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2016年7月の13件の記事

2016年7月30日

留萌市留萌村……市の中に村がある

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〔留萌市大字留萌村(「Mapion」の地図より)〕

 傷めていた膝や体調が回復してきたので,夏休みに涼しい北海道にでも行こうかな,12月に廃止予定の留萌本線留萌〜増毛間に乗りに行こうかな……などと考えながら,留萌市の地図を見ていた。

 留萌市は1947年の市制施行前は留[萠]町であり,JRの留萠駅は市制施行後も留萠駅のままだったため,市名と駅名が微妙に違ったままだった。結局は1997年に留萌駅に改定されちゃったことを思い出しながら地図を見ていたら,留萌駅の北側を流れる留萌川の対岸が留萌村になっていることに気づいた。

 釧路市と釧路町が隣り合っているのと同じように,市町村レベルの留萌市と留萌村が隣り合っているのだろうと考えたのだが,地図をよく見ても両者の間に市町村の境界がない。留萌駅があるのは留萌市船場町2丁目,留萌川の対岸にあるのは留萌市(大字)留萌村だということがわかった。

 町村合併で村が町や市と合併するときは,たとえばA市とB町・C村が合併して,A市大字B町・A市大字C町またはA市B町・A市C町のように村を町にするか,あるいはA市大字B・A市大字CまたはA市B・A市Cのように町や村を省くことが多い。※※市大字○○村または※※市○○村とするのは珍しい事例だと思う。

 留萌市大字留萌村と同様に大字○○村があることで有名なのは稚内市である。

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〔稚内市大字稚内村(「Mapion」の地図より)〕

 稚内駅前にある稚内市役所の裏側(西側)の海岸段丘は稚内市稚内村である。稚内市では,一面のクマザサの中にある抜海駅一帯は稚内市(大字)抜海村だし,北海道最北端の宗谷岬は稚内市(大字)宗谷村,稚内空港付近は稚内市(大字)声問村となっている。

 これらは,昭和2年に北海道一級町村制施行時に稚内村となったときの抜海村・声問村の区域と,1955年(昭和30年)に稚内市に編入した宗谷村の区域を,大字としてそのまま残したものである。ただし,市町村の変遷を見るだけでは,稚内市(元は稚内村・抜海村・声問村が一緒になった区域としての稚内村・稚内町のエリア)と,大字稚内村がどういう関係なのかはよくわからない。


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〔稚内市大字声問村(「Mapion」の地図より)〕

 大字(おおあざ)の町名をどうするのか,○○町にするのか,○○とするのか,あるいは○○村のまま残すのか,自治体の判断に任されているようである。とはいえ,○○村を大字として残す例は珍しい。

 山口県には(部外者の私が)紛らわしいと感じる町名がある。
 ひとつは下関市豊浦村と下関市豊浦町である。


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〔下関市豊浦村(「Mapion」の地図より)〕

 上図は山陽本線の長府駅の南側の豊浦高校付近の地図である。
 長府黒門東町の長府庭園の西側,大唐櫃山(大唐楯山)の山麓が下関市大字豊浦村になっている。

 長府は長門国の国分寺が置かれた国府で,府中と呼ばれたこともあり,門国から長府となった。また,日本書紀には穴門豊浦宮が置かれたという記述があることから,この地方は豊浦(とよら・とゆら)とも呼ばれたという。後述する豊浦町も含まれる豊浦郡(とようらぐん・とおらのこおり)の郡役所が置かれたのも長府である。

 豊浦と呼ばれた長府が1911年(明治44年)に町制施行して長府町となり,1937年(昭和12年)に下関市に編入される。時期は不明だが,住居表示が実施されたときに,長府町地域は下関市長府○○町となった。そして,住居表示が実施されていない地域が下関市大字豊浦村として残ったようである。

 ちなみに,地図上の豊浦高校も,読み方は「とよら」である。

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〔下関市豊浦町(「Mapion」の地図より)〕

 山陰本線小串駅付近の下関市豊浦町(とようらちょう)の地図である。豊浦町は2005年に下関市などと合併し,下関市豊浦町となっている。

 昭和の大合併で複数の町村を合併して豊浦郡豊浦町になったところなので,豊浦町時代,既に大字があった。たとえば小串駅は豊浦郡豊浦町大字小串字石堂だった。その後,下関市と合併したときに「豊浦町」は大字よりもひとつレベルが上の町名となり,小串駅は下関市豊浦町大字小串字石堂となった。

 同じ下関市であっても,豊浦町と大字がつく豊浦村との勘違いは生じないのかもしれないが,大字は省略することも多く,下関市豊浦町と下関市豊浦村が併存しているのは,紛らわしいことに違いはない。

 市ではないが,山口県東南部にある熊毛郡平生町の場合もややこしい。山口県にありながら,町のWebサイトで「広島広域都市圏で新たな連携に取り組みます」と主張していることもややこしい感じがするのだが,それは置いといて……

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〔山口県熊毛郡平生町(「Mapion」の地図より)〕

 平生町役場や平生郵便局,平生町スポーツセンターがあるのは平生町平生町,平生町体育館やふれあいまちづくりセンターがあるのは平生町平生村である。町の中心部で平生町平生町と平生町平生村が入り組んでいるのでややこしい。

 1889年(明治22年)の町村制の施行時に,平生村,竪ヶ浜村,平生町,宇佐木村の4町村によって平生村が発足。1903年(明治36年)に平生村が町制施行して平生町になった後,1955年(昭和30年)の昭和大合併で平生町が大野村,曽根村,佐賀村と合併し,新しい平生町となった。

 町村制施行時に既に平生村と平生町があり,両者を区別するために大字平生町と大字平生村が残り続けているのだと思われる。

 平生町の人口は約1万3千人。それほど大きくない町なので,地域を指すときには平生町,平生村,竪ヶ浜,曽根……と大字で呼べば済む。紛らわしいと感じるのは私のような部外者だけかもしれない。

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2016年7月28日

箱根ロープウェイが全線運転再開

箱根ロープウェイが全線運転再開 初日は「黒たまご」楽しみに利用者3割増(2016年7月27日 乗りものニュース)

大涌谷駅には60~70人が列

 2016年7月26日(火)、箱根山の火山活動の影響によって続いていた大涌谷駅周辺の立ち入り禁止規制が日中限定で解除され、箱根ロープウェイは、休止していた一部区間で運転を再開。これによって、箱根ロープウェイはおよそ1年3か月ぶりに全線で運転が再開されました。

 今回、運転が再開されたのは早雲山~大涌谷間の1.5km。これにより、早雲山~大涌谷~姥子~桃源台間4.0kmの全線で運転が再開されたことになります。

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〔箱根ロープウェイ(1998年11月16日撮影)〕

 箱根ロープウェイの早雲山〜大涌谷間が運休していたことで,箱根の周遊ルートが途切れていた。大涌谷の規制エリアを迂回した経路を走る代行バスが約50分間隔で運行してはいたものの,「観光」の観点からロープウェイに乗れないのは大きなマイナスとなっていた。

 大涌谷駅に60〜70人もの行列ができたということから,運転再開を待ち望んでいた人が多かったことがわかる。

 箱根ロープウェイは8月以降は原則として第2・第4木曜日は運休となり,その際は代行バスが運行されるらしい。

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〔火山活動が活発になっていた箱根山の大涌谷(1998年11月16日撮影)〕

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2016年7月27日

横浜市都筑区川和町の鉄道忌避伝説

 横浜市都筑区川和町に鉄道忌避伝説があることを知った。

 川和には都筑郡の郡役所や郵便局があって栄えていたのに,鉄道が通ると町が衰退するとして横浜線に反対したため,横浜線は川和を迂回して鶴見川の対岸を通ることになり,横浜線の駅が作られた中山が栄えるようになったという話である。典型的な鉄道忌避伝説である。

 川和高校という神奈川県立の進学校があるから,川和という地区が県内にあることには気づいていたが,都筑区に川和町があるのを知ったのは,2008年に横浜市営地下鉄グリーンラインが開通して川和町駅が開業したときである。

 鉄道忌避伝説があるのは一般的には街道沿いの宿場町や城下町で,町が衰退してしまったために古くからの町並みが残っているところが多い。ところが地図を見る限りでは,川和町に古くからの町並みがあるようには思えない。

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〔『荏田』平成14年発行「今昔マップ on the web」より〕

 横浜市都筑区川和町付近の地図である。

 地図の中心から少し左側が川和町になっている。地図の左上から右下に流れるのが鶴見川,その南側を東西に走るのが横浜線,左下が中山駅である。
 鶴見川の左岸を通るのは鎌倉街道中ノ道(現在の神奈川県道12号横浜上麻生線),地図の右上から左下に通じ,佐江戸町で鎌倉街道中ノ道と直交するのが中世以前から続く古道の中原街道である。ちなみに,池部町の日本電気工場は,現在ららぽーと横浜とパークシティLaLa横浜になっている。パークシティLaLa横浜は,杭打ち工事で虚偽データが使われ,多くの杭が強固な地盤に届いていないことで建物が傾くという問題が発生した分譲マンションである。

 地図を詳細に見ると,川和町がある鶴見川の左岸,つまり横浜線が通っていない側は大規模な工場地帯になっているのがわかる。鎌倉街道中ノ道(神奈川県道12号横浜上麻生線)に沿って川和町〜佐江戸町〜池辺町と,小さな家屋の集積があるだけで,際だった集積は見られない。
 都筑郡の郡役所や郵便局があった川和の中心は,現在の横浜川和町郵便局から山王神社付近であるが,古くから町並みが発達していたようには見えない。

 現代の地図を見ても横浜線開業当時の様子はわからないので,「今昔マップ on the web」で明治39年測図(明治41年製版)の地図を見てみよう。八王子から横浜へ生糸を輸送するために敷かれた横浜線は1908年(明治41年)に開業しているため,横浜線開通直前の様子が見てとれるはずである。

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〔『小机』明治39年測図「今昔マップ on the web」より〕

 地図の切り取り方に多少の差異はあるが,ほぼ同じ場所の地図である。鶴見川の南側に,横浜線が建設途中の未成線として記されている。

 確かに都田村川和に横長楕円の郡役所のマークがある。しかし,郡役所の周囲に他の建物はなく,郡役所の裏側は木々が茂った山になっており,郡役所の前には一面の田んぼが広がっている。郡役所の北側,現在の川和町駅付近の川和中村に集落が見られるが,鎌倉街道沿いの都市的集落ではなく,樹木に囲まれた農村集落であることがわかる。

 むしろ,鎌倉街道中ノ道と中原街道が交差する佐江戸の集落のほうが,多少都市的な集落であるようにも見える。

 明治39年当時,川和,佐江戸,そして池邊(池辺)の集落は都田村に属していた。
 都田村は1889年(明治22年)の町村制施行により,川和村,佐江戸村,池辺村,東方村,折本村,大熊村,川向村および本郷村の一部が合併してできた村である。この地図ではわかりにくいが,都田村の村役場は川和ではなく池辺に置かれている。都筑郡にも,都田村にも特に大きな集落は見られず,そのような都田村の中で川和は特別な集落ではなかったことがわかる。

 むしろ,都筑郡の郡役所が1879年(明治12年)に川和村へ移転したことのほうが不思議に思える。都田村の中でさえ中心ではなかった川和(明治39年の時点では都田村川和)に,なぜ都筑郡の郡役所が移転したのだろうか。

 それには,当時の都筑郡全体の地図を見る必要があるだろう。

鉄道忌避伝説 横浜線
〔明治39年測図「今昔マップ on the web」より(クリックで拡大)〕

 上図は明治39年測図の都筑郡役所を中心にした地図である。茶色の点線で囲まれているのが都筑郡(の南半分),黄緑色の線が明治41年開通の横浜線(開業当時は「横浜鉄道」という私鉄)である。当時の横浜線沿線の大きな商業的集積である町田村原町田(現在の町田市)と田奈村長津田(大山街道・矢倉沢往還の長津田宿)も赤丸で囲んだ。

 1906年(明治39年)当時,都筑郡に大きな集落はなく,唯一の都市的集落は大山街道の長津田宿のある田奈村長津田であった(それに次ぐ集落は山内村荏田)。

 なぜ川和村に郡役所があったのか,明確な答えは見つからないが,地理的に都筑郡の中心に近かったこと,長津田が都筑郡の西の端だったこと,都筑郡を縦横に走る鎌倉街道中ノ道と中原街道の交点に近いことが郡役所としてふさわしいとの判断があったのではないだろうか。

 横浜線は八王子から横浜港へ生糸等を輸送する目的で敷かれた路線である。もちろん電化されておらず,蒸気機関車での列車運行であるから勾配の少ないルートが選ばれる。費用の掛かるトンネルや鉄橋をできるだけ避けるのも当然である。横浜〜八王子間にある大きめの集落は,長津田,原町田,橋本しかない。

 以上を照らし合わせると,横浜線のルートが鶴見川・恩田川の右岸に沿っているのは妥当であり,鉄橋を架けてまで鶴見川左岸の川和村に渡り,再び鉄橋を架けて右岸に戻る理由は見当たらない(鶴見川の鉄橋が2カ所,恩田川の鉄橋が1カ所必要になってしまう)。
 横浜市都筑区川和町の鉄道忌避伝説は,実際には根も葉もない噂であるという意味で,まさに「鉄道忌避伝説」だということになる。

 明治時代初期に開通した東海道線の成功によって,鉄道は便利で儲かるという認識が一般的になり,鉄道は忌避する対象から,むしろ誘致する対象になったと考えられている。全国各地に存在する鉄道忌避伝説ではあるが,明治後期から大正時代に開業した路線において鉄道を忌避した町があるとしたら,相当にまれなケースであろう。
 横浜線が開通したのは明治39年。既に鉄道の便利さが知れ渡っている時代であり,川和村において鉄道を忌避する動きが強かったとは思えない。

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2016年7月26日

「住みよさランキング1位」の印西市は本当に住みやすいのか?

2016

 東洋経済新報社が全国の都市を対象にして毎年発表している「住みよさランキング」。2016年の総合評価1位は千葉県印西市,2位が愛知県長久手市,3位が富山県砺波市となっている。印西市は5年連続の1位である。

 私は全国各地の都市を見て歩いているが,このランキングが今ひとつぴんとこない。本当に印西市や長久手市は住みやすいのだろうか。
 どこからどう見ても大都市近郊のニュータウンである印西市や長久手市,名取市,守谷市,つくば市等々と,全国でも持ち家比率・一戸建て住宅比率が高いことで知られる北陸地方の都市が上位に並んでいる。ランキングの算出方法に偏りはないのだろうか?

 印西市は千葉県北西部に位置する人口約9万4千人の都市である。私が印西市を初めて知ったのは,県立印旛高校が選抜高校野球に出場したときのTV中継での学校紹介である。当時はまだ市制施行前で小さな印旛郡印西町だったが,既に千葉ニュータウンの開発が始まっていて,将来は30万人の都市になる計画だと紹介されて驚いた記憶が残っている。なにしろ地図を見ても印旛沼や手賀沼の周囲の田んぼと,うっそうとした森が広がり,その中にゴルフ場があるだけの町で,ニュータウン計画が夢物語のように感じたからである。

 その後計画は大幅に縮小されて現在に至る。千葉県などが抱え込んだ千葉ニュータウンの赤字額は巨額であり,最終的には税金で穴埋めが行われるのかどうか,千葉県の方は気になるところだと思われる。

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〔印西市の千葉ニュータウン中央駅付近(Googleマップ)〕

 さて,印西市は本当に住みやすいのだろうか?

 東洋経済新報社の「住みよさランキング」は,公的統計をもとにして都市の魅力を「安心度」「利便度」「快適度」「富裕度」「住居水準充実度」の5つの観点に分類,15指標についてそれぞれ偏差値を算出し,その単純平均を総合評価としてランキングしたものだという。

 詳細な指標については東洋経済オンラインに記されているのでそれを参照していただくことにして,自分がそこに住みたいかどうかを基準にして,ランキングとそれに使用された指標を見てみる。

■ 印西市が「住みよさランキング」上位になっている理由

 まず,印西市が全国で3位に入っている「利便度」に着目する。

 利便度は,小売業年間商品販売額(人口当たり)と大型小売店店舗面積(人口当たり)の2つの指標で計算されている。しかし,生活圏の広域化に対応するため,他都市の20%通勤圏となっている市については,利便度の指標については通勤先となっている都市と指標を比較し,高いほうの数値を採用することとなっている。
 印西市は東京区部への通勤率が24.2%になるため,小売業年間商品販売額については東京区部の数値が使われることになる。同時に,印西市は郊外に位置しているため,大型の商業施設が多く,もうひとつの指標である人口当たりの大型小売店店舗面積はもともと大きい。

 大都市の中心部ほど有利になる小売業年間商品販売額と,郊外の大型商業施設立地都市ほど有利になる大型小売店店舗面積という指標のいいとこ取りができ,大都市郊外の都市に有利になりすぎる補正が行われていると考える。

 印西市民が東京区部に買物に行くのと,東京区部から郊外の印西市の大型商業施設に買物に行くのには同じ手間と時間が掛かるのだから,小売業年間商品販売額と大型小売店店舗面積で計算される「利便度」は,大都市や中核都市とその郊外の都市で同じにならなければならない。むしろ,最寄り駅周辺に商業施設が集中している大都市のほうが,徒歩で買物に行ける分だけ「利便度」が高くなってもいいはずだ。印西市に大型商業施設が多いといっても,徒歩で気楽に買物に行ける距離ではない。
 つまり,大都市近郊の都市の「利便度」が高いのは,この「いいとこ取りの補正」のためだと思われる。

「快適度」は,汚水処理人口普及率,人口当たり都市公園面積,転入・転出人口比率,世帯当たり新設住宅着工戸数で算出されている。この指標についても,特に転入・転出人口比率,新設住宅着工戸数は宅地化が進行中の郊外で高くなり,既に都市化した都市中心部のほうが低めに出る。

 また,自分がどこに住みたいかを考えたときに,真っ先に考えるのは通勤時間と通勤手段であるが,「住みよさランキング」算出に使われる指標には含まれていない。印西市は東京区部への通勤率が24.2%と高いが,もっとも東京に近い千葉ニュータウン中央駅からは東京まで1時間も掛かる。しかも,千葉ニュータウンの開発が計画通りに進まなかったこともあって,北総鉄道北総線の運賃は非常に高いことで知られる。6か月定期は20万円を軽く越えるはずだ。
 北総線のあまりの運賃の高さに千葉ニュータウンの住民から悲鳴が上がり,住民主導で北総線に平行するバス「ちばにう」が運行されていることでも有名だ。
 通勤時間と通勤手段が算出基準に含まれない「住みよさランキング」には疑問がある。

■ 北陸地方の都市が上位に並ぶ理由

 次に,ランキング上位に北陸地方の都市が多いことについて考えてみる。

 砺波市,野々市市,坂井市,鯖江市,かほく市,能美市,魚津市,滑川市,これらはいずれも富山県,石川県,福井県の中心都市ではなく,その周辺にある衛星都市である。滑川市は富山市の20%通勤圏であり,野々市市,かほく市は金沢市の20%通勤圏,坂井市,鯖江市は福井市の20%通勤圏である。これらの都市は,印西市のところでも述べた,「いいとこ取りの補正」の影響があると考えられる。

 たとえば,鯖江市は2010年の国勢調査のデータで福井市の20%通勤圏となったため,2013年の調査では前年の54位から一気に8位にランクアップしている(そして2016年は6位に)。これは鯖江市が突然住みやすくなったわけではなく,単に「いいとこ取りの補正」が行われるようになったためである。

 それに加えて,北陸地方の都市は全国でも持ち家比率・一戸建て住宅比率が高いことが,かなり有利に働いていると思われる。「住居水準充実度」は,1住宅当たりの住宅延べ面積とも持ち家世帯比率で算出される。北陸地方は,確かに屋敷林のある大きな一戸建て住宅が多いという印象はある。

 しかし,一世帯当たりの平均人員も考慮すべきではないだろうか。1住宅当たりの住宅延べ面積が広くても,二世帯住宅,三世帯住宅であれば,一世帯当たりの可住面積は狭くなる。

 手元には都道府県別のデータしか見つからないが,一世帯当たりの人員は,多いほうから,山形県,福井県,佐賀県,富山県,岐阜県となっている。北陸地方は住宅は大きいが,一世帯当たりの人員も多いのである。核家族化が進んだ東京都,大阪府,神奈川県と比較する場合は,1住宅当たりの住宅延べ面積ではなく,一人当たりの住宅延べ面積で比較すべきだと考える。

 公的統計にはデータが存在しないのかもしれないが,「住みよさランキング」に使用されていない指標でも,コンビニエンスストアまでの平均距離,人口当たりのコンビニエンスストア数,人口当たりの銀行・信用金庫数,郵便局数,最寄り駅・バス停までの距離,1時間当たりの列車・バス本数,真夏や真冬の気温,降雪量(雪かき,雪下ろしが必要な地域は住みやすいとは言えないはず)など,住みよさを決めるのに必要な指標は多い。

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2016年7月23日

大相撲のジレンマ 横綱昇進基準と公傷制度

 暴行事件,八百長事件と不祥事が立て続けに起き,人気が低迷していた大相撲。2011年の春場所は不祥事により初めての本場所中止に追い込まれた(偶然にもこの春場所は,東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震の直後の3月13日に開催予定だった)。続く2011年五月場所も正式な興行ではなく,無料公開となる前代未聞の技量審査場所となった。

 それが現在では,本場所で満員御礼が続き,あの「若貴フィーバー」に迫る盛り上がりを見せている。日本人力士(日本出身力士)優勝の期待や,稀勢の里や琴奨菊の綱取りがあり,嘉風や勢,遠藤に対する声援も多い。

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 しかしながら,春場所の琴奨菊に続く今場所(名古屋場所)の稀勢の里の綱取りフィーバーには,大相撲が抱えるジレンマによる空虚さを感じざるを得ない。

 日本人横綱が誕生しないのは,身体が丈夫で強く,運動神経のいい子供が,将来的にその身体を使って身を立てようとするときの選択肢が,相撲以外にも増え,そちらのほうが相撲以上に魅力的だからである。こればかりはどうしようもない。

 大相撲が抱えるジレンマのひとつは,横綱昇進の基準となる内規「大関の地位で2場所連続優勝,またはそれに準ずる成績」である。「またはそれに準ずる成績」の定義は厳密ではなく,かつては2場所連続で優勝して横綱に昇進する力士のほうが珍しかったのである。

 流れが大きく変わったきっかけは,優勝なしで横綱に昇進した双羽黒の突然の廃業である。内規を曖昧なまま適用していたことが批判され,「大関で2場所連続優勝」が必要十分条件であるかのように変わっていった。
 本当に強い力士でなければ大関で2場所連続優勝するのは難しいから,これで横綱の粗製濫造は避けられ,土俵が充実するはずであった。

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 たしかに横綱朝青龍が誕生するまでは,「大関で2場所連続優勝」という横綱昇進条件が十分に機能していたのかもしれない。しかし,この横綱昇進条件は,過去に存在しなかったような“強い力士の存在を想定していない”ことが見えてくる。これが「ジレンマ」である。

 下に示した朝青龍と白鵬の成績を見てほしい(Wikipediaからの抜粋)。黄緑色が優勝した場所を示している。

 朝青龍が毎場所のように優勝すると,当然のことながら大関以下の力士が優勝する機会はまれになる。朝青龍が横綱になって2年目の2004年は年間6場所中5場所優勝。2005年は年間6場所全部を制覇した。朝青龍は,2003年から2006年まで4年間は,2場所連続で優勝をのがしたことがないのだ。

 さらに,その“強い力士”の存在は,間を開けずに横綱白鵬へと受け継がれる。朝青龍の成績の中の赤丸は白鵬が優勝した場所,白鵬の成績の中の赤丸は朝青龍が優勝した場所を示している。

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 2003年の初場所から2015年の名古屋場所までの約13年間,朝青龍と白鵬が2場所以上優勝から遠ざかったのは,2012年の夏場所(五月場所)から秋場所(九月場所)のたった1回のみである(青線部分。ちなみにこの千載一遇のチャンスに日馬富士が横綱に昇進している)。

 東西に横綱が揃わない「一人横綱」の状態は大相撲の番付において異常な状態である。史上最長の一人横綱期間は,2004年の一月場所から2007年の五月場所までの21場所であり,そのときの横綱は朝青龍であった。史上2番目の一人横綱期間は2010年三月場所から2012年九月場所までの15場所で,横綱は白鵬である。

 過去にも強い横綱は存在した。双葉山,大鵬,北の湖,千代の富士……。しかし,一人横綱が長く続くことはなかった。なぜなら,彼らが横綱だった時代には,「大関で2場所連続優勝」という絶対基準がなかったのである。2場所連続して優勝を逃すことが皆無の,飛び抜けて強い横綱が存在するときに新しい横綱が誕生しないのは,「大関で2場所連続優勝」という横綱昇進条件が影響している可能性が高い。

 2場所連続優勝が必須になって以降,大関在位期間の長い力士が増えている。魁皇,千代大海,琴欧洲,小錦,貴ノ浪。最終的には横綱になったが,武蔵丸の大関在位期間も長かった。
 勝てない横綱は,即引退となる。やっと横綱になったが,勝てずに短命横綱となった力士も多い。琴櫻,三重ノ海,旭富士……。
 大関在位期間が長いことを美談にする傾向もあるが,魁皇や貴ノ浪,小錦などは,「2場所連続優勝」の厳密適用さえなければ横綱になっていてもおかしくはないし,たとえ短命横綱に終わってもそのほうが華があったんじゃないだろうか。

 たとえば2004年の大関魁皇の成績は,
10-5,13-2,10-5,11-4,13-2(優勝),12-3(13-2の朝青龍が優勝)
である。魁皇は,「大関在位期間最長の65場所,通算勝星歴代1位の1045勝,幕内在位歴代1位の107場所」の力士としてではなく,力士生命は6年近く短くなっても「左四つで右上手を取ったらめっぽう強い横綱魁皇」として後世に伝えられるべきだったと思う。

 大相撲のもうひとつのジレンマ,それは「公傷制度の廃止」である。

 休場力士の増加に対する批判から,2004年の一月場所に公傷制度が廃止された。「公傷制度」というのは,土俵上のけがで途中休場した力士は,公傷が認められれば翌場所を休場しても番付が下がらないという制度である。けがで途中休場した大関が,角番になった翌場所も公傷が認められないまま休場すると大関から陥落してしまうことが話題になった。

 問題なのは,番付が下がることを嫌い,無理して出場して,力士寿命を縮めているように見えることである。遠藤や大砂嵐が十字靱帯や半月板を痛めたまま,素人目にも完治していないことが明かなのに出場し,元気な頃の姿からは想像もできない,弱々しい相撲を取っている。

 横綱昇進も近いかと思わせた大関照ノ富士も,右膝の十字靱帯を損傷,遠藤と同様に手術を回避して出場を続け(初場所は鎖骨骨折もあり休場),とうとう大関陥落寸前である。琴欧洲は大関に昇進して早々に稽古で右膝を痛め(公傷制度があっても公傷にはならないが) ,強行出場してそれなりの成績は治めたものの,結局引退するまで膝は完治しなかった。把瑠都の最後も痛々しかった。

 公傷制度の廃止が若い有望力士の芽を摘んでしまう危険性は高い。けがを押しての強行出場が美談になる時代ではない。公傷制度の復活,あるいは新たな制度の創設を望む。

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2016年7月21日

都電荒川線の軌道緑化検証実験

 都電荒川線 軌道緑化検証実験開始(2016年4月26日 トーケンニュース)

東京都交通局が企画する都電荒川線における既存の軌道敷きを活用した緑のネットワーク化(軌道緑化)に向けた検証実験の協力企業としてトーケンが選ばれ、軌道緑化敷設工事が完了し、来年の3月まで検証実験が行われます。

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〔都電荒川線(2005年5月4日撮影)〕

 都電荒川線の荒川車庫前停留所付近の上下線で軌道緑化敷設工事が完了し,2017年3月まで約1年間に渡って生育状況の経過観察を行うという。

 過去にも何度か軌道緑化検証実験を行っているが,電車が行き来するため水やりが難しかったり,また線路に塗った油が飛び散ることで植物が枯れてしまい緑化に失敗し,今度が3回目の挑戦になるようだ。

 熊本市電や鹿児島市電では既に軌道緑化が進められている。そのような先行事例からもいろいろ学んだことだろうし,実験に成功して,緑化区間が増えることを期待したい。

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〔軌道緑化されている熊本市通町筋の熊本市電(2012年5月4日撮影)〕

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2016年7月17日

養老渓谷駅と久留里駅を結ぶバス路線試行

 養老渓谷駅と久留里駅、名所を経由するバス試行へ(2016年7月9日 朝日新聞)

 市原市と君津市は今秋、小湊鉄道の養老渓谷駅(市原市朝生原)とJR久留里線の久留里駅(君津市久留里市場)とを結ぶ乗り合いバスを運行する。養老渓谷や亀山湖といった名所を経由して新たな観光ルートの創出を検討し、地域活性化を目指すという。

 両市が「バス交通による広域観光実証事業」として実施する。運行区間は両駅間の片道約25キロ、約50分の距離を想定。事業者を選定、委託して9月22日から12月11日までの土日祝日の計28日間、1日7便以上走らせる。事業費は国の地方創生加速化交付金460万円を活用する。

 両駅は近接しているものの鉄路での接続がなく、両駅間を結ぶバスも運行されていない。だが、周辺には養老渓谷や梅ケ瀬渓谷、粟又の滝、亀山湖、久留里城、久留里の名水や酒蔵など観光資源が豊富にあり、訪れる人は多い。

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〔JR久留里線久留里駅(2004年8月15日撮影)〕

 いわゆる“乗り鉄”をやっていると,ローカル線の終着駅からそのまま引き返すのではなく,他の路線にワープしたくなる。

 JR久留里線の終点上総亀山駅前からは,以前JR外房線の安房鴨川駅行きのバスがあって便利だった。残念ながら上総亀山駅と安房鴨川駅を結ぶバスは廃止となり,安房鴨川と千葉駅を結ぶ高速バス「カピーナ号」に取って代わった(上総亀山駅前は通らないが,徒歩圏内にある亀山・藤林大橋に停車する)。

 久留里駅から小湊鐵道の養老渓谷駅に路線バスでワープすることができれば,鉄道・バスを使った旅を楽しむ“乗り鉄”の自由度は各段にアップする。亀山湖を通るのであれば,ぜひとも上総亀山駅前を通ってもらいたい。久留里線に乗るとしたら,どうせなら終点の上総亀山まで乗りたいのは人情だ。

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〔上総亀山駅前に停車する鴨川日東バスの安房鴨川駅行きバス(2004年8月15日撮影)〕

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2016年7月14日

山田線上米内〜川内間は2017年秋以降に復旧

 上米内―川内間、来年再開へ…JR山田線(2016年07月08日 読売新聞)

 土砂崩れによる脱線事故で昨年12月から不通になっているJR山田線上米内―川内間について、JR東日本は7日、来年10~12月頃の運行再開を目指すと明らかにした。復旧費は少なくとも10億円に上る見込み。

 土砂崩れが起きた宮古市門馬の現場では、上部の斜面に3か所の亀裂が見つかり、二次災害が懸念されている。JRによると、工事ではまず、崩落の危険がある斜面の上部の土砂約1万2000立方メートルを撤去。その後、亀裂部分の上下の地中に長さ7・5~21メートルほどの杭約320本を打ち込み、地盤を安定化させる。付近は国有林となっている。

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〔山田線区界駅での列車交換(2009年5月2日撮影)〕

 昨年(2015年)12月11日夜に松草〜平津戸間で線路横の斜面が崩落し,列車が崩落した土砂に乗り上げて脱線するという事故が発生,崩落した斜面が急峻で再崩落の危険もあり,そのまま廃線になってしまう可能性も危惧されていたが,復旧して運行再開を目指すことになった。

 崩落した斜面の地盤安定化だけでJR東日本が7億円,国が3億円以上の負担を見込むという。斜面上部に地盤安定化用の杭を打ち込み,斜面の亀裂進行が止まったことを確認した上で,事故現場の脱線車両をクレーンで撤去,さらに斜面下部の地盤にも杭を打つという難工事になる。

 山田線茂市駅と岩泉を結んでいた岩泉線が2010年に発生した土砂崩れによる脱線事故により廃線となったことから,事故が似ていて事故現場も近く,沿線自治体では岩泉線と同様の事態を危惧していたことだろう。とりあえず復旧の日程が明らかになり,関係者は胸をなで下ろしたのではないだろうか。

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2016年7月13日

フォークボールは自由落下しているだけ

 これから新しい変化球は生まれるか?
 早大・矢内教授と高橋尚成氏に聞く
(2016年5月20日 週刊ベースボールONLINE)

 6つに大きく分類した変化球を、オーソドックスなオーバーハンドの右投手、左投手が投げたとき、ボールの変化の大きさと方向を図表化したのが上記の図です。空気の抵抗や揚力を考慮せず、ボールが自由落下した際に到達した場所が真ん中だとしたとき、それぞれの球種の回転軸と回転の方向によってどの場所に到達するかを示した図です。 

 この図を見るとストレートがカーブと並んで大きな変化をしていることが分かります。右投手のオーソドックスなオーバーハンドでは、リリース時に右へ30度程度の角度がつくため、ボールの回転軸も右へ傾きます。そして強烈なバックスピンがかかるため、右上の方向へと軌道は変化するのです。

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 日本では珍しく「チェンジアップやフォークボールは(自由落下以上には)落ちない」ことを書いた記事である。さらにいえば,下向きに自由落下以上に変化するのはカーブだけであることも書かれている。

 10年ぐらい前からメジャーリーグではSPORTVISION社が開発した投球軌道追跡システム「PITCHf/x」を全スタジアムに設置しており(守備や走塁での選手の動きを追跡する「FIELDf/x」もある),ピッチャーの手を離れた位置からホームベースまでのボールの軌道や球速の変化,ボールの回転量,そして無回転だったときの軌道に比べた変化量を,全試合,全球記録している。
 しかも,メジャーリーグ公式サイトのGAMEDAYページで,誰でもそのデータを見ることができる。
 前時代的なスピードガンの数値だけの日本とは大違いである。

 そのPITCHf/xのデータからわかるのは,ボールの変化量はスピン量に比例するということである。

 つまり,スピン量の少ない(=無回転に近い)チェンジアップやフォークボール,スプリットの軌道はほぼ自由落下曲線を描き,自由落下以上には変化しない。

 それとは逆に,強いバックスピンがかかるストレート(特にフォーシーム)は上向きの浮力が加わるため,自由落下曲線よりも直線に近い軌道となり(=落下量が少ない),下向きのスピンがかかるカーブ(昔の言葉で言えばドロップ)は自由落下曲線よりもさらに下向きの力が加わって,より下向きに変化することになる。

 もちろん,自由落下以上には変化しないからといって,そのボールが打ちやすいわけでないことは,実際に野球のゲームを見ればわかるし,野球をしたことのある方なら体感済みだろう。

 大昔,私は野球部でピッチャーをやっていたことがあり,ボールの回転によるマグヌス効果で説明できるカーブの変化やストレートの伸びに対して,なぜフォークボールが落ちるのかがずっと気になっていた。大学の流体力学の授業でナビエ−ストークス方程式やレイノルズ数を習ったときに,無回転ボールの球速の変化が乱流域と層流域を跨がる可能性を考えたりもしたが,まったく的外れだった。学生時代にPITCHf/xのデータがあったら人生が変わっていたかもしれない(意味不明)。

 前にも書いたが,私は大の江川卓ファンである。しかし,一部の江川ファンが「江川のボールは初速と終速の差がなかった」というようなことを言うのが嫌いだ。バックスピンにより直線に近い軌道であることを意味する“ボールの伸び”と,空気抵抗による球速の低下が小さいことを混同しているからである。

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 江川の全盛期と私の学生時代はほぼ重なるので,テレビの野球中継で江川が投げたゲームはほとんど見ていた記憶があるが,初速と終速が表示された神宮球場などの中継で,江川のボールの初速と終速が近かったことはないし,江川よりボールの遅いピッチャーに比べて,江川の初速と終速の差はむしろ大きかったことは,当時の精度の低いスピードガンでも明らかだった。

 PITCHf/xのデータを見れば,速いボールほど初速と終速の差が大きく,遅いボールは初速と終速の差が小さいことがわかる。バックスピンの効いたボールほど空気抵抗に反する力が働いて終速が落ちないなんてこともないし,回転の少ないチェンジアップやフォークボールのほうが急に速度が落ちるなんてこともない。ボールの球速を低下させる空気抵抗は速さに比例するのだから,速いボールほど大きな空気抵抗を受ける。当たり前である。

 日本のプロ野球では,解説者までもがいまだに「初速と終速が変わらず,手元で伸びるボール」とか「交代したばかりの選手のところにボールが飛ぶ」のような科学的根拠のないことをしゃべりまくっている……

 バックスピンのない140km/hのフォークボールは,ピッチャーの手を離れてから約0.47秒でホームベース上に到達する。ボールは0.47秒間で重力加速度により約1.1m落下する。これがフォークボールが“落ちる”正体である。

 そんなバカな。バッターの手元で急激に落ちているじゃないか?

 フォークボールの落下は重力加速度によるものである。
 落下距離 z は,z = 1/2・g・t²(g は重力加速度 9.8m/s²)で求まるから,ピッチャーの手を離れてから0.47秒間の最初の0.235秒で約27cm落下し,後半の0.235秒で約81cm落下する。バッターの手元で急激に落ちているように見えるのも当然である。

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2016年7月 9日

「Eye-Fi」旧製品のサポートが終了

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 Eye-Fiから「あなたの Eye-Fiカードに関する重要なお知らせ」というメールが届いた。なんと,本日(2016年7月6日)旧製品ラインのサポートを停止するという突然の通知だった。

 対象となる旧世代の製品は「Eye-Fi Pro X2またはそれよりも前の世代の製品」で,私がRICOHのGRやCanon PowerShot S100で使用している「4GB Connect X2」がモロに合致する。

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 まずは2016年9月16日にクラウド機能が利用できなくなり,2016年9月X日以降にはスマートフォンやPCに直接転送する“ディレクトモード”も使えなくなるようだ(正確な表現をすれば,機能するかどうかの保証ができない状態になるという)。

 もともとクラウド機能は使っておらず,GRで撮った写真をその場で1枚だけiPhoneに転送するのに使用していたため,クラウド機能が使えなくなっても問題ないと思っていたが,iPhoneのEye-Fiアプリのアップデートもなくなるため,iOSのアップデートにともなう動作保証がなくなってしまうのである。

 iPhone側のEye-Fiアプリが動作しなくなると,私のEye-Fiカード4GB Connect X2は,わずか4GBしか容量がなくて,バッテリーを多めに消費するだけの単なるSDカードになる……

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2016年7月 6日

川口市保存の京急デハ230形がボロボロに…

 京急の貴重な車両、管理されずボロボロ…譲渡へ(2016年07月03日 読売新聞)

 埼玉県川口市は、同市青木町公園総合運動場に約40年間展示され、老朽化が激しい京浜急行電鉄の「デハ230形」客車の無償譲渡を決め、補修と移転展示を引き受ける団体の公募を始めた。

 当時のままの姿で国内に残る同形車両は他県を含め今や3両だけ。市立科学館の新田光一館長は「応募がなければ廃棄になる。いい引き取り手が出てほしい」と願っている。

 市や京急によると、デハ230形は全長16メートル、重さ33・5トン。1929年に製造され、京急線全線で使われたが、78年に営業運転を終えた。79年、同形車両1両が京急から鉄道ファンを通じて川口市に譲渡され、同運動場内の旧市立児童文化センター前に置かれた。車内で遊ぶこともできた。

 しかし、2003年、管理者の同センターが市立科学館に組織変更し、管理は行われなくなった。窓ガラスが割れ、塗装がはがれるなど傷みが進み、市民らから「珍しいので残すべきだ」「保存を検討してほしい」などの声も上がった。

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〔元京急230形の琴電30形3代目(2002年12月22日撮影)〕

 京浜急行のデハ230形電車は,京急の前身のひとつである湘南電気鉄道のデ1形やデ26形,京浜電鉄のデ71形,デ83形などを,大東急〜京浜急行電鉄の分離時に整理統合した型式である。1930年から1940年に製造されていて(読売新聞の記事では1929年となっているが,たぶん間違いだと思う),たとえば「デゴイチ」こと国鉄D51形蒸気機関車が製造された1935年〜1950年よりも古い時代に作られた車両が多いのである。

 同じように歴史のある車両だが,蒸気機関車は古い鉄道車両のシンボル的な存在になっているため,たとえばD51形蒸気機関車は動態保存されている車両の他に,全国で180両近い車両が公園などに静態保存されている。D51以外の車両も含めるとその数は膨大になる。
 蒸気機関車に比べると,古い電車や気動車,客車,電気機関車,ディーゼル機関車は,まったくといっていいほど価値が認められておらず,デハ230形は全国でわずか3両だけになってしまった(川口市の車両を含む)。

 上に写真を載せた高松の琴電に譲渡されたデハ230形電車は,近年まで丁寧に使われて運用に入り続け,2007年まで現役だったが,残念ながら廃車となった。

 川口市の青木町公園総合運動場の展示場所を見ると,デハ230形車両は完全な雨ざらし状態である。2003年から管理が行われなくなったという。鉄道の車両を10年以上も直射日光のある場所で雨ざらしにしたら,すぐに修復不可能な状態になることは自明である。完全に補修すると1000万円以上もかかる見込みらしい。

 読売新聞の記事の写真には,デハ230形車両の後ろに屋根付きの車庫があるのが見える。実は,ここには国鉄9600形蒸気機関車が格納されている。ここでも蒸気機関車偏重,SL一辺倒なのだ。蒸気機関車には屋根が付いて,電車は雨ざらし。どういう意図でこのような管理をしていたのだろう。

 このようにボロボロになるほど荒廃させてしまってから,補修と移転展示を引き受ける団体の公募を始めるというのは,あまりに無責任だと思う。「放置してボロボロにしてしまい,多額の費用を計上して廃棄した」という批判を避けたい,うまく引き取り手が見つかって廃棄費用の負担がなくなれば一石二鳥,たとえ引き取り手が見つからなくても,なんとかしようとしたというアリバイはできる。そのための引き受け団体の公募ではないだろうか。

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2016年7月 3日

日高町が日高本線の部分復旧を要望

 JR日高線 日高町が門別-鵡川間の先行復旧要望(2016年06月17日 北海道新聞)

 日高管内日高町は16日、部分的な不通が1年以上続いているJR日高線について、鵡川(胆振管内むかわ町)―日高門別(日高管内日高町)間20・8キロの先行復旧をJR北海道に求めていることを明らかにした。町側が同日の町議会一般質問で答弁した。

 沿線自治体による「被災箇所復旧、全線運行再開」以外の要望が明らかになるのは初めて。少なくとも38億円とされる復旧費用の負担をめぐって議論が進んでおらず、このままでは廃線論も浮上しかねないとして、段階的復旧に踏み込んだ。

 日高線は現在、苫小牧駅と、折り返し運転のできる設備がある鵡川駅の間で運行されている。町によると、日高門別駅に折り返し運転に必要な信号などの設備を整備すれば、苫小牧―日高門別間の運行が可能としている。費用は約1億円という。

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〔日高本線日高門別駅(2004年8月3日撮影)〕

 地元の人間ではないのに,とても気になる日高本線のニュース。日高町が鵡川〜日高門別間の先行復旧をJR北海道に求めているという記事が目に入った。

 このまま日高本線が廃線になってしまうのではないかと日高町が危機感を感じていることはわかる。しかし,この北海道新聞の記事を読む限りでは「ちぐはぐな印象の日高本線沿線自治体協議会」で書いた,復旧費用の負担をめぐるJR北海道と沿線自治体の間の「ばば抜き」状態はまったく変わっていない。

 日高門別駅に折り返し運転に必要な信号機を整備するために約1億円かかるという。日高町がこの金額を算出ことは難しいだろうから,これはJR北海道が提示した金額だろう。日高町がこの金額を負担しようという議論があるようには見えない。1億円はJR北海道に負担してもらい,日高門別駅まで復旧してほしいと要望しているとしたら,虫がよすぎるように感じる。

 また,日高門別駅まで先行復旧するのに本当に信号設備が必要なのだろうか。たとえば,留萌本線の末端区間の留萌〜増毛駅間で行っているように,鵡川〜日高門別間をスタフ閉塞にして日高門別駅で折り返せば,信号設備がなくても列車を動かすことはできる。長期間列車を走らせていない線路を点検,整備する費用で済むはずだ。
 そのような理由で,JR北海道側にも「動かしたくない」という意思を感じる。

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〔日高門別駅前(2004年8月3日撮影)〕

 昨年11月にJR北海道が営業係数ワースト10を発表した。留萌〜増毛間が4161,札沼線末端区間が1909,富良野〜新得が1430,赤字額は名寄〜稚内の21.6億が最悪という記事だった。

 ところが,実はJR北海道の道内全区間は札幌周辺も含めて赤字である。ローカル線の赤字額は留萌線留萌〜増毛が2.1億円,札沼線北海道医療大学〜新十津川が2.9億円であり,それに比べると幹線である函館本線函館〜長万部は42億円,根室本線帯広〜釧路32億円,札幌圏の小樽〜札幌〜岩見沢・苫小牧26億円と,幹線の赤字額のほうが圧倒的に大きく,赤字ローカル線を廃止してもJR北海道の経営が改善しないことは明確である。

 このように絶望的なJR北海道には既視感がある。国鉄末期に似ているのである。
 国鉄末期には営業係数2000を越える赤字ローカル線が悪者になっていたが,その赤字ローカル線の金額がわずか数億円だったのに対して,たとえば1983年の幹線の赤字は,東海道本線が1912億円,山陽本線1157億円,東北本線1016億円もあって桁違いに大きかったのだ。赤字ローカル線を廃止しただけでは何の改善にもならず,もっと根本的なところを見直す必要があったのだ。

 JR北海道全線での上下分離など,北海道の鉄道網のあり方について抜本的な対策が必要だと思う。それには,北海道や沿線自治体がどのようなまちづくりをしていくのか,明確なビジョンがなければならない。

 ひとつ追記すると,本州では明治以前に形成された町の外縁部に鉄道の駅が作られたところが多いが,北海道には鉄道の駅が作られた後で駅前に形成された町がほとんどである。つまり,北海道では市町村の中心が鉄道の「駅」になっているため,交通の結節点としての駅が重要であることに留意する必要がある。

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〔紋別中学校近くの日高本線踏切(2004年8月3日撮影)〕

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2016年7月 1日

岡山県で相次ぐ用水路への転落事故

 「人食い用水路」岡山の怪 交通死亡事故の1割が転落死(2016年6月29日 朝日新聞)

 岡山県で人々が用水路に落ちる事故が相次いでいる。自転車やバイク走行中の転落死は、過去3年間で31件。県内の交通事故死者数の1割を超える。なぜこうも危ないのか。
(中略)
 「全国の病院で勤務してきたが、こんなに用水路に人が落ちる街は初めてだ」。倉敷中央病院救命救急センターの市川元啓(もとひろ)医師は驚く。昨年、用水路に落ちて救急搬送されたのは89人にのぼり、うち14人が集中治療室に。首や顔から落ちて骨折するケースが多い。市川医師は「歩いて来院する人も含めれば、さらに増える」。昨年12月には県外出身の前県警本部長が県議会で「全国で本県のみが突出して最多という特異な状況だ」と答弁した。ネット上では「岡山の用水路は人食い用水路」とのコメントが書き込まれた。

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〔倉敷市川西町の倉敷用水や橋には柵がない(2015年5月7日撮影)〕

 岡山県では歩行者や自転車が用水路に落ちる事故が多いのだという。岡山県警の統計では,自転車やオートバイを運転中の転落死者数は全国ワースト1位。ずいぶん前にも別のメディアで同様の記事を読んだ記憶がある。

 そして,その理由は「用水路に柵がないから」という結論になっている。

 瀬戸内気候で降水量が少ない中,江戸時代から広大な平野に農地整備を進めた際に,河川やため池から農業用水を引くために用水路が作られ,その総延長は約4千kmにもなるという。農業用水路の周囲の宅地化が進んだ際に柵を設けようとしたが,県民が子供の頃からザリガニをとったりして親しみ,日常の風景となった用水路であるため,用水路の掃除がしにくくなるとか,道路が狭くなって不便になるという声もあり,柵の設置が進んでいないという。

 用水路全部に柵なりガードレールを設置すれば完璧に解決するかといえば,そんなに簡単な問題ではなさそうだ。もちろん,明らかに危険と思われる箇所に柵を設けることは必要だと思う。

 だが,用水路に柵を設けることで,失ってしまうものもある。用水路の掃除がしにくくなると言う声に表れている通り,住民と川の心理的な距離が遠くなってしまう。また,柵がないことにより生み出されている景観も失ってしまう。

 たとえば,同じ岡山県内の倉敷美観地区は舟運で賑わった倉敷川沿いの町並みの美しい景観で知られる。

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〔倉敷川沿いの倉敷美観地区(2015年5月7日撮影)〕

 江戸時代からの伝統的な町並みが保存されている倉敷美観地区では,倉敷川に架かる橋に欄干はあるが,倉敷川沿いの道には柵もガードレールもない。
 美観地区に自転車はそれほど多くはないが,歩行者の数はその他の住宅地の用水路沿いよりはるかに多い。それでも,倉敷美観地区の倉敷川に柵がないことで,転落事故が問題になっているという話は聞いたことがない。

 それでは,なぜ倉敷美観地区では問題にならず,その他の用水路での転落事故が問題になっているのだろうか。

 注目すべきは「自動車」の存在である。

 人や自転車の転落事故をどのように処理しているのかは不明だが,自動車に追い抜かれるとき,あるいは対向して走ってくる自動車を避けるために用水路に近い道路の端に寄ることが,事故の原因になっているケースが多く含まれてはいないだろうか。

 マイカーの少なかった時代には転落事故が少なく,マイカーが増えた近年になって転落事故が増えていないかに注目する必要がある。柵のない用水路や小川は,かつてはどこにでもあったものだと思うから。

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〔福島県三春町の桜川沿いの裏道(1996年8月16日撮影)〕

 参考までに,私が生まれ育った町の桜川沿いの裏道にも,柵やガードレールはなかった。カーブしている部分や,防火用水のために堰を設けて水深が深くなっているところにはガードレールが設置されていた。現在はたぶん全部にガードレールが設置されているかもしれない。

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