移動し,駅のトイレの石鹸と水道で髪の毛を洗っていたら,シャンプーを貸してくれたオッサンがいたことまで覚えている。観光客の多かった駅だけど,なんとなくのんびりしていた感じが良かった。

 C62 3号機が無くなった小樽,運河が妙に綺麗に整備されてしまった小樽には,なかなか行きたいという気持ちが起こらない。

 でも,町の中の手宮線の跡はどうなっているだろうか。手宮の鉄道記念館はどうなっているだろうか……などと考えると,時間があれば行ってみたい街ではある。

 そういえば,最後に小樽に行った夏は手宮線の廃止直後で,気温が30℃を越え,○○年ぶりの夏の暑さだといことがニュースになっていたっけ。今年の北海道の夏はそんな感じなのかな。

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しなの鉄道が小諸〜軽井沢間を増便

 しなの鉄道、小諸—軽井沢間を増便 乗客減、歯止め期待(2010年8月17日 朝日新聞)

 しなの鉄道は8月から、小諸—軽井沢間の列車を上下で13本増やし、1日の運行本数を42本から55本とした。同鉄道は1997年10月の開業時から乗降客数の減少が止まらない。国補助金や沿線自治体の負担金で列車を増やして利便性を向上させ、「乗降客の減少をなんとか下げ止めるのが目標」と関係者は話す。

 しなの鉄道の経営が,いかにカツカツだったとしても,小諸−軽井沢間の列車が1時間に1本か2本しかないというのは,ちょっと少なすぎだったと思う。
 鉄道旅行的には,小海線から小諸で乗り換えて軽井沢へ……,もしくは,軽井沢から小諸で乗り換えて小海線へ……という需要は大きいと考える。もちろん,途中の小諸では軽く観光するのはセットだ。

 まぁ,列車の車窓などはどうでもいい派の方は,軽井沢−佐久平間を長野新幹線に乗ってしまうのだろうが,少しでも車窓を楽しみたい方は,浅間山が見える中軽井沢から信濃追分までの車窓や(もちろん北側の席を確保するのが前提),信濃追分から御代田までを滑らかなカーブでぐいぐい下って行くしなの鉄道(この区間はどうしてもかつての信越本線華やかかりし頃を思い出す)の車窓を楽しむのが良いと思う。

しなの鉄道が小諸〜軽井沢間を増便
 軽井沢駅に停車するしなの鉄道の電車。
 かつて特急列車が頻繁に走っていたことが信じられないほど,静かな駅になっている。

しなの鉄道が小諸〜軽井沢間を増便
 小諸駅に到着したしなの鉄道の電車。
 隣のホームには小海線のディーゼルカーが停まっている。ここで乗り換える客は結構多い。

しなの鉄道が小諸〜軽井沢間を増便
 のんびりした汽車旅のときには,駅のホームのそば屋も結構重宝するのだ。そりゃ,最高の美味じゃないことは多いが,旅をしている感覚が存分に味わえる。駅前のマクドナルドなんかで食うのとは雲泥の差なのだ。

しなの鉄道が小諸〜軽井沢間を増便
 小諸クラスの街であれば,駅の近くに必ず飲食店街がある。飲み屋ばかりで日中は開いていないことも多いが,大外れを覚悟で入った店で,大当たりの食事にありつけることも無いことはない。まぁ,そういう楽しみがあっても良いんじゃないかというのが,私の勝手気まま流である。良民のみなさまにはあまりお勧めしない。

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2010年8月16日

関東鉄道竜ヶ崎線が開業110年

 街中を行き来して110年 「竜鉄」の誕生日祝う(2010年8月15日 朝日新聞)

 龍ケ崎市内の3駅を結ぶ計4.5キロの関東鉄道のミニ路線「竜ケ崎線」(愛称・竜鉄)が14日、開業110年を迎えた。

 関東鉄道の「竜ヶ崎線」は,常磐線の佐貫駅と龍ケ崎市中心市街地の西端を結んでいる。途中駅がひとつだけの本当のミニ路線で,約30分間隔で1両編成のディーゼルカーが往復している。

 その竜ヶ崎線が,開業して110年。路線延長をすることもなく,廃止が噂されることもなく,鉄ちゃんの間で話題になることも少なく,地道に運行できていることは素晴らしいことだと思う。

 輸送実績を見ると,1990年代の後半から徐々に輸送人員が減少している。主要顧客である通学定期利用者が,少子化の影響で大きく減少しているのが主な原因だろう。それでも,まだまだ輸送密度はそこそこの数値を保っているように見え,地域の交通手段(主に常磐線へのアクセス)として定着しているものと思われる。

 手元の写真を探してみたら,最後に竜ヶ崎線を訪問したのは1998年。もう10年も以上も前のことだった。久しぶりに乗りに行って,まだ歩いたことのない龍ケ崎の中心市街地を歩いてみたいものだ。

1998年関東鉄道竜ヶ崎線
 常磐線佐貫駅に隣接した関東鉄道竜ヶ崎線の佐貫駅(1998年3月 FinePix 700で撮影)

1998年関東鉄道竜ヶ崎線
 終点の竜ヶ崎駅に到着(1998年3月 FinePix 700で撮影)

 市の名前は「龍ケ崎」で,駅名は「竜ヶ崎」。朝日新聞の記事の「竜ケ崎線」は厳密には間違い?
 そういえば,常磐線の佐貫駅は,龍ケ崎市とは別に佐貫町があるのかと思っていたが,龍ケ崎市内になっている。最近合併したのかと思って調べてみたが,佐貫町の個別な自治体は1889年4月の町村制施行前の佐貫村まで遡り,1889年4月に周辺の村と一緒に馴柴村となってから,1954年に龍ケ崎町に合併するまで馴柴村のままだったようだ。ちょっと意外な気がした。

1998年関東鉄道竜ヶ崎線
 竜ヶ崎駅にある車庫(1998年3月 FinePix 700で撮影)

各地の駅に居付いた犬
 竜ヶ崎駅の周辺を見た後は,すぐに鹿島鉄道に乗りに行くため佐貫に引き返してしまったのが,いま思うとちょっと残念。
 竜ヶ崎駅で印象に残ったのは,駅構内にいた犬。おとなしそうな犬で,ずーっと待合室に横になっていた。

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2010年8月13日

リニア中央新幹線の始発駅は残念ながら品川か

 リニア中央新幹線の始発駅、品川駅の方針 JR東海(2010年8月9日 朝日新聞)
 JR東海は、2027年の開業を目指すリニア中央新幹線の始発駅を、JR品川駅(東京都港区)とする方針を固めた。駅の土地を共同所有するJR東日本と東京都に方針を伝えた。

 リニア新幹線は都内から27年に名古屋、45年に大阪を結ぶ計画で、国土交通省で審議中。始発駅は地下駅で、東京駅(千代田区)も候補だったが、多数の在来線が乗り入れており、大型の駅設備を新設する余裕がなかった。

変わる品川・品川駅港南夏祭り
 [リニア中央新幹線の始発駅候補となりそうな品川駅]

 事前から「品川」は候補に挙がっていたし,ほぼ決定という話も前から聞いていたので,あまり驚くことはなかったが,ここはひとつ大きな「サプライズ」が欲しかった。そんな気がする。

 JR東海としてはどうでも良いことかもしれないが,やっぱり東北・上越新幹線からの乗り換え客の問題はついて回る。
 また,品川から羽田空港・成田空港への乗り換えを考えると,京浜急行とJR成田エクスプレスの地位が向上し,東京モノレールは何らかの起死改正案が必要になるかもしれない。

 東北縦貫線が開業して,東北本線・高崎線の中電が品川以降まで直接乗り入れてくることができれば,好影響だが,東京西部の中央線沿線からのアクセスはどうだろうか。東北縦貫線と違って,品川まで乗り入れることができないため,東京駅〜品川間で山手線なり京浜東北線に乗り換える必要が出てくる。

 そこで,ちょっと考えてほしいのが,2009年12月15日に書いた記事,『リニア新幹線 神奈川県の駅を東京都町田市に』である。

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 [リニア中央新幹線の駅を勧誘している橋本駅]

 我が神奈川県では,相模原市がリニア中央新幹線の駅の誘致に積極的で,橋本駅(JR横浜線・相模線,京王相模原線)がその候補地になっている。確かに,品川と山梨を直線で結ぶと,その途中に橋本駅が位置している。
 しかし,リニア中央新幹線の駅の設置は地元負担で行うことになっている。その負担額は,地上駅となる予定の山梨では約350億円,神奈川県に予定されているような地下駅の場合は約2200億円(いずれも本線工事費を除いた場合)となるらしい。

 しかし,残念ながら橋本駅は八王子駅と京王線調布駅に比較的近いというメリットはあるものの,残念ながら多くの神奈川県民にとって便利な土地にはなっていない。神奈川県西部からのアクセスでも,小田急線と横浜線の乗り換えがあり(町田市内を長距離歩かなければならない),神奈川西部の東海道本線からの乗り換えでも,横浜で乗り換えて,横浜駅もしくは東神奈川で横浜線の電車に乗り換えなければならないのである。
 つまり,橋本駅に神奈川県に割り当てられたリニア中央新幹線駅の駅を作っても,神奈川県民が幸せになれないという事態が考えられるのだ。

 じゃあ,どこが便利なのかと言えば,東京都町田市である。神奈川西部からのアクセスも小田急線一本で便利である。東海道線からの乗り換えでも,横浜・東神奈川よりも,藤沢で小田急に乗り換えたほうが多少マシだと考える。

 神奈川県は,リニア中央新幹線駅設置の地元負担を東京都町田市に転嫁することによって,比較的便利な交通網を作ることができるのである。これに乗らない理由はない。

 さらに,町田には,多摩センターで止まったままになっている多摩モノレールの延伸計画がある。ここは経営問題で青息吐息の状態にあるが,路線自体は立川地区を南北に貫くコースを取っており,これが計画通りの町田まで延伸されれば,中央線・青海線沿線からの乗客を町田駅(リニア中央新幹線町田駅)まで運ぶのに重要な役割を果たしてくれそうに思える。立川や国分寺から中央線で東京へ出て,そこから品川まで電車を乗り換えて移動するよりも,立川から町田までモノレールで移動するというのは,所要時間にもよるが,十分勝算のある戦いだと考える。

 相模原市長さん,神奈川県知事さん,リニア中央新幹線の駅という「顔」を取らずに,町田に駅を作ってもらって,多くの県民が便利に感じるという「実」を取りましょう!

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新余部橋梁に一番列車走る!

 新余部鉄橋に一番列車(2010年8月12日 読売新聞)

 兵庫県香美町のJR山陰線・余部鉄橋の架け替え工事が完了し、12日、新しいコンクリート橋(高さ41.5メートル、長さ310メートル)が開通。

 地元住民約120人が早朝の一番列車に乗り、“渡り初め”をして祝った。

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完成したコンクリート橋を渡る一番列車(12日午前6時31分、兵庫県香美町で)=里見研撮影

 架け替え工事は2007年3月に着工して,事業費は約30億円。空中にあるトンネルの出入り口から,長さ310メートル,高さ41.5メートルの橋梁を分岐するという,技術的に注目される工事だった。

 それがほぼ予定通りに完了。まさに関係の皆さんの苦労の賜物だと思う。

 新しい餘部橋梁(コンクリート橋だから鉄橋とは言えなくなった)が,50年後,100年後に,立派な橋だったと言われるようになる日が来ると良いね。

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2010年8月11日

山口百恵“韓国ルーツ説”を封殺する!

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 ブログのアクセス解析を見ていると,非常に驚くことがある。

 私のブログに対する検索ワード/フレーズの実質的なトップが,「山口百恵 父親」であることだ。「山口百恵 父」なども合算すると,その結果には寒気,そして胸クソの悪さを感じるほどだ。みなさん,何を恐れ,どんな事実を下世話に探しているんだろうか。

 それはたぶん,山口百恵の現役時代からちらほら存在し,20年以上も前に完全に否定された「山口百恵の父親は韓国・朝鮮系」説だろう。それがいまだに亡霊のように残って,YouTubeのコメント欄やネット上の「教えてコーナー」のようなところで,訳知り顔で語られたりしている。
 そしてその亡霊は,何度否定されても,ときどきよみがえって恐れられるのだ。

アクセス解析:検索ワード/フレーズ
[拙ブログの2010年5月1日から8月10日までの検索ワード/フレーズのリストアップ]

 疑問に思ったときには,できるだけ原典に当たるのがよい。山口百恵の情報に関しては,まず山口百恵著『蒼い時』に当たるべきだと思う(もう一冊は後述)。この自叙伝には,下世話な暴露本の類よりも衝撃的な事実が書かれている。出生の秘密,たまにしか会いに来ない憎むべき父親,怖いオバサン(=本妻)……。

 父と母は,いわゆる法律的に認められた夫婦関係ではなかった。父には,すでに家庭があり,子供もいた。母を愛しはじめた時,父は母の父に「責任を持ってきちんとします」と言明したという。だが,戸籍に書かれた娘たちの名前の上には「認知」という二文字が置かれている。(『蒼い時』より)

 デビュー当時には,これらの事実が隠され,ホリプロからは「幼いころ両親が別れ,父はいません」と答えさせられていたことが,余計な詮索や妄想を生み,山口百恵の父親は韓国・朝鮮系だという説まで生じたと考えられる。

 最近では,孔子も李白も韓国がルーツだと主張する人たちがいる国のゴシップ誌に次のような記事が載ると,そんなくだらないことをも信じ込んでしまう人が多いのだ。記事の内容は以下の通りである。

 中国の黒竜江日報が発行する「生活報」の今月11日の報道によれば、中国大衆にもよく知られた日本のトップ歌手である山口百恵は韓国人の父を持つ韓国系だ、と紹介した。

 山口百恵は1959年、韓国人の父と日本人の母の間に生まれたが、両親の離婚後は母方の姓を名乗り、現在まで母親と一緒に日本人として生活してきた。

(略)日本では芸能界デビュー時に所属事務所の指示に徹底的に従うのが慣例。したがって元々名前を変える意思がなかったこれら韓国系芸能人も元々の姓と名前を隠し、名前を変えて日本人戸籍に登録しなければならなかった、と同紙は伝えた。

 山口百恵には所属事務所が緘口令を敷き、父親を認めず韓国の親戚友人とも往来ができないようにしたケースだった。同紙は、韓国の血を引く日本芸能人らは芸能活動に支障を来たさぬよう姓と名前を隠してきたが、「韓流」が徐々に広がる中で彼らの韓国系の出自が改めて注目を集めている、と診断した。

▽聯合ニュース/スポーツトゥデイ(韓国語)(2006/08/13 22:28)

 正確な情報さえ知っていれば,なんといい加減な記事であるかがわかる。「両親の離婚後は母方の姓を名乗り」とあるが,百恵の父親には別の家庭があり,百恵のお母さんはいわゆる妾さんである。離婚なんてありようがない。

 山口百恵の父親が韓国・朝鮮系ではないかといううわさは,現役時代や引退後にもあった。発生源は複数あると思われるが(後述の雑誌の特集記事に,『噂の真相』や『現代』に載ったいい加減な記事についての記載がある),確かにそのようなゴシップ記事がときどき流れたことを覚えている。しかし,その発生源と思われる記事は,何らかの証拠に基づいたものではなく,「……という言っている人がいる」というレベルの記事なのだ。

 と,ここまで書いても,本当のところはどうなんだ,という疑問を持っている人が8.7%ぐらいはいるかもしれない。そう,あなた,あなたのことだ。

 そんな疑り深い人が多い世の中である。実際に山口百恵の戸籍を調べようとする人が,出てこないわけがない。

 実際にその噂について調べた記事が,創出版の月刊『創』1986年5月号の「山口百恵“韓国ルーツ説”の真相を追う(ルポライター早川和廣氏)」という特集記事である。はっきり言って,これが決定版だ。

創出版 月刊「創」バックナンバー1986年
[創出版 月刊『創』バックナンバー1986年のWebページ]

山口百恵の韓国ルーツ説を封殺する!
 [月刊『創』1986年5月号の目次]

山口百恵の韓国ルーツ説を封殺する!
 [月刊『創』1986年5月号の特集記事「山口百恵“韓国ルーツ説”の真相を追う」]

 実際に雑誌を手にとって読んでもらえば,真偽のほどはすぐにわかる。非常に丁寧に,かつ執念深く取材した,読み応えのある素晴らしいルポルタージュになっている。もやもやを晴らしたい方は,なんとか入手して一読することをお薦めする。

 結論を簡単にまとめると,百恵の父・Kこと久保茂は旧姓が山本茂で,その父・山本徳太郎,母・イチの二男。大正十年一月に久保コノの養子となる。久保茂の父・山本徳太郎は山本寅吉(江戸時代の人),トミの二男で,戸籍を江戸時代末期まで遡っても韓国とは無関係。母方も同様。
 明治三十二年三月から昭和二十五年七月までは旧国籍法の適用下にあったため,外国人でも比較的容易に日本人国籍を取得できたそうだが,江戸末期はその範囲外である。

山口百恵の韓国ルーツ説を封殺する!
 [「山口百恵“韓国ルーツ説”の真相を追う」の一部]

 残念ながら創出版のWebページからバックナンバーを購入することはできないので(25年も前の雑誌だからねぇ),とりあえず見出しを抜き出しておく。

山口百恵“韓国ルーツ説”の真相を追う 早川和廣(ルポライター)
 山口百恵に関わる最大のタブー?
 根強く噂される“韓国ルーツ説”
 『現代』に“告訴する”と抗議
 百恵の出生に関する「怪文書」
 噂を追って韓国へ飛ぶ
 背景に芸能界の民族問題

 韓国ルーツ説の要因となった話には,部落解放同盟の朝田善之助氏の文書や,大阪の在日韓国人グループの機関誌の話があることなども書かれていて興味深い。

 まあ,とにかく,訳知り顔で「百恵の父親は在日だから」などと言いたがる輩がいたら,鼻で笑ってやればいいのだ。百恵ちゃんは日本人なのだ。

 最後に,『朝日ジャーナル』のインタビューで,百恵ちゃんが半ばあきらめの心境で語っている部分を引用しておきたい(引用の引用だ……)。

<エーッ,というようなことが,自分でも知らないようなことが書かれていたりするとなんでだろうって。これはほんとうにどうしてだろうなって思わざるを得ないんですよね。これはウソですっていっても,「ウソです」っていう私の言葉を信じてくれる人のほうが少ないですし,かりに身近な人に,あれに出た記事はウソだからっていったとしても,「でも,雑誌がいくらなんでも,100%ウソは書かないでしょう」って思うと思うんです。(略)こんなにウソ書いて,ありもしないことを並べたてて,平気でいられる人たちがいるんだろうかって思って,それがすごく悔しいというのもあったし,悲しいというのもあったしなんか複雑でしたね>

Photo_2
[日本武道館での百恵ちゃんの最後のお辞儀。最敬礼である]

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Nikonの新しい24-120mm F4 VR レンズが来るか?

 Nikon rumorsのページに,Photokina 2010情報として,ニコンの新しいレンズの情報が載っている。個人的な注目は……,

・Nikkor 24-120 f/4 ED VR N (priced around $1300)

である。

 注目のVR付き24mmからの標準ズームレンズとして,AF-S NIKKOR 24-120mm F3.5-5.6 ED VRとして華やかに登場してから幾星霜。このレンズがアップデートされるのに,一体何年かかったろう。

 このレンズ,フルフレームをカバーする高倍率のズームレンズとして,旅行時にはフィルムカメラのF5とも全国を旅して歩いたレンズである。複数のレンズを持たず,1本だけでそれなりの撮影ができるので,非常に重宝したものだ。

F5の頃から使ってたAF-S 24-120mm
 F5に付けたAF-S 24-120mm VRレンズ。

 VRの性能が良くないのか,レンズの基本性能が良くないのか,写りにはいつも不満が残った。でも,それにも増して,小型さと焦点距離が便利だったのだ。

 その後,ニコンのカメラはデジタルになり,D2XとD3でも多用した。
 2008年の3月に高知周辺を旅したときにも,D3とAF-S 24-120mm VR は活躍してくれた。その旅行に持っていったガジェット類を机の上に並べてみた写真である。

F5の頃から使ってきたAF-S 24-120mm
 iPhoneを使うようになってからは,旅行にノートパソコンを持って歩くことは少なくなったが,AF-S 24-120mm VRレンズは,ほぼ付けっぱなしのレンズとして活躍してくれた。相変わらず写りはいまいちだったが,これに変わるレンズが出ないんだから仕方がない。

 近場の商店街などを撮影して歩くときには,AF-S 28-70mm F2.8の大口径ズームレンズを使うことが多いのだが,さすがにそれを旅行に持っていくだけの元気はない。私は,鉄道・バス・徒歩旅行派だからだ。

 なかなか後継レンズが出ない状況に,気分的には,藤圭子(宇多田ヒカルの母上様)の「明日から私は」という歌の気分だった。
  
  あきらめました あなたのことは
  何も言わずに身を引くわ
  帰るあなたを待ちながら
  今日も生きてる女がいる
  愛せないのよ愛せないのよ
  もうこれ以上
  (作詞: 山上路夫、作曲・編曲: 鈴木邦彦)

 そして,帰るあなたを待ちながら今日も生きてる女は,新しいNikkor 24-120 f/4 ED VR N (priced around $1300)を手にできそうである。どんなレンズになるのか興味深いが,後継レンズだからそんなに変なことになるとは思えない。絞りがこだわりのF4通しになり,当然のことながら写りも改善されていることだろう。レンズ名の最後の「N」は,もちろんナノクリスタルコート!
 本当に楽しみである。待ってて良かった!

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OIOI・丸井の関西進出

 京都・河原町阪急、後継は丸井 関西進出、3店目に(2010年8月6日 朝日新聞)
 大手小売りの丸井グループは6日、今月22日で閉店する京都市下京区の百貨店、四条河原町阪急の跡地ビルに出店することを決めた。10日に発表する。京都市中心部にある阪急京都線河原町駅に直結するビルで、阪急は1976年に開業したが、節約志向を背景とした百貨店不況で今年1月、撤退を発表していた。

 いくら周辺の競合店との競争が激化し,売り上げが低迷していたと言っても,天下の四条河原町阪急(阪急京都線河原町駅前)である。関西の百貨店業界は,阪急百貨店と阪神百貨店が提携し,そこに高島屋が加わってくるなど,何が何だかわからない状態になっているが,とにかくその一郭,阪急の四条河原町阪急が撤退し,そこに丸井グループが入ることは確かなようだ。

 丸井百貨店といえば,私の実家に近い郡山駅前にも昔から店を構えていて,なぜか東北で唯一の店として長年経営が続いていた。郡山にそれほどおしゃれな人が多いわけではないだろうに,2008年2月末まで,駅前の一等地に店を構えていたことは,郡山のステイタスを大きく向上させてくれていたに違いない(個人的には丸井で買い物をしたりすることは一切無かったので,実態はよくわからない)。

丸井があった頃の郡山駅前
 [2002年1月 丸井があった頃の郡山駅前]

 郡山駅の左側,丸井デパートの斜向かいは元西武デパートである。

 郡山の丸井撤退のニュースを読んで,とうとう丸井のクレジットカードの神通力も無くなり,後は選択と集中,縮小均衡路線なのかと思っていたので,丸井が関西に進出しているというニュースを聞いて驚いている。
 丸井の色と関西の色が交わるのかどうかは,興味深いところだね。丸井の本店が中野にあるところからすると,案外上手く融け込めるのかもしれないなどと邪推してみた。

丸井があった頃の郡山駅前
 蛇足ながら,同じ2002年1月撮影の郡山の市街地の写真。
 中央に写っているビルは元ダイエーの本館と別館。ダイエー撤退後,一時はトポスが営業していたが,約15年前に放置されたままとなり,現在は廃墟になっている。疲弊する郡山経済のシンボル的な建物だ。

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2010年8月 9日

岩泉線の脱線事故で岩泉町の宿泊施設に影響が……

 鉄道ファンの来町減少懸念 岩泉・列車脱線事故(2010/08/04 岩手日報)

 岩泉町大川のJR岩泉線で7月31日発生した列車脱線事故以降、町内のホテルでは、キャンセルが出ている。古き良きローカル線の趣を残す路線として、全国の鉄道ファンから人気を集める岩泉線。観光関係者からは来町する鉄道ファンの減少を懸念する声もある。
(中略)
 JR盛岡支社によると、2009年度の岩泉駅の1日当たりの利用者は平均22人。町によると、通学や通院の利用者が多いという。


【写真=全国でもトップクラスの「秘境駅」にランキングされているJR岩泉線の押角駅。事故で観光への影響を懸念する声も上がる】

 事故が発生したのは第2大渡トンネル付近。列車は現在も現場に残ったままで,復旧の目処が立っていないようだ。
 記事によると,1日あたりの利用者は平均22人(JR岩泉線は1日3往復しか走っていない)で,通学や通院の利用者が多いと書かれているが,実際には秘境路線を旅する鉄道ファンの利用者も多いのではないかと推測する。

 龍泉洞と岩泉線をからめた観光ツアーは,夏の行楽の目玉になっているようだが,なかなか厳しい状況だ。

 現在,バスによる代行輸送が行われているが,沿線の道路が狭い上に,押角駅と二升石駅はバス発着のためのスペースが確保できないため通過の扱いになっているそうだ。
 岩泉町のブログ(町のブログがあるのは素晴らしい)に,代替バスが狭い道路を通過するのに苦労している写真が載っているが,これはちょっとひどい状況だ。

 代行輸送のバスが走るのは国道340号。道幅が狭いうえに急カーブが連続する交通の難所「押角峠」。大型車のすれ違いは極めて困難です。路肩を踏み、木々に車体をこすって進みます。[岩泉町のブログより]

 代行バスは1日3往復の岩泉線よりも1本だけ本数が多く運行されているようだ。時刻を見る限りでは,岩泉高校の通学に合わせた時刻になっている。

・下り
 茂市06:22→岩泉07:42
 茂市07:01→岩泉08:21
 宮古15:02→茂市15:40→岩泉17:00
 茂市18:36→岩泉19:56

・上り
 岩手和井内06:38→茂市06:55
 岩泉07:47→茂市09:07→宮古09:37
 岩泉17:07→茂市18:27
 岩泉19:17→茂市20:37→宮古21:07

山田線・岩泉線 茂市駅
 岩泉線の始点,茂市駅[2009年5月]

山田線・岩泉線 茂市駅
 茂市駅の跨線橋[2009年5月]

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2010年8月 8日

いすみ鉄道の存続が決定

 いすみ鉄道、県が存続了承 公募社長のアイデアに注目(2010年8月7日 朝日新聞)

 県の第三セクター・いすみ鉄道(本社・大多喜町)の存続かバス路線などへの転換かを検討する同鉄道再生委員会(座長=高橋渡・県総合企画部長)が6日、県庁で開かれた。同鉄道は地域の公共機関として貢献しており、地域を巻き込んだ経営改善の取り組みが進んでいるとして、同委員会は一定の条件の下で鉄道として存続できるとの、検証結果を了承した。

いすみ鉄道の存続が決定
 上総中野駅[1998年5月 FinePix 700]
 右側の車両は小湊鉄道のディーゼルカー。

いすみ鉄道の存続が決定
 上総中野駅[1998年5月 FinePix 700]
 小湊鉄道は3両編成。いすみ鉄道がレールバス1両なので,いすみ鉄道の車両は混み合っていた。

 バス転換の話も出ていたが,当面の存続が決まったようだ。民間公募社長の手腕(訓練費用約700万円を自己負担させる社会人公募とか)にも個人的に不安を感じたが,経営状況は改善しているらしい。

 いすみ鉄道は,小湊鉄道の上総中野駅と外房線の大原駅を結ぶ路線(元の国鉄木原線)で,鉄道ファンに人気のある小湊鉄道の乗り歩きをするときに,いすみ鉄道が無いと非常に不便なので(積極的ではない理由だが)存続は非常に有り難い。

いすみ鉄道の存続が決定
 たぶん大多喜駅での列車交換[1998年5月 FinePix 700]

いすみ鉄道の存続が決定
 外房線大原駅[1998年5月 FinePix 700]

いすみ鉄道の存続が決定
 外房線の車内[1998年5月 FinePix 700]
 当時はまだまだ銀塩フィルムカメラがメインだった。愛機 PENTAX LX に,買ったばかりの FA★24mm F2.0を付けていた。

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2010年8月 6日

「子連れ専用」新幹線が人気

 気兼ね・渋滞ありません 「子連れ専用」新幹線が人気(2010年8月5日 朝日新聞)

 子連れ専用の「ファミリー新幹線」が5日、東海道新幹線(東京—新大阪)を走った。高速道路対抗策の一環として、JR東海が初めて企画。東京、新横浜などの各駅は、一足早く帰省する家族や観光地に向かうグループらでにぎわった。

 JR東海によると、「子どもは夏休みでも、新幹線車内は周囲の目が気になる」という若手社員の声で実現。未就学児も含めて申し込み人数分の切符が必要だが、この時期の通常料金より1人当たり8%程度安くした。荷物置き場として座席が追加されたり、おもちゃが当たる抽選会を開いたり特典も満載だ。19日にも1往復走らせるが、席にはまだ余裕があるという。

081230142223

 これは良いアイデアだね。

 新幹線に乗ると,親のいうことを聞かないうるさいガキンチョがいたり,家族ぐるみでうるさい,迷惑な集団に出会うことも多いが,意外に多いのが,周囲にすごく気を遣っていて,ちょっとでも騒がしい子供を大人しくさせようとする若い親御さん。あんまり気ばかり使って,せっかくの旅行も楽しめないだろうに……と,他人事ながら心配してしまうことがある。

 帰省ラッシュやUターンラッシュのピークに走らせるのは難しいかもしれないが,その前後に設定すれば,結構なニーズがあると思う。他人に迷惑を掛けたくないから,家族だけで乗れるマイカーで渋滞に参加しているという方々が,少しでも鉄道に移行してくれれば,鉄道会社としては御の字だろう。

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ハブの30倍の猛毒を持つオコゼの背びれ!

 ハブ上回る猛毒、オコゼに刺され?ダイバー死亡(2010年8月5日 読売新聞)

 同署などによると、男性はベテランダイバーで、波打ち際から5メートル沖の浅瀬にはだしで入り、客に指導中だった。

 沖縄県衛生環境研究所によると、沖縄本島沿岸に生息する毒を持つオコゼは、オニダルマオコゼが代表的。石や岩に擬態して潜み、背びれのトゲから出す毒の強さはハブの30倍以上とされる。沖縄では人が気付かずに踏みつけて負傷する事例はよくあるが、死亡した記録は1件(1983年)しかない。

 怖いねぇ。オコゼの毒がハブの30倍以上とは,驚きだ。量が少ないから,今まであまり騒がれることがなかったのかな。

  
・オニダルマオコゼ
 《おきなわ図鑑》「沖縄の魚」ページより。
 (↑ ここ《おきなわ図鑑》の情報はすごい。見ていると,あっという間に時間が経過する)

 オコゼの背びれに毒があるという程度の知識はあっても,波打ち際から5メートルの浅瀬に裸足で入ると,踏みつけてしまうというのは本当に怖いと思った。

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2010年8月 5日

JR成田駅東口再開発……するの?

 JR成田駅東口再開発事業が始動 ホテル誘致は白紙に(2010年8月5日 朝日新聞)

 JR成田駅東口の再開発事業が具体的に動き始める。総額100億円をかけ、駅前広場を2倍に拡張して高層の再開発ビルを建設する。ビルへのホテル誘致は見直しを求める声があがって白紙となったが、計画自体は進められ、成田市は16日から業者や事業計画を公募することになり、5日、募集要項を市ホームページで公表する。

 JR成田駅東口の駅前広場を2倍に拡張……成田市って金持ってるんだなあ,空港関係の税収って巨額なんだろうな,という印象だ。
 駅周辺を見た感じでは,駅前広場が狭くて困っているようには思えなかったからだ。「成田国際空港(新東京国際空港)を有する国際都市の表玄関として,それにふさわしい駅前を実現したい!」とかなんとか,そういう体裁が気になる人が多いってことかも。

 まずGoogleマップで,問題のJR成田駅東口の駅前広場,そして京成成田駅の関係なんぞを眺めてみよう。


大きな地図で見る

 そして,これがJR成田駅東口駅前広場の写真。

JR成田駅東口再開発
 2006年11月5日の撮影である。奥に見えるのがJR成田駅の駅舎。駅舎の正面にはタクシー乗り場,駅前広場の両側にバス乗り場があり,駅前広場のあちこちにマイカーが人待ち駐車している状況になっている。
 JR成田駅から成田空港に向かう客が多いわけでもなく,非常にのんびりした典型的な地方都市の駅前の風景である。
 実際,Googleマップからもわかるように,駅前にはそこそこの広さの広場があり,狭くて困っているような状態にあるようには見えない。この駅前広場を2倍に拡張することによって,何がどのように解決するのだろうか。

 むしろ,問題なのは京成成田駅の西口である。

JR成田駅東口再開発
 これも2006年11月5日に撮影した京成成田駅西口の様子。

 ひとめ見て,ギョッとするところがある。駅前に並ぶタクシーが反時計回りなのだ。タクシーに乗る客は,タクシーの後ろを回り,車が通行している車道側からタクシーに乗り込まなければならない。

 なぜこのようなことになってしまっているのか。それは,京成成田駅からタクシーに乗る客の大部分は,成田山新勝寺,あるいはその関連施設を目指すからだ。タクシーは,参拝客・観光客でごった返す成田山の門前町を通らず,京成線に沿って戦前に京成成田駅付近と成田山を結んでいた鉄道の線路跡(今でも「電車道」と呼ばれている最短コース)を通るのである。

 さらに問題だと思うのは,成田山新勝寺の表参道を通るクルマの問題である。

JR成田駅東口再開発

 成田山新勝寺の表参道の両側には,成田名物の漬け物屋,鰻屋,土産物屋,飲食店が並び,参拝客・観光客で非常に賑わっている。昔ながらの狭い通りであるため,成田山方向への一方通行にはなっているものの,バスや一般車がここを通るのである。
 トランジットモールとして,ここにバスが通るのは問題ないとして,一般車がここを通ることには問題が多いように思う。この表参道の状況をよく知っている人は,さすがにこの通りを車では通らないらしく,他県ナンバーの車が入り込んでいる印象がある。

 成田山新勝寺とその表参道は,成田市の顔である。JR成田駅東口駅前より先に,まず解決しなければならないところがあるんじゃないだろうか。

【参考】
写真撮っけど,さすけねがい? 2006年11月5日 (日曜日):「成田山の門前町を歩く」

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2010年8月 4日

伊賀鉄道で「風鈴列車」を運行

 涼しげ風鈴列車に揺られて 伊賀鉄道(2010年8月4日 朝日新聞)

 伊賀鉄道が、伊賀焼の風鈴を車内につるした「風鈴列車」を運行している。風鈴には松尾芭蕉の俳句を記した短冊が付いていて、涼しげな音色を響かせている。

 電車の中や駅のホームに風鈴の音が響くのって良いよねぇ。
 今まで,札幌の地下鉄や松本電鉄などで聞いたのを思えている。

伊賀鉄道で「風鈴列車」を運行
 2007年1月,近鉄伊賀線の電車が広小路駅を出て,上野の市街地(上野新町付近)を走る。

伊賀鉄道で「風鈴列車」を運行
 2007年1月,近鉄伊賀線の電車が広小路駅のホームに入ってきた。車両には,その後も継続されている奇抜な忍者のペインティングが施されている。

伊賀鉄道で「風鈴列車」を運行
 2008年8月に見た松本電鉄の風鈴電車。エアコンの吹き出し口に風鈴がぶら下がっており,ときどき涼しげな音を奏でていた。

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PENTAX K-7 の「リバーサル」モードを使ってみた

 先週末の土曜日に,PENTAX K-7用の新しいカスタムイメージ「リバーサルフィルム」で,あれこれ撮ってみた。あれこれといっても,いつものように街並みの写真ばかりなのだが,その効果(高架)はいかに……ということで,高架化工事真っ最中の京急本線「雑色」駅周辺で使ってみた。

 結論を先に言えば,残念ながら,気温は暑いものの昼から曇り空。スカッという写真は撮れなかった。

浮世草子聞き偲ぶ 雑色
 全蓋式アーケードのある雑色商店街。
 こういう人口光源にPENTAXのオートホワイトバランスがいまいちなのは昔からの伝統かな。原色の多い看板の類は,思ったよりはどぎつくなっていない。

 リバーサルフィルムモードでは,他のカスタムイメージと違って,ハイキー/ローキー,コントラストの強さなどは調整できないようになっている。EXIF情報を見ればわかる通り,輪郭強調が「ハード」になっているが,これはPENTAX独自のファインシャープネスを+2しているだけで,実際に強力な輪郭強調を掛けているわけではない。

浮世草子聞き偲ぶ 雑色
 くもりぞらの商店街では,いまいちパッとしない印象だが,また使ってみようと思わせる雰囲気はあった。こんどは太陽の光が出ているところで「リバーサルフィルム」モードを使ってみたいね。

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 というわけで,晴れた日の写真を追加(8月7日)した。

侘び住まいお帰り! 舞岡公園
 人工物じゃない,自然の風景に使うと「リバーサルフィルム」が生きてくる感じがする。

侘び住まいお帰り! 舞岡公園
 商店街を撮った写真ではわからない「リバーサルフィルム」の良さが感じられる。いいね,これ。

 PENTAX K-7 で撮った大量の写真は以下のブログへ。
写真撮っても,さすけねがい? 2010年7月31日 (土)「浮世草子聞き偲ぶ 雑色」
写真撮っても,さすけねがい? 2010年8月7日 (土)「侘び住まいお帰り! 舞岡公園」

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2010年8月 2日

たま駅長の着ぐるみ完成……商魂たくましす

 たま駅長の着ぐるみ完成 代わりにイベント行きます(2010年8月1日 朝日新聞)

 運輸事業などの両備ホールディングス(岡山市)を中心とする両備グループの創立100周年記念セレモニーが31日、同市北区の岡山シンフォニーホールであり、同グループ傘下の和歌山電鉄の人気駅長猫「たま」の着ぐるみがお披露目された。

 11歳の三毛猫たまは2007年1月、同電鉄貴志川線貴志駅(和歌山県紀の川市)の駅長に就任。たまを目当てに同電鉄を訪れる客が激増し、写真集や関連グッズの売れ行きも好調で、その集客力が評価されて今年1月には同電鉄執行役員に昇格した。香港など海外も含めてイベントなどへの出演依頼が殺到しているが、同グループは「駅長は駅を守るのが仕事」として、たまの出張を断ってきた。

たま駅長の着ぐるみ完成(和歌山電鐵)

 たま駅長が人気になったのは,たまたまなのか,周到なる戦略によるものなのかは不明だが,和歌山電鐵=南海電鉄貴志川線を再生した両備グループ(岡山電気軌道)の手腕はすばらしいね。キャラクターものや犬猫ものは,正直あまり好きではないが,ここまで実績を見せつけられると認めないわけにはいかない。

 こうなってみると,名鉄岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線や日立電鉄を岡山電気軌道が引き継いだとしたら,ひょっとして……と考えてしまう。

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