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2010年12月 4日 (土曜日)

幻の雑誌『絶体絶命』をとうとう入手!

 株式会社幻影城の,熱血冗談多発的ドタバタ風クソ真面目マガジン『絶体絶命』が創刊されたのは,1977年の10月である。月刊で定価330円也(もちろん当時の価格)。

 この雑誌が面白いという話を聞いたのは,1980年代に入ってだいぶたった頃だった。しかし,『絶体絶命』は,創刊6号を持って文字通り「絶命」していたのである。なんでも,企画から原稿依頼,割付,校正まで二人でやってたという噂もあるぐらいで,相当に無茶苦茶な,どこからか湧き上がってくるエネルギーが作らせていた雑誌なのではないかと思うのだ。

 で,1985年頃から,この『絶体絶命』探しが続いたのだ。最大の目的は,創刊2号に載った「大部分特集 山口百恵様みな気にしてますです」と「いろはにほへと山口百恵」である。

 だが,それからが苦難の道で,いまのようにネットの古書店なんぞは存在しないから,神田やあちらこちらの古書店を歩いて探すしかなかった。たまに見つけても,肝心の創刊2号だけが抜けていて,それでも結構な値段が付いていたりしたものだった。

 そしてついに,2010年11月の末,21世紀のネット古書店の威力をまざまざと見せつけられて,手元に届いた『絶体絶命』である。ジャーン……!

絶体絶命 全6巻(1977年〜78年)

 わずか6巻で終刊となってしまったため,これが『絶体絶命』の全部である。

 2号「大部分特集 山口百恵様,みな気にしてますです」
 3号「特集    手塚漫画ばかり読んできた」
 4号「欠陥小特集 みだれ撃ち筒井康隆グラフィティ」
 5号「欠陥小特集 破れかぶれ野坂昭如グラフィティ」
 6号「小特集   憎みきれないジュリー グラフィティ」

絶体絶命 全6巻(1977年〜78年)
 これが『絶体絶命』創刊号の目次だ。
 はっきり言って,滝井圀夫・矢場徹吾の二人だけで作っていたとは思えない,本気の豪華執筆陣である(もちろん現代の大物でも,当時は駆け出しだったってことはあるだろう)。

 『絶体絶命』の広告に入っていた,『面白半分(筒井康隆責任編集)』や『ビックリハウス』とも,一部の執筆陣はかぶっているものの,そこかしこに,はちゃめちゃな時代のエネルギーが噴き出していたことがよくわかる。荒木経惟の「私のアリスたち 触写!!」も素晴らしい(アグネス・チャンがうるさい現代では不可能な写真かもね)。

 そして,この1巻のために「6巻全部」を買ったも同然の,創刊2号の山口百恵特集。

絶体絶命 全6巻(1977年〜78年)
 この号が出たのは1977年11月である。
 既に山口百恵は,「横須賀ストーリー」「パールカラーにゆれて」「イミテイション・ゴールド」で,徐々にではあるが歌謡界の主導権を握りはじめ,「秋桜」を歌っていた18歳の百恵の頃である。アイドルと言われながら,アイドルの枠に収まらないオーラのようなものを放ちつつあった時期なので,引退を前面に打ち出した興行を行った最後の1年や,引退後に書かれた文章からではうかがい知ることのできない,その時代の貴重な雰囲気が雑誌の中にとどまっているのが嬉しい。引退に向けての雑誌には書けないような,きついことも書かれていたりするが,それはそれで非常に貴重だ。

絶体絶命 全6巻(1977年〜78年)

 それにしても,この年になって,いまだに百恵ちゃんの雑誌を探していたりして,私は完全な病気だね。それも深刻な。自覚はあるんだけど,正直なところどうしようもない状況だ。

 書き忘れたので付け加えると,この『絶体絶命』の終刊は1978年の3月号。山口百恵は同じ1978年の5月に名曲『プレイバックPart2』を歌い,続く1978年の8月にこの雑誌のタイトルと同じ『絶体絶命』を歌っている。雑誌が山口百恵の歌を使って(パクって)いるわけではなく,ひょっとしたらその逆である可能性もあるのだ。

※ この記事は,別ブログ「三日画師のかすかだり」:幻の雑誌『絶体絶命』をとうとう入手した! とまったく同じ内容である。

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