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2017年4月15日 (土曜日)

京急逸見から緊張感高まる横須賀軍港へ

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京急逸見から緊張感高まる横須賀軍港へ


 北朝鮮をめぐる情勢が緊迫化し,アメリカの原子力空母「カール・ビンソン」がオーストラリアから進路を変更して北上しているという今日この頃,ひょっとしたら横須賀基地の空母「ロナルド・レーガン」にも動きがあるのではないかと思い立ったりしたわけでもなく,ただ何も考えずに京急の浦賀行き普通電車に乗り,横須賀方面へ。

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 京急逸見駅(横須賀市東逸見町)で下車し,浦賀行きの電車を見送る。横須賀市の駅らしく,横須賀中央寄りも横浜寄りもトンネルになっている狭い谷戸に逸見駅はある。

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 逸見駅の入口。「いつみ」ではなく「へみ」と読む。

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 京急線のガード下から逸見東栄会商店街を見る。

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 京急線逸見駅から北側は逸見中央商店街となっている。歩道の上にアーケードが設置されている。逸見東栄会商店街〜逸見中央商店街〜逸見美和会商店街と続くこの通りは逸見按針通りと名づけられている。

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 商店街は逸見按針通りと横須賀街道(国道16号線)の交差点まで続いている。そびえ立つのはウェルシティ横須賀(ウェルシティ市民プラザを併設)の地上31階建ての住居棟。

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 京急線ガード(逸見駅のホーム)の南側,逸見東栄会商店街の小林食肉店・ひかりや文具店の前の歩道にもアーケードがある。アーケードというより軒下を伸ばした雁木のような日覆いだ。

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 逸見按針通り南側の逸見中央商店街を見る。

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 逸見中央商店街の旧山崎牛乳店の看板建築。現在はイタメシ屋「パッポーナ」になっている。

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 逸見中央商店街。

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 はきものと傘の店「ゴンドラ」と岩沢養鶏直売所。

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 逸見中央商店街の奥行きのない店舗。たしか“花と金魚”の髙橋生花店だったところ。

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 ゴンドラ履物店の看板建築。

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 逸見中央商店街を逸見駅方向に引き返す。

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 イタメシ屋パッポーナの前。京急線の高架橋に逸見駅のホームがある。

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 逸見駅に戻り,逸見按針通りの東側に平行する曲がりくねった通りへ。この通りには横須賀逸見郵便局もあり,逸見按針通りの旧道だと思ったのだが確証はない。ひょっとしたら元は小川が流れていて,それを暗渠化した道のようにも思われる。

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 逸見駅を振り返る。

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 北にウェルシティ横須賀がそびえる。

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 誰もいない東逸見2丁目公園。遅咲きの桜が咲いている。

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 横須賀逸見郵便局の前から北側を見る。

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 横須賀逸見郵便局の前から西に続く通りと逸見按針通りの交差点。写真右が東逸見町一丁目,左が東逸見町二丁目となる。交差点の手前側の街路灯についていた「あずま会(商店街)」という表示がなくなっている。交差点の先の「福見会(商店街)」の表示は残っている。

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 交差点から逸見中央商店街の南側を見る。

 東京湾を背後にしてこの写真の町並みを見ていることもあって,南を見ていることに違和感を感じる。横須賀の街や日本海沿いの町並みを見ているときに感じる独特の違和感だ。
 たぶん,太平洋側での生活が長いため,海が南側・東南側にあるという感覚が身に染み込んでいるのだと思う。日本海側の町に旅しているときは,頭の中の地図で日本海を無意識のうちに感じているので違和感はやや薄まるが,横須賀は首都圏にあるので違和感が強いのかもしれない。

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 逸見中央商店街。残念ながら商店街に賑わいがなくなっている。

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 はきものと傘の店「ゴンドラ」の向かいの「ふじみや」も看板建築だ。

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 逸見按針通りの横断歩道を渡り,逸見郵便局方向を振り返る。

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 写真左の逸見按針通りの東逸見町一丁目側が「逸見美和会通り」,右の逸見郵便局に続く通りから逸見按針通りの東に平行する通り(こちらも東逸見町一丁目)が「あずま会」になる。

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 逸見按針通りの交差点から西に続くのが「福見会」商店街。万国旗がはためき,街路灯の案内も健在で,まだ商店街組織が機能している。

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 福見会商店街の永沼畳店の前から商店街の西側を見る。

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 福見会商店街。残念ながらシャッターが下りたままの店舗が多い。

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 逸見按針通り側を振り返る。

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 福見会商店街のダイヤスーパー香取屋。以前は写真右に少しだけ見える空き地にも店舗があったので,ずいぶん縮小しているが店は健在だ。

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 ダイヤスーパー香取屋の南側の築堤を京急線の電車が走る。ふと2008年5月に京急逸見からJR横須賀駅まで歩いたときに撮った写真を振り返ったら,今回もほとんど同じような写真を撮っていることがわかった。薄々感じてはいたが,ほとんど進歩していない自分が情けなくなる。

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 ダイヤスーパー香取屋の(たぶん本体の)売場があったところが駐車場になっている。

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 西逸見町二丁目の鹿島神社。横須賀港の海上自衛隊横須賀地方総監部のあたりが鹿島崎と呼ばれ,鹿島神社はかつてはそこに存在したそうだが,火事で社殿を全焼,土地は明治時代に海軍用地となり,この地に移転したという。ここには三浦按針の屋敷があったとも言われる。

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 鹿島神社の南側を京急線の電車が走る。

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 鹿島神社の横から横須賀街道の汀橋交差点方向を見る。ずっと曇り空だったが,日射しが出てきた。

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 鹿島神社の境内。

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 神奈川県東部は気温が高めで,曇り空なのに夏日になりそうな勢いだった(横浜の最高気温は23℃)。明日は晴れの天気予報なので,最高気温は25℃を越える夏日になりそう。

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 鹿島神社前のやきとり「鳥吉」の横。

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 西逸見町二丁目の鹿島神社。

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 やきとり鳥吉の前から汀橋交差点方向を見る。

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 小林理容院,カワウチ時計店の前。

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 タカナシ牛乳逸見直売店の前の四つ辻。福見会商店街から万国旗の飾りが続いている。

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 佐藤精肉店の前から北側を見る。突き当たりの交差点が横須賀街道の汀橋交差点。ウェルシティ横須賀が間近になってきた。

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 タカナシ牛乳逸見直売店の前の四ツ辻を振り返る。店頭に「みるく」と書かれたテントがあるのでスナックかなと思うと,タカナシ牛乳逸見直売店なのである。

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 佐藤精肉店の前から四ツ辻のある南側を見る。

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 西逸見町一丁目を汀橋交差点に向かって歩く。

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 左の路地はどうやら川だったところを暗渠化したように見える。「汀橋」という名の橋は横須賀街道の橋だと思われるが,たぶんこの川に架かっていた橋なのだろう。だとすると,横須賀逸見郵便局の前の道も,この川の名残の可能性が高い。

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 五叉路のようにも見える。右側の細い路地もひょっとしたら小川の跡か。

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 横須賀街道の汀橋交差点に出て,逸見駅入口交差点方向を見る。ウェルシティ横須賀ポートバレーヌ1番館〜4番館が並ぶ。横須賀街道沿いの南側(写真右)は汀親会商店街となっている。
 汀橋という橋自体はそれほど大きな橋だったとは思えないが,交差点や商店街の名前として残っているところを見ると,地域の方の思い入れの強い橋だったのだろう。

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 逸見駅入口交差点付近から逸見美和会商店街の裏側に続く東逸見町一丁目の路地。

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 汀橋交差点に戻り,小川が暗渠化されたと思われる路地を歩く。逸見按針通りへの繋がり方も,いかにも元は小川だったかのように見える(思い込みかもしれないが)。

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 写真右が逸見按針通りの逸見美和会商店街。

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 逸見美和会商店街の茶舗白鳥園の横の路地。

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 茶舗白鳥園の横の路地を入ると,行き止まりの路地が入り組んでいる。

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 道幅が不均一で入り組んだ路地のある住宅街。

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 細い路地を通って逸見按針通りに抜け……

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 逸見按針通りの逸見美和会商店街を横断する。

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 逸見美和会商店街から逸見中央商店街を見る。

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 逸見美和会商店街から逸見駅入口交差点方向を見る。

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 逸見按針通りから地図に載っていない細い路地を通って,逸見郵便局前の通りの小林家具店の前に出る。上に書いた推測からすると,この道路の半分(右半分)は小川を暗渠化したものだと思うのだが,どうだろうか。

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 小林家具店の前から北側を見る。正面の細い路地が暗渠化した小川だと推測……

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 旧あずま会商店街。街路灯に「あずま会」の表示がなくなっているので,商店会は解散してしまったのだろう。

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 美味そうなスープのにおいが漂ってくる一福食堂。いまどきのこういう店は外れが少ない。そうじゃないと今の時代は生き残れない。

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 9年前にここを歩いたときには,向かいにあった旅館「逸見館」に気を取られて,この建物に気づかなかった。
 その「逸見館」の建物は既になくなり,普通の住宅に変わっていた。

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 出桁造りの建物が並ぶ。

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 戸袋の装飾は家紋だろうか。

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 旧「あずま会」商店街の南側を振り返る。

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 出桁造りの町家。やはりこの通りは逸見按針通りの旧道だったと思われる。

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 以前は旧あずま会商店街の安田青果店跡地の前を通り,逸見美和会商店街に出る。

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 逸見美和会商店街。逸見駅入口交差点には車の列ができている。

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 横須賀街道に出ると,逸見駅入口交差点の横に見事な看板建築の店舗がある。現在はオアシス倶楽部という店が入っている。

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 横須賀街道の汀親会商店街。ここにも「逸見按針通り(Hemi Anjin Street)」のストリートフラッグが掲げられている。逸見美和会商店街から逸見中央商店街・逸見東栄会商店街と続く通りだけが逸見按針通りなのではなく,逸見一帯の商店街が地域ゆかりの三浦按針(ウィリアム・アダムス)のもとにまとまって,街を盛り上げようという取り組みらしい。商店街には厳しい時代なので,こういう試みも必要だ。

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 汀親会商店街の永原園茶舗の横に気になる路地がある。

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 永原園茶舗横の細い路地を入ると第一万年荘などのアパートが並び,その真ん中に小さな駐車場がある。

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 この駐車場,どこから車が出入りするのかが気になってしまった。横須賀街道(国道16号線)へは写真正面の路地で繋がっているが,途中はとても狭くなっていて,車が通れそうには見えない。

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 第一万年荘の裏側に回ると,さらに細い路地になっている。

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 となると,やはりここを通って横須賀街道から出入りするのだろうか。壁面にはガス管や水道管が這っていて,ここを車が通るとしたら大変だな……

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 逸見駅入口交差点のセブンイレブンの前に戻る。日がだいぶ傾いてきたが,まだ昼飯も食べてないことに気づく。一福食堂まで戻って夕飯を食べるには早いし,セブンイレブンで食いものを買って,ウェルシティ横須賀の前の公園で食べることにする。

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 ウェルシティ市民プラザ前のウェルシティ公園のベンチに座り,見事な看板建築を見ながら握り飯を食う。そういえば9年前もここで握り飯を食っていたら,妙に人なつこいスズメが寄ってきたことを思い出した。

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 この日はスズメが寄ってくることはなかったが,上空でトンビが数羽,低空旋回。明らかに私の握り飯を狙っている。
 襲撃の瞬間を撮ろうと,トンビが近づいてきたときにカメラを向けると遠ざかる。目立たないようにiPhoneのカメラを使っても気づかれた。上空から,ちゃんと握り飯とiPhoneを判別している。さすがに眼がいい。

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 トンビは眼がいいだけじゃなく,頭もいい。あとからやってきて私の前のベンチに座った親子連れは上空のトンビに狙われていることに気づいていたのに,背後のウェルシティ横須賀側から目立たないように降下してきたトンビに2度も食べものを奪われた。

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 2度目の襲撃のときのトンビ。気をつけていても,ほんの数秒目を離した瞬間に目立たない側から降下してくる。
 江の島のトンビは強引に襲ってくるイメージだが,鎌倉や横須賀のトンビは少数精鋭で巧妙だ。

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 横須賀街道(国道16号線)をJR横須賀駅方向に歩く。ウェルシティ横須賀ポートバレーヌ1番館〜4番館の並びの圧迫感。

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 横須賀街道(国道16号線)の横須賀隧道と新横須賀隧道。道路の曲がり具合から,写真左側があとから掘られた新横須賀隧道だとわかる。トンネルの横に横須賀駅商栄会商店街が並んでいる。

 横須賀市は起伏の激しい地形ゆえにトンネルが多いことで知られる。国道16号線の横須賀市内の16か所のトンネルの中で最も新しいのが新横須賀隧道で,1990年(平成2年)の竣工である。交通量の多い国道16号線のトンネルは早くから上下線用に2本目のトンネルが掘られているが,JR横須賀駅のすぐ横のここが1990年まで片側1車線のトンネルしかなかったというのは意外だ。すぐ横に横須賀線のトンネルが並行しているために工事が難しかったのかもしれない。ひょっとしたらウェルシティ横須賀ポートバレーヌの側に商店街があった可能性もある。

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 横須賀駅商栄会商店街。JR横須賀駅のすぐ横にあり,駅前と言ってもいい近さではあるが,交通量の多い横須賀街道が通行経路を分断している。残念ながら横断歩道もなく,代わりに地下道が設けられている。厳しい立地だ。

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 横須賀駅商栄会商店街と横須賀街道の横須賀隧道。

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 横須賀駅商栄会商店街の長屋型店舗では季節料理「詩」が営業中。

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 地図では「JR横須賀駅(国道)」バス停となっている「横須賀駅(裏)」バス停。Wikipediaにも“汀橋の南方の一つ隣は「横須賀駅(裏)」というバス停があったが、現在は「横須賀駅(国道)」に改められている”と書かれているが,現地のバス停名は「横須賀駅(裏)」のままになっている。

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 小料理「静むら」,らいむらいと,北京食堂が営業中。よく見ると,小料理「静むら」の前にあるバス停のポール(標識柱)の表記も「横須賀駅(裏)」となっている。

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 良くも悪くも横須賀らしい風景だ。

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 横須賀隧道の尾根の手前が東逸見町一丁目,向こう側は汐入町一丁目となる。

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 幕末から軍港として栄え,1889年(明治22年)末の横須賀(当時は横須賀町)の人口は24,366人で奈良町の24,459人に次ぎ,後の県庁所在地や政令指定都市の千葉町22,259人,青森町19,484人,東京府荏原郡品川町17,108人,福島町16,629人,浜松町13,857人,山口町13,653人,浦和村5,843人,川崎町5,036人などよりも大きい町だった。

 市街地は車が入れない急傾斜地まで広がり,それゆえ現在では人口現象問題が深刻になっている。小樽,呉,尾道,佐世保,長崎など,傾斜地にまで市街地が広がっている港湾都市に共通する問題だ。現在は人口増加傾向にある横浜市,川崎市,神戸市,広島市も傾斜地が多く,将来は同様の問題が生じる可能性が高い。

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 よこすか横断地下道の横須賀駅商栄会商店街側の出入口が見える。

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 横須賀隧道(新横須賀隧道)と高級時計の老舗時計店太安堂本店。店主が腕時計の収集でも有名な方で,店内には横須賀腕時計博物館がある。

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 交通量の多い横須賀街道(国道16号線)で分断された横須賀駅商栄会商店街側と横須賀駅を結ぶ「よこすか横断地下道」。かつては横須賀駅前のバスのりばまで繋がった連絡地下通路だったが,バスのりば側は廃止されている。

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 地下道でバスのりばまで行けなくなったため,地下道を出てから踏切を渡ることになる。

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 よこすか横断地下道を出たところにある横須賀踏切。

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 横須賀踏切からJR横須賀駅のホームを見る。線路の横にレンガが敷かれ,通路のようになっている。以前は車が通れるような広い踏切になっていたと推測される。JR横須賀駅前の広場と駅の南側が広い踏切で繋がっていた頃は,横須賀駅商栄会商店街はその名の通り駅前の商店街として機能していたんじゃないだろうか。

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 現在は車が通行できない踏切になっている。

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 踏切のすぐ横に全長73mの逸見トンネルがある。トンネルの横須賀駅側は複線で,トンネルの中で単線になっている。横須賀駅構内でも複線ある線路の南側の線路にホームはなく,単線分しか使われていない。1面2線ホーム(厳密には2面3線で,使われていない貨物ホームがある)の片側は頭端式になっている。

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 JR横須賀駅。

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 逸見トンネルを抜けて横須賀線の電車がやってきた。逸見トンネルの真上には Liberty Cove House が建つ。米軍の一括借り上げ賃貸マンションらしい。

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 階段がひとつもないことで“関東の駅百選”に認定されているJR横須賀駅。認定理由は「階段が一つもない平坦な、人にやさしい駅」だそうで,階段がないことが人に優しいことはわかっているのに,無駄に橋上駅にしたがる駅が多すぎると思う。

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 横須賀駅前のタクシーのりば。逸見トンネルの真上に建つ Liberty Cove House の基礎杭はどうなっているんだろう。

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 大きくないのに風格を感じるJR横須賀駅。

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 JR横須賀駅前。

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 横須賀駅前のバスのりば。左端にチラッと見えるのが,かつての連絡地下通路の出入口。

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 横須賀駅前のバスのりばの上を本町山中有料道路が通る。本町山中有料道路は横須賀市汐入の国道16号線と横浜横須賀道路を結ぶ。

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 JR横須賀駅のすぐ前にあるヴェルニー公園へ。東京都品川区の「船の科学館」から,昨年横須賀に80年ぶりに“里帰り”したばかりの旧日本海軍の戦艦「陸奥」の主砲砲身がお出迎え。

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 戦艦「陸奥」の主砲砲身は全長18.8mで,重さは102トンもある。口径は45口径41cmで射程はなんと36km。戦艦「陸奥」は1921年(大正10年)に横須賀海軍工廠で建造され,1936年(昭和11年)の改修でこの主砲が4基搭載されたという。

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 横須賀港は追浜や浦賀,久里浜などの複数の港からなるが,ここ横須賀本港地区は海上自衛隊横須賀基地,横須賀潜水艦基地,アメリカ海軍第7艦隊横須賀基地のある軍港である。

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 戦艦「陸奥」の主砲砲身の前のベンチに座り一休み。

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 海上自衛隊横須賀基地に停泊中の護衛艦「かが」。よく見たが,横須賀港が定係港の「いずも」ではなく,停泊しているのは呉が定係港の「かが」だった。「かが」は「いずも」と共に海上自衛隊で最大の艦艇である。

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 JR横須賀駅に戻ったら,ちょうど衣笠駅行きの来たので乗り込み,横須賀中央駅前で下車した。

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 乗ってきたバスが走り去るのを見送る。2012年4月末に閉店した西友横須賀店の跡地には,大滝町2丁目地区市街地再開発による地上38階建てのザ・タワー横須賀中央がそびえる。

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 京急線の横須賀中央駅方向を見るとサンコリーヌタワー横須賀中央駅前がそびえる。
 ヤジマレコード本店が入ったザ・プライム(横須賀プライム)は元緑屋横須賀店である。

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 京急横須賀中央駅と横須賀モアーズシティ。

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 京急線の横須賀中央駅ホームには,珍しくなったパタパタ(反転フラップ式案内表示機)が健在だ。関東地方では京急川崎駅とここ横須賀中央駅ぐらいにしか残っていないんじゃないだろうか。

 百恵ちゃんの「横須賀ストーリー」をアレンジした電車近接案内のメロディーが流れる。“快速特急”ではなく,各駅停車の普通電車に乗って帰ることにする。

京急逸見〜横須賀

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【関連記事】
2008年5月17日 (土曜日):京急逸見からJR横須賀へ(9年前の記事だが,恥ずかしいぐらいに同じところを撮った写真が多い)

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2017年3月20日 (月曜日)

シーサイドライン延伸工事が進む 金沢八景

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再開発真っ盛りの金沢八景を歩く


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 上大岡から京急線の普通浦賀行きに乗り,金沢八景駅で下車する。少し離れたところにある横浜シーサイドライン金沢八景駅を京急の駅まで延伸する工事に合わせて,橋上駅化する工事が行われており,ホームの上の構造物ができつつある。

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 ホーム下の改札口に続く階段。京急の金沢八景駅は築堤(一部切土?)の上にホームがあり,一段低くなった地上に改札口がある。

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 京急金沢八景駅の改札口。

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 京急金沢八景駅前からできあがりつつある橋上駅舎を見る。写真右側の工事中の桁は横浜シーサイドラインの駅と京急の駅を結ぶ連絡通路。

 京急金沢八景駅の工事計画を詳しく読んでいないので,地上の改札口が残るのかどうかは不明だが,完全に橋上駅に移るとすると,地上から京急線に乗るには,階段またはエレベーターで3階まで上がってから2階に下りることになりそうだ。

 さすがに21世紀になって10年以上経った今はバリアフリーの時代になっているので,延伸した横浜シーサイドライン金沢八景駅のホームと京急金沢八景駅の橋上駅の高さは一致させて,同一平面上で乗り換えられるようにするはずだが,乗り換えではなく地上から京急線を利用する客は少し遠回りになる。

 金沢八景駅は駅前広場から停車中の赤い電車が見えるのが特徴であり,ぜひとも新しい駅でも外から電車が見えるようにしてほしいのだが,さてどうなるだろうか。

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 駅前の商店街は区画整理で一掃され,菓子処「鳳月堂」の新しい建物だけがぽつんと建っている。この「鳳月堂」の建物が仮設なのか,区画整理後を一郭に建ててあるのかはわからない。駅の正面にあった三本コーヒーショップやお茶の六浦園は,駅北側の「せとこみち」という仮設店舗群に移っており,駅前広場の周囲がどのようになるのかはまだ見えてこない状況だ。

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 工事用フェンスに描かれた京急線の電車や飛行機をじっと見つめる少年。

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 京急金沢八景駅の上屋はかなりできあがっているようにも見えるが,駅前からの階段や通路がどのように設置されるのかはまだわからない。

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 個人的には,あまり階段の上り下りをせずに駅を利用したいので,一度3階まで登らずに,現状のような地上から真っ直ぐホームに上がる階段を残してほしい気がする。

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 新しく建てられた「鳳月堂」の横を歩いて,横須賀街道(国道16号線)の交差点へ向かう。横浜シーサイドライン金沢八景駅に電車が到着したタイミングで,たくさんの人が京急金沢八景駅に向かう人並みができるが,その人並みもしばらくすると途切れる。

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 横浜シーサイドラインの延伸工事部分を覗き見しようとするが,フェンスが高く,なかなか防御が堅い。

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 鳳月堂の前から南に続く路地。両側の店舗の取り壊しが進み,すっかりまわりに何もなくなってしまった。かつては八景食堂や居酒屋喜八,八景旅館などが並んでいた路地である。

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 鳳月堂の隣の光栄堂薬局の横から京急金沢八景駅を振り返る。

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 光栄堂薬局の前から横須賀街道(国道16号線)の南側を見る。横須賀街道の金沢八景駅入口交差点付近には数か所のバスのりば(2カ所は降車場)があり,駅前のバスターミナルに入らないバスに乗る場合は横須賀街道沿いで待つことになるらしいが,どの系統のバスがバスターミナルに乗り入れないのかどうかを調べるのは少し難しそうだ。

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 光栄堂薬局の前から横須賀街道の北側を見る。延伸する横浜シーサイドラインの軌道が横須賀街道を跨いで設置されている。まだ仮設の橋受けで支えている状態だ。

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 再び京急金沢八景駅方向を見る。

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 鳳月堂の前から南に続く(元)路地へ。

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 この路地は東海道の程ヶ谷(保土ヶ谷)宿から能見道を経て六浦に至る古道「金沢道(保土ヶ谷道)」であり,かつては平潟湾の海岸沿いの道であった。江戸に近い景勝地だった金沢八景は,鎌倉・江の島見物の途中で立ち寄る行楽地として賑わったという。

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 古道「金沢道」だった路地を通ってたくさんの人が金沢八景駅に向かう。今まで何度かこの街を見に来ているが,この路地にこれほどの人通りがあるのは見たことがない。近くに何かイベントが行われそうな施設があったかな……と考えたが,思いつかない。となると,少し離れているが関東学院大学・関東学院六浦高で父兄も参加しての説明会のようなものがあったのだろう。

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 八景バルや遊食酒家おいしんぼ,居酒屋おぼろ,鳥真などの飲食店が並ぶ。

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 横須賀街道(国道16号線)の金沢八景南口交差点に出る。

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 金沢八景南口交差点から横須賀街道の北側を見る。金沢八景駅前交差点で横浜シーサイドラインの延伸工事が行われているのが見える。

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 金沢八景南口交差点を金沢八景経由磯子駅行きのバスが通りすぎる。

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 金沢八景南口交差点の西側に泥牛庵(でいぎゅうあん)がある。鎌倉時代末期に建立された寺だが,江戸時代にはここに金沢藩の陣屋が置かれていたという。横須賀街道を挟んで向かい側には,金沢八景を展望する九覧亭跡(現在は聖徳太子堂が建てられている)のある金龍禅院がある。

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 昇天山金龍禅院の生け垣。九覧亭跡からの金沢八景の見晴らしを見てみたいとも思ったが,奥に旅館追浜園の看板が見えたので,そっちの方が気になってしまう。

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 金龍禅院の生け垣の角張り具合がすばらしい。

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 金龍禅院の生け垣の先に見える旅館追浜園の看板。

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 南関東でよく見かける古い民家。関東大震災後に建てられたものと思われ,瓦屋根が使われないのは雪国と同じだが,屋根の角度などが違っているように見える。

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 このこんもりとした土手の上に九覧亭(九覧亭跡)がある。

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 旅館追浜園とやなぎ旅館が並んでいる。旅館ができた頃は平潟湾が眺望できたのかもしれないが,現在は目の前に大きな金沢八景マンションが建っている。

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 追浜園とやなぎ旅館の間にすれ違うのが困難なぐらいの細い路地がある。

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 平潟湾側に旅館追浜園の入口がある。
 ここには追浜園,やなぎ旅館,旅館皆楽園と3軒の旅館が並んでおり,かつて金沢八景が行楽地だった頃の名残が感じられる。

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 平潟湾沿いに並ぶマンション群と横浜シーサイドライン金沢シーサイドライン。ちなみに「横浜シーサイドライン」という会社が運営する新交通システムの鉄道線が「金沢シーサイドライン」なので,「京急久里浜線」と同じ言い方をすると「横浜シーサイドライン金沢シーサイドライン」になる。

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 金沢八景駅方向を見る。

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 平潟湾を渡る金沢シーサイドライン。

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 平潟湾にたくさんのボートが係留されている。桟橋がなく,ボートは湾の中央に係留されていて,岸からは小型の手こぎボートで自分の船に向かうらしい。

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 平潟湾に突き出した琵琶島神社と釣り船。

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 金沢シーサイドライン金沢八景駅の真下。

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 琵琶島神社。1180年(治承4年)に源頼朝が瀬戸神社を創建した際,北条政子が瀬戸神社の正面の平潟湾に小さな琵琶島を築き,琵琶湖の竹生島の弁財天を勧請したと言われる。

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 金沢シーサイドラインの金沢八景駅。

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 マンホールに金沢八景が描かれている。これは乙舳帰帆(おっとものきはん)。

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 ベンチ?にも金沢八景が描かれている。ちなみに「金沢八景」は,この地に立ち寄った明(みん)の僧がこの風景を故郷中国の瀟湘八景に似ていると絶賛し,七言絶句の漢詩に詠んだことから名づけられたもので,小泉夜雨(こずみのやう),称名晩鐘(しょうみょうのばんしょう),乙艫帰帆(おっとものきはん),洲崎晴嵐(すさきのせいらん),瀬戸秋月(せとのしゅうげつ),平潟落雁(ひらかたのらくがん),野島夕照(のじまのせきしょう),内川暮雪(うちかわのぼせつ)の八景である。

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 横浜シーサイドライン金沢八景駅の階段。以前は横須賀街道に架かる横断歩道から金沢八景駅に直接続く通路があったが,延伸工事でそれが撤去されたため,この階段かエレベーターを使うようになっている。

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 延伸工事中のシーサイドラインの仮橋脚。

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 かつての連絡通路がここで分断されている。奥に横浜シーサイドライン金沢八景駅の階段が見える。

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 延伸部分が横須賀街道(国道16号線)を跨ぐ部分。

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 横須賀街道の金沢八景駅前交差点。奥に京急金沢八景駅が見える。既存の横浜シーサイドライン金沢八景駅と京急金沢八景駅前を結ぶにはかなりの急カーブが必要になるので,もう少し仮設バスターミナル側に延ばすのかと思っていたが,ちゃんと京急金沢八景駅前まで延ばすようだ。

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 工事用の覆いがあるので見づらいが,連絡通路の柱として使われていた橋脚が延伸部分に使われているのがわかる。この橋脚が延伸時に使われるという話は以前から言われていたが,人口減少社会となり,シーサイドラインの延伸計画にも動くがなく,本当に使われるときがくるとは思えなかった。

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 ちなみにこれが工事が始まる前の歩道橋からの連絡通路と延伸計画を見越した橋脚の写真(2014年8月3日撮影)。

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 現在の金沢シーサイドライン金沢八景駅構内は単線になっていて,複線部分の西側の線路部分にホームが設置されている。この延伸部分の線路を見ると,ホームが設置されている部分にポイントが設置されて,京急金沢八景駅前で複線に分岐している。

 なぜ複線のまま京急金沢駅前まで延ばさないのか不思議に思ったが,よく考えてみると,シーサイドライン金沢八景駅で現在使われているホーム側の線路を延伸しようとすると,ホームに登るエレベーターが邪魔になり,それを撤去するのは利用者に多大な不便を生じさせることになる。まずは現在利用していない側を延伸した上で現在の駅を廃止,その後にエレベーターを撤去して残りを延伸するのだと思われる。

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 横須賀街道の金沢八景駅前交差点。仮設バスターミナルだったところに新しいビルが建ち,店舗群も形成されている。

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 金沢八景駅前交差点から横須賀街道を北へ。右側にあった金沢八景ビルは取り壊され,新しいビルの建築が始まっている。

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 金沢八景ビルが取り壊され,新しいビルの建築が始まっている。その奥に金沢シーサイドラインの金沢八景駅が見える。

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 1180年(治承4年)創建の瀬戸神社。瀬戸三島明神とも呼ばれる。

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 瀬戸神社の正面から真っ直ぐ平潟湾に延びる琵琶島神社の参道。島のかたちが琵琶に似ているから琵琶島と呼ばれる。琵琶湖の竹生島の弁財天を勧請したことから琵琶島,ではないようだ。

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 横浜シーサイドライン金沢シーサイドラインの電車が駅を出て行く。

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 瀬戸神社の前から洲崎町にかけて釣船店が並ぶ。宮川の河口から東の洲崎町が,もともと金澤と呼ばれ,金澤村の中心的集落だったところである。

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 琵琶島神社から瀬戸神社を振り返り見る。まさに真正面に続いていることがわかる。ど真ん中で横須賀街道が両者を分断している。

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 琵琶島神社の参道から横浜シーサイドライン金沢八景駅を見る。地上とホームを結ぶ長い階段とエレベーター,そして延伸工事のために途中で分断された連絡通路が見える。ボラか何かが跳ねて波紋ができている。

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 琵琶島神社の参道と先端の円形部分を結ぶ赤い欄干の橋。

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 かつては橋の部分だけが少し高くなっていたことがわかる。

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 琵琶島神社と横浜シーサイドライン。

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 琵琶島神社と横浜シーサイドライン。

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 琵琶島神社から瀬戸神社を振り返る。

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 琵琶島神社の周囲が丸い島になっていることを写し込もうと思ったが,広角側24mmのレンズでは無理だった。

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 琵琶島神社と横浜シーサイドライン。

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 金沢シーサイドラインの電車が金沢八景駅を出て行く。

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 横浜シーサイドライン金沢シーサイドラインの電車。

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 金沢シーサイドラインの電車が平潟湾を渡ってゆく。

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 琵琶島神社の周囲の松の木。砂地でも生育する松は海岸や岩山にも生えるし,樹形も美しいし,不老長寿の象徴としてとてもめでたい木なのだが,車が走る道路の街路樹として適さないためか,(旧街道の街路樹は松並木が定番だが)街中で見る機会が少ない。

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 琵琶島神社の横の金沢八景駅に停車するシーサイドラインの電車。

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 数年後にはここが駅ではなくなり,電車が通過するだけとなる。

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 琵琶島神社の鳥居の横にしめ縄がまかれた神木がある。

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 福石。源頼朝が参拝したときにこの石に服を掛け,海水で禊祓(みそぎはらえ)したことから福石(服石)と呼ばれるらしい。江の島の福石と同様に石の前でものを拾うと福を授かるらしいが,そうそうものが落ちているわけがない。ゴミを拾って街をきれいにすると御利益があるという意味かな。

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 横須賀街道の金沢八景駅前交差点に戻る。

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 バスターミナルから横須賀街道に出ようとするバス。

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 写真左側が古くから横断歩道兼通路として使われてきた橋脚。この橋脚の真上にシーサイドラインが延伸すると思っていたので,京急金沢八景駅まで延ばすには異常な急カーブが必要になると考えていたが,なるほど橋脚の真上ではなく,こんなふうな使われ方になるのね……

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 新しくシーサイドラインの金沢八景駅になるあたり。奥が京急金沢八景駅。

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 京急金沢八景駅の正面にあったパン屋の「8K-アオキ」が移転して営業中。

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 金沢八景駅東口土地区画整理事業にともなう仮設店舗群の「せとこみち」。

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 新しいバスターミナル(とはいえたぶん仮設)とタクシーのりば。新バスターミナルは大きなロータリーになるのかと思ったが,それほどバスの発着数は多くなく,さらに最終的には駅前に移ることになることから,一直線のタイプとなった。

 ちなみに仮バスターミナルだった2008年3月,バスのりばは次のような寂しい感じだった。

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(2008年3月30日撮影の仮バスターミナル)

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 仮設店舗「せとこみち」。写真左がせとこみち南館,右がせとこみち北館。

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 新バスターミナルのまわりには飲食店のチェーン店やコンビニができている。

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 仮設店舗「せとこみち」。駅前にあった三本コーヒーショップや六浦園などが入店している。

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 区画整理事業が始まる前の駅前の店が全部入っているわけではなく,空き店舗も多いようだ。横浜シーサイドラインから京急への乗り換えが橋上駅上で完結すると,地上に乗り換え客が流れなくなる。「せとこみち」も含めて,新バスターミナルの周辺は魅力的だが,最終的に区画整理事業が完成すれば,バスターミナルは新しく駅前にできるロータリーに移ることになるだろう。個人商店は難しい判断を迫られていることになる。

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 せとこみちの西側の三本コーヒーショップの前から東側を振り返る。

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 工事現場をくぐって京急金沢八景駅へ。写真右が西口側への通路。橋上駅になると,西口側へ出るためには線路上の連絡通路を使うことになる。この線路下の通路が残るか廃止されるかは,駅の利用以外で駅の東西を移動する人には大きく影響する問題かもしれない。

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 京急金沢八景駅。

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 京急金沢八景駅のホームで帰りの電車を待つ。

── PENTAX K-1 + HD PENTAX-D FA 24-70mmF2.8ED SDM WR or SONY SONY Cyber-shot DSC-RX100M3

金沢八景

【関連記事】
2006年4月23日 (日曜日):金沢八景は瀟湘八景に似てるの?
2008年3月30日 (日曜日):雨の金沢八景を歩く
2010年10月23日 (土曜日):六浦交差点から金沢八景駅へ
2013年4月14日 (日曜日):乙舳帰帆 野島夕照 平潟湾 野島の舟屋
2014年8月 3日 (日曜日):金沢八景東口地区土地区画整理はじまる

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2017年3月11日 (土曜日)

北品川から青物横丁へ 旧東海道を歩く

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北品川から青物横丁へ 旧東海道を歩く


 上大岡から京急線の品川行き普通(=各駅停車)に乗り,どこへ行こうかと考えながら拙ブログの過去記事を読んでいたら,前回北品川駅で下車したのは9年前の2008年3月ということに気づいた。

 もう10年近く北品川駅で下車していないことに驚く。再開発が急ピッチで進む品川駅北部ほどではなくても,新しい高層ビルが立ち並ぶJR品川駅港南口は近いし,北品川駅周辺が大きく変わっていても不思議ではない。あるいは,10年近く経ってもほとんど変わっていない可能性もある。とりあえず下車して歩き回ってみることに決めた。

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 北品川駅で下車。乗ってきた品川行きの普通電車を見送る。電車の行先にはJR品川駅港南口のビル群が見える。

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 北品川駅のすぐ横の踏切を渡ってすぐに旧東海道に出るのもいいが,まずは北品川駅の北側にある第一京浜の八ツ山橋の踏切を見てみる。踏切付近の大規模な工事が終わり,JR品川駅港南口側と第一京浜新八ツ山橋東詰交差点を結ぶ道路が踏切の下を通るようになったため,地上の(正確には築堤の)道路もだいぶ変わったのではないかと思っていたが,大きな変化はなさそうだ。

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 踏切の築堤からの下り坂にある都営北品川アパート(1966年昭和41年竣工)も健在だ。

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 八ツ山橋の踏切(品川第1踏切)の京急線の電車と都営バス。
 理想をいえば,品川駅方面に去って行く電車ではなく,向かってくる電車が写真に収まってくれたら嬉しいのだが,そうなるともう少しカメラを右に振らなければ構図のバランスが悪くなってしまい,しかも左端に写っているマンション「ペアシティルネッサンス高輪」が写らなくなってしまう。

 ちなみに「ペアシティルネサンス高輪」は1980年末の竣工で,同年結婚引退した山口百恵・三浦友和夫妻が最初に入居した高級マンションであることは知る人ぞ知る話であり,それを構図に入れるかどうかはますますどうでもいい話ではある。

 どうでもいい話を続けると,百恵ちゃんは芸能界デビューしたときに,横須賀市の不入斗中学校から中学3年生で北品川の品川中学校(現在は品川女子学院中等部に名称変更)に転校している。北品川駅のホームで電車を待つセーラー服姿の百恵ちゃんの写真が,当時の雑誌に掲載されたりしていた。初めての住居,ペアシティルネサンス高輪が,卒業した中学とは東海道線・山手線を挟んで斜向かいにあるというのはなかなかの巡り合わせである。

 品川中学を卒業した百恵ちゃんは,芸能活動への理解があり当時から多くの芸能人が通っていた堀越高校ではなく,普通の高校生として通いたいという理由で芸能コースのない日出女子学園に進学する。芸能人「山口百恵」ではなく,同級生と一緒のときには普通の高校生になれることに幸せを感じていたようだ。授業中にサインをねだった簿記の先生の授業を最後までボイコットしたりしつつ,出席日数不足で同級生から遅れること約3か月,6月末に無事に高校を卒業する(そんな日出女子学園も現在は日出中学・高校となって芸能コースが設置され,芸能人がとても多いようだ)。

 普通の高校生であることに幸せを感じ,特別扱いしない友人たちを大切に思う。引退〜引退後と同じだ。弱冠21歳の山口百恵が提示してみせた,大スターや売れっ子芸能人の座にあるより普通の主婦になるほうがとても魅力的であり幸せなのだとする判断は,いつの世も一般の民衆に対して説得力を持ち続けるはずだ。

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 北品川駅ホームのすぐ北にある品川第2踏切から南に続くのが旧東海道(品川宿・北品川本通り商店街)である。

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 旧東海道の北品川本通り商店街。「くさ餅」の幟が立つ枡翁軒。ちなみにATOKの候補は「草餅」「草もち」のふたつ。わかりやすい「草」をひらがなにして「餅」が漢字のままなのは不思議な「かんじ」。

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 枡翁軒の前の丁字路でこの写真(八百半商店)を撮ろうとしていたら,品川浦のほうから坂を上ってきたクルマが丁字路を曲がろうとして,たどたどしいハンドルさばき。私が立っていたのは路側帯の上だったけど,我が身の危険をも感じたので大きく道を譲って差し上げたら,なんとそのまま八百半商店の前に路上駐車,運転していた老人はそのまま八百半商店の中に消えていった。「撮れるときに撮るべし」は,このような短時間でも,数年から数十年のスパンでも,街歩き&写真撮影では鉄則だと思う。

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 北品川郵便局の前から北品川本通り商店街の北側を振り返る。野菜・果物の八百半商店はお客さんでいっぱいだ。

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 フローリスト「はなの樹」の前から北品川本通り商店街の南側を見る。

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 北品川郵便局の前。ちなみに品川宿の北寄りの北品川本通り商店街あたりには,幕府の命により歩行役(かちやく・人足役)が配置されていたことから,歩行新宿(かちしんしゅく)と呼ばれていた。

歩行新宿
(昭和22年発行の地理院地形図。「今昔マップ on the web」より)

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 路上駐車の老人が単なる八百半商店の客なのか(しばらくすれば立ち去る),付近の住人だったりして何十分も停めたままなのか気になりながら,郵便局の前に居続ける。写真の撮影時刻を見ればわかるように,八百半商店の付近に15分も立ち続けている……(なんと酔狂な)

 八百屋での買物に15分もかかるとは思えないので,あきらめて立ち去ろうとしたとき,私の目は見覚えのある老人の姿が店から出てくるのを見逃さなかった。

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 くさ餅の枡翁軒の前に戻り,最初に撮ろうと思っていた構図で撮影。ここまで約20分。そこまで時間を掛けて撮るような写真かと言われればそれまで。

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 せっかくなので問答河岸の碑が立つ丁字路の坂を下る。

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 多国籍料理「居残り 連」の横,八ツ山通りの交差点へ。

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 八ツ山通りの交差点にある多国籍料理「居残り 連」。交差点に面した看板建築の切り欠き(面取り・C面・Chamfer)が美しい。

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 八ツ山通りの栄歩道橋の下から都営北品川アパートを見上げる。

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 都営北品川アパートには都営バス品川営業所が併設されていて,そこからバスが次々に出てくる。

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 八ツ山通りから旧東海道を見ると,旧東海道がかなり高いところにあるのがわかる。

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 都営バス品川営業所の事務所棟。

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 都営バス品川営業所の前の交差点から路地を入ると,品川浦の船溜まりが見えてくる。その横には古い民家の家並みが残っている。

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 品川浦の船溜まり。

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 屋形船が並ぶ品川浦の船溜まりに小さな漁船が帰ってきた。

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 小さな漁船が屋形船の間を抜けて船溜まりの奥へ。

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 それにしても見事な古民家群。路地は未舗装で,中央に石畳がある。

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 建物も植栽も丁寧に手入れされていて,気品を感じる。

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 超高層ビルが立ち並ぶ街のすぐ近くに,このような家並みが残っているのは貴重だ。

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 八ツ山通りを歩いて品川浦船溜まりの南側へ。

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 品川浦がL字型になっている部分に架かる北品川橋。

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 豊かな水産物の水揚げがあり,海苔の産地でもあったかつての品川浦に思いを馳せていたら,突然耳をつんざく轟音が響き,現実に引き戻された。
 公道を走るゴーカートの集団だった。その姿からすぐに,任天堂が提訴したことがニュースになっていた「マリカー」だとわかった。そしてこれはやっぱり“あかんやつ”だと思った。任天堂には相当な苦情が届いたのだろう。個人が任天堂のキャラクターに扮して公道走行しているのならまだしも,レンタルサービスでの集団走行では言い訳できない。

 この後も北品川付近をブラブラしていたら,ゴーカートの爆音が何度も聞こえてきた。調べてみたらこの公道ゴーカートのレンタルショップが北品川にあるようだ。近隣住民の方,大変だね……

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 たくさんの屋形船が並ぶ品川浦と品川の超高層ビル群。

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 品川浦の対岸に先ほどの古い民家の家並みが見える。

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 品川浦(かつての目黒川)に架かるのは1925年(大正14年)竣工の北品川橋。橋のたもとに鮨処「石橋」がある。北品川橋の親柱は石積みなので,それにちなんで石橋なのか,ご主人の名前が石橋さんなのかは不明だ。

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 北品川橋の西側を振り返る。

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 旧目黒川の船溜まり。

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 旧目黒川の右岸(写真左)は河口にできた砂州で,幕府に魚介類を納める御菜肴八ケ浦のひとつ南品川猟師町(現在の東品川一丁目。洲崎とも)と呼ばれる漁業の町だった。沖は埋め立てられ,東京湾が遠くなってしまったが,猟師町だった頃の名残がかすかに感じられる。

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 北品川橋の上から北側を見る。

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 旧目黒川に沿って八ツ山通りを歩く。屋形船・釣り船「ひらい丸」の看板が立つ。

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 品川浦旧目黒川の一番奥。ここから上流側はすっかり埋め立てられ,品川浦公園となっている。

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 品川浦公園から旧目黒川を見る。

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 品川浦公園の横にある利田(かがた)神社。沢庵和尚が弁財天を祀ったのが始まりと言われ,かつて洲崎弁財天・洲崎弁天と呼ばれていた神社である。目黒川河口の南品川猟師町の沖は,江戸時代の中頃から南品川宿の利田吉左衛門によって埋め立てられ開墾(南品川新開場)されたことから利田新地とも呼ばれたという。

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 利田神社(洲崎弁天)といえば「鯨塚」で知られ,品川浦公園にはクジラのオブジェや遊具がある。

 1798年(寛政10年),品川沖に迷い込んだ巨大な鯨を漁師たちが浅瀬に追い込み捕獲,一目見ようとする人で浜は大賑わい。浜御殿(現在の浜離宮)沖まで運び,11代将軍徳川家斉が上覧するほどの大騒動になったという。その後,鯨の骨を埋めて祀ったのが利田神社脇にある鯨塚である。

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 八ツ山通りの台場歩道橋……の下の横断歩道を渡り,台場横丁の坂を上って旧東海道に戻る。

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 星野金物店の見事な看板建築。

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 星野金物店。レンガまたはスクラッチタイルの壁に銅板張りのパラペットがすばらしい。

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 星野金物店の前から旧東海道の南側を見る。

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 同じ場所を撮っても,広角側(この写真は24mm)と中望遠側(ひとつ前の写真は60mm)ではこんなに印象が変わってくる。

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 旧東海道と黒門横丁の交差点。

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 黒門横丁から旧東海道を振り返る。写真左側にあったはずの「天ぷら三浦屋」がなくなってる。がっかりしているところを,「マリカー」装束の外人軍団とすれ違った。こうやって時代は変わっていくんだな……

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 黒門横丁から法禅寺に抜ける。

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 臨海山光照院法禅寺。1384年(至徳元年)開創,芝増上寺の末寺である。

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 法禅寺の山門とレンガ塀。突き当たりが旧東海道である。

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 法禅寺。門の横に品川小学校発祥の地の碑が立っている。品川小学校は品川区で最も古い公立小学校で,法禅寺にあった寺子屋を引き継ぐかたちで開校したという。

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 法禅寺から旧東海道へ。

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 法禅寺の入口から旧東海道(北品川本通り商店街)の北側を見る。

 旧東海道は電線類地中化され,電線は共同溝に埋設されている。しかし,道路上から電柱をなくす無電柱化は行われていない。広い歩道のある道路であれば,歩道上に変圧器や開閉器を納めた地上機器を設置すれば良いが,旧東海道のような道路では設置場所の問題が大きいため,地上に電柱を残して,電柱の上にトランスを設置している(単柱頂部設置方式)。

 トランス用電柱(街路灯)から下がる東海道品川宿のバナー(垂れ幕)には,「きたしなカード葵」と書かれている。北品川地区の北品川本通り商店街・北品川商店街・京急新馬場商店街の三つの商店街共同のポイントカードらしい。

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 野菜・果物「マルダイ」とせんべい処「あきおか」の前。

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 喜楽すしの前の実用自転車。懐かしいロッド式ブレーキだ。

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 喜楽すしの横には品海公園がある。品海公園の入口には小さな街道松とともに品川宿と刻まれた石碑があり,「日本橋より二里 川崎宿へ二里半」と記されている。

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 トーモンハウスの前に東海道品川宿と書かれた門柱のようなものが立っており,ここから南が北品川商店街となる。歩行新宿と北品川宿の境もこのへんになるのだろうと思われる。

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 創業明治23年の老舗尾張屋の前から北品川宿(北品川商店街)を見る。このあたりから目黒川に架かる品川橋までが北品川宿である。

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 尾張屋の前から歩行新宿(北品川本通り商店街)を振り返る。

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 北品川商店街の米の専門店「新実商店」。その奥の緑に囲まれた山門は一心寺。

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 北品川商店街の丸屋履物店は1865年(元治2年・慶応元年),激動の幕末の創業である。店頭にはたくさんの下駄や雪駄・草履が並んでいる。店内には鼻緒をすげていない下駄も並んでおり,ちゃんとした職人さんがいる店らしい。すばらしいね。

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 一心寺。江戸三十三箇所(昭和新撰江戸三十三観音札所)の30番札所である。
 境内は広くなく,山門を入るとすぐに本堂が建っている。

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 一心寺の前から北側を振り返る。

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 一心寺の向かい側,養願寺(品川虚空蔵尊)に続く路地を入る。

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 一心寺側を振り返る。

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 品川虚空蔵尊(天台宗養願寺)。

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 品川虚空蔵尊の前から一心寺方向を振り返る。

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 狭い路地と虚空蔵尊(養願寺)の境内が一体化していて,路地を歩く人が自然に虚空蔵尊の本堂の前を通り抜けるようになっている。

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 虚空蔵尊(養願寺)には女性の参拝者が絶えなかった。

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 虚空蔵尊の南側に続く路地へ。この路地は虚空蔵横丁と呼ばれているらしい。

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 正徳寺を囲む虚空蔵横丁のレンガ塀。

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 正徳寺のレンガ塀と虚空蔵横丁。レンガは下のほうがイギリス積み,上のほうがフランドル積み(フランス積み)になっていて面白い。一般的にはイギリス積みのほうが新しい場合が多いので,施工時期の違いによるものでもなさそうだ。

 そもそも,なぜここにレンガ塀があるのかが不思議だ。由緒ある寺とレンガ塀が結びつかない。古い地図を見ていたら,大正8年発行の地形図のこの付近に学校を示す「文」マークがあることに気づいた。昭和に入ってからの地図には「文」マークが見当たらないが,それがレンガ塀に関係しているのかもしれない。そういえば法禅寺もレンガ塀になっていて,品川小学校発祥之地でもあった。

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 正徳寺のレンガ塀から北品川公園に続く路地に旅館「靜正」がある。

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 旅館「靜正」の横には壊れた井戸がある。このあたりは江戸時代に小泉長屋と呼ばれたところで,入り組んだ路地に共同井戸が残っていることで知られる。探せばまだ現役の共同井戸が見つかるはず。共同井戸の水質は飲用に適さなくても,散水などの生活用水としては十分利用でき,住民に大事に守られている。全国には,「名水百選」に選ばれているのに,飲用不可となっているその土地自慢の名水も多い。飲用に使わないのに,地下水が飲み水の環境基準を満たさないから“安全だけど安心じゃない”とか言っている都知事の行動に唖然とするばかりだ。

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 誰も遊んでいない北品川公園と,寂しく佇む黒猫。

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 入り組んだ路地の中にある北品川公園には飛行機のかたちをした遊具がある。しかも複座だ。印象的な遊具から「ひこうき公園」とも呼ばれるらしい。

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 レンガ塀のある虚空蔵横丁に戻る。

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 虚空蔵横丁から新馬場北口通りへ。

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 新馬場北口通りの京急新馬場商店街。

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 京急新馬場商店街(北馬場参道通り商店街)。以前は商店街の東西に「サクセス品川」という商店街アーチがあったのだが撤去されたようだ。サクセス品川商店街あるいは新馬場北口通り,または新馬場サクセス通りと呼ばれていたのは確かだ。品川神社の前の第一京浜北品川三丁目交差点から東海道北品川交差点まで続く新馬場商店街は,品川神社の参道として発達した商店街である。通りや商店街の名称が定まらないところに迷いが感じられる。

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 明治時代の一軒家を改装したレンタルスペース松本は,戦前は松本酒店,戦後はもつ煮込みが名物の居酒屋「松本屋」だったそうで,この日は山形の野菜を販売中だった。

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 新馬場参道通りから虚空蔵横丁を見る。

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 京急新馬場商店街(新馬場参道通り)に並ぶ看板建築。

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 お菓子の太子堂とリサイクルショップ桃色雛。

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 麺屋「まる」と休み処「品川宿参道」,桃色雛の並び。見事な三軒長屋の看板建築だ。

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 王将せんべいとさっぽろジンギスカン喜楽,そしてパン屋の龍月堂。

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 京急新馬場商店街(新馬場参道通り)は看板建築の宝庫だ。

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 サクセス品川(新馬場北口通り)から北馬場参道通りとなった商店街アーチ。赤い電車が走る京急線の高架橋の先には品川神社がある。

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 電線類の地中化でスッキリした北馬場参道通りの京急新馬場商店街。まだ「サクセス品川」だった2008年11月撮影の写真と比べると,そのスッキリ具合がよくわかる。

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 上の写真からわずか2分後の写真。撮ろうと思った瞬間に撮っておかないと,後で後悔することになる。

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 北馬場参道通りを東へ歩き,正徳寺の門前から京急新馬場駅方向を振り返る。

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 創業宝暦11年(1761年)の加藤畳店(創業時は湊屋)。写真右は正徳寺。

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 木村屋和菓子店とトモ薬局。

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 北馬場参道通り商店街のトモ薬局の看板建築。

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 北馬場参道通り商店街。

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 チャイニーズレストラン「野沢屋」の並びの看板建築。

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 ここの看板建築を2008年11月に撮ったときのようにもう少し引いた位置から撮影したかったのだが,ちょうど向かい側で建築工事をやっていて,その関係者のものと思われる車(工事用車両ではない)が路上駐車をしていて,引きの写真が撮れなかった。残念。

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 突き当たりのやまのて青果の前の道路が旧東海道。

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 北馬場参道通り商店街のミツワヤ化粧品店。ちなみに,上に書いた路上駐車の工事現場はここではない。

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 マルサングループやまのて青果。

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 旧東海道の花と園芸「花本園」と旬菜料理「竹乃家」。このあたりは北品川商店街となる。

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 北品川商店街の若素園と魚より。

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 東海道品川宿本宿「北品川商店街」と書かれた商店街事務所と中国料理「登龍」。

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 若素園と魚よりの間に緑の多い路地がある。

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 東海道品川宿本陣跡は聖蹟公園となっている。江戸初期には南北の品川宿それぞれに本陣が置かれたが,江戸中期に本陣は北品川宿のみとなったらしい。「聖蹟」の名は明治天皇の明治元年の行幸の際に行在所となったことから。

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 山手通りと旧東海道が交差する東海道北品川交差点。油そば専門店「ぶらぶら」の油っぽい名前に惹かれたが,がまんがまん……

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 山手通りを渡り,旧東海道をさらに南へ歩き,品川屋海苔店の前。このあたりも北品川商店街になる。「○○○品川店」と「○○○新馬場店」が混在している。

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 北品川商店街の品川宿交流館本宿お休み処。駄菓子屋や休憩所,多目的スペースが設置されている。

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 品川交流館の横から北浜公園に続く石畳の路地に割烹神戸家がある。

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 品川橋のたもと。

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 目黒川に架かる品川橋。品川橋を境に北品川宿と南品川宿に分かれることから境橋とも,昔は北品川宿の品川神社の天王祭と南品川宿の荏原神社の天王祭が同じ日に行われ,この品川橋の上で行き会ったことから行合橋とも呼ばれたという。目黒川の改修で南品川宿側にあった荏原神社が,目黒川の北側になってしまい,紛らわしくなった。
 品川駅の南に北品川があったり,品川駅が品川区ではなく港区にあったり,品川区では海岸通りと呼ばれる道路が,港区に入ると旧海岸通りになったり,紛らわしいといえば紛らわしいことだらけの土地であるとも言える。

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 目黒川の左岸にある北浜公園の北浜こども冒険広場。

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 目黒川の横の須山米店と新品川橋(洲崎橋)。

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 品川橋の上流に架かる赤い欄干の鎮守橋。荏原神社の参道に架かる橋である。大正末期から昭和にかけて,曲がりくねっていた目黒川を真っ直ぐに改修した際,南品川から荏原神社へ渡る橋が必要になり,1928年(昭和3年)に鎮守橋が架けられた。

 南品川から品川橋を渡れば,図らずも北品川側に移ってしまった荏原神社を詣でることは可能だが,荏原神社は南品川の鎮守だったから話は複雑だ。結局,荏原神社の氏子の拠出により,南品川地区から北品川を通らずに目黒川の北に移った荏原神社に直接参拝できる鎮守橋が架けられることとなった。

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 品川橋を渡って南品川宿(品川宿場通り南会商店街)へ。橋のたもとにある小さな建物は,どこからどう見ても旧交番っぽいが,特に説明書きは見当たらなかった。

 その向かいの城南信用金庫品川支店には案内板があり,信用金庫の場所が南品川宿の脇本陣の百足屋だったこと,東海道から荏原神社への道を天王横丁といい,荏原神社の鳥居の向きから往時の様子が推定できることが書かれている。
 地図を見ると,荏原神社から鎮守橋に続く参道の角度は北品川地区の町割りの角度とは違い,目黒川の対岸の南品川地区の町割りに一致することがわかる。

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 品川宿場通り南会商店街のまいばすけっとの前から品川橋を振り返る。

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 旧東海道の南品川宿の品川宿場通り南会商店街。写真右の建物のシャッターに「南品川一郵便局」の文字が残っている。現在郵便局は約100m南に移っている。

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 南品川宿の街道松の広場と「浜松宿の松(品川宿の松)」。浜松市の有賀氏から寄贈された樹齢80年の黒松で,1993年に植樹されたものらしい。

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 品川診療所のある四ツ辻。品川診療所の北隣には昭和ネオンの品川本社がある。

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 南品川二丁目児童遊園でトイレ&休憩。

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 南品川二丁目児童遊園の隣にある青波堂木庭印房(創業明治四十年)。その隣は床屋さん風だが,今は空き家になっている。

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 創業明治二十七年の富田屋工業所。軒下の古い看板は富田工業所となっている。

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 長徳寺の入口付近の旧東海道(品川宿場通り南会商店街)。このあたりになると「○○○品川」「○○○南品川」「○○○東品川」の他に「○○○青物横丁」がチラホラ。

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 写真右側が開校明治七年の城南小学校の正門。品川区立城南小学校と区立城南幼稚園の共用の正門になっている。長年川崎市と横浜市に住んできたため,幼稚園は私立という思い込みがあり,公立の幼稚園と小学校が併設されていることに驚いてしまったが,都市によってはごく普通のことなのかもしれない。

 城南幼稚園・小学校の正門付近から,旧東海道の商店街は青物横丁商店街となる。

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 1779年(安政8年)創業の松岡畳店。大正時代の建築である。

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 畳松岡の看板がある松岡畳店。

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 古い「魚長」の看板が残る居酒屋えいちゃん。

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 青物横丁商店街の焼肉「オモニ」。

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 派手な看板の焼き鳥店(店名読めず)の横に諏方神社の参道がある。

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 南品川二丁目の諏方神社。境内の狛犬は1831年(天保2年)につくられたもの。

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 旧東海道とジュネーブ平和通りが交差する東海道南品川交差点。竹内醫院の下見板張りの洋館は健在だ。

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 東海道南品川交差点から東側の八潮高校入口交差点・南品川二丁目郵便局方向を見る。青物横丁商店街のエンドウ豆風の街路灯が面白い。

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 東海道南品川交差点から旧東海道の南側(南品川三丁目)を見る。

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 東海道南品川交差点から西側の京急青物横丁駅方向を見る。

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 東海道南品川交差点のフードマーケット平野屋。もともとは1800年(寛政12年)創業の酒屋「平野屋」。

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 青物横丁商店街の街路灯は照明の部分がエンドウ豆風になっているだけじゃなく,柱の部分にも果物や野菜が刻まれている。

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 東海道南品川交差点のすぐ南,南品川三丁目の青横ファーマシー薬局。旧東海道らしい縦書きの看板に,創業平成三年と記されている。旧東海道とはいえ,江戸時代や明治・大正時代創業の店ばかりではないのだ。平成生まれでも既に二十年以上になり,昭和生まれの私は時の流れを感じる。

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 ジュエル靴クリームの矢場靴店。

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 青物横丁駅が近づいてきた。

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 青物横丁駅前のジュネーブ平和通りの青物横丁商店街。南品川三丁目にある品川寺(ほんせんじ)の行方不明になっていた梵鐘が大正時代にスイスのジュネーブの美術館に所蔵されていることが判明し,その返還交渉が契機となって品川区とジュネーブ市が友好都市の関係を結んだ。それがジュネーブ平和通りの名の由来になっている。

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 京急本線の青物横丁駅のガード下。

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 青物横丁駅前の横断歩道。モスバーガーの看板を見たら,腹ぺこだったのでハラペーニョがのったスパイシーチリドッグが無性に食いたくなり,足が勝手に横断歩道を渡ろうとしている。

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 横断歩道を渡る。看板通りなら50m先にモスバーガーがある。

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 京急線のガードをくぐる。

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 モスバーガーのスパイシーチリドッグにむしゃぶりつき,一休み。

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 青物横丁駅から京急線の普通電車に乗り,のんびりとした帰路につく。

北品川〜新馬場〜青物横丁 2

── PENTAX K-1 + HD PENTAX-D FA 24-70mmF2.8ED SDM WR or RICOH GR

【関連記事】
2008年11月29日 (土曜日):京急線新馬場駅周辺を歩く
2008年3月22日 (土曜日):北品川駅界隈(品川宿〜品川湊)
2005年4月 3日 (日曜日):京浜急行青物横丁〜鮫洲

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2017年1月 7日 (土曜日)

“楽都”郡山 駅前二丁目~大町一丁目

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“楽都(がくと)”郡山 駅前二丁目~大町一丁目


 年の瀬も押し迫った12月27日の午後,福島県三春町の実家で突然父が亡くなった。午前中までバイクで買物をしたり,近所でお茶を飲んだりしていたそうだが,それがこたつの中で心筋梗塞でポックり。85歳だった。

 前日の夜,たまたま実家に電話したばかりだった。このところ,1年に1回ぐらいしか実家に電話をしていなかった。

(私)「喘息と扁桃腺の調子が悪くて,最近は会社を休んでばかり。
    こんどの正月も帰省しないよ」
(父)「正月ぐらいは帰ってくんのが常識ってもんだぞ」
(私)「ずっと体調が悪くて,俺のほうが先に逝くかも(笑)」
(父)「それは親不孝だからダメだ」
(私)「まだバイク乗ってんだべ?
    年寄りの運転は危ねがら,いい加減にバイクはやめんせよ」
(父)「バイクはやめらんに……」

 電話の声に変わったところはなかったが,結局,父は最終手段を使い,帰省するつもりがなかった私を帰省をさせ,私に先を越されることなく天に旅立ち,心配の種だったバイクは実家に残し,とうとうバイクの運転をやめた。

 20年ぐらい前,父が初めて狭心症の発作を起こしたときも,父は愛用のバイクにまたがり,自分でバイクを運転して三春町から隣の郡山市の病院に向かい,そのままそこに数週間入院してカテーテルやステントを使った検査や治療を行っている。それほどまでのバイク好きだった。

 自宅で亡くなったので(母が発見),警察による検死やらなにやらがあったり,その後の火葬や葬儀の手配や準備も全部,何から何まで実家の近くに住んでいる弟に任せてしまった。しっかり者の弟と,親不孝で世間知らずの兄貴の対比がいつも以上に明確になり,ありがたいやら恥ずかしいやら情けないやら……

 坊さんや葬儀場の都合などもあって,火葬は年内に済ませ,葬儀は成人の日がらみの3連休に決まった。

 ここからは,黒いスーツを着て撮り歩いた郡山駅前の写真の記録である。

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 郡山駅前と東北新幹線高架下の駅ビルショッピング施設「エスパル(S-PAL)郡山店」。
 正面に見える駅前広場北側のビルは地上24階の郡山ビッグアイ。地上133mの高さのビルは,福島県内で最も高いビルである。このビルに関するすったもんだを,それに詳しい人が話し始めると2時間では終わらないので注意が必要である。

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 郡山駅とファッションビル「郡山ATi(アティ)」。かつての郡山西武である。
 と思ったが,思いっきりのピンぼけ写真だった。この日もアルコールは飲んでいないが(私は禁酒して4年ぐらいになる),最近はシャッターボタンを押す人差し指や,コーヒーを飲むときのコーヒーカップの揺れが気になる年頃である。

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 郡山駅前(西口)の広場。正面のビル群も新しくなっている。つい近年まで私の高校時代から変わらないビル群だったはず。左にスクロールする新聞社の電光ニュースが注目の的だったが,今は跡形もない。

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 郡山駅西口駅前広場を電飾で彩る光のページェント「ビッグツリーページェントフェスタ」は2016年~2017年で11回目になるという。

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 イルミネーションに楽都(がくと)郡山の文字が見える。
 郡山市は平成20年に音楽によるまちづくりを進めるべく,「音楽都市」を宣言しているのである。

 明治時代の安積開拓により急速に工業都市として発達した郡山では治安が悪化し,暴力団抗争が相次いだことから「東北のシカゴ」とも呼ばれていた。戦後になって音楽が戦災復興を目指す市民の心のよりどころとなり,職場や学校や地域での合唱や器楽演奏が盛んになる。

 こうした中,1954年(昭和29年)にNHK交響楽団による郡山で初めての本格的なオーケストラ演奏会が成功する。当時,郡山市にはオーケストラの演奏会ができる公共施設がなく,国鉄郡山工場の大食堂が会場として使用されたという。1958年(昭和33年)の映画『裸の太陽』は国鉄郡山機関区・工場を中心に撮影されており,職場の仲間たちが♫釜焚き 釜焚け 釜焚こうと合唱するシーンに,当時の音楽熱のなごりが感じられる。

 “東北のシカゴ”から“東北のウィーン”へ。郡山市民の音楽活動は昭和39年には「十万人コーラス」運動へと発展。昭和40年には「二十万人コーラス市内パレード」,そして1972年には郡山市で撮影した,市民が音楽で暴力を追放するという内容の『百万人の大合唱』が映画化される。主演は若林豪・酒井和歌子。同じ1972年に郡山のヤクザの抗争を描いた高倉健主演の『昭和残侠伝 破れ傘』が公開されていて,偶然の恐ろしさも感じる。

 1974年(昭和49年)には,知る人ぞ知る,当時は日本で最大規模だった伝説の野外ロックコンサート「ワンステップフェスティバル」が郡山市の開成山公園で開催された。この企画・運営は若い20代30代の郡山市民が担っている。

 そして現在も郡山市民の音楽熱は冷めず,安積黎明高(元安積女子高)や郡山高校・郡山二中・五中・金透小学校などの合唱部や管弦楽部が全国レベルで活躍している。

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 郡山駅前を走る福島交通の三春行きバス。昔から変わらない塗色だ……と思うのだが,ちょっと違和感を感じる。
 違和感の正体は何だろうと考えてみた。昔はバスの側面は大きな広告で占められていたが,それがなくてスッキリしているのが違和感の正体かもしれない。福島交通の経営が傾き,みちのりホールディングス傘下となって車体広告の方針が変わったのか,それとも広告営業に苦労しているのか……

 とはいえ,中扉と前扉の2ドアの路線バスが主流になっている現在,昔ながらの前扉と後扉のバスを見ると,懐かしくてたまらなくなる。

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 郡山駅西口駅前の駅前通りの交差点。郡山丸井(東北地方唯一の丸井だった)の跡地にダイワロイネットホテル郡山駅前のビルができあがっている。3階までは商業施設になるらしく,2月の開店に向けて準備作業が続いているようだ。

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 駅前から郡山駅を振り返る。

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 郡山駅前南側のATi(アティ)郡山。郡山丸井の斜向かいにあり,かつては郡山西武(開店当時は西友郡山店)だったところ。新幹線高架下にあったヨドバシカメラマルチメディア郡山が移転してきて,中核の店舗となっている。

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 駅前通り。歩道の上に高いアーケードが設置されている。

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 駅前通りから北に延びる路地。奥に見えるアーケードは郡山駅前アーケード商店街。
 エリート26ビル,エリート27ビルというふうにエリートビルが並ぶ。「エリート」グループは郡山駅周辺に貸しビルを保有し管理している。写真左のビルは丸光デパート郡山店だったところ。1980年に撤退し,その後は朝日生命郡山センタービルとなっていたが,現在はエリートが所有し,エリート42ビルとなっている。

 私が高校生だった頃(1975年~78年頃),確かこの通りにラーメンの幸楽苑があって,「半ちゃんラーメン(ラーメン+半チャーハン)」が俺たち食べ盛りの高校生に評判だった。全国チェーン店の「幸楽苑」が,実は郡山の幸楽苑からの成り上がりだったことや,郡山の幸楽苑の元になったのは会津の「味よし食堂」だということを知ったのは最近のことである。

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 駅前通りを西へ歩き,郡山駅前アーケード商店街の入口の前へ。

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 郡山駅前アーケード商店街。アーケード商店街の入口の右側には「ままどおる」「エキソンパイ」の三万石郡山本店がある。その横はエリート42ビルの入口……かつて憧れのデパートだった丸光の入口だったところである。

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 郡山駅前アーケード商店街。今は飲み屋街・飲食店街になっているが,かつてはシンバルを叩き続ける猿のおもちゃがいつも動いていたおもちゃ屋「トイスかんの」が四ツ辻にあったり(実は少しだけ移転して店が小さくなって現在も営業中!),専門書もびっしり並ぶ東北書店があるなど,普通の商店街だったところである。

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 駅前アーケード商店街の中心の四ツ辻。写真右が郡山駅方向,左が郡山テアトル・郡山駅前郵便局方向になる。

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 郡山駅方向を見る。昔と違って商店街ではなく飲食店街風になっているので,暗くなってからはもう少し人通りがあっても良さそうだが,郡山駅前の飲食店街の中心は駅前通りの南側(反対側)の陣屋通り・代官小路側なので,仕方のないところかもしれない。

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 四ツ辻から西側を見るとおもちゃの「トイスかんの」がある。隣の三春町で育った私だが,「かんの」では,プラモデルやおもちゃをずいぶん買ってもらった記憶がある。

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 郡山駅前アーケード商店街(北側を見る)。

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 郡山駅前アーケード商店街(南側を振り返る)。

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 アーケードの北の端が見えてきた。相席屋「女性のお客様飲み放題時間無制限0円」だってさ。

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 日の出通りとの交差点で駅前アーケード商店街のアーケードが途切れるのは昔から変わらないが,商店街はひどい歯抜けになっている。このへんに何があったのかの記憶もない。

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 駅前アーケード商店街と日の出通りの交差点。この先には映画館の郡山テアトルがある。

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 日の出通りの西側を見る。駅前通りが郡山駅の旅客駅前のバスロータリーに直結しているのに対して,こちらの通りの駅前側には日通などの営業所があり,さらに貨物引き込み線のある貨物積み降ろし場があった。現在はそれらの土地が郡山ビッグアイになっている。

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 郡山駅前アーケード商店街を振り返る。

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 郡山テアトル1・2・3。別館に6・7・8がある。たくさん映画館があった郡山市だが,現在まで残っているのは郡山テアトルだけとなった。

 まだ児童同士で郡山に遊びに行ってはいけないと言われていた小学生〜中学生の頃,映画「ダーティハリー」と「エクソシスト」を見たのは,確かここ郡山テアトルだった。いや「エクソシスト」を見たのはさくら通りの八幡坂の郡山ピカデリーだったかな。だとすると,テアトルで見たのは「片腕ドラゴン」だったかな……(ブルース・リー主演ではないカンフー映画だった)。

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 郡山テアトルで上映中・上映予定の映画のポスターが並ぶ。

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 日の出通りのもつ焼「味のじゅん天」の前から西側を見る。

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 味のじゅん天の前の日の出通り。

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 日の出通りの「味の串天」の前から東の郡山駅方向を見る。

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 日の出通りから駅前通り方向に延びる路地。かつては両側にダイエー郡山店の9階建ての本館と(4階建て?の)別館があり,立派な2層の渡り廊下でこの路地の上が繋がっていた。そのダイエー郡山店はトポス郡山店になり,しかも1994年に閉店してしまったまま,空きビルが廃墟のようになって,それが長らく郡山沈滞の象徴的名物になってしまっていた。元ダイエーの空きビルは2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の後で取り壊された模様。

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 巨大だった元ダイエー郡山店のビルが取り壊され,駐車場になっている。

 市街地の中心の9階建てのビルが空きビルのまま20年近くも放置されたり,ビルが取り壊されたら駐車場にしかならないというのは,やはり立地に問題があったのかもしれない。

 郡山駅前は,駅前通りの北側の大町通りと南側の中町通り(中央通り)が古くからの商店街になっていて,中町側の老舗デパートの「うすい」が郡山の商業の中心だ。それに比べると北の大町通り側は見劣りする。駅前アーケード商店街も北側にあるが,昔よりも中町側とは賑わいに差がついてしまった。安売りで知られたダイエーといえども,「うすい」にはまったく歯が立たなかったことも大きい。その庶民の味方“夢のデパート”うすいが,その後高級化路線を走り出したのには驚いたな……

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 日の出通りと大町通りの交差点。大町通りはもともと奥州街道で,宿場町郡山の古くからの中心である。

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 大町通りの郡山大町バス停に郡山駅前行きのバスが停車中。

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 郡山大町バス停の前,大町一丁目のスナック羅針盤のあたり。

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 郡山大町バス停の前から大町通りの南側(駅前通り側)を見る。

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 大町通りを南へ戻ると,ついさっきまで暗かったスーパー料亭大江戸ギャルズ郡山店のネオンサインが灯っている。

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 大町通りを南へ。

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 大町通りからゆうちょ銀行郡山店(元の貯金局)に抜ける路地。

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 元祖塩ホルモン焼「大豊」が力一杯商い中。“お一人様大歓迎”,“お一人様用予約席用意あり”と看板に書かれていて,遠慮なく一人ホルモンが楽しめる店らしい。カウンターのあるホルモン焼店は神奈川県にもあるが,安くて人気の店が多く,逆に気楽に寄れないのが玉に瑕……かな。見たところ,この「大豊」も人気店らしい。

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 大町通りに戻る。

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 あぶりや食堂のある細い路地。

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 あぶりや食堂のある細い路地は,大町通りを跨いで駅前アーケード商店街に続いている。郡山に詳しい人なら,成人映画「大勝館」があった路地といえばすぐにわかると思う。ボクは隣の田舎町出身のまじめな高校生だったからよくわからないけど……

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 大町通りの大町大一ビルの前。うすい百貨店だけが大きくて,あとは個人商店が並ぶ中町の中央通りに比べて,大町通りには少し大きめの商業ビルが立ち並んでいる印象だったが,歩いてみたら歯抜けになっているところが目立つようになっていた。

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 駅前通りと大町通り・中町中央通りの交差点。スクランブル交差点になっている。私が高校生だった頃は,まだここに駅前通りを横断する横断歩道はなく,地上を横断できるのは自転車だけで,歩行者は狭い地下道を通るようになっていた。当時は人通りが非常に多く,なぜスクランブル交差点にしないのだろうと不満を感じていたが,人通りが大幅に減少した今になってスクランブル交差点にすることに交通行政のチグハグさを感じる。

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 駅前通りのスクランブル交差点から東の郡山駅方向を見る。写真右側の柏屋本店は薄皮饅頭で有名。柏屋の薄皮饅頭は三万石のままどおると並んで,郡山土産の定番だ。

 柏屋本店では毎月1回「朝茶会」が行われていて,これは私が高校生の頃からやっているので,もう40年以上は続いていることになる。柏屋のWebサイトを見たら,2017年4月1日開催の朝茶会は第461回ということだ。参加は無料で元気な挨拶が参加資格,できたての和菓子(月ごとに変わる)とお茶がいただける。昔は握り飯もあったように記憶しているが,勘違いかもしれない。もう40年も前のことだ。
 高校生だったオイラ達は大人達に混じって一丁前に朝茶会に参加し,ゆったりと和菓子のおいしさを楽しみ,遅刻ぎりぎりに高校に駆け込むのが毎月の楽しみだった。朝茶会,楽しかったなあ……

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 中央通りを見る。

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 駅前通りの中央大町バス停。郡山駅と我が故郷の三春町を結ぶ福島交通のバスは,郡山駅前を出ると郡山の「中央大町」を通り,くねくねと曲がる国道288号線を走り,三春町内に入ると一本松・日本化学工場前・広場・八幡町・中町と停車した後,三春の「中央大町」バス停に停車する。同じバス路線に同じバス停名があるのは珍しいんじゃないかと思う。

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 駅前通り・さくら通りの八幡坂(写真正面)・国道4号線が交差する郡山駅入口交差点。昔はもう少し都会に感じられる場所だったが,現在まであまり変化がなく,賑わいは感じない。ビル屋上の巨大な看板が,昔は「三菱電機」と「パイオニア?」だったような気がする……

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 元は津野デパートだったホテルクラウンヒルズ郡山の前から駅前通りを見る。

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 ホテルクラウンヒルズ郡山の部屋から郡山駅入口交差点を俯瞰する。

 昔の賑わっていた頃の郡山駅前の記憶が強いので,賑わいのなくなった駅前が寂しく感じられた。遠い記憶なので,かなり美化した補正が入ってしまっている可能性は高い。

── SONY Cyber-shot DSC-RX100M3

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2016年11月26日 (土曜日)

七辻から雑色商店街へ 東京都大田区仲六郷

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七辻から雑色商店街へ 東京都大田区仲六郷


 七辻からは京急蒲田駅に向かっても雑色駅に向かっても,ほぼ等距離になるので,どっちに向かうかが悩ましい。かつて京急の出村駅があった蒲田消防署付近から蒲田温泉あたりを経由して京急蒲田駅に向かうのも魅力的に感じたが,ただなんとなく雑色駅に向かって歩き始めた。

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 七辻通りの南側から七辻を見る。

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 フレッシュフーズ「七辻ひらばやし(都南青果物)」の南側から七辻を見る。七辻に信号機はない。

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 フレッシュフーズ「七辻ひらばやし(都南青果物)」の北側の通りを西へ向かう。

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 七辻の西側,タイ屋台料理「まいぺんらい」のある変形五叉路には信号機がついている。

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 信号機のある変形五叉路には人つながりの呑み処「うちべんけい」,「おそばなかむら」があり,「まいぺんらい」とともにひらがなの店が集まっている。

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 変形五叉路の居酒屋「ビッグマミー」と「三平鮨」。
 七辻から東六郷一丁目を西へ歩いている。

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 同じ変形五叉路の“おさしみの店”「東」。

 東六郷一丁目には信号機が少なく,第一京浜(国道15号線)のように他地区との境界を通る道路にある信号機を除くと,この変形五叉路の信号機が地区内の唯一の存在である(ように思う)。

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 壁面に絵が描かれている大田区職員寮の1階部分が東六郷保育園になっている。

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 東六郷一丁目バス停。日中でも15分間隔でJR蒲田駅~羽田空港のバスが走っている。

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 第一京浜(国道15号線)の東六郷一丁目交差点を曲がる蒲40系統の羽田空港行きバス。

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 第一京浜の東六郷一丁目交差点の横断歩道を渡りながら南側を見る。午後4時を過ぎたばかりなのに,日が沈もうとしている。この時期の東京の日没時間は約4時半で,一年で一番日没が早い。

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 高架化された京急本線の下をくぐると仲六郷小学校がある。付近のガードレールが緑色だ。景観への配慮か,スクールゾーンを意味するものなのかは不明。ちなみに,山口県のガードレールは黄色い。

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 路地を歩いて大田仲六郷郵便局の前。居酒屋「船方」がある。

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 大田仲六郷郵便局の南のディスカウントショップ「モロヤ」(質屋「モロヤ」)。

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 大田仲六郷郵便局の南の四つ辻の季節料理「南部」。

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 四ツ辻の西側に,スナック「チエ」,喰呑処「たま家」,「南部」が並ぶ。

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 戸石商店では畳を打っているところ……

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 仲六郷二丁目のバス通りに出た。

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 仲六郷二丁目のバス通りの雑色商店街。

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 仲六郷二丁目のバス通り(写真左)と 大田仲六郷郵便局の南の四つ辻に続く路地(写真右)。

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 バス通りの雑色商店街を北へ。

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 仲六郷二丁目のバス通り雑色商店街のそば処「満留賀」。

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 街路灯には「人にまちに優しい“笑”店街(雑色商店街)」と書かれている。

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 仲六郷二丁目の雑色商店街(バス通り)の雑色熱帯魚店。交差点から北は仲六郷一丁目となる。

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 仲六郷一丁目(バス通り)の食事処「中むらや」とFマートチェーン「ヤオハン」。ここから北の仲六郷一丁目は仲六郷一丁目商店街となる。

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 写真左の雑色熱帯魚店側が仲六郷二丁目(雑色商店街),Fマートチェーン「ヤオハン」側が仲六郷一丁目(仲六郷一丁目商店街)。

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 仲六郷一丁目商店街のバス通りを蒲73系統仲六郷・六郷橋経由羽田車庫行きのバスが走ってきた。

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 仲六郷一丁目商店街の「ヤオハン」の前から雑色商店街を見る。

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 雑色熱帯魚店。

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 仲六郷二丁目の雑色商店街を南へ。

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 雑色商店街のバス通りの居酒屋「よし成」の前。

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 雑色商店街のバス通りを南へ。

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 雑色商店街の全蓋式アーケード。バス通りから京急線の雑色駅前を通り,第一京浜(国道15号線)の雑色駅入口交差点までアーケードが続いている。
 午後4時半を過ぎ,暗くなってしまった。

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 雑色商店街の西側は東海道本線・京浜東北線の踏切まで商店街が続いている。

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 いつも買い物客で賑わっている雑色商店街。

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 雑色駅方向を振り返る。

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 雑色商店街のアーケード(ZOSHIKI ARCADE)には象のマークが描かれている。

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 雑色商店街のアーケードから西側を振り返る。

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 雑色商店街の全蓋式アーケード。

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 リヨンクローバーというパン屋さん。

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 雑色商店街の尾張屋洋品店と花の豊花園。

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 谷松屋毛糸店にはいろいろなボタンが並んでいる。懐かしい。

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 花の豊花園の横に行き止まりの細い路地がある。

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 行き止まりの路地を入ってみる。居酒屋「みよちゃん」が営業中。

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 居酒屋「みよちゃん」の奥は真っ暗だったが,高感度に強いPENTAX K-1がISOオートでISO12800までアップして,「おとなの駄菓子屋」やYAKITON BAR「BUBU」が写った。

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 雑色商店街の川田茶園。

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 全蓋式アーケードが途切れたところが元は京急線の踏切だったところ。

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 全蓋式アーケードは京急線の高架橋で途切れるが,その先まで続いている。

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 京急線の高架橋の下から東西の雑色商店街の全蓋式アーケードを見る。こんな写し方は魚眼レンズにしかできない。

 京急線雑色駅の高架化は2012年に完了したばかりで,高架下や周辺の整備が行われているところだ。以前はアーケード商店街と雑色駅が密着していたが,高架化にともなって駅は南の六郷土手駅側に少し離れてしまった。今後,この駅前のスペースがどのように整備されるのかが楽しみだ。

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 かつては写真右側のスペースに雑色駅があった。

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 以前の雑色駅があったスペース。アーケード商店街の横が京急線のホームだったが,駅の入口はずいぶん遠くなってしまった。

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 京急線の踏切がなくなり,東西の移動はスムーズになった。

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 以前の雑色駅の駅舎が取り壊され,そこから新しい駅舎まではフェンスに囲まれた通路になっている。フェンスには雑色のシンボルの象が建設用重機を説明する絵が描かれている。これはロードローラー。

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 雑色駅前のオーケーストア・ジャンボサガン店のビル。昨年9月まではここがオーケーストアの本社ビルだったが,現在は横浜のみなとみらいに移転している。

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 新しい雑色駅の入口。

七辻〜雑色

── PENTAX K-1 + smc PENTAX-DA FISH-EYE10-17mmF3.5-4.5ED

【関連記事】
2007年11月 3日 (土曜日):雑色駅界隈を歩く《前半》
2007年11月 3日 (土曜日):雑色駅界隈を歩く〜ねぶた《後半》
2010年7月31日 (土曜日):浮世草子聞き偲ぶ 雑色
2012年7月15日 (日曜日):初恋草紙聴かせて 雑色

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糀谷商店街から七辻へ 東京都大田区萩中

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糀谷商店街から七辻へ 大田区萩中


 久しぶりに多摩川を渡って神奈川県から東京都へ。上大岡で乗った電車がエアポート急行だったため,京急蒲田駅から空港線に入り,一駅目の糀谷駅で下車する。

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 京浜急行電鉄空港線の糀谷駅(東京都大田区西糀谷四丁目)。2012年までに上下線とも高架化が完了している。隣の大鳥居駅は地下にあり,その次の穴守稲荷駅では一旦地上に出たあと,また地下にもぐる。アップダウンが多くて,先頭かぶりつきでの車窓は楽しいかもしれない。

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 ピカピカの糀谷駅改札口。シースルー改札口も完備している。

 何も考えずカメラが入ったカバンを持ってきたため,11月12日に使用したPENTAX K-1に魚眼ズームレンズが付いたままになっている。バッテリーも放置したままの状態だが,ミラーレスカメラやコンパクトカメラのようにバッテリーが数百枚分しか持たないということはないし,ボディにはバッテリーグリップを付けっぱなしなので安心していられる。

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 糀谷駅の改札口の前。糀谷駅前地区第一種市街地再開発事業第2街区の地上18階建てのビルが竣工間近だ。沖縄料理居酒屋「ゆがふー」。沖縄の方言を調べてみたら「ゆがふー」は「(弥勒)世果報=楽土から五穀の神が運んでくる豊年」のことであり,(ミロク)ヨカホウ→(ミルク)ユガフウになったようだ。沖縄の祭では布袋の仮面を被って弥勒神となり,世果報を祈願する弥勒踊りを行うという。

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 糀谷駅前から南に続く糀谷商店街。

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 糀谷駅前から北に延びるのは「おいで通り糀谷」商店街。以前は西糀谷商店街だったが,名称を変更したようだ。

 西糀谷商店街を北に向かい,京急蒲田駅まで歩こうと思っていたが,ぐるり180度を撮影できる魚眼ズームレンズこそ「七辻」を撮影するのに適している,と思い立つ。

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 糀谷駅前から南の環八通りに続く糀谷商店街へ。

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 環八通りの糀谷駅前交差点から糀谷駅方向を振り返る。京急空港線の高架線を電車が走る瞬間を狙って撮っているが,こういう写真ではあまり意味がない。

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 環八通りの糀谷駅前交差点。交差点を渡った先にも糀谷商店街が続いている。

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 糀谷駅前交差点の南側の糀谷商店街。

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 糀谷商店街は戦前から続く商店街である。○○一丁目と○○二丁目が別の商店街になっていたりするように,街区によって商店街名(商店会)が変わる商店街が多い中,ここ糀谷商店街は西糀谷四丁目・萩中一丁目・二丁目・南蒲田三丁目にまたがって存在している。

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 糀谷商店街の日の出屋本店。大きな青果店だ。

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 フローリスト三幸。路地を挟んできれいな花が並んでいる。

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 栄文堂書店と亀屋万年堂。

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 愛川屋蒲鉾店がある四ツ辻。

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 四ツ辻を西へ入ったところにある「肉のハナマサ」。

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 肉のハナマサの向かいの居酒屋「たかちゃん」,「丼麺亭」「まごころ亭」。

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 中国料理「錦珍楼」の前から萩中神社の裏手方向に続く通りは住宅街となっている。

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 愛川屋蒲鉾店の前の四ツ辻に引き返す。左の大山商店のところは,シャッターの前に自動販売機が並んでいる。

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 愛川屋蒲鉾店・衣料品「サックス」の前の四ツ辻(変形四叉路)。

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 大田区全般に言えることだが,平坦なので自転車が非常に多い。

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 愛川屋蒲鉾店・衣料品「サックス」の前の四ツ辻。

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 四ツ辻の南側の「むさしや履物店」と「肉の太田屋(写真右)」。

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 四ツ辻の焼鳥屋と村松園茶店。

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 糀谷商店街の桃太郎薬局の前を南へ。

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 桃太郎薬局の前から糀谷商店街の北側を振り返る。

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 むさしや履物店とセーター・毛糸・手芸「むさしや」が並んでいる。

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 軒下にぶら下がっている虎とライオンの顔の形をしたリアルアニマルリュック5900円が気になってしまった。自転車のおばさんの目線も,たぶん虎とライオンの顔を見ている。これを背負って歩いたら街中で評判になれそうだが,ネタのために買う勇気はなかった。

 ちなみに虎とライオンのリアルアニマルリュックの部分を拡大するとこんな感じ。
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 八百屋の「八百周」。

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 糀谷商店街と萩中通り商店街の交差点。
 この萩中通りを真っ直ぐ西へ向かえば目的地の「七辻」だが,その前に萩中通り商店街をぐるりと見て回ることにする。

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 萩中通り商店街の蕎麦処「さか本」,もつ焼・とんかつの店「まつざか」。右の路地を南へゆくと区立大田生活実習所がある。

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 萩中通り商店街の複合ビル「グランシャリオ」。1階部分には100円ショップ「ザ・ダイソー」や大きな自転車屋の「サイクルオリンピック萩中店」などが入っている。

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 萩中通り商店街。
 約6年前,初めて萩中通り商店街を歩いたときに,昭和40年代頃にまとめて作られたと思われる集合型店舗群があることを知った。集合型店舗群の多くは健在なようだ。

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 西のグランシャリオの「サイクルオリンピック萩中店」を振り返る。

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 萩中通り商店街に並ぶ集合型店舗群。午後3時を過ぎて商店街は買物道路(歩行者天国)になったはずなのだが,まだ車が通過していく。

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 インドネパールレストラン「エベレスト」。

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 萩中通り商店街を東へ歩く。

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 萩中通り商店街の山本焼肉店,大寿司,ダイヤの並び。

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 萩中通り商店街の集合型店舗群。買物道路(歩行者天国)になっても自転車の数は減らない。

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 萩中通り商店街。通過する自転車が少ない瞬間を狙って道路の真ん中から撮影。

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 シオノ靴店の前から萩中通り商店街の東側を見る。

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 萩中通り商店街。

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 うなぎ・活魚料理「一平」とアイザワ美容室が入る集合型店舗。

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 萩中二丁目の東端,萩中三丁目寄りにあるスーパー「マルエツ新糀谷店」。

 萩中通りをこのまま東に歩くと,目的地の「七辻」からどんどん遠ざかるので,このへんで西へ引き返す。

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 萩中通り商店街の自転車屋「すぎちゃり」。

 自転車屋が多い大田区がうらやましい。私が現在住んでいる横浜市港南区上永谷駅周辺は起伏が多く,自転車利用者が比較的少ないため,自転車屋が(ほとんど)ないのが悩みの種である(以前は駅前のヨーカドーに自転車コーナーがあったのだが,売れないためか売場がなくなってしまった)。
 台数は売れなくても,坂道だらけなので電動アシスト自転車が多く売れるはずなので,商売的にはけっこう美味しいようにも思うのだが……

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 萩中通り商店街の北側の歩道を歩きながら通りを西へ引き返す。

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 午後3時を10分以上過ぎ,買物道路(歩行者天国)が確実に認知されると,広々とした道路を歩く人が増えてくる。

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 萩中通り商店街を西へ。

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 歩行者天国となり,車両通行禁止の車止めが置かれている。自転車も「車両」だと思うのだが,自転車を押して歩いている人はほとんどいないようだった。

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 中国料理餃子ハウス「長安」。

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 糀谷商店街と萩中通り商店街の交差点。

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 ファミリーレストラン「Coco’s」の前にママチャリが大集結。

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 萩中神社のある一郭。

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 萩中神社。このあたり一面が広大な田んぼだった頃から鎮座する。江戸時代後期には神明社と称したらしい。

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 萩中通りをさらに西へ。大きな和牛専門店「東」がある。

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 都営萩中一丁目アパート13号棟。11号棟,12号棟と3棟のアパートが並んでいる。

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 都営萩中一丁目アパート13号棟の1階部分は店舗になっているが,シャッターが閉じている。

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 手描きのパターン絵が描かれている光輪幼稚園。

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 光輪幼稚園もある萩中一丁目のこの一郭には7つの寺が集まっている。現在は萩中だが,かつては出村だったところである。もともと築地本願寺にあった子院が関東大震災で被災し,まとまってここに移転したようだ。

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 水路が暗渠になったと思われる路地。痕跡が多摩川まで続いている。

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 七辻。萩中一丁目,大田区南蒲田二丁目,東六郷一丁目,南六郷一丁目の境界にある有名な七叉路である。交通量は意外に多いが信号機はなく,「日本一ゆずり合いモデル交差点」となっている。

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 まさに七辻,七叉路である。

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 大正時代の地図では,田んぼや畑の中に既に七叉路が通っていることが見てとれることから,歴史のある交差点だとわかる。

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 フレッシュフーズ「七辻ひらばやし」。

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 傍らに「七辻の由来」の看板が立っている。

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 看板には「日本一 ゆずり合いモデル交差点」と書かれている。信号機がないので,基本的にゆずり合いがなければ成立しない交差点なのである。

糀谷〜萩中〜七辻
 糀谷商店街を歩いている途中でiPhoneのGPSロガー機能をonにしたので,中途半端なログになってしまった。

── PENTAX K-1 + smc PENTAX-DA FISH-EYE10-17mmF3.5-4.5ED

【関連記事】
2010年9月21日 (火曜日):京急空港線の高架工事や 糀谷

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2016年5月22日 (日曜日)

諏訪神社例大祭の日 横須賀中央

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諏訪神社例大祭の日 横須賀中央


 夏のような暑さになったこの日,横浜よりも多少は涼しそうな三浦半島の横須賀へ。

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 京急線に乗って横須賀中央駅で三年ぶりに下車する。駅前のペデストリアンデッキ(通称Yデッキ)に出ると,何やら賑わしい音が聞こえてくる。

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 ペデストリアンデッキの上は普段の日曜日と変わらないようだが,足元からざわめきが聞こえてくる。

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 京急横須賀中央駅と横須賀モアーズシティ。

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 横須賀中央駅前のペデストリアンデッキから見た横須賀中央大通り(若松商店街)。ペデストリアンデッキの下から聞こえてきたざわめきは,街で祭が行われているためだった。駅前から横須賀中央大通りの両側の歩道には露店がびっしりと並んでおり,今まさに踊り流しが始まるところだった。

 偶然やってきたこの日,横須賀は諏訪神社の例大祭の日だった。

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 午後2時30分ちょうどに踊り流しが始まった。

 諏訪神社例大祭だということはわかったが,この流し踊りがどのような由来によるものなのか,どのようなイベントなのかを知りたくて横須賀市のサイトを探してみたが,観光・文化・スポーツのページやイベント一覧にはそれらしい情報を見つけることができなかった。横須賀市内で行われるイベント一覧には,諏訪神社例大祭の日時すら載っていない。「観光立市」というページがあるというのに,歴史的な行事が載っていないのはどういうことだろうか。

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 ペデストリアンデッキを降りる。米軍横須賀基地のある街らしく,米海軍の関係者と思われる方も多い。

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 横須賀中央大通りの露店。

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 駅前から国道16号線の日の出町一丁目交差点に続く若松通り。

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 横須賀で立ち食いといえば,やきとり相模屋。もちろん立ち飲みコーナーもある。なにしろ焼き鳥全品1本80円である。

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 ヨコビルの横,若松町一丁目の千日通り商店街。

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 横須賀中央大通り方向を振り返る。私が子供の頃にはなかったバナナチョコの露店は,人気なのか数店舗見られた。

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 写真右側がヨコビル。既に「ヨコビル映画街」という看板は取り外され,かつてここに丸井の別館や映画街があったことが忘れ去られようとしている。

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 千日通りの交差点。2012年4月に閉店した西友横須賀店の跡地にザ・タワー横須賀中央がそびえる。

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 千日通り。

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 千日通りから若松通りの千日通り入口交差点方向を見る。金星劇場は取り壊されて駐車場になっている。

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 千日通り,カレーのベンガル。横須賀がご当地グルメとして「海軍カレー」などと言い出す前からあるカレーの店だ。

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 ベンガル横の路地。

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 路地に飲食店が並んでいる。

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 若松通りの千日通り入口交差点。若松通りにも露店が並んでいる。

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 若松通りの露店。昔から露店のお面は人気で,高額商品のひとつだった。

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 若松通りの露店。

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 千日通り入口交差点。

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 金魚すくい。

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 若松町三丁目の若松マーケット(若松新生商業組合)へ。キャバレー「ロンドン」が健在だ。

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 若松マーケット(若松飲食店街)の裏路地。

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 カラオケの音がかすかに聞こえてくる……

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 若松マーケットのスナック「小天橋」。

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 若松マーケットの裏には地上26階建ての「サンコリーヌタワー横須賀中央駅前」がそびえる。

 この「サンコリーヌタワー横須賀中央駅前」は,10年ぐらい前から龍本寺(竜本寺)裏の崖を大規模に削り,防空壕を埋め戻す「若松町特殊地下壕埋め戻し工事」を行ったところに建てられている。かつては「京急中央駅前ルネサンスタワー開発事業」として,より大規模な地上31階建てとして計画されていたが,リーマン・ショックで頓挫したはずだった。
 同時に,サンコリーヌタワー横須賀中央駅前の敷地は道路に面しておらず,本来は建物を建てられないはずだが,隣接する新中央図書館(老朽化した児童図書館の建て替え)と一体開発するという変則技も使われていたため,「京急中央駅前ルネサンスタワー開発事業」の頓挫で当分放置されるのかと思っていた。なにかウルトラCでもあったのだろう。

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 若松新生商業組合の提灯が揺れる。

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 平成若松ビル。

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 若松マーケットの裏路地に入り込む。

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 中勝ビルの屋上緑化。

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 若松マーケットの裏路地の四ツ辻。

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 平成若松ビルのほうを振り返る。

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 若松TYビルの裏手……

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 若松TYビルの中が飲食店街になっていて,反対側に抜けられる。

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 若松TYビルを抜けて南東側へ。

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 若松マーケットから米が浜通りに抜ける通り。

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 米が浜通りから見たサンコリーヌタワー横須賀中央駅前。ここから見ると,龍本寺の裏の崖と,崖を大規模に削って建てられたサンコリーヌタワー横須賀中央駅前の関係がよくわかる。

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 横須賀氷業の前が諏訪神社の子供神輿の休憩場所になっていた。

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 横須賀中央駅前に続く若松マーケットのメインストリート。

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 若松マーケット(若松飲食店街)のメインストリート。完全な逆光で,銀塩フィルム時代の古いsmc PENTAX-FA20-35mm F4レンズには厳しい状況だ。

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 印象的なテントのBAR「オアシス」。

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 飲食店が密集する若松マーケット。

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 若松マーケットを横須賀中央駅に向かって歩く。

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 若松マーケット。

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 ここまで隙間なく飲食店が密集する飲み屋街は珍しい。

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 南東側を振り返る。

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 若松マーケット(若松飲食店街)。

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 中には「笑っちゃいけない店」もある。

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 スナック「赤レンガ」「ふれんず」の先は横須賀中央駅前から直接見えない鍵曲がりになっている。

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 若松マーケットとサンコリーヌタワー横須賀中央駅前。

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 以前は古本屋があった路地。路地の南側の入口にも古本屋があった。「横須賀ブラジャー」の提灯が揺れる。

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 以前は龍本寺に続く階段だったところが舗装された細い道路になっていて,サンコリーヌタワー横須賀中央駅前に続いている。建築基準法での接道義務は,確か「幅員4メートル(ないし6メートル)以上の道路に2メートル以上接していること」だったはず。この細い道路が幅員4メートルあるのかどうか,微妙な感じもするが,ビルが建っているのだから問題ないのであろう,たぶん。

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 若松マーケットの鍵曲がり(クランク)。

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 古本屋はなくなっていた。

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 正面に横須賀中央駅前のペデストリアンデッキ(Yデッキ)が見えてきた。写真左の石垣は諏訪神社。この日のお祭は,この諏訪神社(と汐入駅近く「どぶ板通り」そばの諏訪大神社)の例祭である。

 後ろから子供神輿を担ぐかけ声が近づいてくる。

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 諏訪神社の玉垣に残る「待合おきな」の文字。以前の記事にも書いたが,横須賀市若松町の花街は千日通りにあったものと思われる。

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 後ろから迫ってくる子供神輿をやり過ごすため諏訪神社へ。

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 やり過ごすつもりだった子供神輿も諏訪神社へ。

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 諏訪神社の玉垣。

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 縮小写真ではよくわからないが,1軒の理髪店を挟んで5件の待合の玉垣が並んでいる。若松一丁目の花街はかなり大きかったのかもしれない。

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 横須賀中央駅前の歩道にも露店が並ぶ。

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 ペデストリアンデッキから下町五町連合神輿渡御を見る。iPhone 5sで撮影した動画はピンぼけになってしまった……

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 横須賀中央駅前から上町方向を見る。

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 とても疲れたので京急線の電車で帰る。長く患っていた右膝はだいぶ良くなって,そこそこ歩き回れるようになった。

横須賀中央〜若松マーケット

── PENTAX K-1 + smc PENTAX-FA20-35mm F4 AL or iPhone 5s

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2016年1月11日 (月曜日)

朝日に匂ふ山桜花 桜井市桜井

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朝日に匂ふ山桜花 桜井市桜井


 今日はのんびり桜井の町を見て回ってから,旅を終えて横浜の自宅に帰る。
 桜井市の桜井駅前周辺の町並みは,今までJR桜井線や近鉄大阪線の車内から見たことがあるだけだ。昔ながらの町並みにアーケード商店街があちこちにあるという印象を持っているが,果たして実際はどうだろうか……

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 JR奈良駅のホームに桜井線(万葉まほろば線)の桜井駅行きの電車が入ってきた。桜井線の電車は,ほぼ30分間隔で運転されていて,桜井行きが1時間に1本,和歌山行きが1時間に1本の割合になっているようだ。

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 電車が桜井駅に到着。橋上駅となっているJR桜井駅の跨線橋の上から乗ってきた電車を見る。
 写真右側に見える高架駅が近鉄の桜井駅である。

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 JRの桜井駅がある南口の駅前広場を見る。

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 桜井駅南口の駅前広場とロータリー。

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 桜井駅南口のタクシーのりばと桜井駅前第一街区市街地再開発ビル「エルト桜井」。2階には地域コミュニティ活動の場となる桜井市まほろばセンターが入っている。上層階は住居棟となっている。

 1階にはスーパーマーケットの「まねき屋」が入っていたようだが,約1年前に閉店してしまったようだ。調べてみると,「エルト桜井」のキーテナントは当初近鉄百貨店だったが,1994年(平成6年)に開業後わずか3年で撤退。その後,紆余曲折があって生鮮食品中心のスーパー「まねき屋」が営業していたが,それも撤退し,現在は空き家が埋まらずがらんとしている状況が続いている。

 エルト桜井には“日本最古の神社”三輪明神と談山神社の看板がある。大神神社「三輪明神」は三輪山がご神体で,桜井線の三輪駅が最寄り。談山神社は十三重塔で知られ,桜井駅前からバスかタクシーでのアクセスとなる。

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 桜井駅南口から国道165号線の谷東交差点まで真っ直ぐ南に延びる駅前通り。いつ頃かは不明だが(1980年~1990年頃かな),駅前通りを広げるときに一斉に町並みを整えたようだ。「まほろばニューシティ21」というのがどこからどこまでを指すのかも不明。

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 桜井駅南交差点の中京銀行桜井支店横の路地を東に入ると旅館「皆花楼」がある。

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 旅館「皆花楼」。桜井駅前の純和風旅館だ。もともとは料理旅館らしい。そういえば,大和高田市の近鉄大和高田駅前のJR和歌山線横には「二鶴」というリーズナブルな和風旅館がある。こういう旅館がちゃんと残るのは,街の歴史とスケールのなせる業なのかもしれない。

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 旅館「皆花楼」の向かい側は,桜井駅南口のアーケード商店街「桜井1番街」の商店の裏側になっているはずが,商店がごっそりなくなって駐車場となり,桜井1番街が丸見えになっている。

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 桜井1番街のアーケード商店街跡。ここがアーケード商店街だったことは,残ったタイル舗装が物語っている。しかしそのタイル舗装にも駐車場のラインが引かれ,途中にはフェンスも設けられている。奥にはわずかにアーケードが残っているのが見える。また中央ビルの上にはチヨダボウルのボウリングのピンのオブジェが立っている。

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 桜井1番街から駅前東通りに抜ける路地。桜井1番街の一部だと思われる。

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 桜井駅南口の駅前グリーンビル・幸和ビルの前面に開口部があり,桜井1番街のアーケード商店街が連続するような構造になっている。

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 駅前グリーンビル・幸和ビルの前面に開口部。左側に桜井1番街のアーケードが続いている。

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 駅前東通り。桜井1番街のアーケードの入口がある。大阪の味「あほや」のたこ焼・ぺちゃ焼が気になってしまった。
 ぺちゃ焼きは,いか焼き器の鉄板に目玉焼き・とろけるチーズ・たこ焼きを載せてプレスしたものらしい。関西の人って粉もん好きだなあ……と思ったら,「あほや」は東京や神奈川にも進出しているらしい。

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 ミートショップ「やまぐち」と「あほや」の間の桜井1番街。

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 マルツベーカリーの前から桜井駅南口を見る。
 ここでパンを買って昼飯にする。とても美味いパンだった。桜井の人なら知らない人はいない老舗パン店らしい。いまどきの商店街に残っている店は,パン屋に限らず,食堂でも何でも固定客をつかんでいる店が多く,ほとんど外れがないというのが最近の実感だ。

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 駅前東通り。

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 駅前東通りから桜井1番街へ。

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 桜井1番街の全蓋式アーケードはほとんどが撤去されているが,チヨダボウルの前の一郭にはまだアーケードが残っている。

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 桜井1番街の全蓋式アーケード。「桜井1番街」と書かれた特徴的な間接照明がぶら下がっている。

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 桜井1番街の桜井駅方向を見る。駅前グリーンビルのところまでは全蓋式アーケードが撤去され,だだっ広い駐車場になっている。

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 桜井1番街の東に続くのが中央ビル名店街と一番街。

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 写真右がチヨダボウルがある中央ビルで,1階部分が中央ビル名店街・ニュー名店街となっている。その向かい側は中央ビルとは別の建物で,1階部分は一番街となっている。この一番街と桜井1番街が同じ商店街なのかどうかは不明だ。
 残念ながらシャッター街になっている。

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 中央ビル前の四ツ辻を振り返る。かつてはここから駅前まで続いているアーケードの下を通って,ほとんど濡れずに桜井駅まで歩くことができたのだろう。

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 中央ビル名店街の前の桜井1番街。

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 チヨダボウルは中央ビルの2階にある。

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 中央ビル横の通りを南に歩くと白漆喰の土塀が並ぶ古い町並みとなる。

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 旅館「皆花楼」の前の通り。

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 少し視線を右に移すと,桜井1番街との間の広い駐車場が目に入る。ここに桜井1番街の商店がびっしり並んでいた頃を見てみたかった。

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 シンメトリックな長屋風建築が並ぶ一郭。

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 長屋建築に挟まれた路地を南へ。

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 長屋の中には立派な共同井戸がある。

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 共同井戸の横から北側を振り返る。

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 長屋建築に挟まれた路地を南に抜け,本町通り(本町通り一丁目)へ。
 ここ本町通りが旧伊勢街道(旧初瀬街道)であり,宿場町・市場町として,さらに木材の集散地として栄えた桜井町の中心だったと思われる。

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 本町通り一丁目の割烹「力寿司」とフゴタ洋服店。どちらも廃業しているように見える。

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 本町通りを東へ。本町通り一丁目のお好み焼・焼そば「ときわ」。写真右の塀は来迎寺。

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 本町通りの近代建築。旧京都相互銀行らしい。

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 本町通り二丁目の金澤洋裁用品店。横の路地はチヨダボウルの中央ビルのところに続いている。

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 本町通り一丁目側を振り返る。

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 金澤洋裁用品店と大和茶屋の間の路地。

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 路地を入ると大和茶屋があり,その奥には瓦屋根をのせた白漆喰の土塀と板囲いのある路地が続く。

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 奥には桜井1番街のアーケードが見える。

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 本町通り二丁目の東海フレンズ(株)。

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 東海フレンズ(株)の建物には,“揮発油・灯油・軽油・重油・機械油”の金澤喜市郎商店の看板が残っている。

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 本町通り二丁目の商店街。写真右側は来迎寺の石塀。

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 本町通りの三丁目までは全蓋式アーケードが設置されていたが,最近になって撤去されたようだ。商店数が減って商店会でアーケードを維持するための費用負担が重くなってきたことと,商店街活性化施策,商店街環境整備促進の一環として,老朽化したアーケードの撤去事業に補助金が出るようになったため,最近になって全国的にアーケードを撤去する商店街が増えている。

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 本町通り二丁目の桜井本町たまり場。この日はシャッターが閉じていたが,空き店舗を拠点として,桜井市本町通・周辺まちづくり協議会が街の活性化に取り組んでいるようだ。

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 本町通り二丁目の「かねだ呉服店」。衣紋掛けの振袖が美しい。とは言ってみても,私は無粋な人間なので衣紋掛けに吊された状態の振袖と打掛の区別ができていない。

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 本町通り二丁目の大和信用金庫本町出張所。大和信用金庫は奈良市や大和高田市,橿原市などにも店舗があるが,桜井市に本店があるため桜井本町出張所ではなく本町出張所になっているようだ。

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 本町通り(旧伊勢街道)から北に延びる中央通商店街は旧上街道である。全蓋式アーケードが設置されている。

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 中央通商店街の和菓子の店,松福堂。

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 全蓋式アーケードのある中央通商店街から本町通りを振り返る。

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 中央通商店街のタキノ洋服店と“帽子とカバン”イケダの間に,西に抜ける路地がある。

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 中央通商店街のタキノ洋服店と“帽子とカバン”イケダの間の路地。

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 路地に入ってみる。

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 ビクターレコードの看板は藤本光音社。演歌歌手の名前が書かれた小さな提灯がぶら下がっている。店内には演歌のカセットテープがずらりと並んでいる。ひょっとしたらお宝が見つかるかも……

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 中央通商店街を北へ歩く。
 写真左は洋品と帽子の「池田」。ちょっと南にある“帽子とカバン”イケダは同じ経営者かな?

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 スミダサイクル。ミヤタ自転車,ナショナル自転車,ブリヂストン自転車の看板がずらりと並ぶ。

 ミヤタ自転車とは縁がなかったが,ナショナル自転車はパナソニックブランドのチューブラータイヤ(たしか「パナレーサー」だったかな)をロードレーサーで愛用していた。
 また,小学生の高学年になったときに初めて買ってもらった自転車は郡山のうすいデパートの安物で,そのパーツをあれこれいじって乗りまくった後で,大学生になって上京したときに買ったのがブリヂストン「ユーラシア」のランドナーだった。社会人になって金が自由に使えるようになってからは,フルオーダーでロードレーサーを作った。自転車には子供の頃から凝りまくって,あちこち乗り回していたので懐かしい。

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 中央通商店街。写真右は妙要寺。毎年7月15日には祭礼「妙見さん」があり,中央通商店街には露店が出たり各種イベントで賑わうという。
 遠くの桜井線の踏切を電車が走る。

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 中央通商店街にある妙要寺。

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 中央通商店街を北へ歩くと近鉄大阪線の高架橋が見えてくる。
 和牛肉専門店「肉の牛亀」支店東。

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 中央通商店街のアーケードの北端から商店街を振り返る。

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 駅前東通りと中央通りの交差点。

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 近鉄大阪線のガードをくぐり,粟原川に架かる橋のたもとの北本町二丁目の商店街。

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 三井電気商会の前から近鉄特急が走るのを見る。

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 三井電気商会の横の梨本町一丁目の家並み。

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 中央通りに戻る。

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 近鉄大阪線に沿って東に続く北新町一丁目の商店街。中和農園と羽田茶舗。

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 北新町一丁目の家並み。

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 北新町一丁目の聖ペテロ学園育成幼稚園の飛び出し坊や。育成幼稚園は日本聖公会桜井聖保羅教会内にあって,なかなか良い感じの建物だったのだが,幼稚園なのでカメラを向けるのを躊躇してしまった。

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 北新町二丁目。

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 北新町二丁目から北新町一丁目を振り返る。写真右側の路地が一丁目と二丁目の境になっているようだ。

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 北新町二丁目から見た北新町一丁目の家並み。写真左が聖ペテロ学園育成幼稚園。

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 北新町二丁目の家並み。

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 北新町二丁目。

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 北新町二丁目の西側を振り返る。

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 北新町二丁目から本町通り五丁目に抜ける路地を入ると,「卍」印がついた小さな祠がある。

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 祠の横から北新町二丁目方向を振り返る。

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 路地を抜け,本町通りに出て,本町通り四丁目を見る。写真右側が本町通り,左は大願寺裏手に続く路地。

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 本町通り五丁目。

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 本町通り四丁目を西へ。

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 本町通り四丁目の山本五平薬局。

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 本町通り四丁目の山本五平薬局。

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 本町通り三丁目。萩原ふとん店前面の切り欠きと金井呉服店のひさしの高さから,ここにアーケードがあったことが見てとれる。

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 本町通り三丁目の結納・人形の大倉とノチオカ薬局,金井呉服店。

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 本町通り(旧伊勢街道)から南に延びる旧多武峰街道の立小路町。片側にアーケードが架かっている。ここは伊勢街道と上街道,多武峰街道が交差しており,古くから魚市場があって賑わったらしい。吉野から多武峰を通って運ばれてきた熊野鯖は名物のひとつだったという。道端に「旧跡 櫻井魚市場」の碑が立っている。

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 片持ちアーケードの下にある市藤商店。

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 立小路町の市藤商店の横から来迎寺に続く路地を西へ。

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 路地の正面に来迎寺の門が見える。多武峰街道から続くこの路地が来迎寺の参道だったのかもしれない。

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 融通念仏宗無量院「来迎寺」。

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 来迎寺裏手(西側)の路地。

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 磐余町の交差点の南都銀行桜井支店。

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 同じ磐余町の交差点の大和信用金庫本店。

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 駅前通り。本町通りの入口に本町通商店街のアーチがある。以前はここから全蓋式アーケード商店街になっていた。

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 本町通(旧伊勢街道)。

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 駅前通りの西側に続く西本町通一丁目,三輪そうめんの松田宗商店と寿屋食料品店。

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 西本町通一丁目から昭和児童公園に続く路地。

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 西本町通一丁目から東側を振り返る。

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 桜井西本町郵便局の前から西側を見る。

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 2階部分の造形が凝っている前田庄商店。三本のタイル貼り円柱がチャーミングだ。

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 西本町通三丁目の前田庄商店の前から東側を振り返る。

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 西本町通四丁目の谷口電気商会の前から小西橋東詰交差点方向を見る。

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 西本町通四丁目の丁字路。

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 中田生花店の前から小西橋東詰交差点方を見る。

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 中田生花店の前から東側を振り返る。

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 西本町通四丁目の丁字路を北へ。

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 材木町二丁目。

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 寂しくなってしまったエルト桜井の中を通り,JR桜井駅南口へ。

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 桜井駅南交差点と駅前のロータリー。

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 桜井駅北口の駅前広場。バスロータリーの真ん中に古墳モニュメントがある。

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 桜井駅北口の近鉄JR桜井駅。

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 近鉄桜井駅から大和八木駅に移動。大和八木から名古屋行きの特急に乗り込む。

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 ひと眠りすると,車窓に名古屋駅前の高層ビルが見えてきた。

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 近鉄名古屋駅に到着。何はともあれ乗ってきた電車を撮っておく。

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 新幹線名古屋駅のホーム。名古屋始発のがらがらの「こだま」で帰る。

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 晩飯の駅弁。

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 小田原で在来線の上野東京ライン(東海道本線)普通小金井行きに乗り換えて戸塚駅で下車する。あとは横浜市営地下鉄に乗り換えるだけだ。
 名古屋駅で17時29分発の「こだま」に乗ったので(名古屋始発の「こだま」は毎時29分発),戸塚までちょうど3時間かかったことになる。

奈良県桜井市

── SONY α7S + Vario-Tessar T* FE16-35mm F4 ZA OSS or SONY Cyber-shot DSC-RX100M3

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2016年1月10日 (日曜日)

古地図の町並みが残る御所まち 御所市

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古地図の町並みが残る御所まち 御所市


 JR御所駅の南東に広がる御所市御所まちを歩く。
 御所市は,昭和33年に御所町,葛村,葛上村,大正村の4町村が合併して市制施行した都市である。御所(ごせ)という地名の由来は,市内を流れる葛城川に五つの瀬があったという説や,孝昭天皇の御諸が「御所」に変わったという説があるようだ。
 御所まちは葛城川を挟んで東御所と西御所からなる。東御所は円照寺を中心とした寺内町である。南に桑山氏の陣屋があったと言われ,現在も代官町という町名が残っている。西御所は環濠が取り巻く商業町で,木綿の大和絣や菜種油,醸造などで賑わったところで,重厚な商家が並んでいる。
 御所まちには細かな町名がついているが,正式には町名はなく,番地のみの住所となっている。たとえば,御所市役所の所在地は御所市1-3,JR御所駅は御所市153-2となっている

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 1896年(明治29年)に開業した当時の駅舎が残っているJR和歌山線の御所駅。

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 JR御所駅前の「国鉄御所駅前通り」。駅前から葛城公園に続くこの通りには,国鉄御所駅前通りという地名が残っている。

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 御国通り一丁目の商店街が国鉄御所駅前通りから新地町の新地商店街に続いている。

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 全蓋式アーケードのある新地商店街。西から東に向かってゆるやかに下る新地商店街の東側を見る。

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 全蓋式アーケードのある新地商店街の西側を見る。ゆるやかな上り坂になっているところを写真に収めたいのだが,なかなか難しい。

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 新地商店街の御国通りとの交差点。

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 御国通り二丁目の商店街。

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 御国通りと新地商店街の交差点。

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 新地商店街のゆるやかな坂を下る。

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 新地町の新地商店街と西町の交差点。

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 新地商店街と交差するのは旧高野街道である。

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 新地商店街と旧高野街道の交差点にある東川酒店。

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 新地商店街の全蓋式アーケードの東端。ここから和歌山線の踏切まで全蓋式アーケードが続いている。

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 西町の旧高野街道。

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 西町の鍵曲がり(枡形)。ここが御所まちの北の木戸跡で,この南東側が西御所の環濠集落となる。ここから一本西側に細い環濠と「環濠のみち遊歩道」があるらしいのだが,見落としてしまった。

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 西町の北の木戸跡にある鍵曲がり(枡形)。高札場と四地蔵(長命地蔵)がある。
 高札場は2008年に江戸時代とほぼ同じ場所に復元されたもの。
 四地蔵は御所まちの四隅(ここが北西であり,他には南西の安産地蔵,南東の馬橋地蔵,北東大日地蔵の4か所)にある。悪霊の侵入を防ぐ道祖神・塞の神である。

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 西町から中央通り(中央通り二丁目)を見る。

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 旧高野街道を南へ。

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 旧高野街道の寿司入船本店,御結納うのず。

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 西町の旧高野街道の商店街。

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 西町から御国通りに続く通り。

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 西町の大衆食堂お好み焼お多福の前を通り「魚の棚」御堂魚棚町へ。

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 御堂魚棚町の短いアーケードが見える。

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 御堂魚棚町の西側を振り返る。

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 御堂魚棚町を南へ。土蔵が並ぶ。

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 中本町と西久保本町の交差点。

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 御堂魚棚町を振り返る。

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 中本町の油長酒蔵。

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 中本町の油長酒蔵の土塀と発酵タンク。この本町の通りが西御所のメインストリートだと思われる。

 御所市の人口は現在約2万7千人。3万7千人を越えていた昭和末期からはずいぶん減少してしまい,奈良県の市では人口が最少になっている。このぐらいの規模の地方都市ではありがちな市街地道路の拡幅施策は採られておらず,御所まちの町割りや通りの幅員は江戸時代から変わっていないようだ。現時点で重要伝統的建造物群保存地区には選定されていないが,それに匹敵する町並みが残っている。

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 油長酒蔵の亨保蔵。土塀の上を這う松の枝がすばらしい。

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 中本町の前田紙店と油長酒蔵の発酵タンク。

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 油長酒蔵の本町通り側の土塀の上にも松の枝が這っている。

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 中本町の前田紙店と油長酒蔵の前から西久保本町側を見る。

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 油長酒蔵の杉玉(酒林)。

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 中本町の油長酒蔵は創業亨保四年。本瓦,うだつ,平入り,虫籠窓が御所まちの町家の特徴になっている。

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 油長酒蔵の杉玉と酒樽。清酒「風の森」は,もろみ発酵由来の炭酸ガスが溶存しているのが特徴らしい。ちょっと飲んでみたい。病気のために禁酒中で,炭酸水ばかり飲んでいるが……

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 中本町を東へ歩く。四ツ辻には妻入りの町家(吉村邸)がある。

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 中本町の家並み。御所まちの町家はほとんどが平入りで,中本町の吉村邸は唯一の妻入りの町家らしい。

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 中本町から南の東久保町を見る。

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 中本町の家並み。

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 旧御所郵便局。現在の御所郵便局は少し北側の栄町に移転したが,旧郵便局の建物は残されている。

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 旧御所郵便局の前から中本町の西側を振り返る。

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 中本町から南中町に続く前喜商店横の通り。

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 中本町の前喜商店の土蔵。

 中本町から南中町に続く通りを歩いていたら,ちょうど歩いていた方に声を掛けられた。御所の町並みの話を伺ったりしていたら,町家の中を見てみませんかということなので,ありがたく拝見させていただいた。

 見せていただいたのは南中町の中井邸。1792年(寛政4年)の建築で,国の登録有形文化財に指定されている町家である。話を伺ったのは中井邸のご当主で,各種書籍に執筆もなさっている御所まちの歴史に大変お詳しい郷土史家の方である。私はたいへんな幸運に恵まれたようだ。

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 1742年(寛保2年)の御所まちの検地絵図(複製)。通り名・道幅・持ち主・面積・番号が書かれていて,道幅・背割下水・環濠・寺院の場所はほぼ現状通りで,今現在の地図としても利用できるほどだという。

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 江戸時代の高札が残っている。高札に墨で書かれた文字の部分が盛り上がっているのは,墨の部分がそのまま残り,それ以外のところが風化したためらしい。

 文字の盛り上がり方が目立つように横からライトを当てて下さったのだが,上手く撮れなかった。高感度撮影に強いα7SをISO感度オートにして,暗いところではISO12800まで自動的に上がるように設定していたのだが,いつの間にかカメラ背面のコントロールホイール(デフォルトでISO感度設定になっている)が勝手に回っていて,ISO AUTOからISO125になってしまっていたのだ。

 撮影した写真をさかのぼって確認したところ,前日に和歌山県湯浅町を撮影している途中の16時40分27秒から16時40分59秒の間に,不用意にコントロールホイールに触れてしまったらしい。最近は写真の撮影を手抜きしがちで,ちゃんと撮れたかどうか確認しなかった私のミスである。また,α7Sはサイレントシャッターで使っているためシャッター音がなく,シャッター速度が遅くなっていることに気づかなかったこともある。トホホ……

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 天秤ばかりやら何やら,貴重なものがたくさんある。毎年11月第2日曜日に開催される霜月祭では,御所まちの町家を特別に公開する「町家ミュージアム」というイベントも催されるようなので,興味のある方は訪ねてみるといいと思う。

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 南中町の中井邸の前から中本町方向を見る。

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 南中町から西柏町へ。

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 西柏町の四ツ辻。

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 西柏町の四ツ辻。正面は今西食料品店。

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 西柏町の四ツ辻から南中町方向を振り返る。

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 西柏町の家並み。

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 西柏町の家並み。

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 西柏町を北へ歩く。

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 本町の四ツ辻から中本町の増田毘沙門堂(カメラ増田)を見る。

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 中本町の増田毘沙門堂(カメラ増田)。

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 中本町の前喜商店と旧御所郵便局。

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 本町の四ツ辻を北へ歩き,神宮町へ。

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 神宮町の家並みと太神宮(「だいじぐ」さん)。1830年(文政13年)の「おかげ参り」の後に創建されたものだという。
 毎年6月16日には太神宮祭が行われ,柿の葉寿司(鯖寿司)を食べたり,衣替えをするという。

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 絶妙な曲がり具合の太神宮の松の木。

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 神宮町の太神宮の横には空き地がある。太神宮祭のときには子供たちが描いた絵画を展示したりするらしい。

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 神宮町の家並み。

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 神宮町の家並み。本瓦,平入り,虫籠窓。

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 神宮町の太神宮と家並み。太神宮祭のときには通りに露店が並ぶという。

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 市松模様のタイルのある神宮町のタバコ屋さん。

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 神宮町の吉田屋の前の通り。

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 吉田屋の前からタバコ屋を振り返る。

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 タバコ屋の前から太神宮方向を見る。

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 神宮町の芳本甚二商店。屋根はむくり屋根になっている。

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 神宮町から御堂魚棚町に続く通りの家並み。卯建のある平入り二階建て,漆喰塗りこめ虫籠窓。桟瓦と本瓦が混在する。

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 神宮町の山本幸商店の前から御堂魚棚町を見る。

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 御堂魚棚町の花よし(花義)の前の短いアーケード。

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 中央通り二丁目の中川手芸画材店(写真左),中央理容所。

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 中央通り一丁目と二丁目の間の路地を歩いて神宮町へ戻る。

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 再び神宮町の家並み。

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 神宮町の観音寺横の三階建てレンガ造りの建物。

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 神宮町の観音寺横の三階建てレンガ造りの建物。どういう由来のある建物なのかは不明。

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 六軒町の四ツ辻の家並み。卯建のある平入りむくり屋根の二階建て。

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 六軒町の至誠堂・井上印房の前を東へ。

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 井上印房の前から六軒町の四ツ辻を振り返る。

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 葛城川に架かる大橋を渡り西御所から東御所へ。金剛山地の金剛山,葛城山に日が沈む。すっかり暗くなってしまい,東御所全体を見て回るのは難しそう(西御所もちゃんと回りきれてないが)。

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 東御所の大橋通り一丁目の大橋通商店街。東御所の町並みは御所街道に沿っている。

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 大橋通り一丁目の大橋通商店街。

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 大橋通り一丁目の岡本呉服本店の前から大橋側を振り返る。

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 大橋通り二丁目の御所街道。東御所も平入りのむくり屋根,卯建,虫籠窓の家並みだ。

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 大橋通り二丁目の杉岡商店の前から西側を振り返る。

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 大橋通りから圓照寺(写真左),寺内町に続く通り。浄土真宗本願寺派の圓照寺は大和五ヶ所御坊のひとつで,御所御坊とも呼ばれる。東御所はこの圓照寺を中心とした寺内町として整備された。

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 大橋通り三丁目の茶舗山本香北園。

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 大橋通り三丁目の家並み。

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 大橋通り三丁目から寺内町に続く通りの家並み。切妻平入りの急な屋根にひさしがついた大和棟の建物が印象的だ。

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 大橋通りを振り返る。

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 大橋通り三丁目の家並み。

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 大橋通りに戻り,大橋通り三丁目から西側を見る。右の建物は元大和絣の問屋で,商家造りの典型的形態である。

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 大橋通り三丁目。

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 大橋通り三丁目の岡本製箱所は妻入りの土蔵造りだ。東御所は西御所のように平入りの建物ばかりということはないようだ。

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 大橋通り三丁目の銭湯「戎湯」。ミネラル湯浴泉。戎湯の前にだけアーケードが設置されている。

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 ミネラル湯浴泉「戎湯」の前から大橋通りを振り返る。

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 銭湯「戎湯」の煙突。

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 銭湯「戎湯」の前を通り,寺内町に続く通り。

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 銭湯「戎湯」の裏側,背割下水のある路地に回る。御所まちの背割下水(建物と建物の間を流れることからそう呼ばれる)は17世紀初めにつくられ,1742年(寛保2年)の検地絵図の通りにほぼそのままのかたちで残っており,現在も下水道施設として使用されている。

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 背割下水に沿って大橋通り三丁目から寺内町へ。

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 寺内町。

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 西側の岸本酒蔵の三連蔵方向を見る。

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 寺内町の東端を南北に貫く路地。背割下水が流れる。

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 大橋通り方向を振り返る。戎湯の煙突が見える。

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 寺内町から東側の都町方向を見る。

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 岸本酒蔵の三連蔵。蔵の下を背割下水が流れる。

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 寺内町の丁字路。

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 寺内町の家並み。平入りで卯建のある黒壁,虫籠窓の町家と,妻入りの土蔵が並ぶ。

 すっかり暗くなってしまった。高感度に強いα7Sなので余裕で撮れるはずだが,先にも書いたようにISOオートのつもりでISO125になっていることに気づかなかったため,このあたりからはぎりぎり限界での撮影になってしまった。

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 寺内町を西へ歩く。むくり屋根に煙出し(越屋根)がついている。

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 寺内町の家並み。写真右は共和箔押工業所。

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 むくり屋根に煙出し(越屋根)がついた共和箔押工業所と寺内町の家並み。

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 寺内町の家並み。

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 寺内町から圓照寺の前を通り大橋通りに続く通り。

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 大橋を渡り,本町を西へ。

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 本町の眞龍寺の入口。

 西御所では1740年(元文5年)に葛城川・柳田川が氾濫し,「御所流し」と呼ばれるほどの壊滅的被害を受けているという。西御所の家並みが平入りでほぼ統一されているのは,被災後短期間で繁栄を取り戻したからかもしれない。

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 本町を西へ。

 今になってEXIFを確認したら,焦点距離29mmでシャッター速度は0.4秒(ISO125)。手ぶれ補正機能に救われている。シャッター速度がこんなに遅くなっても気づかないのは注意力不足だったが,シャッター音がまったくしないサイレントシャッターの盲点でもあることがわかった。
 さすがにこの直後にISOオートからISO125になっていることに気づき,ISOオートに戻した。さらにコントロールホイールの機能を「無効」に設定。これで勝手にホイールが回って設定が変わってしまうこともない。

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 中本町の旧御所郵便局の前を通り,さらに西へ。

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 旧御所郵便局の前から東側を振り返る。

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 中本町の妻入りの町家。ISOオートにしたのでISO16000まで自動的にアップしている。シャッター速度は1/60秒になり,余裕のよっちゃんで撮影できてる。

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 中本町の油長酒蔵。

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 西町の高札場にある鍵曲がり(枡形)。駐めてある車がなくなってたら嬉しいなと思いながら再びここを通ったが,残念ながらそのままだった。

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 ライトアップされた高札場と四地蔵(長命地蔵)。

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 新地町の新地商店街。

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 新地町の新地商店街を西へ。

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 新地商店街の御国通りとの交差点。

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 新地商店街のゆるやかな坂を上る。

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 新地商店街の東側を振り返る。

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 新地商店街の全蓋式アーケードの西端が見えてきた。

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 新地商店街のリビングショップ西城の前から東側を振り返る。

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 野口菓子店の横にJR御所駅に続く路地の入口がある。

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 JR和歌山線の踏切。踏切の西側約150メートルのところに近鉄御所駅がある。

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 近鉄御所駅に続く通りにある商栄会商店街のアーチ。

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 JR和歌山線の踏切から新地商店街を見る。

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 和歌山線の踏切の横から線路に沿って南へ続く末広商店街。小規模な開閉式全蓋式アーケードがついている。

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 末広町の末広商店街。開閉式のアーケードが開いている。

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 末広商店街を南へ歩く。

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 末広商店街のアーケードの南端。すぐ横の踏切は御堂魚棚町に続いている。

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 末広商店街を引き返す。辻内玩具店の前。

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 末広町の商栄会商店街。下街道の御所駅南交差点と近鉄御所駅に続いている。

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 新地商店街と末広商店街。

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 商栄会商店街を近鉄御所駅方向に歩く。

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 東西南北が基本となった街区に,和歌山線の踏切から近鉄御所駅方向に斜めに通りが延びているため,斜めになった交差点が多い。

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 商栄会商店街の東洋軒と西田呉服店。

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 右側が近鉄御所駅,左側が近鉄御所駅前広場のバスのりばに続いている。

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 下街道(国道24号線)との交差点の先に近鉄御所駅の灯りが見えてきた。

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 下街道(国道24号線)と商栄会商店街入口のアーチ。

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 下街道の横断歩道を渡り,商栄会商店街を振り返る。

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 近鉄御所線の終点近鉄御所駅。JR和歌山線の御所駅に比べると,電車の本数も利用者も圧倒的に多い(和歌山線が1時間に1本なのに対して,近鉄御所線は1時間に4本)。

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 近鉄御所駅は構内踏切のある2面2線式ホームの地上駅。

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 近鉄御所駅前。

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 下街道の東側に商店街アーチが3つ並んでいる。

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 JR御所駅に向かうため,商栄会商店街を引き返す。

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 JR和歌山線の電車が踏切を通過する。

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 新地商店街の野口菓子店の横からJR御所駅に続く路地。細く暗い路地だが,JR御所駅と市街地を結ぶ通路になっているため,歩行者は多い。

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 路地の西側(JR和歌山線側)は歯抜けになり,空き地が広がっている。

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 JR御所駅に戻る。

 約3時間,御所まちを見て回った。歴史のある町並みなので,3時間ではまったく時間が足りない。環濠集落なのに環濠を見ていない。できたら再訪したい。

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 JR御所駅の車寄せから国鉄御所駅前通りを見る。

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 JR御所駅のホームに王寺行きの電車が入ってきた。今晩の宿をJR奈良駅前に確保したので,このまま王寺駅まで乗り,王寺から関西本線(大和路線)で奈良に向かう。

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 王寺駅で大和路快速の奈良行きに乗り換える。

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 JR奈良駅に到着。ホームの反対側には関西本線経由の奈良線京都行きの電車が停車中。関東地方では見られなくなってしまった103系電車がまだ現役だ。

御所まち

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和歌山から和歌山線に乗って御所へ

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和歌山から和歌山線に乗って御所へ


 和歌山駅発の和歌山線+桜井線経由奈良行きの電車に乗って御所(奈良県御所市)を目指す。

 iPhoneの乗換案内を調べると,和歌山駅を12時55分に発車した奈良行きの電車が終点の奈良駅に到着するのは16時13分で,所要時間は3時間18分となる。所要時間優先だと和歌山から阪和線で大阪の天王寺へ行き,そこから関西本線(大和路快速)で奈良駅に向かうように案内される。

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 和歌山から御所までの切符。けっこう距離があるので,余裕で途中下車のできる区間だと思っていたが,残念ながら「下車前途無効」なので途中下車はできない。

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 和歌山駅の改札口の案内板。奈良行きの発車時刻まで時間があるので,ゆっくり昼飯を食うことにする。

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 和歌山駅のホームに和歌山線・桜井線経由奈良行きの電車が入ってきた。105系のワンマン電車である。

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 車内にはJR和歌山線子供絵画展の作品が掲示されている。

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 妙寺駅(和歌山県かつらぎ町)付近の和歌山線車内。和歌山駅から橋本駅(和歌山県橋本市)までは,なかなかの乗車率だ。

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 橋本駅には和歌山線の他に南海の高野線が乗り入れている。

 橋本から難波までは快速急行で50分弱,特急ならば40分程度で到着するため,大阪への通勤圏となっている。橋本市は大阪都市圏に含まれる和歌山県唯一の市である。
 橋本駅で大量下車。乗客の大部分が入れ替わる。

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 和歌山線の電車が奈良県に入り,五条駅(奈良県五條市)に到着。

 五条駅では乗務員が交代する。奈良県と和歌山県の県境に近く,和歌山線の運行上でも境界になっており,和歌山駅方面,王寺・奈良方面に向かってそれぞれ五条始発の電車が設定されている。

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 吉野口駅(奈良県御所市)には和歌山線と近鉄の吉野線が乗り入れている。

 吉野口から大阪阿部野橋駅(天王寺駅)までは急行で1時間弱。大阪阿部野橋方面の電車の本数などを見ても,橋本駅とそれほど変わらない条件のように感じるのだが,大阪への通勤客はそれほど多くないらしく,南海の橋本駅の一日の乗降客が9千人近いのに対して,近鉄の吉野口駅の一日の乗降客は2千人弱である。

 電車が吉野口駅を発車したタイミングで,近鉄の電車もほぼ同時に同じ方向に発車し,しばらく併走した。

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 電車が御所駅(奈良県御所市)に到着。御所駅の近くには近鉄御所線の近鉄御所駅があるため,JR御所駅の利用客が少ないとはいえ,ワンマン運転の電車は運転席後ろのドアしか開かず,切符を運賃箱に入れてホームに降りるようになっていて,ちょっと驚いた。

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 和歌山線の電車が高田駅に向かって走り去るのを見送る。

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 御所駅の改札口。切符は電車内で回収されたが,御所駅は無人駅ではなく集札業務は行わない簡易委託駅となっている。

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 1896年(明治29年)に和歌山線が南和鉄道として開業した当時の駅本屋がそのまま使われている。

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 これから見て回るつもりの御所まち(赤い部分)の案内図。葛城川を境にして東御所と西御所に分かれた古い町並みが残っている。
 が,一瞬頭の中が真っ白になった。右下に御所駅があって,御所駅の南東側にあると思っていた御所町が駅の左上に描かれている。なんのことはない,この案内図は上が南,下が北になっているだけなのだが,紛らわしすぎる。

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 質実剛健といった風情のJR御所駅。

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