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2010年7月17日

JR山陰線余部鉄橋が98年の歴史に幕

 余部鉄橋、最後の列車「はまかぜ5号」無事通過(2010年7月16日22時28分 読売新聞)

 コンクリート橋への架け替えのため、JR山陰線・余部鉄橋(兵庫県香美町香住区余部)が16日夜、大阪発鳥取行き特急「はまかぜ5号」の通過で、98年の歴史に幕を閉じた。

 さよなら余部鉄橋 高さ41m、列車が夜空を駆け抜けた(2010年7月16日22時29分朝日新聞)

 JR山陰線の余部(あまるべ)鉄橋(兵庫県香美町)が16日、98年の歴史に幕を閉じた。朱色の美しい橋脚で、京都方面と鳥取・出雲方面をつなぐ鉄路を支え続けた。接続する余部駅には鉄道ファンが100人以上集まり、鉄橋を渡る列車にカメラを向けた。地元の住民らも惜別のセレモニーを開いた。

 既にわかっていたことだが,鉄橋をもう列車が走らないと思うと,いろいろ感慨深い。
 時刻表を見て,餘部駅午後9時18分の浜坂行き各駅停車が鉄橋を渡り餘部駅に到着した時点で,もう走る列車はないと思っていたが,どうやら大阪発鳥取行きの特急「はまかぜ5号」が最後の列車になったようだ。

 いろいろ思い出のある場所で,写真もたくさん撮ったはずなのだが,多くは既に行方がわからなくなっている(乗るほうにばかり気を取られていたこともある)。

 デジカメを持って余部鉄橋に行ったときの記録が少し残っているので,適当なものをアップしてみたい。

JR山陰線余部鉄橋が98年の歴史に幕
 余部鉄橋に撮影を目的に行くときには,大阪から米子行き夜行急行「だいせん」を利用することが多かった。

JR山陰線余部鉄橋が98年の歴史に幕
 急行「だいせん」が浜坂到着。
 余部鉄橋に近い浜坂駅到着は午前3時30分頃と,ちょっと早すぎる時刻だったが,ちゃんと車掌さんが浜坂駅に近づくと(私が起きているかどうかの確認の意味で)「浜坂ですよ」と教えに来てくれたし,駅の待合室には(冬は)ストーブも用意され,駅前の店は朝早くから店が開いて,カップ麺を買うとお湯も入れてくれた。

JR山陰線余部鉄橋が98年の歴史に幕
 駅の待合室で背中が痛い思いをしながら仮眠して,背中の痛さに耐えられなくなった頃,ホームには午前6時15分発の豊岡行きのディーゼルカーが,ガ〜ラ・ガ〜ラ……とエンジンのアイドリング音を立てて待っていた。

JR山陰線余部鉄橋が98年の歴史に幕
 初めてデジタル一眼レフを持って餘部駅で下車したのは2003年1月だった。ときおり雨が落ちてくる曇り空で,冷たく猛烈な風が日本海から吹き付けていた。寝台特急「出雲」の撮影が目的だったのに,列車の通過時刻は日の出前。完全に事前調査不足だった。

JR山陰線余部鉄橋が98年の歴史に幕
 寝台特急「出雲」が通り過ぎ,少し明るくなってからの各駅停車。それにしても,実に雄大なトレッスル橋である。

JR山陰線余部鉄橋が98年の歴史に幕
 余部鉄橋を渡り,餘部駅のホームに入ってくる各駅停車。この日は,この後山陰本線の列車を乗り継ぎ,益田まで行く予定だった。

JR山陰線余部鉄橋が98年の歴史に幕
 餘部駅で取った整理券。駅名は餘部(あまるべ),鉄橋の名前は余部(あまるべ)鉄橋なのが面白い。

JR山陰線余部鉄橋が98年の歴史に幕
 2004年の5月に撮った寝台特急「出雲」。この日は小雨が降り続けるあいにくの天気で,全体にモヤっていた。

JR山陰線余部鉄橋が98年の歴史に幕

JR山陰線余部鉄橋が98年の歴史に幕
 2004年には,撮影ポイントまでの階段が整備され,案内表も立っていた。2003年にはなかったものだ。現在の余部鉄橋の取り壊しが決まり,ここを訪れる人が急激に増えたのはこの頃かもしれない。

JR山陰線余部鉄橋が98年の歴史に幕
 餘部駅に豊岡行きのディーゼルカーが入ってきた。この日は豊岡から,城崎,舞鶴と廻ったが,舞鶴ではとうとう大雨に降られてしまった。山陰本線に乗るときには,いつも天気に恵まれていないような気がする。

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コメント

…終わってしまいましたね。

私の旧鉄橋の記憶は、やはりディーゼル機関車に牽引された旧型客車列車と共に有ります。

急行「だいせん」で旧鉄橋を渡った時は、鳥取から大阪行きの昼行列車でした。あの時は、余部鉄橋を越えた辺りから天候が怪しくなってきて、福知山線に入ったところでもの凄い雷雨。列車の至近に落雷が有ったりして、1時間以上の大幅遅れだったけど、新線に切り替わる前の武田尾駅周辺では、徐行してたお陰で渓谷美を堪能出来ました(濁流だったけど…)。

いい時代だったなぁ。

旧鉄橋の解体が終わり、騒ぎが落ち着いた頃、またゆっくりと新橋梁の威容を確認に行けたらいいなぁ、なんて思います。

投稿: もりあき | 2010年7月17日 06時12分

 とうとう終わってしまいました。

 餘部鉄橋や山陰本線は,古き良き時代の鉄道の象徴のような感がありましたね。
 今では長距離を走る列車も少なくなり,客車列車もなくなり,とうとう餘部鉄橋も終わってしまいました。

 私も,新しいコンクリート橋ができて,落ち着いた頃に行ってみたいと思ってます。山陰のどこかの町を訪ねるのとセットで。

投稿: 三日画師 | 2010年7月17日 10時18分

餘部鉄橋は地元住民にとって恐怖の場所でもあり、誇りでもあったんですね。あの雄大な鉄橋は歴史に残るはずです。

投稿: 急行 砂丘 | 2010年7月21日 20時33分

 まだ餘部駅がなかった頃は,余部鉄橋を歩いて渡って隣の鎧駅まで行ってたそうなので,地元の方が鉄橋に持っている思いは大きいでしょうねぇ。

投稿: 三日画師 | 2010年7月21日 23時41分

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