交わいヘタなあなた……平和島
交わいヘタなあなた……平和島
タイトルはヘタな回文。
京急の品川行き各駅停車(正確には普通列車)に乗って,どの駅で下車しようかと考えていたところ,平和島駅で通過列車待ちの長時間停車(といっても5分だけど)。そういえば今まで平和島で下車したことはなかったな……と思って途中下車。
平和島駅商店街。
駅前の商店街……どこかで見たことがある。というか,飲み屋の「初音」もあるし,一度撮影していることを思い出した。脳みそがだいぶボケてきてるのかもしれない。
駅前の放置自転車のえげつなさは半端じゃない。左が京急平和島駅(東京都大田区)の高架橋。
平和島駅から西に真っ直ぐ延びる商店街。大森北六丁目。
大衆酒蔵「初音」。
居酒屋「卜伝(ぼくでん)」。
京急平和島駅方向を振り返る。
北側の甘酒稲荷神社,穀豊稲荷神社方向に延びる路地。京急平和島駅の東側には王森稲荷神社,鷺之森稲荷神社があり,この付近の稲荷神社の多さは何に由来するのだろうか。
シオザワ靴店。
京急平和島駅に戻る。
京急平和島駅に沿って南へ。
京急平和島駅方向を振り返る。
餃子の満州里。
ナイター市11月6日 平和島駅商店会の横断幕。でも,今日は11月7日だ。
元COFFEE クィーン。
第一京浜(国道15号線)の大森橋交差点。第一京浜の陸橋(環七通りをオーバークロスする)をくぐって,旧東海道側へ。
大森東一丁目の祠。狛犬ではなく狐なので,ここもお稲荷様だ。路地の左側に王森稲荷神社がある。
内川に架かる旧東海道の大森内川橋。
旧東海道のミハラ(美原)通り。美原というのは,北原,中原,南原の三つの通りを合わせた「三原」に由来する名称らしい。
大森内川橋を南側から見る。
大森内川橋の袂から東南に延びる大森東二丁目の商店街。「海 潮風通り」?
大森東二丁目。
大森東二丁目。
そば処「満留賀」。
ここからだと大森町駅の方が近そうだが,美原通りの商店街を見て歩きたいので引き返すことにする。
再び大森内川橋。
ミハラ南商店街のサワ薬品。美原通りの自転車の多さには驚く。
ミハラ南商店街では,毎月第一金曜・土曜日がミハラッコセールという特売日になっているようだ。
美原通り。
つなしま食品(左)と中華の双貴楼(右)。
ミハラ南商店街。和菓子の福井屋。
丸秀青果店から北側は車が通行できるようになっている。よく見ると,この信号機は「自転車専用」になっている。
丸秀青果店。
とにかく,ここ美原通りの自転車の多さにはビックリする。
セレクトショップ オークン前。
ミハラ南商店街の南側を振り返る。
パン屋さん,みくに。
ねじの専門店 鈴徳。
旧東海道のミハラ通りと環七通りの交差点。ミハラ通り側の信号が青になると,たくさんの自転車が環七通りを横断する。歩行者はほんのわずかだ。
第一京浜(国道15号線)。
あっという間に日没。本当に日が短くなった。
京急平和島駅の東側。環七通りをオーバークロスする第一京浜の陸橋は補修工事中。
環七通りの大森東交差点。平和島駅を出た京急本線の電車が高架線を走っていく。
第一京浜の野口理髪店。
第一京浜の野口理髪店。
野口理髪店の裏の路地。うなぎ蒲焼きの「あきば」,高級玉子焼の玉幸。
── PENTAX K-7 + smc PENTAX-DA★ 16-50mm F2.8 ED SDM
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コメント
野口理髪店がいいですね。
チャリンコがなんでこんなに多いんですか?
投稿: bbking | 2009年11月 8日 (日曜日) 18時59分
野口理髪店の雰囲気,やっぱりいいですよね。一目見て嬉しくなりました。
怖いぐらいの自転車の多さでした。なんでチャリンコが多いんでしょうね。
勝手な想像です。
京急本線の東側は古くからの住宅地が広がってます(たくさんの人が住んでいる)。
しかし,京急線の駅にはバスが発着するような駅前広場があるところは少ない and 道幅も広くないので,バス網も発達してない or 需要の多いところをバスが走っていない……ということで,自転車の利用者が多いのではないか,と推測してみました。
投稿: 三日画師 | 2009年11月 8日 (日曜日) 19時51分
こんにちは
何時お尋ねしても
興味深いですね
京急沿線は縁がなく何時も楽しく拝見しています
それにしても再開発前の場所は
何処もごみごみして戦後のカオスを偲ぶ
ことが出来ますから将来貴重な記録ですね
出かけてみたくなります
投稿: ソフィアザール | 2009年11月 9日 (月曜日) 12時47分
こんばんは。
京急沿線には魅力のある街が多くて,どの駅で降りても楽しめます(嫌いな人は嫌いなんでしょうけどね)。ごみごみして猥雑な風景が残っているのが良いですね。
投稿: 三日画師 | 2009年11月10日 (火曜日) 02時43分
大森南の住人です。初めてコメントさせていただきます。
平和島界隈に自転車が多い訳は、概ね推察通りの所かと思いますが…
①住工混在地域であり、比較的近所に通勤する人も多い事。
②近隣の京急の各駅にターミナルとしての性格が無く、品川以北の都心方面を指向する人々がJR京浜東北線の大森駅や蒲田駅を直接目指す傾向にある事。
③地域が京急の線路の他、鉄道に平行して走る産業道路や第一京浜などで分断されており、朝晩の渋滞も激しい事から、大森駅や蒲田駅に向かうバスの定時性と快適性に疑問符が付く事。
④平和島駅や大森駅の自転車駐輪場が割に充実していて、バスの運賃以下の低額で利用できる事。
⑤この地域の大型商業施設(イトーヨーカドー大森店やビッグファン平和島など)が駅から離れた立地をとっており、自転車で買い回る方が便利な事。
⑥近隣の商店街(大森町や梅屋敷など)の主要部分が、京急とJRの間に偏在している事。
等が、より具体的な理由になろうかと思われます。
かく言う私も、平和島駅やJR蒲田駅の駐輪場などは、かなり頻繁に利用させていただいております。大森東や大森南、北糀谷や東糀谷地区に住む人間の日常に、自転車は欠かせない乗物となっています。
お稲荷さんは、言われてみれば非常に多いですね。旧不入斗村と旧大森村の境界辺りから、内川の下流域にかけて点在している様です。理由を調べてみたいと思います。
投稿: もりあき | 2009年11月10日 (火曜日) 16時59分
もりあきさん,こんばんは。
具体的な情報ありがとうございます。すごく嬉しいです。
一帯は平坦だから,自転車はすごく便利に使えそうですね。
そういえば羽田も稲荷神社が多いですよね。不入斗村という地名が興味深かったんですが,糀谷とか羽田あたりのことですか?
投稿: 三日画師 | 2009年11月10日 (火曜日) 22時39分
大森、糀谷辺りは古くからの海沿いの地で、海沿い=漁師町と単純に考えてしまいがちですが、どうやらそうでもない様子です。
江戸時代、この近辺の海域での本格的な漁労権益を持っていたのは、品川浦や羽田浦といった「御菜八ヶ浦」の漁村だったそうです。
大森や糀谷は基本的に「農村」扱いであり、江戸期以降、干潟を徐々に干拓して拡がった新田において、稲作などを盛んに行っていたという事です。本来農耕神のお稲荷さんが、この近辺に数多く残る背景には、こうした事情も有る様ですね。
旧大森村、旧糀谷村は、かつては共に海苔養殖で有名な所でしたが、海苔の養殖とは、もしかすると半農半漁の「農民」による副業的な(語弊があるかもしれませんが…)扱いをされていたのかもしれません。浦の漁師による本格的な漁労活動とは一線を画された性格の漁業だった可能性が高いです。
海苔漁業の詳しい実態については、近年、内川河口付近に「大森海苔のふるさと館」という施設が出来ましたので、そちらを訪ねてみるのも面白いと思います。
旧不入斗村は、現在で言うと大森海岸駅南側から平和島駅北側手前までの京急沿線に存在しました。東は旧海岸(平和島競艇場の水路)から西は池上通り付近までが概略の村域となります。
かつての鈴ヶ森八幡である磐井神社(第一京浜と京急線沿いにある)と、密厳院というお寺(鈴ヶ森八幡の別当寺だった)の寺社領だった所の様です。
有名な鈴ヶ森処刑場は旧大井村の地に存在しましたが、何故か隣接する不入斗村の鈴ヶ森八幡の鎮守森の名称が用いられました。密厳院の境内には、刑場で処刑された「八百屋お七」を供養する地蔵尊が今も残るなど、同刑場との繫がりは深いものがあったと思われます。
戦前、池上通り沿いの旧新井宿村と合併して入新井町となり、戦後の大森・蒲田両区合併(大田区成立)後には大森北と改称されて、今では忘れられた地域名となっております。ハローワーク大森近くにある小公園「不入斗パーク」などに、僅かに痕跡が残されております。
長文失礼致しました。
投稿: もりあき | 2009年11月11日 (水曜日) 06時46分
もりあきさん,詳しいコメントありがとうございます。
海苔漁業(養殖)と農耕神崇拝に由来する稲荷神社との関係,非常に興味深い考察です。知識不足で気の利いたことは書けませんが,完全に得心がいく説明です。
大田入荒井郵便局など,点在する入荒井という名称が旧不入斗村の名残なんですね。
不入斗(いりやまず)という不思議な地名が,横須賀にある地名と同じで興味深く思っています。山がちな地形から「入山瀬」と呼ばれ,それがなまったという説明で納得してたんですが,入荒井町の位置からすると別の由来も十分考えられますね。
投稿: 三日画師 | 2009年11月11日 (水曜日) 22時54分
横須賀市の不入斗は、山口百恵が少女時代を過ごした街としても知られていましたね。銭湯が多い所とも聞いておりますので、一度訪ねてみたい場所でもあります。
あちらは山間地、こちらの不入斗は平坦地ですが、池上通り越しに大森山王の丘陵が迫り、海に近い(隣接している)所などは共通性が有りそうです。
横須賀は柏木田、こちらは大井という花街が隣接地にあった所も共通する所かと思います。
投稿: もりあき | 2009年11月12日 (木曜日) 06時03分
山口百恵の大ファンなので,不入斗は一度本格的に撮りに行きたいと思っています。横須賀は今まで何度も足を運んでいますが,いつも駅の周辺ばかり歩いています。上町には確かに銭湯が多いですね。また,上町商店街には看板建築の商店が多く残っています。
柏木田遊郭跡には一度足を運びましたが,その時にはあまり名残のようなものは残っておらず,すぐに県立大学駅(安浦)の方に下りてしまいました。
後でWebで調べると,念入りに探せばまだいろいろ残っているようで,今になって後悔しています。
不入斗は「山への入口」というふうな解釈もできるようで,山王地区の丘陵への入口と考えれば,合点がいきますね。
投稿: 三日画師 | 2009年11月13日 (金曜日) 01時20分
不入斗には「免租地」という意味合いも有る様です。
勿論、現代的なTAX FREEとか、福祉目的の免税という意味とは違うものです。
昔、日本史の教科書で習った「不入の権」という言葉の表すものに近いのではないでしょうか。
大森東二丁目の、大森内川橋袂から東南に分岐する道は、通称「するがや通り」という道です。かつての「羽田道」でもあります。
羽田道は、内川橋から大森東~大森南の地内を屈曲しながら抜け、呑川を越えて東糀谷を通り、羽田の猟師町へ至る脇往還です。
京急バスの「前の浦バス停」近くの商店街や、羽田の鴎稲荷神社前などに、かつての羽田道の痕跡を示す碑が建立されております。
投稿: もりあき | 2009年11月13日 (金曜日) 17時48分
日本史の授業は苦手で苦手で,習ったことをすっかり忘れてしまいましたが,「不入の権」を検索して勉強し直しました。
「するがや通り(羽田道)」の情報,ありがとうございます。歩いてみると,古くからの商店も点在し,由緒のある通りだとは感じましたが,なかなか情報が無くて困ってました。
通りや商店街の名前がわかる標識等は写真に撮っておくようにし,それがない場合は地図で探したりするのですが,ちゃんと表記してあるものがなかなか無いんですよねぇ。
大森内川橋側の入り口に「海 潮風通り」と文字が写っていたので,とりあえずそう表記してみましたが,Webで検索してみても,そんな通りがどこにも出てこないんですよね(富山の氷見市には潮風通りがあるようですが)。
ちゃんと修正しておくようにします。ありがとうございました。
投稿: 三日画師 | 2009年11月13日 (金曜日) 22時54分
職場の休みだった今週水曜の午後、思い立って、横須賀市の不入斗町を訪ね歩いてみました。
京急の横須賀中央駅から不入斗町へは、三崎街道の平坂を上り、上町商店街を過ぎて不入斗町1丁目の交差点から不入斗公園方面へのバス通りを辿るのが一般的だとは思いましたが、敢て上町から中里通りへ折れ、尾根筋への細道へ取り付きました。
途中で安浦方面の東京湾も望める尾根筋の道を、不入斗町のはまゆう公園まで辿り歩きました。
横須賀という街の山手の地域は、海辺の町とはとても思えないほどに、複雑に入り組んだ尾根と、深い谷が錯綜する山岳地帯ですね。はまゆう公園から俯瞰して見えた不入斗町は、背景に大楠山を望む山深い小邑といった趣で、とても横須賀市の中心街から直線で2㎞弱の街とは思えない佇まいでした。
幼き日の山口百恵さんも、この景色を眺めた事があったのでしょうか?そんな事を考えたりもしました。
尾根筋から谷へ下り、不入斗郵便局周辺の小さな商店街や、市立不入斗中学校、西来寺、不入斗公園などを経て、不入斗1丁目の三崎街道との交差点へ。
三崎街道の向こう側の路地を少し入ると、そこはもう、かつての柏木田遊郭街の中心地(広小路)でした。
「福助ホテル」という旅館の建物が、半ば放棄されたまま残っていましたが、かつての広小路の両側は建物の取り壊しや、分筆された上での宅地開発がかなり進行していて、既に往時を偲ばせる建物などは殆ど見られなくなりつつある様でした。
投稿: もりあき | 2009年12月10日 (木曜日) 19時23分
もりあきさん,こんばんは。
坂の多い横須賀散策お疲れ様です。
上町から中里通りというと,銭湯のある通りですね。近くに図書館があったりして,意外に人通りが多いという印象があります。
横須賀は本当に起伏が激しくて,港湾都市という印象とは違った地区も多いですね。平坦な場所が少なくて人口も伸び悩み,都市としての格ははるかに下だった相模原市が,来年には政令指定都市になろうとしていることとの違いが際立っています。
柏木田遊郭の名残といえば,やはり「福助」と,周囲から浮いた感じの広い通りぐらいですね。
土地の人にしてみれば,「柏木田」は消してしまいたい過去なのかもしれず,往時を偲ばせるものがどんどん無くなっていくのは仕方のないことかもしれません。
投稿: 三日画師 | 2009年12月10日 (木曜日) 21時22分