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2009年7月 9日

平岡正明師匠が死去

平岡正明氏死去 ジャズや落語で評論活動(NIKKEI NET)
 ジャズや落語など幅広い分野の執筆活動で知られた評論家、平岡正明(ひらおか・まさあき)氏が9日、脳梗塞のため横浜市内の病院で死去した。68 歳。連絡先は同市中区海岸通3の9の郵船ビル2階のヨコハマ大道芸。告別式は13日午前11時から同市西区元久保町3の13の一休庵久保山式場。喪主は妻、秀子さん。

 60年安保闘争に参加し、社会評論家としてデビュー。「戦後日本ジャズ史」「ジャズ宣言」「大落語」など多数の著書があり、「山口百恵は菩薩である」も話題を集めた。

091007005325
【「山口百恵は菩薩である(講談社文庫)」「山口百恵は菩薩である(講談社)」「菩薩のリタイア(秀英書房)」】

 ショックだ……。
 私がジャズに深くハマり,山口百恵を本気で聴くきっかけになったジャズ評論家だ。まだ68歳じゃないか。酒もあまり飲まず,身体だって鍛えてたじゃないか。若すぎるよ。

 1990年代後半の休日の午後,横浜野毛のダウンビートでときどき行われた平岡正明氏のトークライブは面白かった。本と同様に知識の海を縦横無尽・支離滅裂に駆け回り,ジャズの創生期からエレキマイルス,フリージャズについて語る平岡氏は子供のように楽しそうだった。

 ある日,チャーリー・パーカーにも影響を与えたというエリントン楽団のアルト・サックス奏者,ジョニー・ホッジスの曲を「次はジョニー・ホッジスの“ディ・ドゥリーム”です」と紹介した際,平岡氏がいたずらっぽい顔をしたので,まさかと思って目が合ったときに「まさか?」という顔をしたら,人差し指を立てて「ナイショダヨ!」というアクションがあった。

 果たして,鳴り出した音楽は山口百恵の『A FACE IN A VISION』のB面一曲目の“ディ・ドゥリーム”。すぐにジョークだよという感じで曲を止めることなく,最後まで山口百恵を掛け続けた。暗く重い雰囲気のあるダウンビートの店内に,アルテックのA7型ヴォイス・オブ・シアターの巨大なスピーカーから山口百恵の歌声が響きわたった。平岡氏は最後に,「ジョニー・ホッジスでした!」と紹介した。

 『山口百恵は菩薩である』のあとがきの結びの文章はこうだった。「一九七九年の記念に,最後に時代への挑戦を行って筆をおく。向こう五年間,本書を越える山口百恵論はでないであろう」

 2009年の現在まで,山口百恵について論じた本は多い。私見では,小倉千加子氏が書いた『松田聖子論』という名を騙った実質「山口百恵論」が足元程度に接近はしたものの,『山口百恵は菩薩である』の領域に近づくことはなかった。平岡氏の百恵論は圧倒的だった。

 平岡正明先生,安らかにお眠り下さい。

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