カテゴリー「都市・街並み」の125件の記事

2018年2月17日

(このブログは「控え」であり,メインのブログではありません)

 ブログ記事の更新を長期間サボっていたら,Google検索などで“三日画師”を検索したときのランクが下がってしまったらしく,メインのブログ『写真撮っけど,さすけねがい?』よりも,名前を付けたこっちのブログのほうが上位に表示されてしまうようになった。

 以前は『写真撮っけど,さすけねがい?』を見てくれていた人が,検索結果上位にある『三日画師のかすかだり』を見て,

 「最近ブログの傾向を変えた?」
 「以前とは全然違ったブログになったね」

という反応をしてきたので,とりあえずメインブログへのリンクを冒頭に置くことにしてみた。

 私のメインブログ『写真撮っけど,さすけねがい?』は下記になります。

_01
http://mikkagashi.cocolog-nifty.com/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月 4日

JR九州が長崎駅西側移転のイメージを公表

 長崎駅、22年度に西側へ引っ越し 新幹線開業で再開発(2016年9月1日 朝日新聞)

 JR九州は、博多―長崎を結ぶ九州新幹線長崎ルート(長崎新幹線)が開業する2022年度の長崎駅周辺の再開発イメージを公表した。

 現在の在来線駅の西側に、新幹線駅を新設。さらに在来線も高架化して西側に移す。空いた敷地に新しいビルを建て、商業施設やホテル、オフィスなどを入れることを検討している。

120430171618
〔JR長崎駅とかもめ広場(2012年4月30日撮影)〕

 JR九州が発表したイメージは,既に長崎市が「長崎駅周辺まちづくり基本計画」や「長崎駅周辺土地区画整理事業」計画として公表している内容と同じで,特に新しい情報はない。

 長崎市の長崎駅周辺土地区画整理事業のページから,長崎駅周辺の整備イメージを引用する。ただし,そのままだと地図の上が西を向いていて現在の地図と比較しにくいため,90°左回転させて,地図の上を北に向けている。


Photo

〔長崎駅周辺の整備イメージ(長崎市の長崎駅周辺土地区画整理事業のページより)〕

 計画では,現在の在来線駅の西側に隣接した長崎車両センター(車両基地)を早岐駅の佐世保車両センターに移設し(2014年3月15日に移転済み),長崎車両センターの跡地に高架化した長崎本線と新幹線の長崎駅を移転することになっている。現在の長崎駅の在来線ホーム一帯は東口駅前広場となる。

 駅が西側に大きく移動するため,現在長崎駅の改札口の前にあるアミュプラザ長崎・かもめ広場と新駅舎の間には大きなスペースが生まれる。上記整備イメージ図では「開発予定地」となっていて,ここには新しい商業施設が建てられることになりそうだ。

120430171323
〔写真右が現長崎駅,左が長崎車両センター〕

120430171907
〔国道202号線(大波止場通り)と長崎駅前電停〕

 駅前を通る国道202号線(大波止場通り)には長崎電軌の路面電車の長崎駅前電停がある。JR長崎駅から国道の真ん中にある長崎駅前電停までは現在約100mの距離だが,新しい駅舎になると250mぐらい離れてしまう。
 これでは公共交通機関の結節点としての機能が弱まるため,新たに駅の高架下の東西を結ぶ道路「トランジットモール線」を設け,路面電車を新幹線・在来線の高架下まで引き込むことになる。

 現在の長崎駅前電停へのアクセスは横断歩道からの階段しかなく,バリアフリー化からはほど遠い。新しい駅前広場と面一のトランジットモール線に路面電車が乗り入れることによって,とうとうバリアフリー化が実現する。

 ただし,上記整備イメージ図にはトランジットモール線にどのように路面電車を引き込むかが描かれておらず,路面電車の引き込みをあきらめているようにも読み取れる。また,このままだと東口駅前広場に乗り入れた一般車両はトランジットモール線に抜けるようになると読めるため,公共交通機関と歩行者の通行だけを認める“トランジットモール”の定義に反しているようにも思われる。もう少し詳細な情報が必要だ。

120430175715
〔飲食店が多い長崎駅前商店街〕

 心配なのは大黒町の長崎駅前商店街だ。

 まず,長崎駅が150mぐらい商店街から遠ざかる。さらに,長崎電軌の長崎駅前電停を利用するために国道202号線の歩道橋を渡る人から見れば,そこから階段を下りるだけで飲食店が多い駅前商店街だったのが,JRから路面電車に乗り換える客はトランジットモール側を利用することになるため,駅前商店街に架かる歩道橋を利用しなくなる。

 長崎駅前が全体的にバリアフリー化して地上を歩く人が増えると,歩道橋の上り下りが必要になる駅前商店街は心理的に遠く感じるようになるだろう。たとえば,長崎を発つ前に長崎ちゃんぽんや皿うどんを食べようと思った来街者が,どうせ食べるならば駅ビルの飲食店ではなく,町の中華屋で食べたいというような私のような人間でも,駅ビルで済まそうと思うことが増えてくるに違いない。

 長崎市としてもその点は考えていて,「長崎駅周辺まちづくり基本計画」において,“地区全体の歩行者空間ネットワークは 1 階レベルを主動線とし、国道横断部におい ても、バリアフリーの観点から平面横断を目指す”としている。交通量の多い国道202号線(大波止場通り)に歩行者の平面横断手段(横断歩道だろうけど)を確保するのは大変難しいが,路面電車の電停と一体化できれば理想的だ。

120430170959
〔かもめ広場と長崎駅。かもめ広場と改札口とホームが同一面上にあることがわかる〕

120430170753
〔長崎駅の改札口から見たかもめ広場とアミュプラザ長崎〕

120430170521
〔頭端式ホーム3面5線の長崎駅〕

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月 3日

つくばクレオスクエア西武筑波店が存続断念

 「西武なくなると困る」…街活性化に大きな影響(2016年08月03日 読売新聞)

  そごう・西武は2日、西武筑波店(茨城県つくば市吾妻)を2017年2月28日に営業終了すると発表した。

 営業不振を主な理由としている。

 同店はつくばエクスプレス(TX)つくば駅前の商業施設に立地しており、同店の撤退が市の中心市街地活性化への取り組みに大きな影響を与えることは必至だ。

 同店は1985年3月に開店した。売り場面積は2万6905平方メートルで、社員数248人(6月末時点)。

 そごう・西武の発表によると、同店はピーク時の1991年度には248億円の売上高を記録したが、周辺地区に進出した大型ショッピングセンターとの競合が激しくなり、業績が悪化。2015年度の売上高は128億円と1991年度に比べ半減した。人件費などのコスト削減を行っても収益改善に至らず、今後の営業力の回復が見込めないことなどから存続を断念したとしている。

Edit2
〔撤退の方針が明らかになったつくばクレオスクエアの西武筑波店〕

 つくばセンターにあるつくば駅前の複合型ショッピングセンター「つくばクレオスクエア」の核店舗が西武筑波店,イオンつくば駅前店,そしてLoft(ロフト)だ。つくばクレオスクエアは,CREO(クレオ)・MOG(モグ)・Q’t(キュート)の3つのビルで構成されており,西武筑波店とイオンがCREOに,LoftがQ’tに入っている。
 西武筑波店が閉店すると,茨城県内の大型百貨店は水戸市の京成百貨店のみとなる。

 西武とイオンならば十分並立できると思うのだが,西武筑波店の売上高は1991年度に比べて半減しているという。セブン&アイ・ホールディングスがそごう・西武の閉店を進める中,西武筑波店もその対象になってしまったようだ。百貨店の経営が難しい時代になっているとはいえ,コンビニ&ヨーカドー流の経営は「百貨店」の経営に適応できなかったんじゃないだろうか。

 つくば市(筑波研究学園都市)の人口は約23万人。1988年に筑波郡谷田部町,大穂町,豊里町,新治郡桜村の3町1村が合併,1988年に筑波郡筑波町,2002年に稲敷郡茎崎町を編入してできた非常に新しい都市である。1987年に廃止されるまで,筑波山麓を筑波鉄道筑波線が走っていたが,現在は完全な車社会である。

080802102830

 都市内の道路は広く真っ直ぐで,人工的に区画された広大な敷地に公的な研究機関が並んでいる。市内の移動手段は車か自転車がほとんどであり,歩道を人が歩くことは想定していないから,広い歩道に街路灯はなく,夜は真っ暗になる。懐中電灯なしでは歩けない。出張でつくばに行きビジネスホテルに泊まると,ホテルで貸し自転車を借りなければ近くのコンビニにさえ行くことができない。

080802103747

 そんなつくば市の中で,人が歩くことを想定した唯一の地区が「つくばセンター」周辺である。
 街が生き生きするためには,人と人が交わる場所を作ることがとても重要であり,「つくばセンター」はそのための場所として計画されているが,建物の中は別にして外を歩いている人は少なく,賑わいを創出できているわけではない。

 つくば市は他の都市と異なり,旧来からの市街地や商店街のしがらみも少なく,ほぼまっさらな土地に,日本の都市工学(土木,建築,環境工学,交通工学その他もろもろ)の叡智を集めて作った都市である。来たるべき車社会に適合し,古臭い鉄道や路面電車など必要のない,夢の未来社会が実現するはずだった。つくば市の現状を見ると,人工的なまちづくりの難しさを感じる。

061201170132edit
〔つくばクレオスクエアのCREOとQ't(2006年12月1日撮影)〕

061201171259
〔つくばクレオスクエアの「Q't」(2006年12月1日撮影)〕

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2016年8月 1日

コンパクトシティは撤退戦である

130503154058editedit

  拙ブログの管理ページでは,GoogleやYahoo!といった検索サイトからどのような検索キーワードでアクセスしてきたかのランキングを見ることができる。SSLを適用した検索結果ページのキーワードは表示されずに「not provided」となるので,検索キーワードがわかるのは全体の10%前後しかないが,おおよその傾向は把握できる。

 ずっと気になっているのは,「コンパクトシティ_富山_失敗」とか「コンパクトシティ_アウガ_失敗」「コンパクトシティ_失敗例」という検索キーワードでのアクセス数が非常に多い件である。
 いかにもコンパクトシティ施策が失敗してほしいかのような意図を感じてしまう。

 2015年1月30日の拙ブログ記事『富山市の「コンパクトなまちづくり」は失敗したのか』,および2015年2月3日の『富山市の「コンパクトなまちづくり」は失敗したのか ── その2〔参考資料編〕』では,富山や青森がコンパクトシティ政策を進めているのは,郊外まで広がった市街地のインフラ(道路,電気,ガス,上下水道)に関して,将来的に更新・維持管理費用を捻出することができなくなるのが確実な状況であり,このままだと財政破綻まっしぐらであるから,「コンパクトシティ」を進めるしかない状況になっていると書いた。

 なぜか日本のコンパクトシティ施策は,衰退した中心商店街・中心市街地の活性化を核にして語られることが多い印象がある。地方都市の中心商店街の衰退とバブル経済崩壊後の財政難が,ほぼ同時に地方都市を襲ったため,藁をもつかむ思いで「コンパクトシティ」に飛びついてしまったのかもしれない。

 もともとのコンパクトシティの概念は,将来にわたって持続可能な都市開発という考え方に基づいている。中心商店街の活性化を意図したものではなく,地球温暖化のような環境問題を端緒にした,都市のあり方についての概念である。青森の「アウガ」の失敗がコンパクトシティの失敗を意味するわけではないのである。

 たとえば,郊外にまで路線を延ばしてきた鉄道事業者が,人口減少社会がより一層進展することを予想して,さらなる郊外への延伸計画を白紙に戻し,不採算路線を徐々に廃止,主要路線の車両を省エネ車両に置き換えていこうとする施策,それこそがコンパクトシティの概念なのである。

 下図は,福島県白河市の公共下水道事業計画図である。同様の事業計画図は各市町村が公開しているはずなので,それを見てほしい。

45
〔「福島県白河市公共下水道のページ」より〕

 灰色のエリアは既に整備が完了している第1〜5期事業区域,赤色は2017年度(平成29年度)までに下水道整備を完了させる区域,黄色のエリアは将来的に下水道を整備しようと計画している区域である。
 つまり,中心市街地ではほぼ下水道の整備が完了し,その後は重要な区域から順番に整備している段階にある。計画エリアはまだまだ広いので,黄色いエリアがたくさん残っている。

 この白河市も,今後はより一層の人口減少社会となる。1980年頃から整備し始めた中心市街地の下水道は,既に老朽化が進み,補修・維持費用は増加し始めているだろう。人口が減少して財源・予算が少なくなり,維持・整備費用が増大する中で,このまま黄色の区域の下水道新設工事を進めていけば,早々に財政破綻するのは目に見えている。

 過去の計画で,将来的に市街地が黄色の区域まで大きく広がることを想定していたとしても,都市のあり方を見直して,黄色の部分で事業の縮小を図る。必要であれば,既に下水道事業が完了した灰色の区域であっても,維持費用を徐々に減らし,いずれは廃止することも考える。撤退するのである。これがコンパクトシティ施策だ。

 下水道事業以外でもまったく同じである。

 また,「コンパクトなまちづくり」を進めている富山市が,郊外に三井アウトレットパークを出店させず,三井アウトレットパークは富山市ではなく小矢部市にオープンしたことも話題になった。

 富山市がどのような判断で三井アウトレットパークの出店を断ったのかは不明である。出店場所によっては(土地が格安の場所ではなおさら),新たに道路拡幅・道路新設やガス,上下水道の整備が必要になる。そのようなインフラについては,三井アウトレットパーク側は費用負担してくれない。それらインフラの維持管理費用は富山市にとって新たな負担となる。

 コンパクトシティの概念と郊外のショッピングモールは相反しない。富山地鉄市内軌道線の富山大学五福キャンパス内延伸にあわせて,たとえば下野地区にショッピングモールを整備し,市内軌道線をモール内に引き込むのもありではないかと思う。富山市は,今後の都市のあり方と照らし合わせて,出店を認めないという判断を下したのだろう。

 ずいぶん前のBLOGOSに興味深い記事があった。2015年2月27日の『「コンパクトシティ」議論のボタンのかけ違い――「コンパクトシティ」は都市問題ではなく農業問題である』という記事だ。コンパクトシティは都市問題ではなく農業問題であるという視点が興味深い。

Photo
BLOGOS『「コンパクトシティ」議論のボタンのかけ違い――「コンパクトシティ」は都市問題ではなく農業問題である』より〕

同じ位置で振り返るとこんな感じ。奥に集落が見える。というか、コンパクトシティによってこんな道路を廃止にして、本当に道路の維持管理費の削減につながるのだろうか。

 前述の福島県白河市の公共下水道事業計画図で黄色に塗られているのが,このような田園地帯の集落である。白河市に限らず,このような田園地帯の集落も都市計画区域に含まれていて,将来的に下水道や都市ガスの整備が計画されているところが多い。

 BLOGOSの記事には,『コンパクトシティによってこんな道路を廃止にして、本当に道路の維持管理費の削減につながるのだろうか』とある。大きな勘違いがあるようだ。農業のために道路は必要に決まっている。廃止するのは,このような地域における下水道や都市ガスの整備計画である。

 既に下水道や都市ガスが整備されている場合は別途考えるとして,このような集落では下水道の代わりに合併浄化槽,そしてプロパンガス(LPガス)を将来的にも使い続けていただくこととする。下水道や都市ガスといった都市インフラがこのような農村集落にまで拡大することを阻止し,遠い将来,個別に撤退が始まったときに,無用なインフラ維持・整備コストが生じ続けることを避ける。

 コンパクトシティは撤退戦である。「アウガ」や「総曲輪フェリオ」「なかいち」が失敗したからといって,立ち止まるわけにはいかないのだ。

【関連記事】
2015年1月30日:富山市の「コンパクトなまちづくり」は失敗したのか
2015年2月3日:富山市の「コンパクトなまちづくり」は失敗したのか ── その2〔参考資料編〕

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月30日

留萌市留萌村……市の中に村がある

Photo
〔留萌市大字留萌村(「Mapion」の地図より)〕

 傷めていた膝や体調が回復してきたので,夏休みに涼しい北海道にでも行こうかな,12月に廃止予定の留萌本線留萌〜増毛間に乗りに行こうかな……などと考えながら,留萌市の地図を見ていた。

 留萌市は1947年の市制施行前は留[萠]町であり,JRの留萠駅は市制施行後も留萠駅のままだったため,市名と駅名が微妙に違ったままだった。結局は1997年に留萌駅に改定されちゃったことを思い出しながら地図を見ていたら,留萌駅の北側を流れる留萌川の対岸が留萌村になっていることに気づいた。

 釧路市と釧路町が隣り合っているのと同じように,市町村レベルの留萌市と留萌村が隣り合っているのだろうと考えたのだが,地図をよく見ても両者の間に市町村の境界がない。留萌駅があるのは留萌市船場町2丁目,留萌川の対岸にあるのは留萌市(大字)留萌村だということがわかった。

 町村合併で村が町や市と合併するときは,たとえばA市とB町・C村が合併して,A市大字B町・A市大字C町またはA市B町・A市C町のように村を町にするか,あるいはA市大字B・A市大字CまたはA市B・A市Cのように町や村を省くことが多い。※※市大字○○村または※※市○○村とするのは珍しい事例だと思う。

 留萌市大字留萌村と同様に大字○○村があることで有名なのは稚内市である。

Photo_2
〔稚内市大字稚内村(「Mapion」の地図より)〕

 稚内駅前にある稚内市役所の裏側(西側)の海岸段丘は稚内市稚内村である。稚内市では,一面のクマザサの中にある抜海駅一帯は稚内市(大字)抜海村だし,北海道最北端の宗谷岬は稚内市(大字)宗谷村,稚内空港付近は稚内市(大字)声問村となっている。

 これらは,昭和2年に北海道一級町村制施行時に稚内村となったときの抜海村・声問村の区域と,1955年(昭和30年)に稚内市に編入した宗谷村の区域を,大字としてそのまま残したものである。ただし,市町村の変遷を見るだけでは,稚内市(元は稚内村・抜海村・声問村が一緒になった区域としての稚内村・稚内町のエリア)と,大字稚内村がどういう関係なのかはよくわからない。


Photo_3

〔稚内市大字声問村(「Mapion」の地図より)〕

 大字(おおあざ)の町名をどうするのか,○○町にするのか,○○とするのか,あるいは○○村のまま残すのか,自治体の判断に任されているようである。とはいえ,○○村を大字として残す例は珍しい。

 山口県には(部外者の私が)紛らわしいと感じる町名がある。
 ひとつは下関市豊浦村と下関市豊浦町である。


Photo_4

〔下関市豊浦村(「Mapion」の地図より)〕

 上図は山陽本線の長府駅の南側の豊浦高校付近の地図である。
 長府黒門東町の長府庭園の西側,大唐櫃山(大唐楯山)の山麓が下関市大字豊浦村になっている。

 長府は長門国の国分寺が置かれた国府で,府中と呼ばれたこともあり,門国から長府となった。また,日本書紀には穴門豊浦宮が置かれたという記述があることから,この地方は豊浦(とよら・とゆら)とも呼ばれたという。後述する豊浦町も含まれる豊浦郡(とようらぐん・とおらのこおり)の郡役所が置かれたのも長府である。

 豊浦と呼ばれた長府が1911年(明治44年)に町制施行して長府町となり,1937年(昭和12年)に下関市に編入される。時期は不明だが,住居表示が実施されたときに,長府町地域は下関市長府○○町となった。そして,住居表示が実施されていない地域が下関市大字豊浦村として残ったようである。

 ちなみに,地図上の豊浦高校も,読み方は「とよら」である。

Photo_5
〔下関市豊浦町(「Mapion」の地図より)〕

 山陰本線小串駅付近の下関市豊浦町(とようらちょう)の地図である。豊浦町は2005年に下関市などと合併し,下関市豊浦町となっている。

 昭和の大合併で複数の町村を合併して豊浦郡豊浦町になったところなので,豊浦町時代,既に大字があった。たとえば小串駅は豊浦郡豊浦町大字小串字石堂だった。その後,下関市と合併したときに「豊浦町」は大字よりもひとつレベルが上の町名となり,小串駅は下関市豊浦町大字小串字石堂となった。

 同じ下関市であっても,豊浦町と大字がつく豊浦村との勘違いは生じないのかもしれないが,大字は省略することも多く,下関市豊浦町と下関市豊浦村が併存しているのは,紛らわしいことに違いはない。

 市ではないが,山口県東南部にある熊毛郡平生町の場合もややこしい。山口県にありながら,町のWebサイトで「広島広域都市圏で新たな連携に取り組みます」と主張していることもややこしい感じがするのだが,それは置いといて……

Photo_6
〔山口県熊毛郡平生町(「Mapion」の地図より)〕

 平生町役場や平生郵便局,平生町スポーツセンターがあるのは平生町平生町,平生町体育館やふれあいまちづくりセンターがあるのは平生町平生村である。町の中心部で平生町平生町と平生町平生村が入り組んでいるのでややこしい。

 1889年(明治22年)の町村制の施行時に,平生村,竪ヶ浜村,平生町,宇佐木村の4町村によって平生村が発足。1903年(明治36年)に平生村が町制施行して平生町になった後,1955年(昭和30年)の昭和大合併で平生町が大野村,曽根村,佐賀村と合併し,新しい平生町となった。

 町村制施行時に既に平生村と平生町があり,両者を区別するために大字平生町と大字平生村が残り続けているのだと思われる。

 平生町の人口は約1万3千人。それほど大きくない町なので,地域を指すときには平生町,平生村,竪ヶ浜,曽根……と大字で呼べば済む。紛らわしいと感じるのは私のような部外者だけかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月27日

横浜市都筑区川和町の鉄道忌避伝説

 横浜市都筑区川和町に鉄道忌避伝説があることを知った。

 川和には都筑郡の郡役所や郵便局があって栄えていたのに,鉄道が通ると町が衰退するとして横浜線に反対したため,横浜線は川和を迂回して鶴見川の対岸を通ることになり,横浜線の駅が作られた中山が栄えるようになったという話である。典型的な鉄道忌避伝説である。

 川和高校という神奈川県立の進学校があるから,川和という地区が県内にあることには気づいていたが,都筑区に川和町があるのを知ったのは,2008年に横浜市営地下鉄グリーンラインが開通して川和町駅が開業したときである。

 鉄道忌避伝説があるのは一般的には街道沿いの宿場町や城下町で,町が衰退してしまったために古くからの町並みが残っているところが多い。ところが地図を見る限りでは,川和町に古くからの町並みがあるようには思えない。

Photo
〔『荏田』平成14年発行「今昔マップ on the web」より〕

 横浜市都筑区川和町付近の地図である。

 地図の中心から少し左側が川和町になっている。地図の左上から右下に流れるのが鶴見川,その南側を東西に走るのが横浜線,左下が中山駅である。
 鶴見川の左岸を通るのは鎌倉街道中ノ道(現在の神奈川県道12号横浜上麻生線),地図の右上から左下に通じ,佐江戸町で鎌倉街道中ノ道と直交するのが中世以前から続く古道の中原街道である。ちなみに,池部町の日本電気工場は,現在ららぽーと横浜とパークシティLaLa横浜になっている。パークシティLaLa横浜は,杭打ち工事で虚偽データが使われ,多くの杭が強固な地盤に届いていないことで建物が傾くという問題が発生した分譲マンションである。

 地図を詳細に見ると,川和町がある鶴見川の左岸,つまり横浜線が通っていない側は大規模な工場地帯になっているのがわかる。鎌倉街道中ノ道(神奈川県道12号横浜上麻生線)に沿って川和町〜佐江戸町〜池辺町と,小さな家屋の集積があるだけで,際だった集積は見られない。
 都筑郡の郡役所や郵便局があった川和の中心は,現在の横浜川和町郵便局から山王神社付近であるが,古くから町並みが発達していたようには見えない。

 現代の地図を見ても横浜線開業当時の様子はわからないので,「今昔マップ on the web」で明治39年測図(明治41年製版)の地図を見てみよう。八王子から横浜へ生糸を輸送するために敷かれた横浜線は1908年(明治41年)に開業しているため,横浜線開通直前の様子が見てとれるはずである。

39
〔『小机』明治39年測図「今昔マップ on the web」より〕

 地図の切り取り方に多少の差異はあるが,ほぼ同じ場所の地図である。鶴見川の南側に,横浜線が建設途中の未成線として記されている。

 確かに都田村川和に横長楕円の郡役所のマークがある。しかし,郡役所の周囲に他の建物はなく,郡役所の裏側は木々が茂った山になっており,郡役所の前には一面の田んぼが広がっている。郡役所の北側,現在の川和町駅付近の川和中村に集落が見られるが,鎌倉街道沿いの都市的集落ではなく,樹木に囲まれた農村集落であることがわかる。

 むしろ,鎌倉街道中ノ道と中原街道が交差する佐江戸の集落のほうが,多少都市的な集落であるようにも見える。

 明治39年当時,川和,佐江戸,そして池邊(池辺)の集落は都田村に属していた。
 都田村は1889年(明治22年)の町村制施行により,川和村,佐江戸村,池辺村,東方村,折本村,大熊村,川向村および本郷村の一部が合併してできた村である。この地図ではわかりにくいが,都田村の村役場は川和ではなく池辺に置かれている。都筑郡にも,都田村にも特に大きな集落は見られず,そのような都田村の中で川和は特別な集落ではなかったことがわかる。

 むしろ,都筑郡の郡役所が1879年(明治12年)に川和村へ移転したことのほうが不思議に思える。都田村の中でさえ中心ではなかった川和(明治39年の時点では都田村川和)に,なぜ都筑郡の郡役所が移転したのだろうか。

 それには,当時の都筑郡全体の地図を見る必要があるだろう。

鉄道忌避伝説 横浜線
〔明治39年測図「今昔マップ on the web」より(クリックで拡大)〕

 上図は明治39年測図の都筑郡役所を中心にした地図である。茶色の点線で囲まれているのが都筑郡(の南半分),黄緑色の線が明治41年開通の横浜線(開業当時は「横浜鉄道」という私鉄)である。当時の横浜線沿線の大きな商業的集積である町田村原町田(現在の町田市)と田奈村長津田(大山街道・矢倉沢往還の長津田宿)も赤丸で囲んだ。

 1906年(明治39年)当時,都筑郡に大きな集落はなく,唯一の都市的集落は大山街道の長津田宿のある田奈村長津田であった(それに次ぐ集落は山内村荏田)。

 なぜ川和村に郡役所があったのか,明確な答えは見つからないが,地理的に都筑郡の中心に近かったこと,長津田が都筑郡の西の端だったこと,都筑郡を縦横に走る鎌倉街道中ノ道と中原街道の交点に近いことが郡役所としてふさわしいとの判断があったのではないだろうか。

 横浜線は八王子から横浜港へ生糸等を輸送する目的で敷かれた路線である。もちろん電化されておらず,蒸気機関車での列車運行であるから勾配の少ないルートが選ばれる。費用の掛かるトンネルや鉄橋をできるだけ避けるのも当然である。横浜〜八王子間にある大きめの集落は,長津田,原町田,橋本しかない。

 以上を照らし合わせると,横浜線のルートが鶴見川・恩田川の右岸に沿っているのは妥当であり,鉄橋を架けてまで鶴見川左岸の川和村に渡り,再び鉄橋を架けて右岸に戻る理由は見当たらない(鶴見川の鉄橋が2カ所,恩田川の鉄橋が1カ所必要になってしまう)。
 横浜市都筑区川和町の鉄道忌避伝説は,実際には根も葉もない噂であるという意味で,まさに「鉄道忌避伝説」だということになる。

 明治時代初期に開通した東海道線の成功によって,鉄道は便利で儲かるという認識が一般的になり,鉄道は忌避する対象から,むしろ誘致する対象になったと考えられている。全国各地に存在する鉄道忌避伝説ではあるが,明治後期から大正時代に開業した路線において鉄道を忌避した町があるとしたら,相当にまれなケースであろう。
 横浜線が開通したのは明治39年。既に鉄道の便利さが知れ渡っている時代であり,川和村において鉄道を忌避する動きが強かったとは思えない。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2016年7月26日

「住みよさランキング1位」の印西市は本当に住みやすいのか?

2016

 東洋経済新報社が全国の都市を対象にして毎年発表している「住みよさランキング」。2016年の総合評価1位は千葉県印西市,2位が愛知県長久手市,3位が富山県砺波市となっている。印西市は5年連続の1位である。

 私は全国各地の都市を見て歩いているが,このランキングが今ひとつぴんとこない。本当に印西市や長久手市は住みやすいのだろうか。
 どこからどう見ても大都市近郊のニュータウンである印西市や長久手市,名取市,守谷市,つくば市等々と,全国でも持ち家比率・一戸建て住宅比率が高いことで知られる北陸地方の都市が上位に並んでいる。ランキングの算出方法に偏りはないのだろうか?

 印西市は千葉県北西部に位置する人口約9万4千人の都市である。私が印西市を初めて知ったのは,県立印旛高校が選抜高校野球に出場したときのTV中継での学校紹介である。当時はまだ市制施行前で小さな印旛郡印西町だったが,既に千葉ニュータウンの開発が始まっていて,将来は30万人の都市になる計画だと紹介されて驚いた記憶が残っている。なにしろ地図を見ても印旛沼や手賀沼の周囲の田んぼと,うっそうとした森が広がり,その中にゴルフ場があるだけの町で,ニュータウン計画が夢物語のように感じたからである。

 その後計画は大幅に縮小されて現在に至る。千葉県などが抱え込んだ千葉ニュータウンの赤字額は巨額であり,最終的には税金で穴埋めが行われるのかどうか,千葉県の方は気になるところだと思われる。

Photo
〔印西市の千葉ニュータウン中央駅付近(Googleマップ)〕

 さて,印西市は本当に住みやすいのだろうか?

 東洋経済新報社の「住みよさランキング」は,公的統計をもとにして都市の魅力を「安心度」「利便度」「快適度」「富裕度」「住居水準充実度」の5つの観点に分類,15指標についてそれぞれ偏差値を算出し,その単純平均を総合評価としてランキングしたものだという。

 詳細な指標については東洋経済オンラインに記されているのでそれを参照していただくことにして,自分がそこに住みたいかどうかを基準にして,ランキングとそれに使用された指標を見てみる。

■ 印西市が「住みよさランキング」上位になっている理由

 まず,印西市が全国で3位に入っている「利便度」に着目する。

 利便度は,小売業年間商品販売額(人口当たり)と大型小売店店舗面積(人口当たり)の2つの指標で計算されている。しかし,生活圏の広域化に対応するため,他都市の20%通勤圏となっている市については,利便度の指標については通勤先となっている都市と指標を比較し,高いほうの数値を採用することとなっている。
 印西市は東京区部への通勤率が24.2%になるため,小売業年間商品販売額については東京区部の数値が使われることになる。同時に,印西市は郊外に位置しているため,大型の商業施設が多く,もうひとつの指標である人口当たりの大型小売店店舗面積はもともと大きい。

 大都市の中心部ほど有利になる小売業年間商品販売額と,郊外の大型商業施設立地都市ほど有利になる大型小売店店舗面積という指標のいいとこ取りができ,大都市郊外の都市に有利になりすぎる補正が行われていると考える。

 印西市民が東京区部に買物に行くのと,東京区部から郊外の印西市の大型商業施設に買物に行くのには同じ手間と時間が掛かるのだから,小売業年間商品販売額と大型小売店店舗面積で計算される「利便度」は,大都市や中核都市とその郊外の都市で同じにならなければならない。むしろ,最寄り駅周辺に商業施設が集中している大都市のほうが,徒歩で買物に行ける分だけ「利便度」が高くなってもいいはずだ。印西市に大型商業施設が多いといっても,徒歩で気楽に買物に行ける距離ではない。
 つまり,大都市近郊の都市の「利便度」が高いのは,この「いいとこ取りの補正」のためだと思われる。

「快適度」は,汚水処理人口普及率,人口当たり都市公園面積,転入・転出人口比率,世帯当たり新設住宅着工戸数で算出されている。この指標についても,特に転入・転出人口比率,新設住宅着工戸数は宅地化が進行中の郊外で高くなり,既に都市化した都市中心部のほうが低めに出る。

 また,自分がどこに住みたいかを考えたときに,真っ先に考えるのは通勤時間と通勤手段であるが,「住みよさランキング」算出に使われる指標には含まれていない。印西市は東京区部への通勤率が24.2%と高いが,もっとも東京に近い千葉ニュータウン中央駅からは東京まで1時間も掛かる。しかも,千葉ニュータウンの開発が計画通りに進まなかったこともあって,北総鉄道北総線の運賃は非常に高いことで知られる。6か月定期は20万円を軽く越えるはずだ。
 北総線のあまりの運賃の高さに千葉ニュータウンの住民から悲鳴が上がり,住民主導で北総線に平行するバス「ちばにう」が運行されていることでも有名だ。
 通勤時間と通勤手段が算出基準に含まれない「住みよさランキング」には疑問がある。

■ 北陸地方の都市が上位に並ぶ理由

 次に,ランキング上位に北陸地方の都市が多いことについて考えてみる。

 砺波市,野々市市,坂井市,鯖江市,かほく市,能美市,魚津市,滑川市,これらはいずれも富山県,石川県,福井県の中心都市ではなく,その周辺にある衛星都市である。滑川市は富山市の20%通勤圏であり,野々市市,かほく市は金沢市の20%通勤圏,坂井市,鯖江市は福井市の20%通勤圏である。これらの都市は,印西市のところでも述べた,「いいとこ取りの補正」の影響があると考えられる。

 たとえば,鯖江市は2010年の国勢調査のデータで福井市の20%通勤圏となったため,2013年の調査では前年の54位から一気に8位にランクアップしている(そして2016年は6位に)。これは鯖江市が突然住みやすくなったわけではなく,単に「いいとこ取りの補正」が行われるようになったためである。

 それに加えて,北陸地方の都市は全国でも持ち家比率・一戸建て住宅比率が高いことが,かなり有利に働いていると思われる。「住居水準充実度」は,1住宅当たりの住宅延べ面積とも持ち家世帯比率で算出される。北陸地方は,確かに屋敷林のある大きな一戸建て住宅が多いという印象はある。

 しかし,一世帯当たりの平均人員も考慮すべきではないだろうか。1住宅当たりの住宅延べ面積が広くても,二世帯住宅,三世帯住宅であれば,一世帯当たりの可住面積は狭くなる。

 手元には都道府県別のデータしか見つからないが,一世帯当たりの人員は,多いほうから,山形県,福井県,佐賀県,富山県,岐阜県となっている。北陸地方は住宅は大きいが,一世帯当たりの人員も多いのである。核家族化が進んだ東京都,大阪府,神奈川県と比較する場合は,1住宅当たりの住宅延べ面積ではなく,一人当たりの住宅延べ面積で比較すべきだと考える。

 公的統計にはデータが存在しないのかもしれないが,「住みよさランキング」に使用されていない指標でも,コンビニエンスストアまでの平均距離,人口当たりのコンビニエンスストア数,人口当たりの銀行・信用金庫数,郵便局数,最寄り駅・バス停までの距離,1時間当たりの列車・バス本数,真夏や真冬の気温,降雪量(雪かき,雪下ろしが必要な地域は住みやすいとは言えないはず)など,住みよさを決めるのに必要な指標は多い。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年7月 1日

岡山県で相次ぐ用水路への転落事故

 「人食い用水路」岡山の怪 交通死亡事故の1割が転落死(2016年6月29日 朝日新聞)

 岡山県で人々が用水路に落ちる事故が相次いでいる。自転車やバイク走行中の転落死は、過去3年間で31件。県内の交通事故死者数の1割を超える。なぜこうも危ないのか。
(中略)
 「全国の病院で勤務してきたが、こんなに用水路に人が落ちる街は初めてだ」。倉敷中央病院救命救急センターの市川元啓(もとひろ)医師は驚く。昨年、用水路に落ちて救急搬送されたのは89人にのぼり、うち14人が集中治療室に。首や顔から落ちて骨折するケースが多い。市川医師は「歩いて来院する人も含めれば、さらに増える」。昨年12月には県外出身の前県警本部長が県議会で「全国で本県のみが突出して最多という特異な状況だ」と答弁した。ネット上では「岡山の用水路は人食い用水路」とのコメントが書き込まれた。

150507-154907
〔倉敷市川西町の倉敷用水や橋には柵がない(2015年5月7日撮影)〕

 岡山県では歩行者や自転車が用水路に落ちる事故が多いのだという。岡山県警の統計では,自転車やオートバイを運転中の転落死者数は全国ワースト1位。ずいぶん前にも別のメディアで同様の記事を読んだ記憶がある。

 そして,その理由は「用水路に柵がないから」という結論になっている。

 瀬戸内気候で降水量が少ない中,江戸時代から広大な平野に農地整備を進めた際に,河川やため池から農業用水を引くために用水路が作られ,その総延長は約4千kmにもなるという。農業用水路の周囲の宅地化が進んだ際に柵を設けようとしたが,県民が子供の頃からザリガニをとったりして親しみ,日常の風景となった用水路であるため,用水路の掃除がしにくくなるとか,道路が狭くなって不便になるという声もあり,柵の設置が進んでいないという。

 用水路全部に柵なりガードレールを設置すれば完璧に解決するかといえば,そんなに簡単な問題ではなさそうだ。もちろん,明らかに危険と思われる箇所に柵を設けることは必要だと思う。

 だが,用水路に柵を設けることで,失ってしまうものもある。用水路の掃除がしにくくなると言う声に表れている通り,住民と川の心理的な距離が遠くなってしまう。また,柵がないことにより生み出されている景観も失ってしまう。

 たとえば,同じ岡山県内の倉敷美観地区は舟運で賑わった倉敷川沿いの町並みの美しい景観で知られる。

150507-131528
〔倉敷川沿いの倉敷美観地区(2015年5月7日撮影)〕

 江戸時代からの伝統的な町並みが保存されている倉敷美観地区では,倉敷川に架かる橋に欄干はあるが,倉敷川沿いの道には柵もガードレールもない。
 美観地区に自転車はそれほど多くはないが,歩行者の数はその他の住宅地の用水路沿いよりはるかに多い。それでも,倉敷美観地区の倉敷川に柵がないことで,転落事故が問題になっているという話は聞いたことがない。

 それでは,なぜ倉敷美観地区では問題にならず,その他の用水路での転落事故が問題になっているのだろうか。

 注目すべきは「自動車」の存在である。

 人や自転車の転落事故をどのように処理しているのかは不明だが,自動車に追い抜かれるとき,あるいは対向して走ってくる自動車を避けるために用水路に近い道路の端に寄ることが,事故の原因になっているケースが多く含まれてはいないだろうか。

 マイカーの少なかった時代には転落事故が少なく,マイカーが増えた近年になって転落事故が増えていないかに注目する必要がある。柵のない用水路や小川は,かつてはどこにでもあったものだと思うから。

960816143700
〔福島県三春町の桜川沿いの裏道(1996年8月16日撮影)〕

 参考までに,私が生まれ育った町の桜川沿いの裏道にも,柵やガードレールはなかった。カーブしている部分や,防火用水のために堰を設けて水深が深くなっているところにはガードレールが設置されていた。現在はたぶん全部にガードレールが設置されているかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年6月24日

長崎市館内町の館内・牟田口市場解体へ

 館内、牟田口市場解体へ(2016年6月22日 長崎新聞)

 定例長崎市議会は21日、総務、教育厚生、環境経済、建設水道の各常任委員会が始まった。建設水道委で、市は鎖国時代に中国人居留地「唐人屋敷」があった館内町での公園整備に伴い、2018年度にも館内市場と隣の牟田口市場を解体する方向で関係者と協議していることを明らかにした。

 市は01年度から唐人屋敷の歴史を生かした町づくりに着手。その一環で土神を祭る「土神堂」前に、散策や交流の拠点となる公園を19年度に整備するとしている。

120501-160202
〔牟田口市場(2012年5月1日撮影)〕

 長崎の館内市場と牟田口市場を解体して,公園にする方向で話が進んでいるという。

 唐人屋敷跡の長崎市館内町の唐人屋敷通り唐人屋敷入口バス停前には,館内市場・牟田口市場・岩永市場が一体となって存在している。天后堂から坂段市場を下り,土神堂の前で唐人屋敷通りと合流する地点である。

 大型の商業施設が少なく,比較的元気な商店街や市場・マーケットが残っている長崎市の中でも,長崎らしさを感じる市場だった。

 館内市場は1959年,牟田口市場は1960年に開設されたもので,「市場は長崎の風景の大事な要素で,観光資源という声もある。公園を造るメリットを強く打ち出すべきだ」という意見も出ているようだ。

 記事には2つの市場と一体化している岩永市場の話が出てこない。岩永市場はどうなるのだろうか?

120501-160642
〔館内市場。写真左奥が土神堂(2012年5月1日撮影)〕

120501-160100
〔牟田口市場から坂段市場を見る(2012年5月1日撮影)〕

雨の長崎新地中華街〜唐人屋敷跡
〔牟田口市場の横に並ぶ岩永市場(2012年5月1日撮影)〕

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年6月 2日

横浜市黄金町で違法風俗店の一斉査察

 横浜・黄金町 “違法風俗店”の一斉査察(2016年6月2日 日テレNEWS24)

 かつて「ちょんの間」と呼ばれる違法風俗店が立ち並んでいた神奈川・横浜市の飲食店街に、警察と市が一斉査察を行った。

 横浜市中区にある黄金町では、1日午後2時頃から神奈川県警の警察官や市の職員ら約20人が一斉に見回りを行った。
(中略)
 警察によると、現在も実態がつかめない店舗が90余りあることから、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを前に、再び違法風俗店が営業できないよう警戒を強めていくという。

090404161659
〔横浜市黄金町の初黄町内会 大岡川桜通り(2009年4月4日撮影)〕

 一斉査察の様子を映した動画には,カギが掛かったままの元「ちょんの間」のドアをノックしたりする様子が映っている。しかし,見るからに“形だけの査察”だ。

 黄金町のど真ん中には伊勢佐木警察署黄金町交番が作られ,現在でも街のあちらこちらに警察官が立って,違法風俗店が営業できないように見張っている状態だ。そんなところで営業できるわけがない。「現在も実態がつかめない店舗が90余りある」と,今でも黄金町には違法風俗店がたくさんあるかのような書きっぷりだが,もぬけの殻になってカギが掛かったままの元「ちょんの間」がずらりと並んでいるだけで,通りを歩く人さえ珍しい街になっているのが現実だ。

 市や神奈川県警が本気で違法風俗店を取り締まりたいのならば,一斉摘発によって黄金町から移転していった大岡川の対岸の末吉町や伊勢佐木町,曙町をどうにかしろよ,と言いたい。仰々しい,いかにも査察ですという体でなく,普通に歩けば暗がりに立ちんぼがたくさんいることぐらいわかるだろうに……

081115143302
〔京急線の高架横に並ぶ黄金町の元「ちょんの間」(2008年11月15日撮影)〕

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧