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2016年7月27日

横浜市都筑区川和町の鉄道忌避伝説

 横浜市都筑区川和町に鉄道忌避伝説があることを知った。

 川和には都筑郡の郡役所や郵便局があって栄えていたのに,鉄道が通ると町が衰退するとして横浜線に反対したため,横浜線は川和を迂回して鶴見川の対岸を通ることになり,横浜線の駅が作られた中山が栄えるようになったという話である。典型的な鉄道忌避伝説である。

 川和高校という神奈川県立の進学校があるから,川和という地区が県内にあることには気づいていたが,都筑区に川和町があるのを知ったのは,2008年に横浜市営地下鉄グリーンラインが開通して川和町駅が開業したときである。

 鉄道忌避伝説があるのは一般的には街道沿いの宿場町や城下町で,町が衰退してしまったために古くからの町並みが残っているところが多い。ところが地図を見る限りでは,川和町に古くからの町並みがあるようには思えない。

Photo
〔『荏田』平成14年発行「今昔マップ on the web」より〕

 横浜市都筑区川和町付近の地図である。

 地図の中心から少し左側が川和町になっている。地図の左上から右下に流れるのが鶴見川,その南側を東西に走るのが横浜線,左下が中山駅である。
 鶴見川の左岸を通るのは鎌倉街道中ノ道(現在の神奈川県道12号横浜上麻生線),地図の右上から左下に通じ,佐江戸町で鎌倉街道中ノ道と直交するのが中世以前から続く古道の中原街道である。ちなみに,池部町の日本電気工場は,現在ららぽーと横浜とパークシティLaLa横浜になっている。パークシティLaLa横浜は,杭打ち工事で虚偽データが使われ,多くの杭が強固な地盤に届いていないことで建物が傾くという問題が発生した分譲マンションである。

 地図を詳細に見ると,川和町がある鶴見川の左岸,つまり横浜線が通っていない側は大規模な工場地帯になっているのがわかる。鎌倉街道中ノ道(神奈川県道12号横浜上麻生線)に沿って川和町〜佐江戸町〜池辺町と,小さな家屋の集積があるだけで,際だった集積は見られない。
 都筑郡の郡役所や郵便局があった川和の中心は,現在の横浜川和町郵便局から山王神社付近であるが,古くから町並みが発達していたようには見えない。

 現代の地図を見ても横浜線開業当時の様子はわからないので,「今昔マップ on the web」で明治39年測図(明治41年製版)の地図を見てみよう。八王子から横浜へ生糸を輸送するために敷かれた横浜線は1908年(明治41年)に開業しているため,横浜線開通直前の様子が見てとれるはずである。

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〔『小机』明治39年測図「今昔マップ on the web」より〕

 地図の切り取り方に多少の差異はあるが,ほぼ同じ場所の地図である。鶴見川の南側に,横浜線が建設途中の未成線として記されている。

 確かに都田村川和に横長楕円の郡役所のマークがある。しかし,郡役所の周囲に他の建物はなく,郡役所の裏側は木々が茂った山になっており,郡役所の前には一面の田んぼが広がっている。郡役所の北側,現在の川和町駅付近の川和中村に集落が見られるが,鎌倉街道沿いの都市的集落ではなく,樹木に囲まれた農村集落であることがわかる。

 むしろ,鎌倉街道中ノ道と中原街道が交差する佐江戸の集落のほうが,多少都市的な集落であるようにも見える。

 明治39年当時,川和,佐江戸,そして池邊(池辺)の集落は都田村に属していた。
 都田村は1889年(明治22年)の町村制施行により,川和村,佐江戸村,池辺村,東方村,折本村,大熊村,川向村および本郷村の一部が合併してできた村である。この地図ではわかりにくいが,都田村の村役場は川和ではなく池辺に置かれている。都筑郡にも,都田村にも特に大きな集落は見られず,そのような都田村の中で川和は特別な集落ではなかったことがわかる。

 むしろ,都筑郡の郡役所が1879年(明治12年)に川和村へ移転したことのほうが不思議に思える。都田村の中でさえ中心ではなかった川和(明治39年の時点では都田村川和)に,なぜ都筑郡の郡役所が移転したのだろうか。

 それには,当時の都筑郡全体の地図を見る必要があるだろう。

鉄道忌避伝説 横浜線
〔明治39年測図「今昔マップ on the web」より(クリックで拡大)〕

 上図は明治39年測図の都筑郡役所を中心にした地図である。茶色の点線で囲まれているのが都筑郡(の南半分),黄緑色の線が明治41年開通の横浜線(開業当時は「横浜鉄道」という私鉄)である。当時の横浜線沿線の大きな商業的集積である町田村原町田(現在の町田市)と田奈村長津田(大山街道・矢倉沢往還の長津田宿)も赤丸で囲んだ。

 1906年(明治39年)当時,都筑郡に大きな集落はなく,唯一の都市的集落は大山街道の長津田宿のある田奈村長津田であった(それに次ぐ集落は山内村荏田)。

 なぜ川和村に郡役所があったのか,明確な答えは見つからないが,地理的に都筑郡の中心に近かったこと,長津田が都筑郡の西の端だったこと,都筑郡を縦横に走る鎌倉街道中ノ道と中原街道の交点に近いことが郡役所としてふさわしいとの判断があったのではないだろうか。

 横浜線は八王子から横浜港へ生糸等を輸送する目的で敷かれた路線である。もちろん電化されておらず,蒸気機関車での列車運行であるから勾配の少ないルートが選ばれる。費用の掛かるトンネルや鉄橋をできるだけ避けるのも当然である。横浜〜八王子間にある大きめの集落は,長津田,原町田,橋本しかない。

 以上を照らし合わせると,横浜線のルートが鶴見川・恩田川の右岸に沿っているのは妥当であり,鉄橋を架けてまで鶴見川左岸の川和村に渡り,再び鉄橋を架けて右岸に戻る理由は見当たらない(鶴見川の鉄橋が2カ所,恩田川の鉄橋が1カ所必要になってしまう)。
 横浜市都筑区川和町の鉄道忌避伝説は,実際には根も葉もない噂であるという意味で,まさに「鉄道忌避伝説」だということになる。

 明治時代初期に開通した東海道線の成功によって,鉄道は便利で儲かるという認識が一般的になり,鉄道は忌避する対象から,むしろ誘致する対象になったと考えられている。全国各地に存在する鉄道忌避伝説ではあるが,明治後期から大正時代に開業した路線において鉄道を忌避した町があるとしたら,相当にまれなケースであろう。
 横浜線が開通したのは明治39年。既に鉄道の便利さが知れ渡っている時代であり,川和村において鉄道を忌避する動きが強かったとは思えない。

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コメント

明治も後期になると、さすがに「汽車が通ると....」みたいなことは言わなそうですね。
何年か前に某交通研究の大家が「鉄道忌避は根拠なし」という説を発表して以来逆に「鉄道忌避伝説」が「都市伝説」化していますが、同様の話があまりにも多かったりするので「全部が全部そう言えるのかな」という疑問もあります。ケースバイケースということでしょうか。自分の周りでもそういう話があるので、ひとつ本腰を入れて調べてみようかなとも思ったりします。

投稿: 猫めん | 2016年8月12日 12時57分

 鉄道忌避伝説がすべて都市伝説かどうかは詳細に調べないとわからないでしょうね。

 実は私が生まれ育った福島県三春町にも鉄道忌避伝説があります。

 磐越東線の三春駅は三春町の市街地から2km離れたところにあります。駅ができたのは,三春町の隣の御木沢村でした。その後昭和の大合併で御木沢村は三春町になりましたが,子供の頃から鉄道忌避の話を何度も聞きました。

 でも,磐越東線ができる前には三春馬車鉄道がほぼ同じルートを走っていて,それは市街地の真ん中まで通っていたんです。駅は近いほうがが便利だということは当時の人は誰でも理解していたはずで,磐越東線の三春駅が遠くなってしまったことを恨む気持ちが鉄道忌避伝説を生んだようです。

 JRと私鉄の駅を直結させようとすると,駅前の商店街が反対運動をして直結させられない(乗客は乗り換えで商店街を歩かされる)という話は実際に聞いたことがあります。どこに駅を作っても,多少は反対運動が起こるのは確かだと思います。

投稿: 三日画師 | 2016年8月13日 15時55分

最近だと、北九州のモノレールが小倉駅に当初乗り入れておらず「商店街の反対」という説明がされてました。お客はさぞかし迷惑だったでしょうね。新手の「鉄道忌避伝説」でしょうか。

投稿: 猫めん | 2016年8月15日 18時03分

 北九州モノレールの小倉駅の経緯はとても記憶に残っています。

 モノレールが開通した年は,ちょうど学生から社会人になるときで(年齢がバレますね),3月に九州ワイド周遊券を使って約2週間,夜行急行に寝泊まりして九州を旅してました。

 当時のモノレール小倉駅は現在の平和通駅でしたね。駅の目の前の交差点を横切る旧電車通りには西鉄北九州線の路面電車がまだ走っていました。モノレールとほぼ平行していた北方線の路面電車がモノレール開業に合わせて廃止になり,西鉄北九州線もそろそろ廃止になるんじゃないかと言われていた頃です。

 もともと小倉を通る路面電車はJR小倉駅までは来ておらず,繁華街である魚町に集まっていました。西鉄北方線も魚町から出ていました。
 西鉄北方線が廃止になる代わりに北九州モノレールを作るんだから,北九州モノレールも魚町止まり……という考え方があったのはわからないでもないですが,利用者のことを考えれば,最初から小倉駅まで延ばすべきだったでしょうね。

投稿: 三日画師 | 2016年8月15日 23時55分

>3月に九州ワイド周遊券を使って
おやおや、私も卒業するとき、同じことをしました。当時は20日間有効で、乗りでがありました。
なるほど、路面電車も駅まできていなかったのですね。こういうところも微妙に判断に影響があったりするので、調査は大事ですね。

投稿: 猫めん | 2016年8月16日 17時00分

 ワイド周遊券はホントに乗り出がありましたよね。切符そのものもそうですが,やっぱり夜行急行の存在も大きかったように思います。

投稿: 三日画師 | 2016年8月19日 07時27分

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