カテゴリー「雑記」の167件の記事

2018年2月17日

(このブログは「控え」であり,メインのブログではありません)

 ブログ記事の更新を長期間サボっていたら,Google検索などで“三日画師”を検索したときのランクが下がってしまったらしく,メインのブログ『写真撮っけど,さすけねがい?』よりも,名前を付けたこっちのブログのほうが上位に表示されてしまうようになった。

 以前は『写真撮っけど,さすけねがい?』を見てくれていた人が,検索結果上位にある『三日画師のかすかだり』を見て,

 「最近ブログの傾向を変えた?」
 「以前とは全然違ったブログになったね」

という反応をしてきたので,とりあえずメインブログへのリンクを冒頭に置くことにしてみた。

 私のメインブログ『写真撮っけど,さすけねがい?』は下記になります。

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http://mikkagashi.cocolog-nifty.com/

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2017年6月17日

大船の中華「味喜」が復活!

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 臨時休業が続いていた大船仲通商店街の老舗中華屋の「味喜」が無事に復活。いつものおじいちゃん(たぶん私の父と同じぐらいかな)が元気に中華鍋を振っていてホッとした。

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 先月まで貼られていた店頭の貼り紙。

 4月末までの休みが5月末まで延びて,その貼り紙にたくさんの応援メッセージが書かれていた。
 町の小さな中華屋だけど,復活を心待ちにしていたファンは多かったのだ。

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 久しぶりの「味喜」で何を注文するかは迷った。王道のサンマーメンかチャーハンか。カレーライスや定食もいいなと思いつつ,いかにも「町の中華屋」的なオムライスにした。ケチャップライスが美味いんだな,これが。

 無理せず長く続けてほしい店だ。

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2016年9月18日

iPhone 7 登場。やっぱりAppleは変態だった

iPhone 7 登場

 日本時間の9月8日午前2時に開催されたAppleのイベントで iPhone 7 が発表され,9月16日に一斉に発売された。

 やっと防水仕様になったことや,日本独自規格になりそうだったFeliCiaに対応したこと,ホームボタンが物理ボタンからタッチセンサーになったこと,そしてとうとう忌まわしき「Dライン」がなくなったことなどが注目されている。

 iPhone 7を見て,個人的には「やっぱりAppleは変態だ」と思った。なぜならiPhone 7は,大量生産が必要な民生品にはあり得ない製造方法で作られているからだ。

 まず,iPhone 7発表前にリークされていた画像を見てほしい。

iPhone 7 リーク画像

 この写真を見て,私はカメラ部分の出っ張りに落胆するとともに,板金プレス加工かプラスチックの射出成型品のように見える外観に,とうとうApple社がiPhoneボディのアルミ合金切削加工をやめるのかと思った。

 なぜなら……

iPhone 7 リーク画像に追記

 このリーク画像のカメラ部分の出っ張りの赤線部分は,小径のボールエンドミルもしくは特殊なエンドミルによる加工が必要な「微小な内R(インナーR)」からテーパーに繋がる形状になっているからである。
 出っ張りが小さいので加工が不可能というわけではないが,そこまでして加工するほどカッコいいデザインではない。上にも書いたように,こういう形状は安上がりな板金加工や射出成形品によくある形状である。

 ひょっとしたらプラスチックの射出成形ではなく,以前話題になったリキッドメタル(射出成形が可能な金属)がとうとう採用されるのかとも思った。

 だが,登場したiPhone 7のカメラ部分の出っ張りはリーク画像とは全然違っていた。

iPhone 7 カメラ周りの形状

 リーク画像の赤線部分にあった「内R(インナーR)」のR寸法が大きく,太めのボールエンドミルで加工できる形状になっているのである。

 そう,Apple社はiPhone 7の筐体のキャビティ部分(部品の入る凹み側)だけでなく,iPhone 6sまでは簡単な仕上げ加工しか必要としなかった背面までも,カメラ部分の出っ張りを残してアルミ合金切削加工を行うことにしたのだ。ヘンタイならではの選択である。

iPhone 7 エンドミルで削り出し

 上図は,アルミニウム合金ボディの背面を,カメラ部分の出っ張りを残してエンドミルで切削加工しているところの写真である(カメラ部分のキャビティを切削している)。酔狂にもほどがある製造方法だ。

 日本のメーカーのメカ技術者には,こんなことをブログに書いている私のような暇人は少ないから,その界隈から特に大きな声が聞こえてくることはないが,「こんなのを切削で作るのかよ〜?」「意味わかんねぇ〜」「ふつう別パーツで作るだろ〜」という地響きのようなため息が聞こえてくるのを感じた。

 それほどまでにApple社の技術者はヘンタイ(もちろん褒め言葉)なのである。

iPhone 7 3D回転研磨

 カメラ部分の出っ張りをエンドミルで切削加工できたとしても,どうしてもツールマーク(やカッターマーク)は残る。表面に陽極酸化皮膜処理をする前に,ツールマークなどをきれいにするため,一般的なバフ研磨処理をするのではなく,「3D回転研磨」という処理を行っている。

 この「3D回転研磨」処理については,どういう技術なのかよくわからなかった。カメラ部分の出っ張りを不用意に研磨しすぎないような処理なのだろうとは思われる。バレル研磨とバフ研磨の中間のようにも見えるが,より精密な研磨処理のだろう。

iPhone 7 酸化皮膜を磨く

 ジェットブラックの仕上げでは,さらに凝ったことをしている。陽極酸化皮膜を付け,多孔質部分に染料を染み込ませた後で(ふつうはここで仕上がり),研磨剤を含んだ磁性流体を使って表面を高精度に研磨しているのだ。磁性流体の磁場などを調整することで研磨剤の特性を制御できるのが特徴らしい。

 そうして,とうとうジェットブラック仕上げの美しいiPhone 7が出来上がる。美しい表面仕上げにここまでこだわったiPhoneであるから,ユーザーはみすぼらしいケースなどに入れたりせずに,ぜひとも美しいままの姿で使用してほしいものである。

 iPhone 7 の筐体にリキッドメタルは使われなかったが,筐体の仕上げに磁性流体が使われた。
 5年ぐらい前に,Apple社がリキッドメタルの使用ライセンス契約を取得したとき,リキッドメタルと磁性流体を混同してしまう人が後を絶たなかったが,意外なかたちで磁性流体とiPhoneが関わることとなった。

 さて,私は現在 iPhone 5s(64GB)を使用している。約3年間使用し続けていて,バッテリーがかなりへたってきており,そろそろ機種変更を考えているところだ。

 iPhoneを片手で使用したいのと,カメラ部分の出っ張りが嫌いなので,乗り換えるならばiPhone SEかと思っているのだが,iPhone SEのストレージ容量が最大64GBしかないため,躊躇しているところである。
 MacのiTunesに入っている音楽を全部iPhoneにも入れたいので,少なくとも200GBの容量がほしい。

 iPhone 7は片手で使うには大きすぎ,カメラ部分は出っ張っているが,最大容量256GBのモデルがある。さてさて悩ましすぎる……

【関連記事】
2015年10月 4日:iPhone 6s発表。落胆そして感服
2013年10月20日:iPhone 5sのホームボタンの話
2013年9月12日:斜め下からの目線でiPhone 5cに驚く
2013年3月 3日:デザインに対するAppleの拘泥ぶりが恐ろしい
2010年10月21日:新MacBook Air登場:Unibodyはやっぱり凄い
2010年6月10日:Apple iPhone 4 びっくり仰天のハードウェア

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2016年8月29日

日本から迷走台風がなくなる日

 台風10号、30日に上陸の恐れ…大雨に警戒(2016年8月29日 読売新聞)

 大型で非常に強い台風10号は30日に北日本か関東に上陸する恐れが出てきている。

 台風の平年の上陸数は2・7個だが、10号が上陸すれば今月4個目となり、1954年9月と62年8月の1か月の最多上陸に並ぶ。

 気象庁によると、台風10号は29日午前0時現在、日本列島の南海上を時速約25キロで北東に進んでいる。中心気圧は940ヘクト・パスカルで、中心付近の最大風速は45メートル、最大瞬間風速は65メートル。29日は関東の南東海上を北東に進み、30日は関東の東海上で、北よりに進路を変更するとみられ、暴風域を伴ったまま上陸する恐れがある。

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 十日ほど前に本州の南を西にゆっくりさまよっていたときには,それほど大きくも強くもなかった台風10号「ライオンロック」だが,沖縄東方の南大東島付近まで移動ながら暖かい海からのエネルギーを大量に取り込んで,とうとう大型で強い台風に発達し,しかも関東沖から江川卓が投げるカーブのような軌道を描いて,関東地方から東北地方に上陸しそうな勢いである。

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 これは約十日前の8月20日18時の天気図である。
 台風9号から台風11号の三つがそれぞれに影響し合うほどの距離で日本列島に迫っていた。相互作用する質点の運動の問題は,質点が3点になると途端に難しくなり,厳密解が得られなくなる。三体問題である。

 こりゃ気象庁などで天気予報をする人は大変だろうと思ったが,驚いたことに台風の進路予想はかなり正確だった。

 そして,ひとつだけ残って日本列島の南を迷走していた台風10号も,「迷走」を強調するのは天気予報だけで,その迷走の仕方も含めて,予報円は(予報円が大きいという問題はあったが)どんぴしゃだったように思う。台風10号が暴風域を持って東に移動し始めてからもほぼ予想通りに動いている。

 とうとう迷走台風の進路まで予想できるようになりつつあることを感じさせる出来事だった。「迷走していて明日の進路がわからない台風」がなくなる日も,いずれやってくるに違いない。

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2016年8月19日

山口百恵は過大評価されているのか?

Momoe

 1980年の引退から35年以上経っても,いまだにメディアに取り上げられる百恵ちゃん。1990年代のCDバブル期でさえ山口百恵のCDが盛大に復刻することはなく,熱烈なファン以外の人々の記憶の中からは,そのまま消えてしまうかと思われていたのに,ここ5年ぐらいについて言えば,むしろメディアに取り上げられる回数が増加している印象さえある。ずっと百恵ちゃんのファンをやっていても驚くばかりである。

 YouTubeをはじめとするネット動画(もちろんその多くは厳密に言えば違法動画)の普及により,現役当時の映像が誰にでも簡単に見られることが,山口百恵の人気復活の引き金になっていることは言うまでもない。

 私は今まで『山口百恵と松田聖子・AKB48を比較する』『ピンク・レディーとAKB48を比較してみた』『オリコン1位が4曲・山口百恵はホントに凄かったの?』などの記事で,当時の山口百恵の人気が,世の中にたくさん存在する「○○曲連続オリコンチャート1位のアーティストたち」と比べても遜色がないばかりか,上回ってさえいるということを書いてきた。

 客観的な数値を元にした比較に徹して,主観に偏らず比較しているつもりではあるが,ブログ記事に「山口百恵は過大評価だ」「オリコンチャートで上位であっても実際の人気は別」というコメントが付いたり,YouTubeで『松本人志「山口百恵はそれほどでもない」 』という動画(音声のみだが)を見たりすると,反論したくなってしまう。

 そこで今回取り上げるのは,集英社の芸能誌『明星』である。ライバル誌だった『平凡』とともに,1970年代には売上げ部数が100万部を越えていた。その『明星』が毎年行っていた人気投票のランキングを比較してみる。人気投票なので,なかなかレコードを買えなかった当時の中高生の人気を反映したランキングになっていると思われる。

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『明星』誌 紅白人気投票ベストテン推移
〔『明星』の人気投票ランキング(クリックすると拡大)〕

 雑誌『明星』が人気投票を復活したのは1972年で,そこから1980年までのベスト10を抜き出した。Googleで検索したところ,1964年のデータと1982年の中間発表データが見つかったので,それを追記している。
 誌面ではランキング30位まで発表されていて,それがなかなか興味深いのだが(オリビア・ニュートン・ジョンやスージー・クアトロ,キッスが入っている),煩雑になるのでベスト10に限定した。
 ちなみに,山口百恵がデビューした1973年の順位は11位で,惜しくもベスト10に入っていない。

 1972年から1980年までの主なアイドルの人気投票ランキングをグラフ化してみた。

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 雑誌『明星』の人気投票ランキングから言えることを箇条書きする。

・山口百恵の人気はダントツ
・レコードが爆発的に売れたピンク・レディーも2位止まり
 子供に人気=財布を持っている親がレコード購入か
・山口百恵が過大評価というより,桜田淳子が過小評価
・1975年に淳子が百恵を抜くのはオリコン順位と一致
・榊原郁恵と石野真子の人気は(個人的には)予想外
・キャンディーズの人気は安定していた
 「微笑がえし」だけが爆発的に売れたわけではない
・白組の新御三家の人気は盤石(特に郷ひろみ)
・三浦友和の順位が高いことにびっくり
 1975年から18位→4位→2位→7位→13位→16位

■ 結論

 山口百恵は1980年の引退時点でレコードを一番多く売った歌手であるだけでなく,現役当時からアイドル的な人気も高かった。引退を発表して人気が盛り上がったのでもなく,引退後にメディアに登場しないから神格化されているのでもない。

 ブログにコメントをいただいたように,1970年代の人気はオリコンランキングだけで測ることはできない。当時はレコードが高価で中高生が気楽に買えるものではなかった。だからみんなラジオの音楽番組で好きな曲を必死でエアーチェックし,カセットテープに録音して繰り返し聴いた。

 レコードやカセットテープを聴くためにはレコードプレーヤーやカセットデッキが必要で,歌謡曲は室内で聴くものだったし,テレビで見るものだった。テレビでは生バンドによる生演奏で歌手が歌う姿を見ることができたし,贅沢なことに当時は生放送も多かったので,ライブと同様の臨場感や緊張感も感じることができた。ミュージックDVDを買ったりしなくても,テレビでそれを楽しめたのである。

 ソニーが初代ウォークマンを発売したのは1979年であり,レコードの音楽をカセットテープに入れて外で聴くことが一般的になったのは,1980年代になってからである。街に貸しレコード店が一気に増え,1982年にはCDが登場。カセットテープにダビングして聴く環境が整ったことで,レコードやCDの売上げは爆発的に増加した。そんな時代と1970年代をレコードの売上げ枚数で比較することはできない。

 雑誌の人気投票ランキングで当時の人気がすべて判断できるわけではない。しかし,当時のデータを少しでも多く集めれば,忘れられつつある当時の様子が少しずつ見えてくることもまた確かである。

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2016年8月 7日

大東亜戦争中のニコン戸塚製作所内の映像

 Video of a Nippon Kogaku optics factory from the 1940s(2016年8月6日 Nikon Rumors)

 This video footage is made up of excerpts taken from a Japanese war-time film. The film has a patriotic agenda and is titled 'Ichiban Utsukushiku' (The Most Beautiful). Directed & written by Akira Kurosawa (regarded as one of the most important and influential filmmakers in the history of cinema), the footage shows what an early Nippon Kogaku (NIKKO/Nikkor/Nikon) optics factory and the working conditions looked like in the 1940s.

 Nikon Rumorsで,大東亜戦争中に日本光学工業(現在のニコン)戸塚製作所内で撮影された黒澤明監督の映画『一番美しく』の映像が紹介されている。

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 日本映画専門チャンネルで『一番美しく』が放送されたときに,女工さんがレンズを研磨するシーンや光学検査をするシーン,そして明らかに戸塚大踏切と思われるシーンが気になり,画面キャプチャーを繰り返したので,ここで紹介したい。

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 この映画は情報局選定の国民映画で1944年(昭和19年)に公開された。大東亜戦争中に制作された映画であり,表向きは戦意発揚のための作品で,光学機器の軍需工場で働く女子挺身隊の工員たちが身を粉にしてお国のために働くという内容である。

 女工さんの一人が体調を崩し,田舎に帰るように説得されるのだが,本人は「帰りたくない」「働きたい」と懇願するのである。黒澤明といえども,戦時中に戦争を否定する映画は撮れない。しかし,一生懸命に働くシーンのBGMには「星条旗よ永遠なれ」の作曲家でもあるジョン・フィリップ・スーザの行進曲が使われているあたり,実は反戦映画だとする意見もあるようだ。

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 レンズ研磨室。壁には「軍神につづけ!」の横断幕がある。軍神というのは,戦場で散った戦死者のことだ。
 工場内のシーンは,全編にわたって実際に稼働している日本光学戸塚製作所で撮影されているので,実に臨場感がある。

 私は以前に某製品の開発業務で,評価試験を行っては試験サンプルの断面写真を撮るためにサンプルを樹脂で固め,鏡面になるまで研磨して,顕微鏡で観察するというような仕事を毎日のように続けたことがあって,レンズ研磨のシーンは妙に懐かしかった。回転する研磨機でサンプルを研磨しているうちにうとうとと居眠りしてしまい,サンプルをはじき飛ばしてしまったことも一度や二度じゃなかった。

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 日本光学戸塚製作所は「東亜光学平塚製作所」として映画に登場する。
 最初は,ロケ地として平塚のどこかの工場が使われたのかとも思ったが,背景に山が映るシーンがなんどもあり,しかも平塚の高麗山よりもはるかに小さな山なので,ロケ地が平塚でないことは明かだ。

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 主人公の渡辺ツル(矢口陽子=本映画の後に黒澤明夫人となる)が,遮断機が閉まった踏切の反対側に仲間たちを見つけ手を振る。

 線路は複々線で,デッキのある旧型電気機関車が牽く貨物列車が踏切を通過しようとしている。
 ここは,どう見ても国道1号線の戸塚大踏切である。このシーンを見て,「東亜光学平塚製作所」が日本光学工業の戸塚製作所だと確信した。

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 貨物列車が通過し,踏切が開いてみんなが主人公のツルに駆け寄る。背後に見える小さな山が,まさに戸塚大踏切の東側から西側を見たときの風景そのままである。「開かずの踏切」として知られた戸塚大踏切は,歩行者用の戸塚大踏切デッキ設置と戸塚アンダーパスの開通にともない,2015年(平成27年)の3月に閉鎖された。

 戦意発揚映画かもしれないが,実際に稼働している工場を使って撮影されているため,当時の工場の様子がまるで記録映画のように残されている。ニコンの工場で撮影されたということを前提にして,もう一度映画を見直すと,また全然違ったように見えてくるから面白い。

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2016年8月 5日

「ウィンカーを出さない」岡山県がワーストは本当か?

 「ウィンカーの合図出さない」、岡山が全国ワースト(2016年8月2日 朝日新聞)

 日本自動車連盟(JAF)が行った交通マナーに関する調査で、岡山県は右左折や車線変更の時に「方向指示器(ウィンカー)の合図を出さない車が最も多い都道府県」という不名誉な結果が出た。これまでも県外ドライバーや観光客からの批判を受け、県警は合図の徹底を呼びかけてきたが、改善の必要性が裏付けられた形になった。

 調査は6月にJAFのホームページで実施。全国約6万5千人から回答があり、県内居住者は970人が答えた。「ウィンカーを出さずに車線変更や右左折する車が多い」との設問に対し、「とても思う」と答えた割合が53・2%、「やや思う」は37・8%で、合計した91・0%が全国でトップだった。特に、「とても思う」は全国平均(29・4%)を大きく上回った。

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 JAFのホームページでの設問「ウィンカーを出さずに車線変更や右左折する車が多い」に対して,岡山県の回答者は「とても思う」と「やや思う」の合計が91.0%となり,全国で最も多いという。

 あれっ,この結果で岡山県がワーストと言えるのだろうか?

 ここで「91.0%」の岡山県は全国でワーストということになっているわけだが,この設問と回答の結果では,「91.0%の人がウィンカーを出さない」ということを意味しない。
 91.0%という数字は,ウィンカーを出さずに車線変更や右左折する車が多くて,怖い・危ないと思っている人の割合であると考えることができる。

 極端な解釈をすると,岡山県では91.0%のドライバーはいつもウィンカーを出しており,ウィンカーを出さない残りの9.0%の悪質なドライバーに対して「ウィンカーを出さない車」が多いと感じている可能性もある。

 その極端な考え方を進めて,とてもき県(仮称)では,50%のドライバーがいつもウィンカーを出していて,残りの50%はしょっちゅうウィンカーを忘れるいい加減な運転をし,わかりやすい道路ではウィンカーを出さなくたって問題ないと考え,JAFの設問「ウィンカーを出さずに車線変更や右左折する車が多い」にも,「あまり多いとは思わない」と回答したとする。

 すると,とてもき県では,「ウィンカーを出さない車が多い」に対して「思う」という回答は岡山県よりも少ない50%という数値になり,ワーストを逃れるばかりか,全国的にも優秀な県だということになる。

 さて,本当にこのJAFの設問内容と回答で,岡山県や香川県,徳島県に「ウィンカーを出さない車が多い」ことを説明できるだろうか?

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2016年8月 4日

東北の夏を彩る青森ねぶた祭りが始まる

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 東北地方の夏の風物詩「青森ねぶた祭り」「弘前ねぷたまつり」が始まった。青森ねぶた祭りは8月2日から,弘前ねぷたまつりは8月1日から(五所川原の立佞武多は8月4日から),約1週間にわたって行われる。

 3年前の2013年の夏,東北地方を旅したときに,運良く弘前ねぷたまつり青森ねぶた祭りを順番に見ることができた。弘前ねぷたまつりの「ヤーヤードー」という独特の掛け声,青森ねぶた祭りの「ラッセーラー,ラッセーラー」というハネトの掛け声,重低音が響く大太鼓と祭り囃子,そして巨大なねぶたや扇ねぷた。最高にエキサイティングな祭りだった。

 まだ夏の真っ盛りだが,祭りの終わりは夏の終わり,街に秋がやってくると言われるほど,多くの人々が情熱を燃やし尽くす伝統行事である。


〔弘前ねぷたまつり(新寺町ねぷた愛好会)2013年8月2日撮影〕


〔青森ねぶた祭り(2013年8月3日撮影)〕

【関連記事(拙ブログ:写真撮っけど,さすけねがい?)】
2013年8月 2日 (金曜日):津軽の夏を彩る弘前ねぷたまつり
2013年8月 3日 (土曜日):ラッセラーラッセラー 青森ねぶた祭り

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2016年8月 1日

コンパクトシティは撤退戦である

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  拙ブログの管理ページでは,GoogleやYahoo!といった検索サイトからどのような検索キーワードでアクセスしてきたかのランキングを見ることができる。SSLを適用した検索結果ページのキーワードは表示されずに「not provided」となるので,検索キーワードがわかるのは全体の10%前後しかないが,おおよその傾向は把握できる。

 ずっと気になっているのは,「コンパクトシティ_富山_失敗」とか「コンパクトシティ_アウガ_失敗」「コンパクトシティ_失敗例」という検索キーワードでのアクセス数が非常に多い件である。
 いかにもコンパクトシティ施策が失敗してほしいかのような意図を感じてしまう。

 2015年1月30日の拙ブログ記事『富山市の「コンパクトなまちづくり」は失敗したのか』,および2015年2月3日の『富山市の「コンパクトなまちづくり」は失敗したのか ── その2〔参考資料編〕』では,富山や青森がコンパクトシティ政策を進めているのは,郊外まで広がった市街地のインフラ(道路,電気,ガス,上下水道)に関して,将来的に更新・維持管理費用を捻出することができなくなるのが確実な状況であり,このままだと財政破綻まっしぐらであるから,「コンパクトシティ」を進めるしかない状況になっていると書いた。

 なぜか日本のコンパクトシティ施策は,衰退した中心商店街・中心市街地の活性化を核にして語られることが多い印象がある。地方都市の中心商店街の衰退とバブル経済崩壊後の財政難が,ほぼ同時に地方都市を襲ったため,藁をもつかむ思いで「コンパクトシティ」に飛びついてしまったのかもしれない。

 もともとのコンパクトシティの概念は,将来にわたって持続可能な都市開発という考え方に基づいている。中心商店街の活性化を意図したものではなく,地球温暖化のような環境問題を端緒にした,都市のあり方についての概念である。青森の「アウガ」の失敗がコンパクトシティの失敗を意味するわけではないのである。

 たとえば,郊外にまで路線を延ばしてきた鉄道事業者が,人口減少社会がより一層進展することを予想して,さらなる郊外への延伸計画を白紙に戻し,不採算路線を徐々に廃止,主要路線の車両を省エネ車両に置き換えていこうとする施策,それこそがコンパクトシティの概念なのである。

 下図は,福島県白河市の公共下水道事業計画図である。同様の事業計画図は各市町村が公開しているはずなので,それを見てほしい。

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〔「福島県白河市公共下水道のページ」より〕

 灰色のエリアは既に整備が完了している第1〜5期事業区域,赤色は2017年度(平成29年度)までに下水道整備を完了させる区域,黄色のエリアは将来的に下水道を整備しようと計画している区域である。
 つまり,中心市街地ではほぼ下水道の整備が完了し,その後は重要な区域から順番に整備している段階にある。計画エリアはまだまだ広いので,黄色いエリアがたくさん残っている。

 この白河市も,今後はより一層の人口減少社会となる。1980年頃から整備し始めた中心市街地の下水道は,既に老朽化が進み,補修・維持費用は増加し始めているだろう。人口が減少して財源・予算が少なくなり,維持・整備費用が増大する中で,このまま黄色の区域の下水道新設工事を進めていけば,早々に財政破綻するのは目に見えている。

 過去の計画で,将来的に市街地が黄色の区域まで大きく広がることを想定していたとしても,都市のあり方を見直して,黄色の部分で事業の縮小を図る。必要であれば,既に下水道事業が完了した灰色の区域であっても,維持費用を徐々に減らし,いずれは廃止することも考える。撤退するのである。これがコンパクトシティ施策だ。

 下水道事業以外でもまったく同じである。

 また,「コンパクトなまちづくり」を進めている富山市が,郊外に三井アウトレットパークを出店させず,三井アウトレットパークは富山市ではなく小矢部市にオープンしたことも話題になった。

 富山市がどのような判断で三井アウトレットパークの出店を断ったのかは不明である。出店場所によっては(土地が格安の場所ではなおさら),新たに道路拡幅・道路新設やガス,上下水道の整備が必要になる。そのようなインフラについては,三井アウトレットパーク側は費用負担してくれない。それらインフラの維持管理費用は富山市にとって新たな負担となる。

 コンパクトシティの概念と郊外のショッピングモールは相反しない。富山地鉄市内軌道線の富山大学五福キャンパス内延伸にあわせて,たとえば下野地区にショッピングモールを整備し,市内軌道線をモール内に引き込むのもありではないかと思う。富山市は,今後の都市のあり方と照らし合わせて,出店を認めないという判断を下したのだろう。

 ずいぶん前のBLOGOSに興味深い記事があった。2015年2月27日の『「コンパクトシティ」議論のボタンのかけ違い――「コンパクトシティ」は都市問題ではなく農業問題である』という記事だ。コンパクトシティは都市問題ではなく農業問題であるという視点が興味深い。

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BLOGOS『「コンパクトシティ」議論のボタンのかけ違い――「コンパクトシティ」は都市問題ではなく農業問題である』より〕

同じ位置で振り返るとこんな感じ。奥に集落が見える。というか、コンパクトシティによってこんな道路を廃止にして、本当に道路の維持管理費の削減につながるのだろうか。

 前述の福島県白河市の公共下水道事業計画図で黄色に塗られているのが,このような田園地帯の集落である。白河市に限らず,このような田園地帯の集落も都市計画区域に含まれていて,将来的に下水道や都市ガスの整備が計画されているところが多い。

 BLOGOSの記事には,『コンパクトシティによってこんな道路を廃止にして、本当に道路の維持管理費の削減につながるのだろうか』とある。大きな勘違いがあるようだ。農業のために道路は必要に決まっている。廃止するのは,このような地域における下水道や都市ガスの整備計画である。

 既に下水道や都市ガスが整備されている場合は別途考えるとして,このような集落では下水道の代わりに合併浄化槽,そしてプロパンガス(LPガス)を将来的にも使い続けていただくこととする。下水道や都市ガスといった都市インフラがこのような農村集落にまで拡大することを阻止し,遠い将来,個別に撤退が始まったときに,無用なインフラ維持・整備コストが生じ続けることを避ける。

 コンパクトシティは撤退戦である。「アウガ」や「総曲輪フェリオ」「なかいち」が失敗したからといって,立ち止まるわけにはいかないのだ。

【関連記事】
2015年1月30日:富山市の「コンパクトなまちづくり」は失敗したのか
2015年2月3日:富山市の「コンパクトなまちづくり」は失敗したのか ── その2〔参考資料編〕

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2016年7月30日

留萌市留萌村……市の中に村がある

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〔留萌市大字留萌村(「Mapion」の地図より)〕

 傷めていた膝や体調が回復してきたので,夏休みに涼しい北海道にでも行こうかな,12月に廃止予定の留萌本線留萌〜増毛間に乗りに行こうかな……などと考えながら,留萌市の地図を見ていた。

 留萌市は1947年の市制施行前は留[萠]町であり,JRの留萠駅は市制施行後も留萠駅のままだったため,市名と駅名が微妙に違ったままだった。結局は1997年に留萌駅に改定されちゃったことを思い出しながら地図を見ていたら,留萌駅の北側を流れる留萌川の対岸が留萌村になっていることに気づいた。

 釧路市と釧路町が隣り合っているのと同じように,市町村レベルの留萌市と留萌村が隣り合っているのだろうと考えたのだが,地図をよく見ても両者の間に市町村の境界がない。留萌駅があるのは留萌市船場町2丁目,留萌川の対岸にあるのは留萌市(大字)留萌村だということがわかった。

 町村合併で村が町や市と合併するときは,たとえばA市とB町・C村が合併して,A市大字B町・A市大字C町またはA市B町・A市C町のように村を町にするか,あるいはA市大字B・A市大字CまたはA市B・A市Cのように町や村を省くことが多い。※※市大字○○村または※※市○○村とするのは珍しい事例だと思う。

 留萌市大字留萌村と同様に大字○○村があることで有名なのは稚内市である。

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〔稚内市大字稚内村(「Mapion」の地図より)〕

 稚内駅前にある稚内市役所の裏側(西側)の海岸段丘は稚内市稚内村である。稚内市では,一面のクマザサの中にある抜海駅一帯は稚内市(大字)抜海村だし,北海道最北端の宗谷岬は稚内市(大字)宗谷村,稚内空港付近は稚内市(大字)声問村となっている。

 これらは,昭和2年に北海道一級町村制施行時に稚内村となったときの抜海村・声問村の区域と,1955年(昭和30年)に稚内市に編入した宗谷村の区域を,大字としてそのまま残したものである。ただし,市町村の変遷を見るだけでは,稚内市(元は稚内村・抜海村・声問村が一緒になった区域としての稚内村・稚内町のエリア)と,大字稚内村がどういう関係なのかはよくわからない。


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〔稚内市大字声問村(「Mapion」の地図より)〕

 大字(おおあざ)の町名をどうするのか,○○町にするのか,○○とするのか,あるいは○○村のまま残すのか,自治体の判断に任されているようである。とはいえ,○○村を大字として残す例は珍しい。

 山口県には(部外者の私が)紛らわしいと感じる町名がある。
 ひとつは下関市豊浦村と下関市豊浦町である。


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〔下関市豊浦村(「Mapion」の地図より)〕

 上図は山陽本線の長府駅の南側の豊浦高校付近の地図である。
 長府黒門東町の長府庭園の西側,大唐櫃山(大唐楯山)の山麓が下関市大字豊浦村になっている。

 長府は長門国の国分寺が置かれた国府で,府中と呼ばれたこともあり,門国から長府となった。また,日本書紀には穴門豊浦宮が置かれたという記述があることから,この地方は豊浦(とよら・とゆら)とも呼ばれたという。後述する豊浦町も含まれる豊浦郡(とようらぐん・とおらのこおり)の郡役所が置かれたのも長府である。

 豊浦と呼ばれた長府が1911年(明治44年)に町制施行して長府町となり,1937年(昭和12年)に下関市に編入される。時期は不明だが,住居表示が実施されたときに,長府町地域は下関市長府○○町となった。そして,住居表示が実施されていない地域が下関市大字豊浦村として残ったようである。

 ちなみに,地図上の豊浦高校も,読み方は「とよら」である。

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〔下関市豊浦町(「Mapion」の地図より)〕

 山陰本線小串駅付近の下関市豊浦町(とようらちょう)の地図である。豊浦町は2005年に下関市などと合併し,下関市豊浦町となっている。

 昭和の大合併で複数の町村を合併して豊浦郡豊浦町になったところなので,豊浦町時代,既に大字があった。たとえば小串駅は豊浦郡豊浦町大字小串字石堂だった。その後,下関市と合併したときに「豊浦町」は大字よりもひとつレベルが上の町名となり,小串駅は下関市豊浦町大字小串字石堂となった。

 同じ下関市であっても,豊浦町と大字がつく豊浦村との勘違いは生じないのかもしれないが,大字は省略することも多く,下関市豊浦町と下関市豊浦村が併存しているのは,紛らわしいことに違いはない。

 市ではないが,山口県東南部にある熊毛郡平生町の場合もややこしい。山口県にありながら,町のWebサイトで「広島広域都市圏で新たな連携に取り組みます」と主張していることもややこしい感じがするのだが,それは置いといて……

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〔山口県熊毛郡平生町(「Mapion」の地図より)〕

 平生町役場や平生郵便局,平生町スポーツセンターがあるのは平生町平生町,平生町体育館やふれあいまちづくりセンターがあるのは平生町平生村である。町の中心部で平生町平生町と平生町平生村が入り組んでいるのでややこしい。

 1889年(明治22年)の町村制の施行時に,平生村,竪ヶ浜村,平生町,宇佐木村の4町村によって平生村が発足。1903年(明治36年)に平生村が町制施行して平生町になった後,1955年(昭和30年)の昭和大合併で平生町が大野村,曽根村,佐賀村と合併し,新しい平生町となった。

 町村制施行時に既に平生村と平生町があり,両者を区別するために大字平生町と大字平生村が残り続けているのだと思われる。

 平生町の人口は約1万3千人。それほど大きくない町なので,地域を指すときには平生町,平生村,竪ヶ浜,曽根……と大字で呼べば済む。紛らわしいと感じるのは私のような部外者だけかもしれない。

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