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2008年12月25日

PLAYBOY誌終刊前号の山口百恵インタビュー

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 月刊PLAYBOY誌が来年1月号をもって廃刊となる。終刊前号・終刊号にはこれまでのインタビュー記事の傑作選が再録されているという。そのインタビュー傑作選【前編】の中に,筑紫哲也が引退直前(1980年11月)の山口百恵に対して行ったインタビューが掲載されていることを偶然知った。

 ただ,それを知った時期が遅かったため,既に本屋に積まれているのはPLAYBOY誌の終刊号(1月号)になっていて,その記事が載っている終刊前号(12月号)はどこにも残っていなかった。しかたなく,近くのコンビニで受け取れるネット書店で注文し,今日さっそく受け取ってきたところである。

 月刊PLAYBOY誌を買ったのは,たぶん学生時代以来のことだから二十数年ぶりになる。昔から,綺麗なヌード写真と意外に硬派な記事が多い雑誌だという印象だっが,ややスノビッシュというかなんというか独特の雰囲気があって好きになれなかった。私の大好きなJAZZの特集も多かったように思うが,しゃれた蘊蓄を覚えよう的なノリの記事ばかりのように感じ,立ち読みすらしなくなっていった。

 そんなわけだから,月刊PLAYBOY誌が廃刊になるといっても,それを取り立てて言うほどの感慨はない。ただ,ふらふらと目的もなく,何かに集中することもなく過ごした学生時代の記憶を思い出させるきっかけにはなった。当時は平岡正明(ジャズ評論家であり『山口百恵は菩薩である』の著者である)の本に影響されてJAZZと山口百恵ばかり聴いていたこともあって,その当時の山口百恵のインタビューだけは何としても読んでおきたくなったのである。

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 インタビューは,百恵と確執のあった父親についての質問から始まっている。
 (「PB」はPLAYBOY側ということで,すべて筑紫哲也氏。ただし,終刊前号の記事は残念ながらインタビューの一部を省略しているので,全文掲載されている『暴走の光景 1』筑紫哲也著から一部分を追記し,その部分は「筑紫」としている)

【父について】
(引用開始---------------------------------------------
PB お父さんは今どこにいるんですか。
百恵 知らないです。
PB 最後にあったのは?
百恵 倒れてすぐですね,父が。
PB 足利の病院で。とすると,あれはあなたのデビューの翌年だから,もう満6年になるわけだ。最近の消息も聞いていない?
百恵 ええ,あまり聞きたいとも思いません。

---------------------------------------------引用終了)

 山口百恵は父を歌っていない。デビューしてすぐの歌の中に「パパ」が出てくる曲があるが,それはあくまでTVドラマの宇津井健に相当するもので,自分の父親を歌ったものではない。「いい日旅立ち」の中に,“父が教えてくれた歌を道連れに”という歌詞が出てくるが,これは作詞した谷村新司の無神経さ故だと思っている。

 そんな中,傑作アルバム『A FACE IN A VISION』の一曲目の「マホガニー・モーニング」に出てくる老人,これが父親だというのが評論家平岡正明の説である。花びらの下に座っている老人は,山口百恵の実の父親であり,褐色の肌の色というのは,父と離れて育った百恵自身の比喩であると。だから,高く滑らかなファルセットで「そっとそっとしてあげて」と優しく歌ったとき,山口百恵が大乗の菩薩として父親を救った,許したのだと平岡は解き明かしている。

 「マホガニー・モーニング」(作詞:阿木燿子,作曲:芳野藤丸)は,Pink Floydの「エコーズ (Echoes)」(アルバム『おせっかい (Meddle)』に収録)にそっくりの,無機質で静寂なゆっくりした長いイントロで始まる。

   はらはらと散ってゆく
   花びらの下で
   年老いたその人は
   一日座ってる

 花びらがはらはら舞い散る木は,曲名からするとマホガニーだろう。どんな花なのか,見たことがないので良くわからない。マホガニーは常緑広葉樹で,中国名では桃花心木と書かれる。桃の花に似ているのだろうか。センダン科マホガニー属に属することから,センダンの花に似ているのだろうか。

 作詞家の阿木燿子はどこかのインタビューで,この曲を南部アメリカのイメージで書いたと言っているのを読んだ記憶がある。マホガニーはドミニカの国花にもなっており,中南米では一般的な花なのかもしれない。もう少しこのへんの知識があれば,曲のイメージや解釈ががらりと変わってくることもありそうだ。
 ここでは,年老いた「その」人の「その」の距離感がポイントになる。年老いたあの人でもなく,年老いた人でもない。

   起きたまま見る夢を
   当ててみましょうか
   昔 市場で買った
   帽子と金の鎖

 花が舞い散る木の下で,老人は過去を回想する。もう自由に歩き回れなくなってしまった老人は,一日中ぼんやりと座ったまま,若かりし日の想い出の中に生きている。

   階段の踊り場では
   子供が遊んでいる
   褐色の肌の色

   そっと そっとしてあげて
   マホガニー・モーニング

   「マホガニー・モーニング」(作詞:阿木燿子,作曲:芳野藤丸)

 プレイボーイ誌のインタビュー記事を読むと,引退直前にあっても百恵は,父に対して阿修羅のごとき形相を向けているように見える。とても父親を許しているようには思えない。

 「マホガニー・モーニング」の老人が実の父だというのはわかる。年老いて今は動けなくなってしまったが,若い頃はテンガロンハットをかぶり金のブレスレットをしたプレイボーイで,あちこちに女を作ったりもしていただろう。そして,「その」人と表現されていることに,老人(=実の父)との距離を感じる。

 階段の踊り場で遊んでいる褐色の肌の子供は,やはり私生児としての百恵の暗喩だろう。「そっとそっとしてあげて」という歌いかけが,「老人をそっとしてあげて」ではなく,「(年老いたその人よ)褐色の肌の子供のことをそっとしてあげて」であるとすれば,感情のこもった見事なファルセットの「そっとしてあげて」は,父親を許したものではないと解釈できるのではないだろうか。


【結婚と仕事】
(引用開始---------------------------------------------
百恵 (略)結婚するっていったって,それが1年でだめになるかもしれないし,5年続くか,10年続くかわからないわけですよね。そういうことを考えると,本当は仕事を持ってた方がいいんだろうと思うわけだけれども。(略)最終的に,うんと年をとったときに,「ああ幸せだったわ」って思えればいい。だから,別に今から幸せを追っていくということじゃなくていいように思うんですよね。(略)
PB たとえば,結婚後の吉永小百合さんみたいな行き方を考えることはありませんか。
百恵 要するに,しぼって仕事をする,映画に出るという……。私は,歌にしろ映画にしろ,今の仕事に戻っていきたいとは思わないんですよね。
PB でも,30,40になればまた別な歌が歌えるでしょう。
百恵 欲というものは出しちゃえば切りがないんですよね。でも,今までのことを考えると,この7年半の間で私は思うぞんぶんやってきたし,それぞれに,こうだよって,はっきり自己主張できるような形でやってきたし,だから悔いも残らないし,未練もないし……(略)

PB 吉永小百合のことを訊いたから,もうひとり美空ひばりのことを訊きたいんだけど,あなたは,わりと早い時期から,ひばりの次の女王候補という言い方をされていた。一方は横浜,一方は横須賀という,わりと共通の雰囲気から出てきて,実力で一時代を築いた。もちろんキャラクターはまったく違うけれども,それは時代の違いであって,本質は意外と似ているんじゃないかしら。
百恵 はっきり言って,似ていてほしくないですね。私はあんまり好きじゃない──というと非常に失礼ですけどね。たとえ仕事をしていてもしていなくても,あそこまで孤独になってしまいたくない。

---------------------------------------------引用終了)

 インタビューのあった1980年当時,美空ひばりは暴力団との関係云々もあってNHKの紅白歌合戦に出場することもなくなるなど,メディアへの露出も少なくなってはいたが,それでも芸能界の女王だった。

 その美空ひばりに対して,「はっきり言って,似ていてほしくないですね。私はあんまり好きじゃない」である。これを聞き出したインタビュアーの筑紫哲也もすごいが,きっぱり言ってしまう山口百恵の度胸(or 醒めかた)もさすがだ。覚悟ができている人間というか,確信が持てている人間はやっぱり強い。

【70年代の象徴】
(引用開始---------------------------------------------
PB やっぱり70年代という時代が山口百恵を生んだという面があると思う。たとえばウーマンリブなんていうのは興味ありますか。
百恵 ないです。
PB じゃ,この10年間──というより,あなたが出てきてからの7年半でもいいや,時代の動きの中で何か興味を持ったものってありますか。(略)
百恵 そういう意味での興味っていうんだったらば,興味を持ちたい対象になるようなものがなかったという感じ。ただウーマンリブっていうのは,時間がなくて興味が持てなかったんじゃなくて,集団意識であんなもの叫んだってバカみたいっていう感じしかなくて。
PB ただ,厄介なことは,70年代を百恵の時代とすれば,それがウーマンリブの時代であったことと無関係ではないわけだ。女性の自己主張という一点にしぼってみてもね。
百恵 自己主張ということを言うなら,自己というものは集団ではあり得ないと思うんですよね。大事なのは本人でしょ。個人の意識であったりね。(略)叫んで,集団意識の中である程度世間に認められた上で「私は……」ってしゃしゃり出ていくのは,私はウソだって思うから,そういう意味においてのくっつけられ方はいやだったんですけどね。(略)
筑紫 そういう人たちから「百恵ちゃん,ヒヨったわね」と非難されることに対しては?
百恵 私は私だからしょうがないでしょって,はっきり言っちゃえばそういう感じですよね。

---------------------------------------------引用終了)

 今の若い人だと,「ウーマンリブって何?」かもしれない。当時は「翔ぶ女」や「キャリア・ウーマン」をキーワードとして,女性の地位向上,女性差別反対の運動が盛り上がり,その象徴として「プレイバック Part 2」で「馬鹿にしないでよ!」「坊や,いったい何を教わってきたの」と歌った山口百恵が語られることも多かったのだ。

 それが,百恵当人は「ウーマンリブには興味がない」「あんなもの叫んだってバカみたい」。そういう何か特定の集団の象徴とならなかったことが,かえって高度経済成長が止まって方向性がまるで見つからなかった70年代の象徴として,「山口百恵」がいまだに生き続けることを示唆しているのような気がする。

【泣かない女】
(引用開始---------------------------------------------
百恵 (略)たとえば何かプレゼントをしてくださった方が喜んでくれるような喜び方ができない。だから,人から物をもらうのがいやだし,どっかへ一緒に連れていってもらうのがいやだった。
筑紫 感じてはいるんだけど表現が下手だというタイプだと,芸能界にはあまり向いていないはずなんだけどね。
百恵 そうですね。
筑紫 居心地は終始悪かった?
百恵 悪かったというよりも,何でこんなことでガチャガチャ言われなきゃならないんだ,こんなところで泣こうが泣くまいが関係ないでしょ,ということはよくあった。たとえば賞をもらったからって決して最高ではない。それはあくまでも一部分の評価でしかないわけだし,レコードは売れてなくてもうんといいステージやってる人っているわけでしょう。一部分の評価でしかないもので,そこで自分が泣いた泣かないということで,こういう人間だと言われてしまうのが,すごくいやだったしね。
筑紫 そこではもう「張り合いのない子」であることに居直っているわけだ。(笑)
百恵 実際,賞をもらわなくても,私がやってきた仕事の中では全く支障をきたしていないですよね。新人賞でも,全部次点ばかりなんです。グランプリというのはひとつもない。それなのにちゃんとやってこれているんだから,賞なんて実は関係ないんじゃないかというのがすごくあって。何となく人間セリ市みたいな感じがしていやなんですよ,(略)

---------------------------------------------引用終了)

 わかっている人はわかっている。というか,ごく普通のまっとうな感覚の持ち主だったのだ。現実に,「グランプリというのはひとつもない」山口百恵の歌は,21世紀の今になっても燦然と輝いている。

 山口百恵がシャンソンの金子由香利を尊敬し,あこがれていたことはよく知られている。(金子由香利はシャンソン界きっての歌い手だから,レコードが売れてないというわけではないが)「レコードは売れてなくてもうんといいステージやってる人」がいるというまっとうな感覚は,そのあたりからきているのかもしれない。
(CDがたくさん売れていても,聴くに堪えない自称?アーティストが多すぎるのかも)

[参考文献]
081224233639
 筑紫哲也著『暴走の光景 1』すずさわ書店
 月刊PLAYBOY 1980年11月号のインタビューが全文掲載されている。なんと情けないことに,本エントリーを書くためにこの本を引っ張り出してきて,初めて,本書のインタビュー部分が月刊PLAYBOY 1980年11月号に掲載されたものだったことに気づいた。

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コメント

こんばんは。

山口百恵さんの話になると胸がきゅんとします。

当時別にファンというわけではなかったのに。

この頃、やっと彼女の存在に撃たれているとい心境。

投稿: osa | 2009年1月 8日 21時24分

 osaさん,こんばんは。

 本当に不思議なひとでした。長年ファンを続けてますが(デビュー当時からのファンというわけではありませんが),なんでそんなに惹かれるのか,自分でも良くわからないんですよねぇ。

投稿: 三日画師 | 2009年1月 8日 23時36分

山口百恵って短大時代、卒業間近だったと思いますが短大近くの電車の駅の近くにある
商店街みたいなとこで、TV画面に映っていました。引退コンサートが放送されていました。
よく覚えてますよ。ぼんやりと見ていました。
あれから長くなったものですね。中学のときに中三トリオって出ていました。私より、やや年上でした。
3人とも、ずいぶん変わりましたね。懐かしく思い出されます。

投稿: momo | 2010年4月 2日 17時58分

 引退してから30年ですもんね。活動していたのが,わずか7年半だから,活動していた時間よりも,引退後の時間のほうが4倍近い長さになるんですよね。本当に長くなりました。

 百恵さんは私よりもちょっと年上ですが,ちょっとでは済まないほど大人の雰囲気を持った人でした。

投稿: 三日画師 | 2010年4月 3日 01時57分

親より年上の山口百恵、大ファンです。
同じ時代にリアルタイムで見たかった。
旦那も超イケメンで本当素敵な夫婦。

投稿: 通りすがり | 2018年1月25日 11時33分

大ファンになった瞬間は昨日の様にハッキリ覚えていて身体中に強烈なトキメキ感は最初で最後というくらいでした。♪禁じられた遊びのレコードを母が何か好きなのあったら買ってあげるよと言って自分が選んだけど特別にファンでもなかったけど伊豆の踊り子の格好で♪冬の色を歌ってたのを見てて大ファンになった瞬間ずっとこの人のファンでいようと固く心に決めた事を鮮明に覚えてます。なので永久です。

投稿: イチゴチャンス | 2019年1月 6日 03時02分

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