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2015年9月 8日

山口百恵と松田聖子・AKB48を比較する

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 8月22日の「ピンク・レディーとAKB48を比較してみた」という記事において,オリコン週間ランキング1位曲が9曲のピンク・レディーと,26作連続1位のAKB48を,オリコン週間ランキングの推移をグラフ化することにより,当時社会現象化したピンク・レディーの人気のすごさを示した。

 また,2014年7月31日の「オリコン1位が4曲・山口百恵はホントに凄かったの?」という記事では,1980年代中頃から多くの“オリコン週間シングル1位”が作為的に作られている可能性について言及し,その価値が大きく下がっていることを示すとともに,週間ランキングでの作為が働きにくい“年間ランキング”の推移をグラフ化することによって,オリコン1位曲が4曲しかない山口百恵が,はるかに多くのオリコン1位曲を記録している近年のミュージシャンと比べても遜色がないことを示した。

 今回は,オリコン週間ランキングの推移グラフを使って,1970年代の(女性歌手の)トップだった山口百恵と,入れ替わるようにデビューし1980年代に圧倒的な人気だった松田聖子を比較してみる。また,手間を掛けて入力したデータを使わないのはもったいないので,山口百恵とピンク・レディー・AKB48の比較も行った。


■ 山口百恵と松田聖子をオリコンランキングで比較する

 学生時代にジャズばかり聴いていた私は,ボーカルもののレコードを山口百恵以外はほとんど聴かず,シャンソンとファドを少し聴く程度だった。貧乏学生だったのでアパートにレコードプレーヤーはなく,レコードを買っては友人のところでカセットテープにダビングしてもらって聴いていた。私が買うレコードは友人に評判の悪いものが多く(友人のライブラリにも追加となる百恵ちゃんのレコードは別にして,シャンソンやジャズは彼には興味の対象外だった),あれこれ文句を言われながらダビングしてもらったのだった……

 その友人が松田聖子のファンだった。デビュー直後から,松田聖子は一気にトップアイドルに駆け上がった。その人気がすさまじかったことは覚えている。

 山口百恵は1970年代までにもっとも多くのレコードを売り上げた歌手だったが,レコードの売上げやオリコン週間ランキング1位の回数において,松田聖子はあっという間に山口百恵を上回ったと思われる。山口百恵が老若男女に幅広く支持されたのに対して,松田聖子はアイドルらしいアイドルで,男子高校生や男子大学生にずば抜けた人気があった。

 オリコン週間ランキングで山口百恵と松田聖子を比較しても,山口百恵が完敗して意気消沈するだけだからやめておけという考えが自分の中に浮かんでくることもあったが,とりあえずグラフにしてみた。

山口百恵と松田聖子(全体).jpg
〔山口百恵と松田聖子のオリコンランキング順位の推移〕

 青が山口百恵,赤が松田聖子である。
 横軸は週単位の時間軸,縦軸がオリコン週間ランキングで,一番上が1位で一番下が20位となっている。両者の活動時期が異なっているので,横軸でデビュー日時を一致させている。また,松田聖子は活動期間が非常に長いが,2000年以降は上位にランキングされることが非常に少ないため,2000年1月3日付けまでのデータとした(ごめんなさい,データを読み取る気力がなくなりました)。

 さて,グラフを見てどのように感じるだろうか。

 松田聖子は24曲連続オリコン1位,通算でも25曲で1位。山口百恵は1位が4曲なので,松田聖子の赤い色が目立つ? いやいや,意外に山口百恵の青色が目立っている?

 グラフが左側に小さく偏っていて見づらい? ごもっとも。
 それでは,デビューから3年ごとにグラフを区切って表示してみよう。


(1) デビューから3年間の比較

山口百恵と松田聖子(1980〜1982).jpg
〔山口百恵と松田聖子 デビューから3年間の比較〕

 山口百恵(青)は1973年5月21日発売「としごろ」〜1975年12月21日「白い約束」,松田聖子(赤)は1980年4月1日発売「裸足の季節」〜1982年10月21日「野ばらのエチュード」までの3年間の比較である。年齢でいえば,山口百恵が14歳〜17歳直前,松田聖子が18歳〜21歳直前の期間となる。
 どちらも1年間に4曲のペースでシングル曲を発表しているので,グラフの山が比較的重なっていて,比べやすい。

 デビュー曲の「としごろ」が最高位37位とふるわなかった山口百恵に対して,松田聖子の「裸足の季節」は最高位12位となり,デビュー直後にいきなりランキング20位内に登場している。
 2曲目の「青い珊瑚礁」も順調にランキングを駆け上り,4週連続2位を記録。その翌々週には3曲目の「風は秋色」が初登場1位となり,5週連続1位を記録。この衝撃的な登場で,松田聖子は一気にトップアイドルとなった。松田聖子は山口百恵と同じCBSソニー所属であり,既に引退を発表していた山口百恵の穴を埋める“ポスト百恵”として,CBSソニーの強力なプッシュもあった。この3曲は,いずれもCMソングとしてテレビから流れ続けた。

「ピンク・レディーとAKB48を比較してみた」で書いたように,“ランキング初登場1位”は,後年になってレーベル・音楽事務所間でのレコード/CD発売時期の調整手法等が確立し,オリコン1位濫発のひとつの結果と考えることができるのだが,この時期の松田聖子に“ランキング初登場1位”は「風は秋色」しかなく,それ以外の曲は“ランキングを駆け上る”カーブを描いている。

 デビュー2曲目の「青い果実」の♫あなたが望むなら わたし何をされてもいいわ…という大胆な歌詞が話題になり,やっと最高位9位となった山口百恵は,5曲目の「ひと夏の経験」♫ あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ…がヒットして最高位3位,そして7曲目の「冬の色」で初めてランキング1位を記録,5週連続1位となる。
 懐かしのメロディ的な番組で映像が放送されることもなく,現在では百恵ファン以外にはほとんど知られていない「冬の色」がなぜ5週連続1位なのか,不思議に思われるかもしれないが,B面の「伊豆の踊子」が映画『伊豆の踊子』の主題歌だったことの影響が大きいと推測される。

「冬の色」以降は,「湖の決心」「夏ひらく青春」「ささやかな欲望」と伸び悩む。“青い性路線”と“純愛プラトニック路線”を繰り返す路線がややマンネリ化していた印象があり,山口百恵自身もそれを自覚していたんじゃないだろうか。宇崎竜童の曲を歌いたいと主張したのもこの時期だったはずだ。

 デビューから3年間のグラフの面積(1位を20ポイント,2位を19ポイント…20位を1ポイント,21位以下はポイントなしとする)は,山口百恵(青)が1238[ポイント・週],松田聖子(赤)が1769[ポイント・週]となる。この期間の社会的影響は松田聖子のほうがはるかに大きかったと考えられる。


(2) 4年目〜6年目の比較

山口百恵と松田聖子(1983〜1985).jpg
〔山口百恵と松田聖子 4年目〜6年目の比較〕

 山口百恵(青)は1976年3月21日発売「愛に走って」〜1978年11月21日「いい日旅立ち」,松田聖子(赤)は1983年2月3日発売「秘密の花園」〜1985年6月24日「ダンシング・シューズ」までの3年間の比較である。年齢でいえば,山口百恵が17歳〜20歳直前,松田聖子が21歳〜24歳直前の期間となる。

 山口百恵17歳。自ら希望した宇崎竜童の作曲で1976年6月21日発売の「横須賀ストーリー」が大ヒット。「横須賀ストーリー」は7週連続の1位を記録,次の1976年9月21日発売の「パールカラーにゆれて」も5週連続1位となる(近年のオリコン1位は複数週にまたがる連続1位はなく,たった1週だけの1位なので,「横須賀ストーリー」と「パールカラーにゆれて」の1位は12週分=12曲分に相当すると強弁することもできる)。

 しかし,1976年8月25日に「ペッパー警部」でデビューしたピンク・レディーが,ここから2年間,爆発的なヒットを連発し,オリコン週間ランキングの1位を独占することになる。山口百恵もピンク・レディー旋風には圧倒され,1977年4月1日発売の「夢先案内人」で1週間だけ1位を獲得した以外はオリコン1位になることはなかった。

 松田聖子は「秘密の花園」から「ダンシング・シューズ」まで11曲連続でオリコン1位になっている。そのうち9曲が“初登場1位”であり,1位を獲得した後でベスト10に留まっている期間は短くなっている。ランキング推移のグラフにおいて,青い線よりも赤い線のほうが山が急峻で,ピークの幅が狭いのが見てとれる。
 これは,下に示す1977年4月〜5月のオリコンランキング順位の推移と2014年4月〜5月のランキングの推移のグラフの違いほど極端ではないが,毎週ランキング1位曲が入れ替わり,オリコン1位曲を増やしたいレコード会社側の意向が反映されつつあることを意味する可能性がある。

 この期間は,中森明菜がデビューしてライバルとなっただけでなく,田原俊彦や近藤真彦,チェッカーズなどの若いアイドルがランキング1位を競っており,1970年代は1年間にオリコン1位曲が10曲前後しかなかったのに対して,1983年20曲,1984年26曲,1985年28曲と2〜3倍にオリコン1位曲が増えている。

 1968年から2014年までの年間オリコン1位曲数の推移を示すので,その傾向を見てほしい。

年間オリコン1位曲数の推移
〔年間オリコン1位曲数の推移(1968年〜2014年)〕

 1981年から増え始めたオリコン1位曲の数は,1986年と1987年に最初のピークとなる。この2年間のオリコン1位曲数は,1986年が46曲,1987年が44曲となっている。1年間は52週であり,オリコン週間ランキングでは年初の2週間を1週分にまとめていることから,1年間は51週となっている。つまり,ほぼ毎週オリコン1位曲が入れ替わったことになる。

 この2年間はレコード会社側が意図的におニャン子クラブとそのメンバーが毎週交互に曲を発売,それ以外のアイドルもそれとかち合わないように新曲を発売することによって,その多くがオリコン初登場1位を獲得し,翌週から一気にランキングを下げるという状況となった。その手法が,2000年代半ばから完全に確立し,ほとんどの(レコード会社の支援があるという意味で)メジャーなミュージシャンは,発売する曲がすべてオリコン1位となっている。

1977年4月〜5月のオリコン順位の推移
〔1977年4月〜5月のオリコンランキング順位の推移〕

2014年4月〜5月のオリコン順位の推移
〔2014年4月〜5月のオリコンランキング順位の推移〕

 さて,山口百恵と松田聖子のデビュー4年目〜6年目を比較すると,松田聖子のランキング推移の曲線のピークの幅が狭いのに対して,山口百恵はランキング10位に入っている期間が長くてグラフの幅が広く,ランキングが下がっていくと同時に次の曲がランクインするため,曲と曲の隙間が小さいことがわかる。
 松田聖子には1985年6月24日「ダンシング・シューズ」の後から年末までブランクがある。このブランクは,翌年の郷ひろみとの破局,神田正輝との結婚・出産へと続くことになる。

 山口百恵の後半の4つの山は,それぞれ「プレイバックPart2」「絶体絶命」「いい日旅立ち」「美・サイレント(山の途中まで)」を示している。「プレイバックPart2」で紅白歌合戦の紅組のトリをとった山口百恵だが,実はこの1978年後半には相手の名前は伏せたまま“恋愛中”宣言をしており,YouTubeにはTBS『3時にあいましょう』で司会者の野村・三雲に恋愛の相手は誰か,しつこく突っ込まれるシーンがアップされていたことがある。

 よく見ると,女性歌手としてはほぼ頂点に立ったと思われる「プレイバックPart2」以降に,ややランキングが下がり気味なのは,ピンク・レディーの影響に加えて,“恋愛中”宣言によってアイドル的人気を支えていた若い男性ファンが多少離れていった影響があるのではないかと思われる。

 この3年間のグラフの面積=社会的影響は,山口百恵(青)が2202[ポイント・週],松田聖子(赤)が1585[ポイント・週]となる。この期間の社会的影響は山口百恵が松田聖子をやや上回っている。


(3) 7年目〜9年目の比較

山口百恵と松田聖子(1986〜1988).jpg
〔山口百恵と松田聖子 7年目〜9年目の比較〕

 山口百恵(青)は1979年3月1日発売「美・サイレント」〜1980年11月19日「一恵」,松田聖子(赤)は1987年4月22日発売「Strawberry Time」〜1988年9月7日「旅立ちはフリージア」までの3年間の比較である。年齢でいえば,山口百恵が20歳〜21歳での引退,松田聖子が24歳〜26歳直前の期間となる。

 山口百恵のランキング推移でもっとも低い山は堀内孝雄作曲・松本隆作詞の「愛染橋」である。演歌風の曲で,現在でもカバーする人が多い曲だ。デビュー直後の曲を除くと最も売れなかった曲になる。山口百恵の曲としてはインパクトが弱かったことに加えて,そのひとつ前の「しなやかに歌って」発売後のリサイタル中に,“私が好きな人は三浦友和さんです”と発表したことの影響があったのかもしれない。

 1年前の“恋愛中”宣言に続いての“好きな人は三浦友和さん”宣言。デビュー2年目の映画『伊豆の踊子』から,三浦友和とのペアで認識され続けていた山口百恵は,今も昔も恋愛がタブーとされている女性アイドルとしては稀有な存在だったと思うのだが,それでも恋人宣言はランキングに影響した可能性がある。
 そんな中で,「謝肉祭」「ロックンロール・ウィドウ」「さよならの向こう側」「一恵」と,超弩級の曲で盛り返しての引退はさすがだった。

 松田聖子は,この3年間で「Strawberry Time」「Pearl-White Eve」「Marrakesh〜マラケッシュ〜」「旅立ちはフリージア」の4曲しか出していない。いずれも“初登場1位”ではあるが,長くても「旅立ちはフリージア」の7週間しか20位以内に入っていない。1987年は上にも書いたようにおニャン子クラブとそのメンバーを意図的にオリコン1位にする動きが強かった年であり,松田聖子もその動きに飲み込まれたように見える。

 この3年間のグラフの面積=社会的影響は,山口百恵(青)が889[ポイント・週],松田聖子(赤)が353[ポイント・週]となる。この期間の社会的影響は山口百恵が松田聖子を上回っている。


(4) 10年目以降……

山口百恵と松田聖子(1989〜1991)
〔松田聖子 10年目〜12年目のランキング推移〕

山口百恵と松田聖子(1992〜1994)
〔松田聖子 13年目〜15年目のランキング推移〕

 松田聖子の10年目〜12年目のグラフの面積は39[ポイント・週],13年目〜15年目の面積は143[ポイント・週],15年目〜20年目(2000年1月3日まで)は216[ポイント・週]となった。


(5) 山口百恵と松田聖子の比較のまとめ

山口百恵と松田聖子(全体).jpg
〔山口百恵と松田聖子のオリコンランキング順位の推移(再掲)〕

 レコードやCDの売上げ枚数は時代によって大きく異なる。1990年代〜2000年代始めのCDバブル時代は売上げ枚数が突出しており,売上げ枚数で活躍年代の違う人を正確に比較するのは困難である。そこで,相対的な影響力を比較的正確に示すと考えられるオリコン週間ランキングの推移グラフを使って,山口百恵と松田聖子が社会に及ぼした影響を比較してみた。

 デビューから2000年1月3日分までのオリコンランキング順位の推移をあらわすグラフのトータルの面積=社会的影響は,山口百恵(青)が4329[ポイント・週],松田聖子(赤)が4105[ポイント・週]となる。この期間の社会的影響は山口百恵が松田聖子を上回るという結論になった。松田聖子は2015年の現在でも現役であり,2000年以降のポイントを加えれば山口百恵を上回っている可能性もある。

 毎週のランキングから名前を探し出し,順位を読み取る作業は,ある程度連続してランキングに登場している場合は比較的簡単に名前と順位を見つけることが可能だが,数年おきにしかランキングに登場しないものを見つける労力は想像以上であり,今回は2000年以降の松田聖子のポイント計算を断念した。この点については次回までの課題としたい。

 事前の予想では,松田聖子のほうが山口百恵を上回るであろうと考えていたが,予想外の結果となった。1位を20ポイント,2位を19ポイント…20位を1ポイントという重み付けが妥当なのかどうか,少し検討する必要があるだろう。1位と2位の差は,19位と20位の差よりも大きいと考え,指数関数的な重み付けのほうが,より正確な判断ができるかもしれない。


■ 山口百恵とピンク・レディーを比較する

 ずいぶん長くなってしまったが,最後に山口百恵とピンク・レディー,桜田淳子,AKB48を比較したグラフを提示して終わりたい。

山口百恵とピンク・レディーの比較.jpg
〔山口百恵とピンク・レディーのオリコンランキング順位の推移〕

 ピンク・レディー(赤)がオリコンランキング20位以内にチャートインしていたのは約3年間で,そのうち2年間近くはオリコン1位に君臨し続けた。しかし,約7年半の活動期間中,ほとんどの期間,オリコン20位以内に入り続けた山口百恵(青)が4329[ポイント・週]なのに対して,ピンク・レディー(赤)は2457[ポイント・週]で,トータルの社会的影響は山口百恵のほうが大きかったと考えられる。


■ 山口百恵と桜田淳子の比較

山口百恵と桜田淳子の比較.jpg
〔山口百恵と桜田淳子のオリコンランキング順位の推移〕

“デビューしてから数年間は桜田淳子のほうが売れていた”,“引退後の過大評価によって,現在では山口百恵のほうが売れていたと言われるが,実は桜田淳子も同じぐらい売れていた”,という話を聞くことがある。そこで二人のオリコンランキング順位の推移を比較してみた。

 デビューは桜田淳子のほうが約3カ月早く,デビュー曲の「天使も夢みる」が最高位12位まで行ったのに対して,山口百恵のデビュー曲「としごろ」の最高位は37位。
 しかし,1年目の桜田淳子は「天使も夢みる」が12位,「天使の初恋」が27位,「わたしの青い鳥」が18位,「花物語」が9位だったのに対して,山口百恵は「としごろ」37位,「青い果実」9位,「禁じられた遊び」12位で,ベスト10に入ったのは山口百恵のほうが早く,1973年のランキングの面積も山口百恵のほうが大きい。1973年の桜田淳子「わたしの青い鳥」のレコード大賞最優秀新人賞には,疑問の声が多かったことも付け加えておきたい(同年の新人,浅田美代子の「赤い風船」はオリコン1位を記録している)。
 翌1974年も山口百恵が圧倒。唯一1975年はわずかに桜田淳子が上回っている。1976年以降は勝負にならない。

 山口百恵が老若男女に幅広い人気だったのに対して,桜田淳子はアイドルの本道となる男子中高生に人気だったため,周囲に同じ桜田淳子ファンが多かった当時の中高生が,当時の記憶から“実は桜田淳子も同じぐらい売れていた”と主張しているのかもしれない。実態はだいぶ異なっている。


■ 山口百恵とAKB48のオリコンランキング推移を比較する

山口百恵とAKB48の比較.jpg
〔山口百恵とAKB48のオリコンランキング順位の推移〕

 活動時期が大きく異なるので,手元にデータがあった最新の2015年5月25日の週と山口百恵のラストシングル「一恵」がオリコン週間ランキング20位から消えた1981年1月26日の週のデータで横軸を一致させている。

 オリコン1位曲が4曲しかない山口百恵(青)のほうが,26曲連続オリコン1位を続けるAKB48を圧倒していることがわかる。26曲連続オリコン1位といっても,AKB48は“初登場1位”でランキングに登場し,わずか3〜6週程度でランキング20位から消えていくため,活動期間の半分以上はランキングにいない。

 それに対して,山口百恵は活動期間の大部分がランキング20位以内にいて,20位以下に落ちる前に次の曲がランク入りしてくるため,ランキング20位に入っている期間が途切れないことも多い。

 山口百恵(青)が4329[ポイント・週]なのに対して,AKB48(赤)は 2068[ポイント・週]で,現時点でのトータルの社会的影響は山口百恵のほうが2倍以上になる。オリコン1位曲数の比較では絶対に説明できない,当時の山口百恵の影響力の大きさがわかる。

【関連記事】
ピンク・レディーとAKB48を比較してみた』(2015年8月22日)
オリコン1位が4曲・山口百恵はホントに凄かったの?』(2014年7月31日)

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コメント

お久しぶりです。大変な労力ご苦労さんです。時代背景の違う中での3者の比較は大変でしたね。
当時と今何が一番変わっているかと言うと、音楽を聞く機器の変化が一番だと思います。音楽がみんなで聴くものから個人で聞くものに変化してきたことが大きいですね。
レコードからCD、ダウンロードと変化してきて、機器の方も大きなスピーカーのあるステレオセットからウォークマン、最近では携帯やiPodとパーソナルで聴くようになってきましたね。CDの売れない時代になりました。
今後各世代みんなが知っているようなヒット曲は出ないかもしれませんね。
KIDの唯一つ寂しいのは、百恵ちゃんのサムシング ニューが、もうないかもしれない(たぶんもうない)と言う事です。化石堀をしているような気分です(笑)。

投稿: KID | 2015年9月11日 11時28分

 KIDさん,コメントありがとうございます。

 音楽の聴き方は本当に変わりましたね。家族で同じテレビ番組を見ることも少なくなったと思います。

 百恵ちゃんのサムシングニュー,もうないかもしれませんね。残念です。
 ファンとしては,録音時の不完全なテイクも歓迎なので,ジャズのアルバムのように「横須賀ストーリーTake1」「横須賀ストーリーTake2」…みたいなのも期待したいですし,ライブ音源のブートレグにも期待したいですが,やっぱり無理ですかね。

投稿: 三日画師 | 2015年9月12日 13時54分

ほんとに、お疲れ様でした。

でも、オリコンだけが人気のバロメーターではないし、百恵ちゃんの魅力やオーラやすごさは、当時のファンなら分かりますよね。

最近なぜか、百恵ちゃんが過大評価されてるというような、腹立たしい書き込みする人がいるし(盲目な聖子ファンなのですかね??)、今の若い人も百恵ちゃんを下げたような書き込みをしているので、見てるとほんとイライラします。いったい何がわかるのよ!って。

時代背景が違う為、比較してもあまり意味がないように思いますが、体調悪い中、こうやって分析していただいて、ありがとうございました。少しイライラも緩和されました。

投稿: なお | 2015年11月10日 03時48分

 ありがとうございます。

 当時の状況を知らない人が,オリコン1位が水増しされている状況での「○曲連続オリコン1位」と比較したり,CDバブル時代の売上げ枚数と比較して低評価することには腹立たしささえ感じますよね。

投稿: 三日画師 | 2015年11月12日 22時20分

百恵さん淳子さんをリアルで知ってる当時の小学生ですが、確かに百恵さんは、オリコンチャートイン期間は長かったかもしれませんが、「百恵は老若男女に人気で淳子は中高男子中心の人気」との記述は納得が、いきません。私の体感では二人の国民的アイドルとしての人気はほぼ同等。
バラエティでは、ピンクレディ淳子のほうが圧倒してた感があります。
こういう記述が百恵過大評価に繋がるのではないでしょうか?

投稿: ち | 2016年1月27日 00時02分

 当時の小学生が「私の体感では二人の国民的アイドルとしての人気はほぼ同等」と感じるのは不思議ではありません。ブログの中で私が「桜田淳子はアイドルの本道となる男子中高生に人気だったため,周囲に同じ桜田淳子ファンが多い」と書いている通りです。

 桜田淳子の方がバラエティに多く出ていたかもしれませんが,「圧倒」の根拠がわかりません。それこそが“当時の中高生目線”なのではないかと思います。

投稿: 三日画師 | 2016年2月 7日 13時19分

こんにちは。
概ね三日画師さんの分析通りかなと思います。
ピンク・レディーは一世代前の天地真理同様瞬発的な人気でしたし(ピーク時は確かに百恵さん以上に人気でしたが)、映画やドラマで活躍したとは言えません。

逆に淳子さんは百恵さんよりはバラエティのスキルもありましたし、1974~75年の人気は百恵=淳子でした。
ただ残念ながら歌唱力の面でアイドルの枠を超えて活躍できるスキルがあったとは思えませんし、
「しあわせ芝居」といった中島みゆき楽曲の新境地開拓が
遅すぎ、歌手としての寿命を延ばすことができませんでした。
「リップスティック」「化粧」など歌手活動後半にも佳曲は
あったんですが、「ミスティー」など明らかな迷走や、
事務所的に将来性のある松田聖子への肩入れなどもありましたし。さらに淳子さんは同性人気が低かったのも、
「ぶりっ子」「潔癖すぎる(後の例の騒動にも繋がりますが・・・)」点が人気を落としていったように思えます。

投稿: BOY | 2016年6月20日 22時56分

連続投稿すみません。
AKBは最早顔と名前が一致するメンバーが
渡辺麻友・柏木由紀・指原莉乃・小嶋陽菜・峯岸みなみと
この5名しかおりません。しかも既に人気は頭打ちで、
マスコミ操作で必死に人気があるようにチャート操作している疑惑もあります。
今後工藤静香や満島ひかり・篠原涼子・
永作博美・中谷美紀・持田香織などのように、
グループを離れてソロで成功するメンバーがいるようにも思えません。
要するに何が言いたいのかというと、チャートの数字に依存しているだけで、人気は局地的・一部のヲタにしか浸透しておらず、天地真理や百恵・聖子・明菜・安室といった国民的支持・人気を得る存在ではないという事です。
せいぜいおニャン子クラブに毛が生えた程度かと(実力含め)。

投稿: BOY | 2016年6月20日 23時05分

 バラエティ番組での桜田淳子やキャンディーズの活躍は覚えております。収録じゃなくて生放送のバラエティ番組で機転が利くのは,やっぱり才能でしょうね。

 最近の音楽番組を何度か見たことがありますが,ほとんどの演奏が録画(特に演奏・歌唱場面)であり,生放送・生演奏・生歌唱の緊張感はなく,プロモーションビデオを見ているかのようでした。クラシックにしろジャズ,歌謡曲にしろ,生演奏・生歌で感じることができるはずの魅力が伝わってきません。

 また,同世代だけの人気ではなく,老若男女から支持される国民的スターには,言葉遣いや礼儀作法,奥ゆかしさが求められると思います。正直言って,音楽番組に出てくる若い人の言葉遣いや所作は,たとえ同年代の若者に支持されても,老若男女に支持されることはないと思います(年寄りみたいな意見ですが,半分は自覚しています)。

 たぶん,音楽番組から国民的人気を得るような存在は出てこないんじゃないかな。むしろ,たとえばスポーツ選手の浅田真央ちゃんのほうが,礼儀正しく,言葉遣いに奥ゆかしさも心の強さもあり,国民的スターと言える存在だと思います。

投稿: 三日画師 | 2016年6月20日 23時54分

 私は、小・中時代は百恵さんで、高校生以降は聖子さん、明菜さんの時代でした。セールス的には聖子さん、明菜さんの方が上だと思うし、彼女たちの歌や魅力、オーラはすごかったと思います。が、やはり、百恵さんが一番ですかね。

 うまく言えませんが、60年~70年代と、80年代以降とでは、価値観も空気もまったく違います。異質過ぎて比較はできないのですが、私の感覚では、百恵さんは、重い昭和の空気を背負ったスーパースターであり、聖子さん、明菜さんは、明るい時代に突入した昭和のトップアイドルだと思えます。

 3人とも手の届かない存在でしたが、百恵さんは、まさに雲の上の存在でした。引退後の評価も、決して誇大評価ではないですね。

ただ、ふと青春を振り返るとき、明るい時代の明るい歌を聴きたいと思うので、動画の閲覧数などは、聖子さんに軍配が上がるかもですね。

投稿: ゆき | 2018年6月23日 14時43分

 ゆきさん,コメントありがとうございます。

 セールス=売上げ枚数で比較すると,1960年より1970年,1970年より1980年が有利になりますし,トータルで見れば1990年から2000年代に活躍した人が圧倒的有利になりますね。日本レコード協会が出している売上げ枚数のグラフを見ると,1995年は1970年の約4倍になっているので,1995年の400万枚が1970年の100万枚ぐらいのイメージではないかと思います。

》百恵さんは、重い昭和の空気を背負ったスーパースターであり、
》聖子さん、明菜さんは、明るい時代に突入した昭和のトップ
》アイドルだと思えます。

 同感です。よくわかります。松田聖子さんは正統派アイドルであり,まさに歴代のトップアイドルだと思います。

 私が大好きだった百恵ちゃんは凄かったのですが,なんというか大物になりすぎてしまって楽曲(特にシングル曲)に遊びはあっても余裕がなく,ゆきさんがおっしゃるようなある種の“重さ”を感じるものになっていました。

 正統派アイドルが不在,ピンク・レディーも失速した1970年代末,アイドル界は行き詰まっていたと思います。山口百恵が陰のイメージを持ちつつ華やかすぎるがゆえの閉塞感とでもいうか,自由にはじけるアイドルを求める人々は多かったでしょうね。

 1980年に山口百恵が引退。入れ替わるようにたくさんのアイドルが一斉にデビューします。「ポスト百恵」の座の奪い合いです。アイドル黄金時代の始まりです。
 あからさまに百恵路線を狙ったアイドルは成功しませんでした。時代は閉塞感を求めてはいなかったのです。
 トップアイドルになったのは正統派の松田聖子でした。

 その25年前,私の好きなジャズの世界でも同じような動きがありました。

 チャーリー・パーカーというモダンジャズを作り上げた巨人がいました。自由な即興演奏を極限まで突き詰めていったチャーリー・パーカーのビバップは次第に難解になり,重苦しく行き詰まっていました。
 1955年チャーリー・パーカー死去。影に隠れていた若手ミュージシャンが,ボサノヴァやルンバをジャズに取り入れて,一斉に人気になります。ハードバップのジャズ黄金時代がそこから始まりました。

》ただ、ふと青春を振り返るとき、明るい時代の明るい歌を
》聴きたいと思うので、動画の閲覧数などは、聖子さんに
》軍配が上がるかもですね。

 おっしゃることはよくわかります。
 チャーリー・パーカーの演奏が凄いことは知りつつ,普段聞きたくなる音楽はもっと気楽で楽しいハードバップ。山口百恵のアルバムを聴くとき,マイナーなアルバム曲が愛おしく感じ,シングル曲は飛ばして聴いたりしています。

 長くなってしまってゴメンナサイ。

投稿: 三日画師 | 2018年6月26日 16時15分

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