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2017年3月20日 (月曜日)

シーサイドライン延伸工事が進む 金沢八景

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再開発真っ盛りの金沢八景を歩く


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 上大岡から京急線の普通浦賀行きに乗り,金沢八景駅で下車する。少し離れたところにある横浜シーサイドライン金沢八景駅を京急の駅まで延伸する工事に合わせて,橋上駅化する工事が行われており,ホームの上の構造物ができつつある。

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 ホーム下の改札口に続く階段。京急の金沢八景駅は築堤(一部切土?)の上にホームがあり,一段低くなった地上に改札口がある。

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 京急金沢八景駅の改札口。

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 京急金沢八景駅前からできあがりつつある橋上駅舎を見る。写真右側の工事中の桁は横浜シーサイドラインの駅と京急の駅を結ぶ連絡通路。

 京急金沢八景駅の工事計画を詳しく読んでいないので,地上の改札口が残るのかどうかは不明だが,完全に橋上駅に移るとすると,地上から京急線に乗るには,階段またはエレベーターで3階まで上がってから2階に下りることになりそうだ。

 さすがに21世紀になって10年以上経った今はバリアフリーの時代になっているので,延伸した横浜シーサイドライン金沢八景駅のホームと京急金沢八景駅の橋上駅の高さは一致させて,同一平面上で乗り換えられるようにするはずだが,乗り換えではなく地上から京急線を利用する客は少し遠回りになる。

 金沢八景駅は駅前広場から停車中の赤い電車が見えるのが特徴であり,ぜひとも新しい駅でも外から電車が見えるようにしてほしいのだが,さてどうなるだろうか。

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 駅前の商店街は区画整理で一掃され,菓子処「鳳月堂」の新しい建物だけがぽつんと建っている。この「鳳月堂」の建物が仮設なのか,区画整理後を一郭に建ててあるのかはわからない。駅の正面にあった三本コーヒーショップやお茶の六浦園は,駅北側の「せとこみち」という仮設店舗群に移っており,駅前広場の周囲がどのようになるのかはまだ見えてこない状況だ。

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 工事用フェンスに描かれた京急線の電車や飛行機をじっと見つめる少年。

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 京急金沢八景駅の上屋はかなりできあがっているようにも見えるが,駅前からの階段や通路がどのように設置されるのかはまだわからない。

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 個人的には,あまり階段の上り下りをせずに駅を利用したいので,一度3階まで登らずに,現状のような地上から真っ直ぐホームに上がる階段を残してほしい気がする。

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 新しく建てられた「鳳月堂」の横を歩いて,横須賀街道(国道16号線)の交差点へ向かう。横浜シーサイドライン金沢八景駅に電車が到着したタイミングで,たくさんの人が京急金沢八景駅に向かう人並みができるが,その人並みもしばらくすると途切れる。

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 横浜シーサイドラインの延伸工事部分を覗き見しようとするが,フェンスが高く,なかなか防御が堅い。

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 鳳月堂の前から南に続く路地。両側の店舗の取り壊しが進み,すっかりまわりに何もなくなってしまった。かつては八景食堂や居酒屋喜八,八景旅館などが並んでいた路地である。

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 鳳月堂の隣の光栄堂薬局の横から京急金沢八景駅を振り返る。

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 光栄堂薬局の前から横須賀街道(国道16号線)の南側を見る。横須賀街道の金沢八景駅入口交差点付近には数か所のバスのりば(2カ所は降車場)があり,駅前のバスターミナルに入らないバスに乗る場合は横須賀街道沿いで待つことになるらしいが,どの系統のバスがバスターミナルに乗り入れないのかどうかを調べるのは少し難しそうだ。

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 光栄堂薬局の前から横須賀街道の北側を見る。延伸する横浜シーサイドラインの軌道が横須賀街道を跨いで設置されている。まだ仮設の橋受けで支えている状態だ。

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 再び京急金沢八景駅方向を見る。

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 鳳月堂の前から南に続く(元)路地へ。

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 この路地は東海道の程ヶ谷(保土ヶ谷)宿から能見道を経て六浦に至る古道「金沢道(保土ヶ谷道)」であり,かつては平潟湾の海岸沿いの道であった。江戸に近い景勝地だった金沢八景は,鎌倉・江の島見物の途中で立ち寄る行楽地として賑わったという。

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 古道「金沢道」だった路地を通ってたくさんの人が金沢八景駅に向かう。今まで何度かこの街を見に来ているが,この路地にこれほどの人通りがあるのは見たことがない。近くに何かイベントが行われそうな施設があったかな……と考えたが,思いつかない。となると,少し離れているが関東学院大学・関東学院六浦高で父兄も参加しての説明会のようなものがあったのだろう。

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 八景バルや遊食酒家おいしんぼ,居酒屋おぼろ,鳥真などの飲食店が並ぶ。

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 横須賀街道(国道16号線)の金沢八景南口交差点に出る。

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 金沢八景南口交差点から横須賀街道の北側を見る。金沢八景駅前交差点で横浜シーサイドラインの延伸工事が行われているのが見える。

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 金沢八景南口交差点を金沢八景経由磯子駅行きのバスが通りすぎる。

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 金沢八景南口交差点の西側に泥牛庵(でいぎゅうあん)がある。鎌倉時代末期に建立された寺だが,江戸時代にはここに金沢藩の陣屋が置かれていたという。横須賀街道を挟んで向かい側には,金沢八景を展望する九覧亭跡(現在は聖徳太子堂が建てられている)のある金龍禅院がある。

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 昇天山金龍禅院の生け垣。九覧亭跡からの金沢八景の見晴らしを見てみたいとも思ったが,奥に旅館追浜園の看板が見えたので,そっちの方が気になってしまう。

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 金龍禅院の生け垣の角張り具合がすばらしい。

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 金龍禅院の生け垣の先に見える旅館追浜園の看板。

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 南関東でよく見かける古い民家。関東大震災後に建てられたものと思われ,瓦屋根が使われないのは雪国と同じだが,屋根の角度などが違っているように見える。

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 このこんもりとした土手の上に九覧亭(九覧亭跡)がある。

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 旅館追浜園とやなぎ旅館が並んでいる。旅館ができた頃は平潟湾が眺望できたのかもしれないが,現在は目の前に大きな金沢八景マンションが建っている。

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 追浜園とやなぎ旅館の間にすれ違うのが困難なぐらいの細い路地がある。

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 平潟湾側に旅館追浜園の入口がある。
 ここには追浜園,やなぎ旅館,旅館皆楽園と3軒の旅館が並んでおり,かつて金沢八景が行楽地だった頃の名残が感じられる。

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 平潟湾沿いに並ぶマンション群と横浜シーサイドライン金沢シーサイドライン。ちなみに「横浜シーサイドライン」という会社が運営する新交通システムの鉄道線が「金沢シーサイドライン」なので,「京急久里浜線」と同じ言い方をすると「横浜シーサイドライン金沢シーサイドライン」になる。

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 金沢八景駅方向を見る。

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 平潟湾を渡る金沢シーサイドライン。

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 平潟湾にたくさんのボートが係留されている。桟橋がなく,ボートは湾の中央に係留されていて,岸からは小型の手こぎボートで自分の船に向かうらしい。

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 平潟湾に突き出した琵琶島神社と釣り船。

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 金沢シーサイドライン金沢八景駅の真下。

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 琵琶島神社。1180年(治承4年)に源頼朝が瀬戸神社を創建した際,北条政子が瀬戸神社の正面の平潟湾に小さな琵琶島を築き,琵琶湖の竹生島の弁財天を勧請したと言われる。

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 金沢シーサイドラインの金沢八景駅。

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 マンホールに金沢八景が描かれている。これは乙舳帰帆(おっとものきはん)。

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 ベンチ?にも金沢八景が描かれている。ちなみに「金沢八景」は,この地に立ち寄った明(みん)の僧がこの風景を故郷中国の瀟湘八景に似ていると絶賛し,七言絶句の漢詩に詠んだことから名づけられたもので,小泉夜雨(こずみのやう),称名晩鐘(しょうみょうのばんしょう),乙艫帰帆(おっとものきはん),洲崎晴嵐(すさきのせいらん),瀬戸秋月(せとのしゅうげつ),平潟落雁(ひらかたのらくがん),野島夕照(のじまのせきしょう),内川暮雪(うちかわのぼせつ)の八景である。

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 横浜シーサイドライン金沢八景駅の階段。以前は横須賀街道に架かる横断歩道から金沢八景駅に直接続く通路があったが,延伸工事でそれが撤去されたため,この階段かエレベーターを使うようになっている。

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 延伸工事中のシーサイドラインの仮橋脚。

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 かつての連絡通路がここで分断されている。奥に横浜シーサイドライン金沢八景駅の階段が見える。

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 延伸部分が横須賀街道(国道16号線)を跨ぐ部分。

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 横須賀街道の金沢八景駅前交差点。奥に京急金沢八景駅が見える。既存の横浜シーサイドライン金沢八景駅と京急金沢八景駅前を結ぶにはかなりの急カーブが必要になるので,もう少し仮設バスターミナル側に延ばすのかと思っていたが,ちゃんと京急金沢八景駅前まで延ばすようだ。

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 工事用の覆いがあるので見づらいが,連絡通路の柱として使われていた橋脚が延伸部分に使われているのがわかる。この橋脚が延伸時に使われるという話は以前から言われていたが,人口減少社会となり,シーサイドラインの延伸計画にも動くがなく,本当に使われるときがくるとは思えなかった。

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 ちなみにこれが工事が始まる前の歩道橋からの連絡通路と延伸計画を見越した橋脚の写真(2014年8月3日撮影)。

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 現在の金沢シーサイドライン金沢八景駅構内は単線になっていて,複線部分の西側の線路部分にホームが設置されている。この延伸部分の線路を見ると,ホームが設置されている部分にポイントが設置されて,京急金沢八景駅前で複線に分岐している。

 なぜ複線のまま京急金沢駅前まで延ばさないのか不思議に思ったが,よく考えてみると,シーサイドライン金沢八景駅で現在使われているホーム側の線路を延伸しようとすると,ホームに登るエレベーターが邪魔になり,それを撤去するのは利用者に多大な不便を生じさせることになる。まずは現在利用していない側を延伸した上で現在の駅を廃止,その後にエレベーターを撤去して残りを延伸するのだと思われる。

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 横須賀街道の金沢八景駅前交差点。仮設バスターミナルだったところに新しいビルが建ち,店舗群も形成されている。

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 金沢八景駅前交差点から横須賀街道を北へ。右側にあった金沢八景ビルは取り壊され,新しいビルの建築が始まっている。

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 金沢八景ビルが取り壊され,新しいビルの建築が始まっている。その奥に金沢シーサイドラインの金沢八景駅が見える。

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 1180年(治承4年)創建の瀬戸神社。瀬戸三島明神とも呼ばれる。

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 瀬戸神社の正面から真っ直ぐ平潟湾に延びる琵琶島神社の参道。島のかたちが琵琶に似ているから琵琶島と呼ばれる。琵琶湖の竹生島の弁財天を勧請したことから琵琶島,ではないようだ。

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 横浜シーサイドライン金沢シーサイドラインの電車が駅を出て行く。

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 瀬戸神社の前から洲崎町にかけて釣船店が並ぶ。宮川の河口から東の洲崎町が,もともと金澤と呼ばれ,金澤村の中心的集落だったところである。

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 琵琶島神社から瀬戸神社を振り返り見る。まさに真正面に続いていることがわかる。ど真ん中で横須賀街道が両者を分断している。

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 琵琶島神社の参道から横浜シーサイドライン金沢八景駅を見る。地上とホームを結ぶ長い階段とエレベーター,そして延伸工事のために途中で分断された連絡通路が見える。ボラか何かが跳ねて波紋ができている。

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 琵琶島神社の参道と先端の円形部分を結ぶ赤い欄干の橋。

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 かつては橋の部分だけが少し高くなっていたことがわかる。

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 琵琶島神社と横浜シーサイドライン。

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 琵琶島神社と横浜シーサイドライン。

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 琵琶島神社から瀬戸神社を振り返る。

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 琵琶島神社の周囲が丸い島になっていることを写し込もうと思ったが,広角側24mmのレンズでは無理だった。

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 琵琶島神社と横浜シーサイドライン。

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 金沢シーサイドラインの電車が金沢八景駅を出て行く。

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 横浜シーサイドライン金沢シーサイドラインの電車。

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 金沢シーサイドラインの電車が平潟湾を渡ってゆく。

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 琵琶島神社の周囲の松の木。砂地でも生育する松は海岸や岩山にも生えるし,樹形も美しいし,不老長寿の象徴としてとてもめでたい木なのだが,車が走る道路の街路樹として適さないためか,(旧街道の街路樹は松並木が定番だが)街中で見る機会が少ない。

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 琵琶島神社の横の金沢八景駅に停車するシーサイドラインの電車。

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 数年後にはここが駅ではなくなり,電車が通過するだけとなる。

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 琵琶島神社の鳥居の横にしめ縄がまかれた神木がある。

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 福石。源頼朝が参拝したときにこの石に服を掛け,海水で禊祓(みそぎはらえ)したことから福石(服石)と呼ばれるらしい。江の島の福石と同様に石の前でものを拾うと福を授かるらしいが,そうそうものが落ちているわけがない。ゴミを拾って街をきれいにすると御利益があるという意味かな。

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 横須賀街道の金沢八景駅前交差点に戻る。

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 バスターミナルから横須賀街道に出ようとするバス。

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 写真左側が古くから横断歩道兼通路として使われてきた橋脚。この橋脚の真上にシーサイドラインが延伸すると思っていたので,京急金沢八景駅まで延ばすには異常な急カーブが必要になると考えていたが,なるほど橋脚の真上ではなく,こんなふうな使われ方になるのね……

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 新しくシーサイドラインの金沢八景駅になるあたり。奥が京急金沢八景駅。

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 京急金沢八景駅の正面にあったパン屋の「8K-アオキ」が移転して営業中。

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 金沢八景駅東口土地区画整理事業にともなう仮設店舗群の「せとこみち」。

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 新しいバスターミナル(とはいえたぶん仮設)とタクシーのりば。新バスターミナルは大きなロータリーになるのかと思ったが,それほどバスの発着数は多くなく,さらに最終的には駅前に移ることになることから,一直線のタイプとなった。

 ちなみに仮バスターミナルだった2008年3月,バスのりばは次のような寂しい感じだった。

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(2008年3月30日撮影の仮バスターミナル)

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 仮設店舗「せとこみち」。写真左がせとこみち南館,右がせとこみち北館。

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 新バスターミナルのまわりには飲食店のチェーン店やコンビニができている。

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 仮設店舗「せとこみち」。駅前にあった三本コーヒーショップや六浦園などが入店している。

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 区画整理事業が始まる前の駅前の店が全部入っているわけではなく,空き店舗も多いようだ。横浜シーサイドラインから京急への乗り換えが橋上駅上で完結すると,地上に乗り換え客が流れなくなる。「せとこみち」も含めて,新バスターミナルの周辺は魅力的だが,最終的に区画整理事業が完成すれば,バスターミナルは新しく駅前にできるロータリーに移ることになるだろう。個人商店は難しい判断を迫られていることになる。

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 せとこみちの西側の三本コーヒーショップの前から東側を振り返る。

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 工事現場をくぐって京急金沢八景駅へ。写真右が西口側への通路。橋上駅になると,西口側へ出るためには線路上の連絡通路を使うことになる。この線路下の通路が残るか廃止されるかは,駅の利用以外で駅の東西を移動する人には大きく影響する問題かもしれない。

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 京急金沢八景駅。

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 京急金沢八景駅のホームで帰りの電車を待つ。

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金沢八景

【関連記事】
2006年4月23日 (日曜日):金沢八景は瀟湘八景に似てるの?
2008年3月30日 (日曜日):雨の金沢八景を歩く
2010年10月23日 (土曜日):六浦交差点から金沢八景駅へ
2013年4月14日 (日曜日):乙舳帰帆 野島夕照 平潟湾 野島の舟屋
2014年8月 3日 (日曜日):金沢八景東口地区土地区画整理はじまる

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2017年3月11日 (土曜日)

北品川から青物横丁へ 旧東海道を歩く

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北品川から青物横丁へ 旧東海道を歩く


 上大岡から京急線の品川行き普通(=各駅停車)に乗り,どこへ行こうかと考えながら拙ブログの過去記事を読んでいたら,前回北品川駅で下車したのは9年前の2008年3月ということに気づいた。

 もう10年近く北品川駅で下車していないことに驚く。再開発が急ピッチで進む品川駅北部ほどではなくても,新しい高層ビルが立ち並ぶJR品川駅港南口は近いし,北品川駅周辺が大きく変わっていても不思議ではない。あるいは,10年近く経ってもほとんど変わっていない可能性もある。とりあえず下車して歩き回ってみることに決めた。

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 北品川駅で下車。乗ってきた品川行きの普通電車を見送る。電車の行先にはJR品川駅港南口のビル群が見える。

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 北品川駅のすぐ横の踏切を渡ってすぐに旧東海道に出るのもいいが,まずは北品川駅の北側にある第一京浜の八ツ山橋の踏切を見てみる。踏切付近の大規模な工事が終わり,JR品川駅港南口側と第一京浜新八ツ山橋東詰交差点を結ぶ道路が踏切の下を通るようになったため,地上の(正確には築堤の)道路もだいぶ変わったのではないかと思っていたが,大きな変化はなさそうだ。

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 踏切の築堤からの下り坂にある都営北品川アパート(1966年昭和41年竣工)も健在だ。

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 八ツ山橋の踏切(品川第1踏切)の京急線の電車と都営バス。
 理想をいえば,品川駅方面に去って行く電車ではなく,向かってくる電車が写真に収まってくれたら嬉しいのだが,そうなるともう少しカメラを右に振らなければ構図のバランスが悪くなってしまい,しかも左端に写っているマンション「ペアシティルネッサンス高輪」が写らなくなってしまう。

 ちなみに「ペアシティルネサンス高輪」は1980年末の竣工で,同年結婚引退した山口百恵・三浦友和夫妻が最初に入居した高級マンションであることは知る人ぞ知る話であり,それを構図に入れるかどうかはますますどうでもいい話ではある。

 どうでもいい話を続けると,百恵ちゃんは芸能界デビューしたときに,横須賀市の不入斗中学校から中学3年生で北品川の品川中学校(現在は品川女子学院中等部に名称変更)に転校している。北品川駅のホームで電車を待つセーラー服姿の百恵ちゃんの写真が,当時の雑誌に掲載されたりしていた。初めての住居,ペアシティルネサンス高輪が,卒業した中学とは東海道線・山手線を挟んで斜向かいにあるというのはなかなかの巡り合わせである。

 品川中学を卒業した百恵ちゃんは,芸能活動への理解があり当時から多くの芸能人が通っていた堀越高校ではなく,普通の高校生として通いたいという理由で芸能コースのない日出女子学園に進学する。芸能人「山口百恵」ではなく,同級生と一緒のときには普通の高校生になれることに幸せを感じていたようだ。授業中にサインをねだった簿記の先生の授業を最後までボイコットしたりしつつ,出席日数不足で同級生から遅れること約3か月,6月末に無事に高校を卒業する(そんな日出女子学園も現在は日出中学・高校となって芸能コースが設置され,芸能人がとても多いようだ)。

 普通の高校生であることに幸せを感じ,特別扱いしない友人たちを大切に思う。引退〜引退後と同じだ。弱冠21歳の山口百恵が提示してみせた,大スターや売れっ子芸能人の座にあるより普通の主婦になるほうがとても魅力的であり幸せなのだとする判断は,いつの世も一般の民衆に対して説得力を持ち続けるはずだ。

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 北品川駅ホームのすぐ北にある品川第2踏切から南に続くのが旧東海道(品川宿・北品川本通り商店街)である。

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 旧東海道の北品川本通り商店街。「くさ餅」の幟が立つ枡翁軒。ちなみにATOKの候補は「草餅」「草もち」のふたつ。わかりやすい「草」をひらがなにして「餅」が漢字のままなのは不思議な「かんじ」。

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 枡翁軒の前の丁字路でこの写真(八百半商店)を撮ろうとしていたら,品川浦のほうから坂を上ってきたクルマが丁字路を曲がろうとして,たどたどしいハンドルさばき。私が立っていたのは路側帯の上だったけど,我が身の危険をも感じたので大きく道を譲って差し上げたら,なんとそのまま八百半商店の前に路上駐車,運転していた老人はそのまま八百半商店の中に消えていった。「撮れるときに撮るべし」は,このような短時間でも,数年から数十年のスパンでも,街歩き&写真撮影では鉄則だと思う。

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 北品川郵便局の前から北品川本通り商店街の北側を振り返る。野菜・果物の八百半商店はお客さんでいっぱいだ。

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 フローリスト「はなの樹」の前から北品川本通り商店街の南側を見る。

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 北品川郵便局の前。ちなみに品川宿の北寄りの北品川本通り商店街あたりには,幕府の命により歩行役(かちやく・人足役)が配置されていたことから,歩行新宿(かちしんしゅく)と呼ばれていた。

歩行新宿
(昭和22年発行の地理院地形図。「今昔マップ on the web」より)

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 路上駐車の老人が単なる八百半商店の客なのか(しばらくすれば立ち去る),付近の住人だったりして何十分も停めたままなのか気になりながら,郵便局の前に居続ける。写真の撮影時刻を見ればわかるように,八百半商店の付近に15分も立ち続けている……(なんと酔狂な)

 八百屋での買物に15分もかかるとは思えないので,あきらめて立ち去ろうとしたとき,私の目は見覚えのある老人の姿が店から出てくるのを見逃さなかった。

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 くさ餅の枡翁軒の前に戻り,最初に撮ろうと思っていた構図で撮影。ここまで約20分。そこまで時間を掛けて撮るような写真かと言われればそれまで。

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 せっかくなので問答河岸の碑が立つ丁字路の坂を下る。

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 多国籍料理「居残り 連」の横,八ツ山通りの交差点へ。

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 八ツ山通りの交差点にある多国籍料理「居残り 連」。交差点に面した看板建築の切り欠き(面取り・C面・Chamfer)が美しい。

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 八ツ山通りの栄歩道橋の下から都営北品川アパートを見上げる。

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 都営北品川アパートには都営バス品川営業所が併設されていて,そこからバスが次々に出てくる。

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 八ツ山通りから旧東海道を見ると,旧東海道がかなり高いところにあるのがわかる。

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 都営バス品川営業所の事務所棟。

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 都営バス品川営業所の前の交差点から路地を入ると,品川浦の船溜まりが見えてくる。その横には古い民家の家並みが残っている。

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 品川浦の船溜まり。

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 屋形船が並ぶ品川浦の船溜まりに小さな漁船が帰ってきた。

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 小さな漁船が屋形船の間を抜けて船溜まりの奥へ。

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 それにしても見事な古民家群。路地は未舗装で,中央に石畳がある。

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 建物も植栽も丁寧に手入れされていて,気品を感じる。

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 超高層ビルが立ち並ぶ街のすぐ近くに,このような家並みが残っているのは貴重だ。

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 八ツ山通りを歩いて品川浦船溜まりの南側へ。

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 品川浦がL字型になっている部分に架かる北品川橋。

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 豊かな水産物の水揚げがあり,海苔の産地でもあったかつての品川浦に思いを馳せていたら,突然耳をつんざく轟音が響き,現実に引き戻された。
 公道を走るゴーカートの集団だった。その姿からすぐに,任天堂が提訴したことがニュースになっていた「マリカー」だとわかった。そしてこれはやっぱり“あかんやつ”だと思った。任天堂には相当な苦情が届いたのだろう。個人が任天堂のキャラクターに扮して公道走行しているのならまだしも,レンタルサービスでの集団走行では言い訳できない。

 この後も北品川付近をブラブラしていたら,ゴーカートの爆音が何度も聞こえてきた。調べてみたらこの公道ゴーカートのレンタルショップが北品川にあるようだ。近隣住民の方,大変だね……

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 たくさんの屋形船が並ぶ品川浦と品川の超高層ビル群。

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 品川浦の対岸に先ほどの古い民家の家並みが見える。

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 品川浦(かつての目黒川)に架かるのは1925年(大正14年)竣工の北品川橋。橋のたもとに鮨処「石橋」がある。北品川橋の親柱は石積みなので,それにちなんで石橋なのか,ご主人の名前が石橋さんなのかは不明だ。

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 北品川橋の西側を振り返る。

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 旧目黒川の船溜まり。

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 旧目黒川の右岸(写真左)は河口にできた砂州で,幕府に魚介類を納める御菜肴八ケ浦のひとつ南品川猟師町(現在の東品川一丁目。洲崎とも)と呼ばれる漁業の町だった。沖は埋め立てられ,東京湾が遠くなってしまったが,猟師町だった頃の名残がかすかに感じられる。

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 北品川橋の上から北側を見る。

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 旧目黒川に沿って八ツ山通りを歩く。屋形船・釣り船「ひらい丸」の看板が立つ。

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 品川浦旧目黒川の一番奥。ここから上流側はすっかり埋め立てられ,品川浦公園となっている。

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 品川浦公園から旧目黒川を見る。

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 品川浦公園の横にある利田(かがた)神社。沢庵和尚が弁財天を祀ったのが始まりと言われ,かつて洲崎弁財天・洲崎弁天と呼ばれていた神社である。目黒川河口の南品川猟師町の沖は,江戸時代の中頃から南品川宿の利田吉左衛門によって埋め立てられ開墾(南品川新開場)されたことから利田新地とも呼ばれたという。

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 利田神社(洲崎弁天)といえば「鯨塚」で知られ,品川浦公園にはクジラのオブジェや遊具がある。

 1798年(寛政10年),品川沖に迷い込んだ巨大な鯨を漁師たちが浅瀬に追い込み捕獲,一目見ようとする人で浜は大賑わい。浜御殿(現在の浜離宮)沖まで運び,11代将軍徳川家斉が上覧するほどの大騒動になったという。その後,鯨の骨を埋めて祀ったのが利田神社脇にある鯨塚である。

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 八ツ山通りの台場歩道橋……の下の横断歩道を渡り,台場横丁の坂を上って旧東海道に戻る。

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 星野金物店の見事な看板建築。

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 星野金物店。レンガまたはスクラッチタイルの壁に銅板張りのパラペットがすばらしい。

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 星野金物店の前から旧東海道の南側を見る。

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 同じ場所を撮っても,広角側(この写真は24mm)と中望遠側(ひとつ前の写真は60mm)ではこんなに印象が変わってくる。

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 旧東海道と黒門横丁の交差点。

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 黒門横丁から旧東海道を振り返る。写真左側にあったはずの「天ぷら三浦屋」がなくなってる。がっかりしているところを,「マリカー」装束の外人軍団とすれ違った。こうやって時代は変わっていくんだな……

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 黒門横丁から法禅寺に抜ける。

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 臨海山光照院法禅寺。1384年(至徳元年)開創,芝増上寺の末寺である。

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 法禅寺の山門とレンガ塀。突き当たりが旧東海道である。

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 法禅寺。門の横に品川小学校発祥の地の碑が立っている。品川小学校は品川区で最も古い公立小学校で,法禅寺にあった寺子屋を引き継ぐかたちで開校したという。

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 法禅寺から旧東海道へ。

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 法禅寺の入口から旧東海道(北品川本通り商店街)の北側を見る。

 旧東海道は電線類地中化され,電線は共同溝に埋設されている。しかし,道路上から電柱をなくす無電柱化は行われていない。広い歩道のある道路であれば,歩道上に変圧器や開閉器を納めた地上機器を設置すれば良いが,旧東海道のような道路では設置場所の問題が大きいため,地上に電柱を残して,電柱の上にトランスを設置している(単柱頂部設置方式)。

 トランス用電柱(街路灯)から下がる東海道品川宿のバナー(垂れ幕)には,「きたしなカード葵」と書かれている。北品川地区の北品川本通り商店街・北品川商店街・京急新馬場商店街の三つの商店街共同のポイントカードらしい。

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 野菜・果物「マルダイ」とせんべい処「あきおか」の前。

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 喜楽すしの前の実用自転車。懐かしいロッド式ブレーキだ。

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 喜楽すしの横には品海公園がある。品海公園の入口には小さな街道松とともに品川宿と刻まれた石碑があり,「日本橋より二里 川崎宿へ二里半」と記されている。

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 トーモンハウスの前に東海道品川宿と書かれた門柱のようなものが立っており,ここから南が北品川商店街となる。歩行新宿と北品川宿の境もこのへんになるのだろうと思われる。

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 創業明治23年の老舗尾張屋の前から北品川宿(北品川商店街)を見る。このあたりから目黒川に架かる品川橋までが北品川宿である。

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 尾張屋の前から歩行新宿(北品川本通り商店街)を振り返る。

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 北品川商店街の米の専門店「新実商店」。その奥の緑に囲まれた山門は一心寺。

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 北品川商店街の丸屋履物店は1865年(元治2年・慶応元年),激動の幕末の創業である。店頭にはたくさんの下駄や雪駄・草履が並んでいる。店内には鼻緒をすげていない下駄も並んでおり,ちゃんとした職人さんがいる店らしい。すばらしいね。

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 一心寺。江戸三十三箇所(昭和新撰江戸三十三観音札所)の30番札所である。
 境内は広くなく,山門を入るとすぐに本堂が建っている。

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 一心寺の前から北側を振り返る。

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 一心寺の向かい側,養願寺(品川虚空蔵尊)に続く路地を入る。

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 一心寺側を振り返る。

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 品川虚空蔵尊(天台宗養願寺)。

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 品川虚空蔵尊の前から一心寺方向を振り返る。

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 狭い路地と虚空蔵尊(養願寺)の境内が一体化していて,路地を歩く人が自然に虚空蔵尊の本堂の前を通り抜けるようになっている。

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 虚空蔵尊(養願寺)には女性の参拝者が絶えなかった。

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 虚空蔵尊の南側に続く路地へ。この路地は虚空蔵横丁と呼ばれているらしい。

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 正徳寺を囲む虚空蔵横丁のレンガ塀。

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 正徳寺のレンガ塀と虚空蔵横丁。レンガは下のほうがイギリス積み,上のほうがフランドル積み(フランス積み)になっていて面白い。一般的にはイギリス積みのほうが新しい場合が多いので,施工時期の違いによるものでもなさそうだ。

 そもそも,なぜここにレンガ塀があるのかが不思議だ。由緒ある寺とレンガ塀が結びつかない。古い地図を見ていたら,大正8年発行の地形図のこの付近に学校を示す「文」マークがあることに気づいた。昭和に入ってからの地図には「文」マークが見当たらないが,それがレンガ塀に関係しているのかもしれない。そういえば法禅寺もレンガ塀になっていて,品川小学校発祥之地でもあった。

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 正徳寺のレンガ塀から北品川公園に続く路地に旅館「靜正」がある。

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 旅館「靜正」の横には壊れた井戸がある。このあたりは江戸時代に小泉長屋と呼ばれたところで,入り組んだ路地に共同井戸が残っていることで知られる。探せばまだ現役の共同井戸が見つかるはず。共同井戸の水質は飲用に適さなくても,散水などの生活用水としては十分利用でき,住民に大事に守られている。全国には,「名水百選」に選ばれているのに,飲用不可となっているその土地自慢の名水も多い。飲用に使わないのに,地下水が飲み水の環境基準を満たさないから“安全だけど安心じゃない”とか言っている都知事の行動に唖然とするばかりだ。

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 誰も遊んでいない北品川公園と,寂しく佇む黒猫。

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 入り組んだ路地の中にある北品川公園には飛行機のかたちをした遊具がある。しかも複座だ。印象的な遊具から「ひこうき公園」とも呼ばれるらしい。

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 レンガ塀のある虚空蔵横丁に戻る。

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 虚空蔵横丁から新馬場北口通りへ。

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 新馬場北口通りの京急新馬場商店街。

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 京急新馬場商店街(北馬場参道通り商店街)。以前は商店街の東西に「サクセス品川」という商店街アーチがあったのだが撤去されたようだ。サクセス品川商店街あるいは新馬場北口通り,または新馬場サクセス通りと呼ばれていたのは確かだ。品川神社の前の第一京浜北品川三丁目交差点から東海道北品川交差点まで続く新馬場商店街は,品川神社の参道として発達した商店街である。通りや商店街の名称が定まらないところに迷いが感じられる。

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 明治時代の一軒家を改装したレンタルスペース松本は,戦前は松本酒店,戦後はもつ煮込みが名物の居酒屋「松本屋」だったそうで,この日は山形の野菜を販売中だった。

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 新馬場参道通りから虚空蔵横丁を見る。

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 京急新馬場商店街(新馬場参道通り)に並ぶ看板建築。

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 お菓子の太子堂とリサイクルショップ桃色雛。

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 麺屋「まる」と休み処「品川宿参道」,桃色雛の並び。見事な三軒長屋の看板建築だ。

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 王将せんべいとさっぽろジンギスカン喜楽,そしてパン屋の龍月堂。

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 京急新馬場商店街(新馬場参道通り)は看板建築の宝庫だ。

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 サクセス品川(新馬場北口通り)から北馬場参道通りとなった商店街アーチ。赤い電車が走る京急線の高架橋の先には品川神社がある。

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 電線類の地中化でスッキリした北馬場参道通りの京急新馬場商店街。まだ「サクセス品川」だった2008年11月撮影の写真と比べると,そのスッキリ具合がよくわかる。

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 上の写真からわずか2分後の写真。撮ろうと思った瞬間に撮っておかないと,後で後悔することになる。

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 北馬場参道通りを東へ歩き,正徳寺の門前から京急新馬場駅方向を振り返る。

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 創業宝暦11年(1761年)の加藤畳店(創業時は湊屋)。写真右は正徳寺。

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 木村屋和菓子店とトモ薬局。

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 北馬場参道通り商店街のトモ薬局の看板建築。

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 北馬場参道通り商店街。

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 チャイニーズレストラン「野沢屋」の並びの看板建築。

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 ここの看板建築を2008年11月に撮ったときのようにもう少し引いた位置から撮影したかったのだが,ちょうど向かい側で建築工事をやっていて,その関係者のものと思われる車(工事用車両ではない)が路上駐車をしていて,引きの写真が撮れなかった。残念。

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 突き当たりのやまのて青果の前の道路が旧東海道。

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 北馬場参道通り商店街のミツワヤ化粧品店。ちなみに,上に書いた路上駐車の工事現場はここではない。

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 マルサングループやまのて青果。

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 旧東海道の花と園芸「花本園」と旬菜料理「竹乃家」。このあたりは北品川商店街となる。

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 北品川商店街の若素園と魚より。

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 東海道品川宿本宿「北品川商店街」と書かれた商店街事務所と中国料理「登龍」。

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 若素園と魚よりの間に緑の多い路地がある。

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 東海道品川宿本陣跡は聖蹟公園となっている。江戸初期には南北の品川宿それぞれに本陣が置かれたが,江戸中期に本陣は北品川宿のみとなったらしい。「聖蹟」の名は明治天皇の明治元年の行幸の際に行在所となったことから。

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 山手通りと旧東海道が交差する東海道北品川交差点。油そば専門店「ぶらぶら」の油っぽい名前に惹かれたが,がまんがまん……

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 山手通りを渡り,旧東海道をさらに南へ歩き,品川屋海苔店の前。このあたりも北品川商店街になる。「○○○品川店」と「○○○新馬場店」が混在している。

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 北品川商店街の品川宿交流館本宿お休み処。駄菓子屋や休憩所,多目的スペースが設置されている。

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 品川交流館の横から北浜公園に続く石畳の路地に割烹神戸家がある。

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 品川橋のたもと。

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 目黒川に架かる品川橋。品川橋を境に北品川宿と南品川宿に分かれることから境橋とも,昔は北品川宿の品川神社の天王祭と南品川宿の荏原神社の天王祭が同じ日に行われ,この品川橋の上で行き会ったことから行合橋とも呼ばれたという。目黒川の改修で南品川宿側にあった荏原神社が,目黒川の北側になってしまい,紛らわしくなった。
 品川駅の南に北品川があったり,品川駅が品川区ではなく港区にあったり,品川区では海岸通りと呼ばれる道路が,港区に入ると旧海岸通りになったり,紛らわしいといえば紛らわしいことだらけの土地であるとも言える。

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 目黒川の左岸にある北浜公園の北浜こども冒険広場。

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 目黒川の横の須山米店と新品川橋(洲崎橋)。

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 品川橋の上流に架かる赤い欄干の鎮守橋。荏原神社の参道に架かる橋である。大正末期から昭和にかけて,曲がりくねっていた目黒川を真っ直ぐに改修した際,南品川から荏原神社へ渡る橋が必要になり,1928年(昭和3年)に鎮守橋が架けられた。

 南品川から品川橋を渡れば,図らずも北品川側に移ってしまった荏原神社を詣でることは可能だが,荏原神社は南品川の鎮守だったから話は複雑だ。結局,荏原神社の氏子の拠出により,南品川地区から北品川を通らずに目黒川の北に移った荏原神社に直接参拝できる鎮守橋が架けられることとなった。

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 品川橋を渡って南品川宿(品川宿場通り南会商店街)へ。橋のたもとにある小さな建物は,どこからどう見ても旧交番っぽいが,特に説明書きは見当たらなかった。

 その向かいの城南信用金庫品川支店には案内板があり,信用金庫の場所が南品川宿の脇本陣の百足屋だったこと,東海道から荏原神社への道を天王横丁といい,荏原神社の鳥居の向きから往時の様子が推定できることが書かれている。
 地図を見ると,荏原神社から鎮守橋に続く参道の角度は北品川地区の町割りの角度とは違い,目黒川の対岸の南品川地区の町割りに一致することがわかる。

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 品川宿場通り南会商店街のまいばすけっとの前から品川橋を振り返る。

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 旧東海道の南品川宿の品川宿場通り南会商店街。写真右の建物のシャッターに「南品川一郵便局」の文字が残っている。現在郵便局は約100m南に移っている。

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 南品川宿の街道松の広場と「浜松宿の松(品川宿の松)」。浜松市の有賀氏から寄贈された樹齢80年の黒松で,1993年に植樹されたものらしい。

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 品川診療所のある四ツ辻。品川診療所の北隣には昭和ネオンの品川本社がある。

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 南品川二丁目児童遊園でトイレ&休憩。

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 南品川二丁目児童遊園の隣にある青波堂木庭印房(創業明治四十年)。その隣は床屋さん風だが,今は空き家になっている。

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 創業明治二十七年の富田屋工業所。軒下の古い看板は富田工業所となっている。

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 長徳寺の入口付近の旧東海道(品川宿場通り南会商店街)。このあたりになると「○○○品川」「○○○南品川」「○○○東品川」の他に「○○○青物横丁」がチラホラ。

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 写真右側が開校明治七年の城南小学校の正門。品川区立城南小学校と区立城南幼稚園の共用の正門になっている。長年川崎市と横浜市に住んできたため,幼稚園は私立という思い込みがあり,公立の幼稚園と小学校が併設されていることに驚いてしまったが,都市によってはごく普通のことなのかもしれない。

 城南幼稚園・小学校の正門付近から,旧東海道の商店街は青物横丁商店街となる。

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 1779年(安政8年)創業の松岡畳店。大正時代の建築である。

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 畳松岡の看板がある松岡畳店。

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 古い「魚長」の看板が残る居酒屋えいちゃん。

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 青物横丁商店街の焼肉「オモニ」。

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 派手な看板の焼き鳥店(店名読めず)の横に諏方神社の参道がある。

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 南品川二丁目の諏方神社。境内の狛犬は1831年(天保2年)につくられたもの。

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 旧東海道とジュネーブ平和通りが交差する東海道南品川交差点。竹内醫院の下見板張りの洋館は健在だ。

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 東海道南品川交差点から東側の八潮高校入口交差点・南品川二丁目郵便局方向を見る。青物横丁商店街のエンドウ豆風の街路灯が面白い。

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 東海道南品川交差点から旧東海道の南側(南品川三丁目)を見る。

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 東海道南品川交差点から西側の京急青物横丁駅方向を見る。

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 東海道南品川交差点のフードマーケット平野屋。もともとは1800年(寛政12年)創業の酒屋「平野屋」。

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 青物横丁商店街の街路灯は照明の部分がエンドウ豆風になっているだけじゃなく,柱の部分にも果物や野菜が刻まれている。

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 東海道南品川交差点のすぐ南,南品川三丁目の青横ファーマシー薬局。旧東海道らしい縦書きの看板に,創業平成三年と記されている。旧東海道とはいえ,江戸時代や明治・大正時代創業の店ばかりではないのだ。平成生まれでも既に二十年以上になり,昭和生まれの私は時の流れを感じる。

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 ジュエル靴クリームの矢場靴店。

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 青物横丁駅が近づいてきた。

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 青物横丁駅前のジュネーブ平和通りの青物横丁商店街。南品川三丁目にある品川寺(ほんせんじ)の行方不明になっていた梵鐘が大正時代にスイスのジュネーブの美術館に所蔵されていることが判明し,その返還交渉が契機となって品川区とジュネーブ市が友好都市の関係を結んだ。それがジュネーブ平和通りの名の由来になっている。

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 京急本線の青物横丁駅のガード下。

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 青物横丁駅前の横断歩道。モスバーガーの看板を見たら,腹ぺこだったのでハラペーニョがのったスパイシーチリドッグが無性に食いたくなり,足が勝手に横断歩道を渡ろうとしている。

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 横断歩道を渡る。看板通りなら50m先にモスバーガーがある。

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 京急線のガードをくぐる。

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 モスバーガーのスパイシーチリドッグにむしゃぶりつき,一休み。

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 青物横丁駅から京急線の普通電車に乗り,のんびりとした帰路につく。

北品川〜新馬場〜青物横丁 2

── PENTAX K-1 + HD PENTAX-D FA 24-70mmF2.8ED SDM WR or RICOH GR

【関連記事】
2008年11月29日 (土曜日):京急線新馬場駅周辺を歩く
2008年3月22日 (土曜日):北品川駅界隈(品川宿〜品川湊)
2005年4月 3日 (日曜日):京浜急行青物横丁〜鮫洲

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2016年1月10日 (日曜日)

和歌山から和歌山線に乗って御所へ

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和歌山から和歌山線に乗って御所へ


 和歌山駅発の和歌山線+桜井線経由奈良行きの電車に乗って御所(奈良県御所市)を目指す。

 iPhoneの乗換案内を調べると,和歌山駅を12時55分に発車した奈良行きの電車が終点の奈良駅に到着するのは16時13分で,所要時間は3時間18分となる。所要時間優先だと和歌山から阪和線で大阪の天王寺へ行き,そこから関西本線(大和路快速)で奈良駅に向かうように案内される。

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 和歌山から御所までの切符。けっこう距離があるので,余裕で途中下車のできる区間だと思っていたが,残念ながら「下車前途無効」なので途中下車はできない。

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 和歌山駅の改札口の案内板。奈良行きの発車時刻まで時間があるので,ゆっくり昼飯を食うことにする。

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 和歌山駅のホームに和歌山線・桜井線経由奈良行きの電車が入ってきた。105系のワンマン電車である。

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 車内にはJR和歌山線子供絵画展の作品が掲示されている。

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 妙寺駅(和歌山県かつらぎ町)付近の和歌山線車内。和歌山駅から橋本駅(和歌山県橋本市)までは,なかなかの乗車率だ。

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 橋本駅には和歌山線の他に南海の高野線が乗り入れている。

 橋本から難波までは快速急行で50分弱,特急ならば40分程度で到着するため,大阪への通勤圏となっている。橋本市は大阪都市圏に含まれる和歌山県唯一の市である。
 橋本駅で大量下車。乗客の大部分が入れ替わる。

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 和歌山線の電車が奈良県に入り,五条駅(奈良県五條市)に到着。

 五条駅では乗務員が交代する。奈良県と和歌山県の県境に近く,和歌山線の運行上でも境界になっており,和歌山駅方面,王寺・奈良方面に向かってそれぞれ五条始発の電車が設定されている。

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 吉野口駅(奈良県御所市)には和歌山線と近鉄の吉野線が乗り入れている。

 吉野口から大阪阿部野橋駅(天王寺駅)までは急行で1時間弱。大阪阿部野橋方面の電車の本数などを見ても,橋本駅とそれほど変わらない条件のように感じるのだが,大阪への通勤客はそれほど多くないらしく,南海の橋本駅の一日の乗降客が9千人近いのに対して,近鉄の吉野口駅の一日の乗降客は2千人弱である。

 電車が吉野口駅を発車したタイミングで,近鉄の電車もほぼ同時に同じ方向に発車し,しばらく併走した。

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 電車が御所駅(奈良県御所市)に到着。御所駅の近くには近鉄御所線の近鉄御所駅があるため,JR御所駅の利用客が少ないとはいえ,ワンマン運転の電車は運転席後ろのドアしか開かず,切符を運賃箱に入れてホームに降りるようになっていて,ちょっと驚いた。

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 和歌山線の電車が高田駅に向かって走り去るのを見送る。

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 御所駅の改札口。切符は電車内で回収されたが,御所駅は無人駅ではなく集札業務は行わない簡易委託駅となっている。

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 1896年(明治29年)に和歌山線が南和鉄道として開業した当時の駅本屋がそのまま使われている。

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 これから見て回るつもりの御所まち(赤い部分)の案内図。葛城川を境にして東御所と西御所に分かれた古い町並みが残っている。
 が,一瞬頭の中が真っ白になった。右下に御所駅があって,御所駅の南東側にあると思っていた御所町が駅の左上に描かれている。なんのことはない,この案内図は上が南,下が北になっているだけなのだが,紛らわしすぎる。

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 質実剛健といった風情のJR御所駅。

── SONY Cyber-shot DSC-RX100M3 or SONY α7S + Vario-Tessar T* FE16-35mm F4 ZA OSS

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2016年1月 8日 (金曜日)

有馬温泉から三田経由で天王寺へ

有馬温泉〜天王寺

 他の温泉地と同様に有馬温泉でも一人旅の客は歓迎されず,今晩の宿は大阪の天王寺に決定。三田経由で天王寺に向かう。

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 神鉄の有馬温泉駅(神戸市北区有馬町)から有馬口行きの電車に乗り込む。

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 有馬口駅(神戸市北区有野町)に到着。構内踏切を使って三田行きの電車に乗り換える。

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 有馬口駅の構内踏切で三田方面のホームへ。有馬温泉からの電車と新開地行きの電車は同一ホームで,待ち時間のない乗り換えが可能なダイヤになっているらしい。

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 有馬口駅のホームに三田行きの電車が入ってきた。新開地方面からの神鉄有馬線の電車は,そのまま三田線に乗り入れて三田まで運転されている。

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 神鉄三田線の電車が岡場駅(神戸市北区藤原台中町一丁目)に停車中。駅前にはダイエー藤原台店が核店舗となるエコール・リラ ショッピングセンターがある。ダイエー藤原台店は,この後イオン藤原台店となった。

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 終点の三田駅に到着。到着してすぐ,ホームの反対側にはウッディタウン中央からの公園都市線の電車も到着する。

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 神鉄三田駅のホームに新開地行きの電車とウッディタウン中央行きの電車が並ぶ。

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 神戸電鉄三田駅の改札口。

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 神戸電鉄三田駅。

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 JR福知山線の三田駅は橋上駅になっていて,ペデストリアンデッキを使って乗り換える。

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 三田駅前のペデストリアンデッキとキッピーモール(三田駅前一番館)。キッピーモールは三田阪急が核店舗になっている。

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 三田駅を発車する神鉄公園都市線のウッディタウン中央行き電車。

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 JR福知山線三田駅の改札口。

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 JR三田駅には,2005年(平成17年)のJR福知山線脱線事故のお詫びと追悼の言葉が今でも掲示されている。

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 JR福知山線三田駅のホームに高槻行きの列車が入ってきた。

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 のどかな福知山線の車窓。この後,宝塚駅までの区間は都市近郊とは思えない山間部をトンネルで抜けることになる。旧線は武庫川の渓谷に沿った車窓で知られた区間だった。

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 大阪駅で下車し,大阪環状線の電車に乗り換える。
 福知山線の列車は,かつては大阪駅が始発・終着が基本だったが,現在はJR京都線(東海道本線)やJR東西線(片町線・学研都市線)に乗り入れている。
 ディーゼル機関車が牽引する客車列車が比較的近年まで残り,のんびりしていた福知山線が急速に近代化し,京都〜大阪〜神戸の都市路線に組み込まれるようになって,少しの列車の遅れが他線区へ大きな影響を及ぼすことになったことも,JR福知山線脱線事故の遠因になったのではないかと思われる。

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 大屋根のある巨大な橋上駅舎が新しく作られた大阪駅。

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 大阪環状線のホーム。山手線が正確には品川から渋谷・新宿・池袋,そして田端間を結ぶ路線なのに対して,その名の通り環状に繋がった(今宮〜天王寺は関西本線との重複区間)大阪環状線だが,環状運転する電車はとても少ない。外回りの電車は天王寺止まりが多く,内回りの電車は天王寺からやってきて,環状線をぐるりと回った後で奈良や和歌山に向かう列車が多い。

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 東京では「♫丸い緑の山手線」という歌の通り,路線図の山手線は丸く描かれるが,大阪の環状線は,天王寺駅を中心に一直線に開いたかたちで描かれている。

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 大阪環状線の電車が終点の天王寺駅に到着。回送電車となる。

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 天王寺駅の中央改札口。

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迷える子羊は神戸牛の夢を見るか? 三宮

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迷える子羊は電気神戸牛の夢を見るか? 三宮


 昨晩,寝転がりながら地図を見ていたら,有馬温泉の坂道に並ぶ土産物屋の町並みを歩いてみたくなったので,姫路から有馬温泉に向かう。宿屋に空きがあったら泊まりたいと思ったが,残念ながら宿泊は無理……

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 姫路駅南口。
 それにしても,もう少し事前に旅の計画を立てて,近くの町を効率的に見て回ったほうが幸せになれそうな気もする。せっかく姫路まで来たのに,姫路城も姫路の商店街も見ずに神戸に戻るのは,傍から見ると相当に間抜けだと思う。

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 JR姫路駅のホームから姫路城を見る。

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 姫路駅のホームに新快速湖西線経由敦賀行きが入ってきた。有馬温泉まで行こうと決めたのに,「敦賀」の文字を見て,このまま敦賀まで乗ってみようかという誘惑にも駆られるが,最近は長時間座っていると尾てい骨が痛くなることを思い出し,危うく断念することができた。

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 姫路から新神戸まで新幹線を使うほど急ぐ旅ではない。しかし,いつものペースなら山陽姫路から山陽電鉄に乗っているはずなので,新快速は私にしては珍しく高速での移動になる。

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 明石駅。明石駅前南地区の再開発が本格化し,再開発ビル工事のクレーンが林立している。

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 朝霧駅を過ぎたあたりで明石海峡大橋が見えてくる。神戸市垂水区から須磨付近までの車窓はすばらしい。山陽新幹線にはこのような車窓がないのが残念である。

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 山陽本線は西明石から複々線になっていて,新快速は先行する米原行きの快速を走行中に豪快に追い抜く。JR西日本の新快速は最高速度130km/hで,首都圏の特別快速のような名前だけの快速と違って,本当に速いんである。5年ぐらい前までは,同区間を走っていた特急よりもマジで速かったほどである。

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 三ノ宮駅に到着。

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 ホームの案内板には「JR西日本ではホームでの自撮り棒の使用を禁止している」旨の案内が流れている。ごく一部の人が,ホームに三脚を立てたり,危険な自撮り棒の使い方をすることによって,そのうちにホームでこのような写真を撮ることも禁止されるようになるかもしれない……などと本気で危惧する今日この頃。

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 柱頭に凝った装飾がある円柱に歴史を感じさせるJR三ノ宮駅のコンコース。1931年(昭和6年)に高架化にともなって現在の元町駅付近からここに移転したときに作られた駅舎である。

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 三ノ宮駅前のフラワーロードの三宮交差点。そごう神戸店の三宮阪神ビルの地下には阪神本線の神戸三宮駅がある。そごうの向かい側には“○I○I”の神戸マルイがある。

 数年前から阪急と阪神の三宮駅が相次いで神戸三宮駅を名乗るようになり,JR三ノ宮には神戸市から「神戸三宮」駅に改称してほしいとの要望があるらしい。JRには神戸駅があるから「神戸三宮」駅は紛らわしいと思うのだが,どうだろうか。神戸市は,JR神戸駅に隣接した神戸市営地下鉄海岸線の駅名を,なぜか「神戸」駅ではなくハーバーランド駅としており,いずれJR神戸駅をハーバーランド駅にしてほしいと考えているのかもしれない(とほほ)。

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 三ノ宮駅前,フラワーロードの三宮交差点。

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 神戸市中央区三宮町の「さんプラザ」と19階建てのセンタープラザ。三宮センター街や地下の「さんちか」に面した複合商業施設である。さんプラザの手前に三宮センター街のアーケードの入口がある。

 三宮(三ノ宮)という駅名は,三宮神社がある三宮町に由来する。駅の北側には二宮神社のある二宮町があったり,一宮神社もあって(そればかりか一宮から八宮神社まであって生田裔神八社という),駅の位置が少しズレていれば二宮駅になっていたかもしれない。

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 JR東海道本線三ノ宮駅前高架下の三宮センイ商店街と空港バスのりば。

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 三宮センイ商店街の前にある関西空港ゆきバス・大阪空港ゆきバスのりば。チラッと時刻表を見たら,日中は約20分間隔でバスが運転されているようだ。ベンチのある待合室が見当たらないのだが,そういうものなのかな。オイラの今の体調だと,立ったままここでバスを待つのはちょっとつらいなぁ……

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 東海道本線の高架下に並ぶ三宮センイ商店街。

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 三宮センイ商店街。1995年の阪神淡路大震災では壊滅的な被害を受けたが,震災直後の1996年にはアーケードが整備され,広い歩道のある商店街に生まれ変わっている。その名の通り,元々が戦後の進駐軍の横流れの洋服生地などを扱う高級なヤミ市としてスタートしており,現在でも色とりどりの生地や服飾系の店が多い。

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 東海道本線の高架下をくぐる。

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 東海道本線と阪急神戸線の高架橋の間の飲食店街。三ノ宮高架下市場と書いてあったので,市場のようなものがあるのかと思ったら,普通の居酒屋だった。

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 東海道本線と阪急神戸線の高架下に並ぶ飲食店街。「碁」阪急囲碁の先の茶房「ジャヴア」はバスケットボールのアブドゥル・ジャバーだろうか。あっ,ジャバーじゃなくてジャヴアだからジャワ島のJAVAコーヒーかJAVA茶だろうな。
 ちなみにアブドゥル・ジャバーは「スカイフック」という無敵のシュートを得意としたバスケットボールの選手で,試合中にゴーグルをするのが特徴だった。

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 ギョウザ専門店の多い一郭。

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 歩道の上にアーケードがあるサンキタ通り商店街(三宮阪急前商店街)。昭和28年に神戸で初めてアーケードを作った商店街らしい。
 写真左のナムコランドがあるのは神戸阪急ビル西館。東隣にある神戸阪急ビル東館は阪急神戸三宮駅の上に被さるように作られた神戸のシンボル的な建築物「阪急会館」だったが,1995年の阪神淡路大震災で被災し,解体され,仮設ビルとなっている。その仮設ビルも,この日から3日後の2016年1月11日に閉館し,新しい三宮のシンボルとなるビルが建つことになる。

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 サンキタ通りの立ち食いラーメン「山笠ラーメン」。

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 サンキタ通り商店街のアーケードにステーキランド神戸の看板が並ぶ。

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 サンキタ通り商店街。写真右が阪急神戸三宮駅。

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 北長狭通一丁目の路地へ。

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 飲食店が並ぶ。男はつらい……

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 北長狭通一丁目の繁華街。

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 素人若妻・人妻・お姉さんとの秘密の…など,ヘルシーな店が集まる一郭。

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 生田新道商店街の新道モール。地下には神戸市営地下鉄山手線の三宮駅がある。生田新道と生田ロードの交差点には東急ハンズ三宮店がある。

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 生田新道から生田神社の東側を北に延びる生田東門商店街,通称「東門街」。

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 生田東門商店街「東門街」の大きな商店街アーチ。

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 生田東門商店街「東門街」は兵庫県随一の歓楽街で,大阪の北新地と並び称された“神戸の夜の顔”だという。

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 生田神社の参道「IKUTA ROAD」生田前筋商店街。生田神社から南へ450mほど延びる商店街である。

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 生田新道から生田前筋商店街「IKUTA ROAD」を見る。神戸牛を食わせる店が多い印象。洋菓子店を増やして「スイーツ通り」にする計画があるらしい。
 奥に見える高架橋は阪急神戸線・JR東海道本線のもの。

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 生田神社の鳥居と東門街のアーチ。

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 日本書紀によると,生田神社の創建は神功皇后元年(201年)。『日本書紀』神功皇后条巻第9(神功皇后摂政元年2月)には,「吾は活田長峡国(いくたながをのくに)に居らむとす」とのたまふ。因りて海上五十狭茅(うなかみのいさち)を以て祭(いわ)はしむ」と記されているそうだ。

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 生田神社の楼門。門松ではなく杉飾りが立っている。

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 生田神社の楼門。

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 拝殿の周囲にはびっしりとおみくじが結わえ付けられている。おみくじ専用のネットが張ってある。このネットがないと,たぶん無粋な現代人は境内の樹木の枝にびっしりおみくじを結わえ付けてしまうんだな,たぶん。

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 生田神社の拝殿。阪神淡路大震災で倒壊した拝殿の映像は衝撃的で,今も記憶に残っている。
 平安時代の法政書である『新抄格勅符抄』に,806年(大同元年),神社に奉仕する封戸の神戸(かんべ)が朝廷より与えられたと記されているらしく,「かんべ」→「こうべ」と変わって現在の神戸(こうべ)という地名の語源になったともいわれる。生田神社は神戸の起源でもあるのだ。

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 境内を引き返す。

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 生田神社の拝殿の裏にうっそうと繁っているのが「生田の森」。

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 楼門の前に立つ杉飾り。
 かつては生田神社の周囲に松の木が植えられていたが,延暦18年の洪水で神社が流されそうになったときに,松の木がまったく役に立たなかったという故事があるため,生田の森には松は一本もなく,正月には門松ではなく杉飾りを立てるそうだ。

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 東門街の呑み屋横丁。

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 東門街の呑み屋横丁に一升瓶が並ぶ。

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 呑み屋横丁の洋食屋「赤ちゃん」。町場の気どらない洋食屋さんで,近所にこういう店があったら入り浸りになりそう。

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 兵庫県随一の歓楽街,生田東門商店街「東門街」だが,日中はパッとしない感じだ。

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 生田東門商店街「東門街」の裏路地。

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 東門街の裏路地。

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 生田東門商店街「東門街」。山手通りに向かって緩やかな登り坂になっている。

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 中山手通一丁目。

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 こっちの写真のほうがよかったかな……と思いつつ,両方ともアップする。写真の選別が面倒なので,だらだらと大量にアップするのが拙ブログ流。

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 東門街の生田新道側にある商店街アーチ。

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 生田神社側にある東門街の商店街アーチ。

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 神戸牛の店から逃げ出そうとする牛と,それを追いかけるスパイダーマン。

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 生田新道と生田前筋商店街「IKUTA ROAD」の交差点。

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 神戸市営地下鉄の三宮駅へ。西神・山手線の三宮駅と海岸線の三宮・花時計前駅とは約300m離れている。

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 神戸市営地下鉄西神・山手線の三宮駅の切符売場。市営地下鉄から直通運転の北神急行電鉄北神線と神戸電鉄を乗り継いで有馬温泉までの切符を買う。

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 三宮から市営地下鉄海岸線の「みなと元町」や「ハーバーランド」までの切符を買おうとすると,地下連絡通路で地上に出ることなく歩いて行ける三宮・花時計前駅からの切符ではなく,新長田駅乗り換えの経路が案内されてる。ちょっと驚く。

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 神戸市営地下鉄西神・山手線の三宮駅のホームに谷上行きの電車が入ってきた。この電車が北神急行電鉄北神線に乗り入れて谷上まで行く。

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 新神戸から六甲山地の中を貫く全長約7kmの北神トンネルを抜け,北神線の谷上駅に到着。神戸電鉄有馬線の電車は同一ホームでの乗り換えとなる。

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 谷上駅のホームに神戸電鉄有馬・三田線の三田行き電車が入ってきた。

 驚くのは,4分後,同じ3番線に反対方向の新開地行き電車がやってくることだ。神戸電鉄有馬線の電車は,三田行きの電車も,新開地行きの電車も谷上駅では同じ3番線に停車するのである(日中のみ)。神戸電鉄有馬線は有馬口駅まで基本的には全線複線だし,谷上駅には1番線から6番線まである中で,1〜3番線が神戸電鉄専用のホームだ。こうすることで,北神急行電鉄北神線・神戸市営地下鉄と神戸電鉄を乗り換える乗客は同一ホームで乗り換えることができる。

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 神戸電鉄有馬・三田線の電車は,有馬線の終点有馬温泉まで行かず,その手前の有馬口から三田線に乗り入れて三田に向かう。
 ここで,有馬口駅と有馬温泉駅を往復する有馬線の電車に乗り換える。

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 有馬口駅のホームに停車する有馬線の有馬温泉行き電車。構内踏切を使っての乗り換えとなる。

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 有馬口駅から有馬温泉駅までは神戸電鉄らしい急勾配だが,距離はわずかに2.5km。あっという間に有馬温泉駅に到着する。短い距離にもかかわらず数年前まで新有馬駅という途中駅があったというのが面白い(形式上は40年間ずっと休止中だったが,2013年2月末にとうとう廃止された)。

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 終点の有馬温泉駅で下車する。

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 乗客が全員下車し終わった頃,ホームの反対側から有馬口行きの電車が発車してゆく。

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 有馬温泉駅の改札口。

三宮〜生田神社

── SONY α7S + Vario-Tessar T* FE16-35mm F4 ZA OSS or SONY Cyber-shot DSC-RX100M3

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2016年1月 7日 (木曜日)

網干の町を歩く 新在家から興浜へ 山陽網干

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網干の町を歩く 新在家から興浜へ 山陽網干


 去年のゴールデンウィークに時間がなくて歩けなかった網干の町を歩く。網干といっても,JR網干駅ではなく山陽電鉄網干線の山陽網干駅界隈である。

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 高砂駅で乗った姫路行きの普通電車が大塩駅に停車。高砂の街をゆっくり歩いたため,時刻は既に午後4時過ぎ。ここで姫路行きの直通特急に抜かれるので,少しでも急ぐために特急に乗り換える。

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 飾磨駅の網干線の櫛形ホームに電車が入ってくる。飾磨駅で網干線の山陽網干行き電車に乗り換える。全線単線の網干線の電車は4両編成のワンマン運転で,飾磨駅と山陽網干駅の間を15分間隔(平日ラッシュ時は12分間隔)で往復している。

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 山陽網干駅(兵庫県姫路市網干区)に到着。日没が近い……

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 山陽網干駅前。
 かつてはここに播電鉄道(播電軌道)の余子浜(よこはま)町駅があった。横浜から旅をしてきて,余子浜町駅跡に立つ。不思議な気持ちになる。横浜村は大岡川の河口の入り海に,横向きに突き出した砂州だったことから横浜と名づけられたという。余子浜も揖保川の河口の三角州に少し突き出しているようにも見える。横浜と余子浜,由来まで同じだったら面白い。

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〔1923年(大正12年)発行の地形図〕

 播電鉄道が開通したのは,まだ山陽電鉄網干線が開通する前の,1909年(明治42年)のことで,網干港〜余子浜町〜網干駅〜龍野〜觜崎(現たつの市新宮町觜崎)を結んでいた(その後新宮町まで延伸)。

 余子浜町駅を出た播電鉄道は,現在の山陽網干駅の西側を南下し,国道250号線の山陽網干駅前交差点付近から兵庫県道222号線(たぶん播電鉄道の跡が県道になったものと思われる)に沿ってカーブして東雲橋北交差点付近まで延びていたことがわかる。現在の網干港バス停付近に網干港駅があった。

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 山陽網干駅を出て,播電鉄道の跡に沿って南へ歩く。

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 国道250号線の山陽網干駅前交差点の交和書房。写真左が国道250号線である。

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 山陽網干駅前交差点から県道222号線を南へ歩き,中華浜さき網干店の前から南を見る。左側にカーブしているのが県道222号線で,ここが播電鉄道跡だと思われる。

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 左が県道222号線(播電鉄道跡と推測),右が余子浜商店街。

 龍野から網干駅を通り網干港への鉄道が,龍野(本竜野駅)を通り姫路に向かう国鉄姫新線や,網干と姫路を結ぶ山陽電鉄よりも先に開通したというのが興味深い。
 1889年(明治22年)に開通した山陽本線(開業時は山陽鉄道)の網干駅が,龍野や網干の市街地から離れたところに設けられたため,まずは手っ取り早く網干駅とをつなぐ播電鉄道が必要になったのだと思う。
 さらに,龍野(やその上流の山崎)から網干に流れる揖保川は,江戸時代から高瀬舟での水運が盛んで,揖保川が物流の大動脈となっていたため,播電鉄道はその物流に沿ったものだったと考えられる。

 水運から鉄道の時代になり,直接姫路までを結ぶ姫新線のほうが便利になると,播電鉄道は経営不振になり廃線。そして,鉄道から自動車の時代になって,その姫新線の貨物輸送や優等列車がなくなり,現在に至る。

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 網干区余子浜の専念寺。日没まであと10分ぐらいだろうか。網干区興浜の揖保川まで歩くつもりだったが,日没までにはたどり着けそうになくなってしまった。

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 余子浜商店街を南へ。商店街色は薄れ,住宅街になりつつあるようだ。

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 余子浜商店街を南へ歩く。このあたりは,写真右が網干区余子浜,左が網干区新在家となっている。

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 余子浜商店街の西口洋品店の前。

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 余子浜商店街の東側に沿って水路が通っており,商店街の建物が水路の上に作られていることがわかる。

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 余子浜商店街の銭湯「木村温泉」の前に,マッサージ車堂の網干店・南店・ゆとり店の3店が並んでいる。

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 ただ「ゆ」とある銭湯「木村温泉」。「ゆ」がなければ銭湯とは気付かないだろう。

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 網干川に架かる網干橋の先に橋本町商店街の商店街アーチが見えてきた。網干橋では補修工事が行われている。

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 網干川。揖保川から分流し,網干の市街地を東に流れ,大津茂川と合流して播磨灘に注いでいる。一級河川の揖保川から分流して,二級河川の大津茂川と合流するため,網干川は大津茂川の支流ということになる。一級河川から分流して二級河川になるのは珍しい気がする。

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 網干川を渡ると橋本町商店街となる。

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 網干区新在家の橋本町商店街。網干橋から少し下っていて,文字通り橋の袂にある。

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 橋本町商店街。ドーム状の屋根と赤煉瓦が特徴的な塔屋のある近代建築が見えてきた。

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 この建物は旧網干銀行の本店で,大正末期の竣工である。

 網干銀行は1930年(昭和5年)に三十八銀行に買収され,1936年(昭和11年)には三十八銀行・神戸岡崎銀行・五十六銀行・西宮銀行・灘商業銀行・姫路銀行・高砂銀行の7つが合併して神戸銀行網干支店となり,その後,1970年(昭和45年)に婦人服飾店「タケダ」となり,現在に至る。

 婦人服飾店「タケダ」が,この貴重な建築物を文化財として丁寧に,大切に使ってきたのだろう,美しいままの姿が残されている。
 そのタケダは,昨年末に閉店。姫路市の都市景観重要建築物に指定されているので,簡単に取り壊されてしまうことはないだろうが,今後どのようになっていくのかが気になるところだ。

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 網干橋方向を振り返る。

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 旧網干銀行本店と橋本町商店街のアーケード。

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 閉店した婦人服飾店「タケダ」と橋本町商店街。

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 橋本町商店街の山田産業「ワールドアートショップ」,コーヒー専門「ドルメン」。

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 橋本町商店街の全蓋式アーケード。テントが日焼けしてぼろぼろになっている。

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 アクセサリー・袋物「ムラオ」とファッションバッグ専門店「ロベール」。

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 ぼろぼろになったアーケードの隙間から旧網干銀行本店が見える。

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 橋本町商店街の「電気のカナイ」。

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 御食事処「福助」。横に「ちょっとメニュー」「ラーメン(あっさり)」,そして「とんかつ」という文字の顔が描かれている。その右側には,はっきり見えてはあかんヤツの絵も……

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 橋本町商店街のファミリーショップ「ミワシン」。かなり大きな店だ。

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 橋本町商店街の全蓋式アーケードの南端。商店街の歯抜けになったところに,マピオンの地図ではまだ商店が描かれているので,取り壊されたのは最近らしい。

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 橋本町商店街のハマサ電機商会。

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 橋本町商店街のクリーニング英国屋オウギヤ店。

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 橋本町商店街と網干一番街の交差点。

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 網干一番街(あぼし一番街)。日の入り時刻となり,写真を撮るのは厳しい状況になってしまった。

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 あぼし一番街を西へ。

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 あぼし一番街と橋本町商店街の交差点を振り返る。

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 網干本町郵便局の前。御菓子司「菊忠」,喫茶軽食「月苑」がある。

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 あぼし一番街のサンルート鍋吉と紳士服のモリヤマ。

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 あぼし一番街の紳士服のモリヤマ。

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 あぼし一番街の「ふじわら洋品店」。

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 あぼし一番街の西側の商店街アーチ。

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 あぼし一番街の西側の商店街アーチ。ここまでが網干区新在家で,交差点から先は網干区興浜となる。

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 網干区新在家と興浜の境界となる交差点に石橋の欄干が残っていて,横に案内文が掲げられている。

 案内文によると,万治元年(1658年)から明治維新まで,興浜地区は丸亀藩(京極家)の所領,新在家地区は竜野藩(脇坂家)の所領であり,この石橋は両藩の境界の堀割に架けられていたので「境橋」と呼ばれたらしい。昔はここに通行門が設けられ,朝夕時刻を定めて門が開閉されていたという。
 つまり,興浜と新在家の境界には堀割があり,現在境界を南北に走る道路は堀割になっていたようだ。

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 丸亀藩の興浜側から竜野藩の新在家(あぼし一番街)を振り返る。

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 網干区興浜の山田病院の前の変形四叉路。

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 山田病院の前の変形四叉路。

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 御菓子司「浪花堂」。

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 興浜の加納結納品店の前を西へ。

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 加納結納品店の前から東側を振り返る。

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 網干区興浜の金刀比羅神社と鮮魚「まるまん」。

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 鮮魚「まるまん」の前から東側を振り返る。

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 興浜公園と興濱歴史資料館。

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 写真右が興濱歴史資料館,左が旧水井家住宅。

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 旧水井家住宅。ここは旧材木問屋で(西50mぐらいを材木等の水運が盛んだった揖保川が流れている),大正時代に建築された母屋や土蔵は姫路市の都市景観重要建築物に指定されている。
 すっかり暗くなってしまって,ISOオートのISO4000でなんとか撮影。

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 網干区興浜の旧水井家住宅(旧材木問屋)。

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 揖保川に架かる本町橋の袂から興浜の家並みを見る。

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 本町橋の袂の西原洋傘提灯店横の路地。

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 揖保川のゆったりとした流れ。地図を見ると,写真の右側にあるはずの本町橋と歩道橋(歩行者用の橋)が撤去され,その15mぐらい上流側に真新しい新本町橋が架かっていた。

 このへんで山陽網干駅方向に引き返すことにする。

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 ISOオートでISO10000になっている。

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 金刀比羅神社と鮮魚「まるまん」。

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 網干区興浜,望楼のある山本家住宅。母屋は明治時代,別館は1914年(大正3年)に建てられたものらしい。もちろん姫路市の都市景観重要建築物に指定されている。
 あと30分早く行動していれば,もう少しまともな写真になっていたのに……と少し後悔する。

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 網干区興浜の加納結納品店の前を東に戻る。

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 あぼし一番街から橋本町商店街へ。

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 橋本町商店街を北へ歩く。

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 橋本町商店街。

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 橋本町商店街の婦人服飾店「タケダ」(旧網干銀行本店)。

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 暗くなってもめげずに撮る。

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 網干川に架かる網干橋が見えてきた。

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 橋本町商店街と旧網干銀行本店の望楼。

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 橋本町商店街の商店街アーチ。

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 銭湯「木村温泉」(写真左)と派手なLEDイルミネーションのマッサージ車堂。

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 山陽網干駅前交差点の交和書房。

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 山陽網干駅前の山崎屋本店。1854年(安政元年)創業の老舗和菓子屋である。粒あんをどら焼き風に包んだ「はまぐり」は,一見するとハマグリには見えないが,四等分すると表面に焼き付けられた模様がはまぐりの貝殻のような模様になる。昔は四等分して売っていたらしい。
 歩道橋は山陽網干駅と市立図書館分館を結ぶように架かっている。
 ちなみに,この道路が播電鉄道跡である。

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 山陽電鉄網干線の山陽網干駅。

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 山陽網干駅のホームに飾磨からの電車が入ってきた。

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 山陽網干駅のホームに停車する飾磨行きの電車。
 今晩の宿を姫路駅前に確保したので,電車に乗って山陽姫路駅を目指す。

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 網干線のホームが櫛形になっている飾磨駅に到着。反対側のホームに山陽姫路行きの電車が入ってきた。

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 終点の山陽姫路駅に到着。

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 山陽姫路駅の改札口。

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 新しいJR姫路駅の駅ビル「ピオレ姫路」。外壁がLED照明を使った動く照明になっている。時間帯によっては羽ばたく白鷺の映像になったりするらしいのだが,タイミングが悪くて見ることはできなかった。

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 JR姫路駅前の大手前通り。正面にライトアップされた姫路城(白鷺城)が見える。

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 姫路駅前のサンクンガーデン(キャッスルガーデン)。

山陽網干

── SONY α7S + Vario-Tessar T* FE16-35mm F4 ZA OSS or SONY Cyber-shot DSC-RX100M3

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高砂やこの浦舟に帆をあげて 高砂市

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高砂やこの浦舟に帆をあげて 山陽高砂


 元日から連日好天が続き,最高気温が15℃前後まで上がるぽかぽか陽気となっている。今日は,町のあちこちに廃線跡が残る山陽電鉄高砂駅の周辺を歩くことにする。

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 大阪駅前南交差点からJR大阪駅の駅ビル「サウスゲートビルディング(大阪ターミナルビル)」を見る。以前は「アクティ大阪」という名称だった。キーテナントとして大丸梅田店が入っている。

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 写真左がJR大阪駅サウスゲートビルディング,正面が梅田阪急ビル・オフィスタワー(阪急うめだ本店他),写真右が阪神百貨店梅田本店。私は田舎者なので,こういうビル群ではそわそわしてして落ち着かない。

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 阪神梅田駅から姫路行きの直通特急に乗り込む。

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 1時間15分程度で高砂駅に到着する。

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 山陽電鉄(山電)の高砂駅。

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 高砂駅の地下道を通って改札口へ。地下道の壁のペイントが面白い。近くの高砂高校美術部の生徒が描いたものらしい。

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 山陽電鉄の高砂駅(兵庫県高砂市)。地図を見ると駅の北側(反対側)に駅前ロータリーがあるが,改札口は南側にしかないようだ。

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 山電高砂駅前の商店街。下村の焼うなぎ,柴田最正堂,喫茶ミルクパーラー,鉄板伊酒屋ゑべっさん……

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 鉄板伊酒屋ゑべっさん。なぜ「伊」酒屋なのだろう。山電高砂駅前の商店街が緩やかな曲線を描いているのは,すぐ裏側に国鉄高砂線(元は播州鉄道)が通っていて,線路に沿って商店街が形成されたからだと思われる。

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 駅前の商店街の裏側の国鉄高砂線廃線跡は駐輪場になっている。

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 山電高砂駅前の喫茶ミルクパーラー。シャッターが閉まったままになっている。

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 高砂駅前,「ブライダル都市・高砂」のモニュメント。
 世阿弥作の謡曲「高砂」で“高砂やこの浦舟に帆をあげて”と歌われることから,高砂市は「ブライダル都市」宣言を行っている。モニュメントの上部に掲げられているマークはブライダル都市高砂のシンボルマークである。

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 高砂駅前の高砂町浜田町二丁目の商店街。

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 高砂駅前の商店街裏の駐輪場には自転車がびっしり並んでいる。

 播州鉄道が高砂駅・高砂浦駅まで線路を延ばしたのは1914年(大正3年)である。現在の山陽電鉄の前身である神戸姫路電鉄が旧高砂線に沿って線路を延ばし,高砂町駅(現在の高砂駅)ができたのが1923年(対象12年)だから,むしろこの廃線跡の線路のほうが早く敷かれたことになる。

 高砂は古くから港町(加古川の舟運)として栄えた町だが,もともとの市街地は高砂町栄町よりも南側にあったと思われる。現高砂駅の周辺の市街地は鉄道が敷かれてから形成されたため,町並みが線路に沿っているのだろう。

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 高砂町栄町の商店街。ここも旧高砂線の線路に沿って緩やかにカーブしている。面白いことに,写真左側の家並みの裏側にはショッピングセンターの「サンモール高砂」が,同じカーブを描いて建てられている。サンモール高砂は1976年開業だから,ショッピングセンターとしては古いほうだとはいえ,比較的新しいショッピングセンターにも,今はなき線路の影響が残っていることになる。

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 高砂町朝日町三丁目の商店街から高砂町浜田町二丁目の商店街を見る。

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 高砂町朝日町三丁目。正面奥に見えるのが巨大な三菱製紙の高砂工場とその煙突である。写真右にサンモール高砂の入口がある。

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 高砂町浜田町二丁目。

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 高砂駅前の裏路地,浜田町二丁目にはスナックなどが点在している。

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 高砂町栄町の商店街。ここも旧高砂線の線路に沿って緩やかにカーブしている。右側の家並みの裏側が旧高砂線,左側の家並みの裏にはサンモール高砂がある。

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 高砂町栄町の商店街から高砂町浜田町二丁目の商店街を見る。

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 高砂町栄町の商店街の中にあるサンモール高砂(西友)の入口とオモニの手作り総菜店・創作居酒屋「アリラン」。

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 田中音楽堂(引揚資料館)。ご主人が高射砲部隊にいて満州で終戦を迎え,シベリア抑留時の資料を展示しているらしい。

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 高砂町栄町の商店街。

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 高砂町栄町の高砂栄町郵便局とサンモール高砂。

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 高砂栄町郵便局の横から東側に緩やかにカーブした道路は,国鉄高砂線の高砂駅から三菱製紙高砂工場に延びていた引き込み線跡である。

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 高砂町農人町の東側の交差点。傍らには農人町の由来が書かれた案内板が立っている。「農人町 町場の北西端,北堀川の北岸沿いに東農人町から西へ東西に連なる町並。町名は農民や塩田従事者が多く住んでいたことに由来する」とある。

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 高砂町農人町を西へ歩く。

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 高砂町農人町の平沙酒店。

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 高砂町農人町の平沙酒店と橋本雑貨店。

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 橋本雑貨店の前の高砂町農人町の家並み。

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 高砂町農人町の銭湯「末広湯」と煙突。

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 銭湯「末広湯」とビジネス・御宿「ひかり荘」。
 末広湯の北側の高砂町栄町には三菱製紙の寮や社宅が立ち並んでいる。三菱製紙の体育館もある。

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 高砂町農人町の銭湯「末広湯」。

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 高砂町農人町の平沙酒店。

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 高砂町農人町の交差点の高砂徳利。

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 高砂町次郎助町へ。

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 銭湯「梅ヶ枝湯」の四ツ辻。

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 銭湯「梅ヶ枝湯」。銭湯にしては珍しい木造モルタルの平面的な建物だ。

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 銭湯「梅ヶ枝湯」の隣の建物。三階建てっぽいが,中二階ありの二階建てかもしれない。

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 梅ヶ枝湯の裏側に回り込む。

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 銭湯「梅ヶ枝湯」は木造,モルタル造り,煉瓦造りが混じっていて,不思議な感じがする建物だ。

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 四角い煉瓦造りの煙突。その横にへばりついたような四階建て風の建屋は何だろう。

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 旧国鉄高砂線の高砂駅跡から,銭湯「梅ヶ枝湯」の裏側の全景を見る。

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 上手く説明できないが,計画的に建てられたわけではない建物の魅力が感じられる。

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 井戸の跡。

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 正式名称は銭湯「梅ヶ枝湯 長谷川」か。

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 梅ヶ枝湯のある高砂町次郎助町から高砂町鍛治屋町へ。

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 高砂町鍛治屋町側から梅ヶ枝湯を振り返り見る。

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 高砂町鍛治屋町から東へ続く全蓋式アーケードの「銀座商店街」。

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 銀座商店街の西側は旧国鉄高砂線の高砂駅跡で,路線バスの転回場になっている(なっていた)。
 播州鉄道が1914年(大正3年)に延伸開通,後に播但鉄道を経て,国鉄高砂線となったが,1984年(昭和59年)2月に高砂駅~高砂港駅間が,同年11月に加古川駅~高砂駅間が廃線,高砂駅も廃止された。高砂線代替バスの高砂南バス停および転回場になっていたが,現在は代替バスも廃止。高砂市のコミュニティバス「じょうとんバス」は高砂南バス停を通るが,この転回場は通らず,梅ヶ枝湯の前の道路を通っているようだ。

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 高砂銀座商店街。

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 POKER株式会社・三星化学合資会社。アーチ窓のアーチ部分に凝った装飾がある。

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 高砂町鍛治屋町から高砂町細工町の家並みを見る。

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 全蓋式アーケードがある高砂銀座商店街へ。

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 高砂銀座商店街。

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 高砂銀座商店街では毎月第3土曜日に「朝ごぱん市」を実施している。いわゆる「朝市」だが,“ごぱん”はこの地方の方言なのか,ダジャレなのかは不明。

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 高砂銀座商店街の三井印判佛具店。

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 高砂銀座商店街を東へ歩く。

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 高砂銀座商店街の高砂町北渡海町の四ツ辻。

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 全蓋式アーケードのある高砂銀座商店街の高砂町北渡海町の四ツ辻から北に向かって,全蓋式アーケードのある高砂センター街商店街が延びている。

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 高砂センター街商店街。

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 高砂センター街商店街を北へ歩く。

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 高砂センター街のあらいや食料品店。看板に「三ツ矢ソース」とある。関西地方でときどき見かけるブランドだ。

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 播州地酒「高砂の松」の小南酒店。

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 高砂町次郎助町のいろは食品。

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 高砂町次郎助町の友藤商店。

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 全蓋式アーケードのある高砂センター街と小南酒店。

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 高砂センター街を北へ歩くと高砂町東農人町となる。

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 高砂町東農人町のお好み焼オーケーと高砂商店連盟協同組合の商店街アーチ。交差点の先はサンモール高砂に続いている。

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 高砂町東農人町から高砂センター街を振り返る。

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 高砂町東農人町の商店街アーチ。

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 高砂センター街に引き返す。

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 高砂センター街の川南酒店。「ちょい飲み ちょい食べ」の看板が出ている。川南酒店には角打ちがあるようだ。

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 北側を振り返る。

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 高砂センター街。

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 高砂センター街のあらいや食料品店とオガワ履物店。

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 三ツ矢ソースのあらいや食料品店。

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 高砂センター街と高砂銀座商店街の交差点には“パルファンのフアンスパン”大塩屋と「まめや」本店がある。

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 高砂センター街を振り返る。

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 高砂銀座商店街のまめや本店とよい子のおもちゃ川島玩具。

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 高砂銀座商店街の「高砂や」と田中屋模型店。高砂やは多目的スペース。

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 RADICON SHOP 田中屋模型店。店内にミニ四駆のコースがある。鉄道模型やモデルガンのコーナーがあり,子供の頃に近くにこういう店があったら楽しくて入り浸りになりそう。

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 高砂銀座商店街の杉野洋服店。

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 高砂銀座商店街の大衆食堂きねや。

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 高砂銀座商店街の東端,高砂町北本町の茶・陶器「宇治園」。下村商店は,駅前にあった焼うなぎの店の本店らしい。

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 高砂町北本町の高砂銀座商店街アーケードの東端。本町商店街の大きなアーチが見える。

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 高砂銀座商店街の入口には,マツバ商事のマツバプロパンとマツバ練炭のネオンサインがある。

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 高砂町北本町の本町商店街。

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 高砂町清水町を東へ歩く。

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 高砂町清水町の清水町会館と高砂凍氷。

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 高砂町船頭町の銭湯「高砂湯」。既に廃業し,看板なども撤去されている。梅ヶ枝湯と同様に,銭湯っぽくない平面的な建物なので,看板がないと銭湯だったかどうかの判別が難しい。

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 高砂町材木町,高砂町今津町の堀川の船着場。

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 高砂町今津町の交差点。

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 高砂町今津町の古い家並み。

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 中央部がつぶれかかっている。
 高砂町今津町,高砂町材木町には土蔵造りの建物が多い。すぐ東に堀川の船着場があり,その名残だと思われる。

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 案内板などを見つけることはできなかったが,この大きな土蔵造りの建物が工楽松右衛門邸だと思われる。工楽松右衛門は廻船問屋の船頭として,木綿を使った厚手の帆布「松右衛門帆」を開発したり,函館のドックや鞆の浦の築港に携わった人物で,老朽化した工楽邸の土地や建物は高砂市に寄付され,市が建物の保存に乗り出すことになったらしい。

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 工楽松右衛門邸の壁には舟板が使われている。

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 高砂町今津町の工楽松右衛門邸から高砂町魚町に続く路地の家並み。工楽邸はかなり老朽化が進んでいる。

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 高砂町魚町から路地の東側を振り返る。

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 高砂町魚町の路地を抜けると高砂町南本町の本町商店街に出る。

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 高砂町南本町の本町商店街。

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 高砂町南本町から高砂町材木町に抜ける路地の土蔵群。

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 高砂町南本町から高砂町材木町に抜ける路地の土蔵群。

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 高砂町北本町の本町商店街にある高砂商工会議所の建物は,旧高砂銀行の本社で1932年(昭和7年)竣工。2本のイオニア式オーダーが銀行建築らしい,重厚な感じの建物である。

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 旧高砂銀行本社と喫茶・お食事「キンパ」。

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 高砂町北本町にある本町商店街の大きな商店街アーチ。真ん中にあるマークはブライダル都市高砂のシンボルマーク。

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 大きなアーチが特徴の看板建築は雑貨店「デラコンチャ」。

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 北本町交差点付近から本町商店街を振り返る。

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 北本町交差点の酒道場「幸」と高橋酒店。

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 北本町交差点の高橋酒店。

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 北本町交差点。

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 高砂町栄町のサンモール高砂。写真左がサンモール高砂南館,写真右がサンモール高砂東館である。

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 西友が核店舗となるショッピングセンター「サンモール高砂」。写真左のサンモール高砂西館2階と南館2階をつなぐ通路の下の道路は,国鉄高砂駅構内から三菱製紙高砂工場への引き込み線跡である。サンモール高砂は1976年の開業で,国鉄高砂線の廃止は1984年。この引き込み線がいつ頃まであったのかはわからないが,ひょっとしたらサンモール高砂の開業時は,ここに線路があった可能性もある……かな?

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 サンモール高砂の中庭。

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 サンモール高砂は今年で創業40周年となる。ショッピングセンターには疎いが,この時期にこのような大型のショッピングセンターは珍しかったのではないだろうか。

# このときには普通に営業していると思っていたサンモール高砂だが,核店舗の西友高砂店はちょうど一週間前の昨年末で閉店し,専門店街だけの営業になっていたようだ。後継の核店舗がどうなるのかが気になるところだ。

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 サンモール高砂の北側の入口。

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 サンモール高砂の北側の入口とその前の高砂町朝日町三丁目の商店街。

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 高砂町朝日町三丁目のサンモール高砂入口前の商店街。

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 山電高砂駅前の商店街と旧高砂線跡の自転車置き場。

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 山電高砂駅前の商店街。

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 山陽高砂駅前のタクシープール。駅の規模に比べてタクシーの台数が多いのは,沿岸に大企業の巨大な工場が並んでいるからだろう。(株)カネカ高砂工業所,三菱重工(株)高砂製作所,サントリープロダクツ(株)高砂工場,(株)神戸製鋼所高砂製作所,キッコーマン(株)高砂工場,旭硝子(株)高砂工場,電源開発(株)高砂火力発電所,三菱製紙(株)高砂工場……等々,地図を見ると巨大な工場が並ぶ様には驚くばかりである。

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 山陽高砂駅前の商店街。

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 山陽電車高砂駅。

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 山陽高砂駅のホームへ。

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 山陽高砂駅のホームに姫路行きの普通電車がやってきた。山陽電車で山陽網干駅に向かい,駅の周辺の町を見て回ることにする。

山陽電鉄高砂

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2016年1月 6日 (水曜日)

阪堺電軌住吉公園駅付近と住吉大社

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廃止される阪堺電軌住吉公園駅付近と住吉大社


 住吉大社に参拝した後,今月末(2016年1月30日)に廃止される阪堺電軌上町線の住吉公園〜住吉間と,阪堺電車を撮り歩くことにする。

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 南海電車住吉大社駅・阪堺電車住吉公園駅の前の住吉大社の参道。石灯籠が並んでいる。

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 住吉大社の参道。阪堺電車が走る広い通りを渡ると,そこが住吉大社の境内である。

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 住吉大社「すみよしさん」の前にある阪堺電軌阪堺線の住吉鳥居電停から,南海電車住吉大社駅方向を見る。

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 住吉大社の鳥居。正面奥には反橋(太鼓橋)が見える。
 住吉大社は摂津国一の宮で,全国にある住吉神社の総本社である。正月三が日には約260万人が参拝する,全国でも有数の大規模参拝神社である(参拝者数では明治神宮,伏見稲荷大社に次いで3番目。ただし集計方法が不明確なので数値の精度は高くないはず)。

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 参道には屋台の出店が並んでいる。

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 あちこち街を歩いていると,飯を食べずに夕方になってしまうこともある。しかし,実はこういうところでちょくちょく買い食いするため,一日の摂取カロリーは意外に大きかったりする。控えようと思いつつ,この参道でも揚げ物を買い食いしてしまった。

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 住吉大社の参道の屋台の出店。

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 立派な反橋(太鼓橋)。神社の太鼓橋は,橋を渡ることで穢れを祓い清めるためのもの。

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 反橋(太鼓橋)の上から,参道の先の鳥居と阪堺電車を撮る。以前にも同じところから撮影した記憶がある。よく見る構図なので,新鮮味はない。

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 住吉鳥居前電停にやってきた阪堺線えびす町(恵美須町)行きの電車(モ601形モ602)。阪堺電車も,以前に比べると派手な塗色の電車が増えたような気がする。

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 住吉鳥居前の交差点。

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 住吉鳥居前の交差点をえびす町行きの電車が走り去る(モ601形モ602)。

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 住吉鳥居前電停に停車する阪堺線浜寺駅前電停行きの電車(モ351形モ352)。これもなかなか派手な塗色で面白い。

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 続けて住吉鳥居前電停に上町線天王寺駅前電停行きの電車(モ601形モ604)がやってきた。電停はかさ上げされていて,車が入り込むことはないが,電停の幅は狭く,商店との間を車が通ることがあるので,乗車時下車時には注意が必要である。

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 月末に廃止される阪堺電軌上町線の住吉公園〜住吉間にある踏切。奥の高架線は南海本線。

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 複線電化区間が廃止になるのは珍しいかもしれない。東急東横線横浜〜桜木町,南海天王寺支線の天王寺〜天下茶屋,信越本線の横川〜軽井沢……ぐらいしか思いつかなかった。調べればもう少しあるかもしれない。

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 上町線の住吉公園駅側から住吉側を見る。

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 側溝の橋台がレンガ積みだ。

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 このあたりも,1月30日の廃止当日は鉄道ファンでいっぱいになるのかな。

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 東粉浜三丁目へ。このあたりにはパチンコ屋が多く,ここはその裏道になっている。

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 東粉浜三丁目の親子地蔵尊(水子地蔵)。

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 東粉浜三丁目の親子地蔵尊(水子地蔵)。

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 東粉浜三丁目の洋食「やろく」の前の丁字路。

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 東粉浜三丁目のスーパー玉出の横の四叉路。

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 東粉浜三丁目のスーパー玉出の北側から南海本線の高架下をくぐると,そこが粉浜1番街商店街である。そこから北側の南海本線粉浜駅まで,粉浜1番街,2番街……粉浜5番街と続き,粉浜駅の西口前に粉浜駅前通り,粉浜本通り1番街,2番街と,商店街が長く続いている。以前からこの粉浜商店街は歩いてみたいと思っているのだが,今日は阪堺電車を撮るのがメインなので,粉浜商店街は又の機会にする。

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 路地を東へ歩き,阪堺電車の住吉電停へ。

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 路地の栄来軒と後藤書店。

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 阪堺電車上町線の住吉電停(天王寺駅前方面のりば)。このホームにも朝の通勤時間帯にしか電車がやってこない。ホームには「当のりばからの天王寺駅前行きは終了しました。2番のりばへお廻り下さい」という案内板が立っている。この電停も1月30日で廃止となる。

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 阪堺線の住吉電停から上町線に乗り入れ,天王寺駅前方面に向かう電車(モ701形モ707)。

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 上町線の住吉電停に停車する阪堺線あびこ道(我孫子道)行きの電車(モ351形モ353)。

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 阪堺電軌住吉電停に停車する阪堺線の電車(モ601形モ606)。電停を出た電車は,すぐに阪堺線と上町線の平面交差を渡る。

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 上町線と阪堺線の平面交差上ですれ違う1001形(堺トラム)とモ701形モ702。

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 モ501形モ504の「カギかけた?」電車。

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 阪堺線住吉電停にやってきたモ161形モ166の上町線天王寺駅前行き電車。1928年(昭和3年)に製造された電車で,定期運用されている電車としては日本最古と言われる。この車輌が走っているとは思わなかったので,嬉しい誤算。まだ1月6日なので,初詣客輸送のために多くの電車が車庫から出て運用についているのかもしれない。

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 住吉電停からおばちゃんが天王寺駅前行きのモ161形モ166電車に乗り込む。低床車ではないので,乗るのが大変だ。

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 住吉電停の横にある待合室。

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 天王寺駅前行きのモ161形モ166電車がポイントを渡り,上町線に入ってゆく。

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 上町線の住吉電停を出て阪堺線に乗り入れようとするモ351形モ351,あびこ道(我孫子道)行き電車。

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 さっきは天王寺駅前行きのモ161形モ166電車が上町線に入っていったばかりなのに,こんどはモ161形モ164の天王寺行きがやってきた。この電車も「ありがとう住吉公園駅」のヘッドマークを掲げている。

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 天王寺駅前行きのモ161形モ164電車にも「ありがとう住吉公園駅」のヘッドマークが付いている。

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 モ161形モ164電車が走り去る。阪堺電軌上町線は住吉公園駅から帝塚山四丁目まで専用軌道になっている。

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 上町線から阪堺線に乗り入れるモ701形モ705電車。たぶん浜寺駅前行きだろうと思われるが,シャッター速度を上げているため,LED行先表示はまったく読み取れない。

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 上町線住吉公園駅方面と阪堺線の平面交差をモ351形モ353えびす町行きが走る。

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 阪堺線の住吉電停から上町線に乗り入れてくるモ601形モ606天王寺駅前行き。

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 上町線住吉公園駅方面と阪堺線の平面交差。

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 上町線から阪堺線に乗り入れるモ601形モ604を阪堺線住吉電停横の待合室から見る。

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 柱頭の逆アーチ状の補強部材が美しい。

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 住吉大社駅前の住吉大社参道に並ぶ石灯籠。

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 南海本線住吉大社駅のショップ南海。

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 南海本線住吉大社駅1階のショップ南海と駅構内に続く階段。

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 住吉大社駅から南海本線で天下茶屋駅へ,天下茶屋からは地下鉄堺筋線で動物園前(新世界)へ。大阪市営地下鉄堺筋線は阪急京都本線・阪急千里線と相互直通運転を行っており,普通北千里行きに乗り込む。車輌は阪急の車輌だった。

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 大阪市営地下鉄動物園前(新世界)駅の案内板。なぜか切り貼りだらけだ。動物園前駅で御堂筋線に乗り換える。

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 大阪市営地下鉄駅御堂筋線の動物園前駅のホームでは,キリンとゾウの尻がお出迎え。

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 もちろんカバの尻もある。

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 御堂筋線の梅田で下車。今晩の宿は大阪駅前にある。地下街を歩いたが,古い記憶に残っている地下街からは大きく変貌していて,どこを歩いているのかわからなくなった。大阪駅の南側のサウスゲートビル側に行きたいのだが,ノースゲートビルから南への連絡通路が見つからない。とりあえず地上に出たらヨドバシ梅田の前だった。

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 今晩の宿へ。シングルで予約していたが,今日もツインになった(三日連続でツイン)。

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 大阪駅前の堂島・曾根崎・北新地の夜景。正面は大阪駅前第1ビル。

 盛り場ブルース(作詞:藤三郎,作曲:城美好)では,大阪の盛り場は次のように歌われている。

 通り雨には すがれない
 いっそ 明日が来ないでほしい
 すがるこいさん 涙にぬれて
 帰るあてなく 南 曾根崎 北新地

住吉公園〜住吉大社

 行くあてのない旅。明日はどこへ行こうかな。まだまだ一日に歩ける距離は短いが,体調は回復している。さらに西へ向かうか……。寝ながら考えよう。

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新石切から電車を乗り継ぎ住吉公園駅へ

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新石切から電車を乗り継ぎ住吉公園駅へ


 電車を乗り継ぎ,今月末で廃止される阪堺電車上町線の終点,住吉公園駅に向かう。住吉公園駅は朝の通勤時間帯しか電車の発着がないため,これから見に行っても電車は来ないが,電車が発着する時間帯は鉄道ファンで混雑するだろうし,静かな雰囲気を写真に収めるのが目的だ。その後は住吉大社から粉浜の商店街を見て回るつもり。

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 近鉄けいはんな線の新石切から大阪市営地下鉄中央線のコスモスクエア行き電車に乗り,堺筋本町駅で下車する。ここで地下鉄堺筋線に乗り換える。

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 大阪市営地下鉄堺筋線の堺筋本町駅から天下茶屋行きの電車に乗り込む。

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 天下茶屋駅に到着。天下茶屋駅で南海本線に乗り換える。

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 南海電車の天下茶屋駅。

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 南海の天下茶屋駅東口。

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 天下茶屋駅東口の天下茶屋駅前商店街。天下茶屋には西成区役所や図書館などがあり,西成区の行政・文化の中心地になっている。

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 天下茶屋駅前商店街を見て回りたかったが,暗くなる前に住吉公園駅に向かう。和歌山市駅行きの普通車に乗り,住吉大社駅で下車する。

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 南海電車の住吉大社駅の窓から阪堺電車上町線の住吉公園駅を見る。

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 阪堺電車住吉公園駅。ホームにある防火水槽は大東亜戦争での空襲に備えてつくられたコンクリート製で,中には大きな金魚が約20匹も泳いでいることで知られる。駅の廃止後,金魚はどうなるのだろうか。

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 南海住吉大社駅の1階のショップ南海。石切神社参道の占い屋群を見てきた後なので,また占いか……という気分になる。

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 南海住吉大社駅のショップ南海の途中にある阪堺電車上町線のりば案内。

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 南海住吉大社駅と阪堺電車住吉公園駅とは短い渡り廊下で繋がっている。

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 阪堺電車住吉公園駅に続く通路。自動販売機と創作串揚げ「aozora」の行灯看板が立ち,この奥に改札口があるようには見えない。

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 阪堺電車上町線天王寺駅前方面のりば(住吉公園駅)。朝の通勤時間帯しか電車がやってこないため改札口は閉鎖され,「上記時刻以外は住吉鳥居前からご乗車願います」という立て看板が置かれている。

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 阪堺電軌/上町線天王寺駅前方面のりば。

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 住吉公園駅のホーム。平日の朝は5本,土・日曜日の朝は4本の電車しかない。

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 住吉公園駅の改札口から駅前の通路と創作串揚げ「aozora」の行灯看板。

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 阪堺電車住吉公園駅から南海住吉大社駅のショップ南海に続く通路。

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 住吉公園駅の出入口。

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 阪堺電軌住吉公園駅の駅舎。1913年(大正2年)に建てられた駅舎で,駅名が「驛園公吉住」となっている。

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 駅の東側は多くの店舗が取り壊されている。新しいビルが建つようだ。

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 阪堺電車上町線住吉公園駅と南海本線住吉大社駅と高架下のショップ南海。住吉大社駅も,以前は住吉公園駅を名乗っていた。

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 阪堺電車上町線の住吉公園〜住吉間の約200メートルは1月30日に廃止される。1913年(大正2年)建築の駅舎は保存するかどうか未定らしい。壊してしまうとしたらモッタイナイ。

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近鉄奈良から生駒山をくぐり石切へ

 とりあえずホテルをチェックアウトし,近鉄奈良駅に向かう。

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 三条通り。日頃の行いが良いので,今日も快晴。

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 三条通りとやすらぎの道が交差する上三条町交差点。奈良市観光センターの前に「華」と題したオブジェがある。

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 三条通り。旅館南都の前から東を見る。

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 三条通り角振町のおみやげ亀井,PASTEL,増尾サイクル。

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 南都銀行本店。1926年(大正15年),旧六十八銀行奈良支店として竣工。長野宇平治設計のギリシア様式建築で,イオニア式オーダーが美し〜い。

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 イオニア式オーダーには羊の彫刻がある。もちろん本建築は国の登録有形文化財になっている。

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 全蓋式アーケードのある東向(ひがしむき)商店街。南都銀行本店の東面にも羊の彫刻がある。

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 東向商店街。

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 東向商店街のアーケード。「千三百年の都に早春を告げる 若草山焼き」の垂れ幕を見ると,点火不能の場合は順延と書かれている。雨天順延ではないところが面白い。

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 東向商店街を北へ。

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 東向商店街を北へ。

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 なら街横丁。最近各地に増えているフードコート的な10店舗程度の飲食店街で,それぞれの店で他の店の料理も注文できるシステムになっている。

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 東向商店街にスーパーマーケット成城石井がある。最近やたらと各地に展開していると思ったら,関西にも進出しているのか……

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 成城石井の横から東向商店街を見る。

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 古くからやってそうな土産物屋「福泉堂」。

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 大宮通り(新大宮通り・国道369号線)が見えてきた。

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 東向商店街の南側を振り返る。柿の葉すし本舗たなか。我慢できずに三種類の柿の葉すしの詰め合わせを買い込む。

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 近鉄奈良駅前の行基広場の行基像。

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 行基広場と東向商店街。

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 東向商店街の全蓋式アーケードの北端から大宮通り(国道369号線)の東側を見る。歩道が広々としている。ここからは大宮通りではなく,登大路と呼ばれるらしい。
 こんな交通量の多いところに路上駐車するなんて困ったヤツだな……と思ってよく見たら,神奈川県の川崎ナンバーだった。奈良県の皆様,神奈川人がご迷惑をおかけして申し訳ない。

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 行基広場と東向商店街。

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 近鉄奈良駅に掲示されている路線図。どこに行こうか考えた末に,石切神社まで続く参道が面白そうな石切駅に決める。

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 近鉄奈良駅のホームに停車している普通尼崎行きに乗り込む。

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 近鉄奈良線の普通尼崎行きの車内。

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 平城宮跡を突っ切る近鉄奈良線の電車。

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 20分ぐらいで石切駅に到着。

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 石切神社に近い南出口から出る。

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 石切駅南出口を出る。駅前に石切剣箭神社の鳥居がある。

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