« JR博多駅と博多港を結ぶロープウェイ構想 | トップページ | 「シースルー改札」って何だろう? »

2015年12月25日

八高線多摩川橋梁の牛群地形が消滅

040201-134450
〔八高線多摩川橋梁の牛群地形(2004年撮影)〕

 八高線多摩川橋梁のすぐ下にある不思議な地形「牛群地形」について,今年2015年8月4日にブログ記事を書いた。そのときには,水の流れでかたちが変わりやすい牛群地形が変化していることはあっても,まさか牛群地形そのものがすぐになくなることはないだろうと,2004年に撮影した写真を使って地形を紹介していた。

040201-140033
〔八高線多摩川橋梁下流の牛群地形(2004年撮影)〕

 今月の初めにTwitterで,多摩大橋付近で治水のために樹木の伐採と河川改修工事が行われているというツイートを読み,牛群地形と同様の土丹層も埋められてしまうらしいことがわかった。

 多摩大橋の少し下流側になるが,中央本線の多摩川橋梁と立日橋(多摩都市モノレール)の間にあった牛群地形同様の地形にも影響しそうだと感じ,ネットで地図や航空写真を広げてみた。

010108155127
〔立日橋を渡る多摩モノレールから見た中央線多摩川橋梁。中間付近に牛群地形のようなものが見られた〕

 前回のブログ記事でも,

 2004年の時点でも,1980年頃に見た凹凸地形よりもだいぶ侵食が進んでいるようだった。それから10年以上が過ぎ,Googleマップの航空写真で見るかぎり,牛群地形はますます小さくなっているように見える。砂利の採取や多摩川橋梁のコンクリート護岸の影響で偶然生まれた儚い地形が見られるのは,そう長くないことかもしれない。

と書いているように,50年100年続く地形ではないとは思っていたが,あらためてGoogleの航空写真を見て驚いた。8月の時点でのGoogleマップ航空写真には写っていた八高線多摩川橋梁のすぐ下流の牛群地形が,きれいに消失していたからだ。

Photo_5
〔八高線多摩川橋梁。赤丸部分が2004年に牛群地形を撮影した場所〕

Photo_6
〔八高線多摩川橋梁の拡大〕

 牛群地形がほぼ完全になくなっている。重機が入った跡が見えるので,人為的に消し去った可能性もある。
 1979年に東京エリアのミニ周遊券で東北から上京してきて,最初に大宮から川越線〜八高線と乗り継いだときに,車窓からこの牛群地形(当時は「牛群地形」という名称も知らなかった)を見て驚き,ずっと記憶に残っていた思い入れのある風景だったので,ちょっと寂しい。

 地理院地図(電子国土Web)には,過去の空中写真を表示する機能があるので,八高線多摩川橋梁付近の空中写真を年代順に表示してみた。

1974

1979

1984

1988

2007
地理院地図(電子国土Web)より

 1974年頃は北側の東京都昭島市側に多かった牛群地形が,徐々に南の八王子市側に移っていく様子が見てとれる。
 川の中にあるから,水の流れによって削られて珍しいかたちになって表出し,しかしすぐに浸食されてかたちを変え,しかも水害を防ぐためには保存することもできない。本当にはかない風景だった。

 八高線多摩川橋梁の牛群地形の変化に気付くきっかけとなった,中央本線多摩川橋梁と立日橋の間の川の流れの変化も,年代順に表示してみる。

1974_2

1979_2

1984_2

1988_2

2007_2
地理院地図(電子国土Web)より

040201-135806

040201-145701

|

« JR博多駅と博多港を結ぶロープウェイ構想 | トップページ | 「シースルー改札」って何だろう? »

雑記」カテゴリの記事

鉄道」カテゴリの記事

地図」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 八高線多摩川橋梁の牛群地形が消滅:

« JR博多駅と博多港を結ぶロープウェイ構想 | トップページ | 「シースルー改札」って何だろう? »