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2015年1月12日 (月曜日)

「福島のへそのまち」本宮市

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「福島のへそのまち」本宮市



 本宮市は,2007年に本宮町と白沢村が合併して生まれた新しい市である。

 1980年ぐらいまでは,私の故郷である三春町と本宮町はいずれも人口が約2万人程度で,三春町がわずかに人口を減らしつつあるのに対して,本宮町は平坦な土地に新しい工場が立地して,徐々に三春町の人口を追い抜きつつあった。その後,本宮町は隣の白沢村と合併して本宮市となり,町村合併しない選択をした三春町は現在も人口を減らしつつある。

 本宮は奥州街道の宿場町で,会津街道や三春街道,相馬街道が本宮から分岐していたため,とても賑わった宿場町だった。
 その本宮市の駅前に,本宮映画劇場という大正3年建築の映画館があり,しかもあの3.11の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)のときもびくともしなかった。ときどき上映が行われているという風の便りもあり,せっかく隣の三春町まできたから……ということで,我が弟にクルマで本宮駅前まで送ってもらい,本宮の町を軽く散策してみる。

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 JR東北本線の本宮駅。駅舎は変わっていないが,本宮駅前東口広場整備工事が完了し,駅前は広くさっぱりしている。

 本宮・本宮駅がかつて交通の要衝だったことを語る際には,日本鉄道が後に東北本線となる鉄道の本宮駅を開業した1887年の数年後,野口英世は猪苗代町から馬車で本宮までやってきて,本宮駅から列車に乗って上京したという逸話が語られる。
 現在では郡山が福島県の中心部の交通の要衝になっているが,磐越西線・磐越東線・水郡線が郡山駅に集まることになる以前は,県内の各街道が集まる本宮の方が栄えていたことを示す話らしい。

 郡山の街は,荒涼とした安積原野が猪苗代湖からの安積疎水により大規模な灌漑が行われた安積開拓事業によって大きく発達したと言われる。

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 しかし,「日本地誌提要」によると,安積疎水の工事が始まる1879年より前の1873年の時点で,郡山の人口は4782人で本宮の3523人を上回っており,奥州街道の宿場町としても本宮より郡山の方が大きかった可能性が高い。

 奥州街道の宿場町須賀川は人口5028人,城下町三春は人口5086人と郡山よりも多く,これらの町では「昔は郡山から須賀川(三春)に買い物にくるぐらいだった」と語られることがある。
 須賀川や三春の約5000人という都市の規模は,全国的にみてどうだったのだろうか。同じ「日本地誌提要」により,1873年の時点で人口5000人前後の都市を探してみた。

 小樽3903人,気仙沼4377人,福島5813人,白河7250人,桐生3894人,栃木3968人,熊谷4171人,土浦7788人,八王子7675人,横須賀2810人,千葉3110人,長野6928人,上田6019人,飯田5736人,豊橋7506人,小倉7459人,大分6821人,延岡6861人……。この当時は人口3万人の都市は大都市だったのだ。本宮・郡山・須賀川・三春は全国的に見てもそこそこ大きな町だったことがわかる。

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 本宮駅前にある大天狗酒造の煙突。

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 本宮駅前に小さな飲み屋街「駅前横丁」がある。

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 創業1872年(明治5年)の大天狗酒造。建物に自動販売機が埋まっている。

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 大天狗酒造。

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 杉玉(酒林)が下がっている。

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 本宮市中條,本宮映画劇場の裏側。

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 本宮映画劇場の裏の路地(北側)。何の木だろう? ひょっとしてテングシデ(天狗四手・天狗椣)? 本宮の造り酒屋は大天狗。いや,そりゃできすぎだろ……

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 本宮映画劇場の裏の路地(南側)。

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 本宮映画劇場の裏の路地を南へ。ブロックの壁に巨大なグラフィティアートが描かれている。

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 小料理「鹿住」がある路地。

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 本宮映画劇場の建物は周囲の建物よりひとまわり大きい。

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 正面に回り込む。

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 本宮映画劇場の隣の中央コーポ。

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 福島県本宮市本宮字中條9の本宮映画劇場。1914年(大正3年)に開館したそうだから,築100年になる。ずいぶん古い建物だが,あの東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の揺れにも耐えた。

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 大映映画のマークが残っている。1963年に閉館したが,館主がずっと映写機と建物を守ってきたのだという。すごい。現在もときどき上映イベントが行われているらしい。映画「ハーメルン」のロケ地になったことを示す看板もある。

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 本宮映画劇場。通称「定舞台(じょうぶでい)」。昔は本宮座と呼ばれていたが,昭和になってから本宮映画劇場となった。
 見事な建築物だが,本宮市のWebサイトを見ると,本宮市ガイドブックにも観光スポットのページにも載っていない。こんなに貴重な建物に市が気付かないなんて,もったいない。

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 本宮の街の中心を南北に縦断する旧奥州街道(陸羽街道)。うっすらと「娯楽の殿堂」という文字が読み取れる。

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 本宮の街を縦断する旧奥州街道は,このあたりでは「南の本陣通り」と呼ばれているようだ。
 本宮駅前の「駅前ふれあい通り」との交差点付近から北側の旧奥州街道(下町)は拡幅工事が完了し,店舗のセットバックしている。このあたりから南側の上町も,数年後には似たような景観になるだろう。

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 旧奥州街道の寿司居酒屋「大和」。ここから北側では拡幅工事が完了している。大和の奥に唐破風の建物がある。

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 見事な唐破風。元は旅館だろうか。

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 すぐ裏側に阿武隈川が流れている。本宮は阿武隈川に沿って街が形成されている。大きな堤防はなく,古くから何度も水害の被害を受けてきた。

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 旧奥州街道と「駅前ふれあい通り」の交差点。ずいぶんと大きくセットバックしている。

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 駅前の交差点にある本宮市消防団第1分団屯所裏の火の見櫓。

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 本宮駅前ふれあい通り。

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 ホテル堺屋と本宮市消防団第1分団屯所。

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 駅前ふれあい通りから飲み屋街「駅前横丁」へ。

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 駅前横丁。
 昨晩の雪が残っている。三春はかなり積もっていたが,本宮はそれほど降らなかったようだ。
 雪といえば,この日は晴れているのにずっと雪がちらついている。三春でもよくある天気だ。福島県の中通り地方では,こんなふうに晴れているのに雪がちらつくことがよくある。西高東低の冬型の気圧配置では,奥羽山脈の西側の会津地方では雪が降り,強風に乗って雪が奥羽山脈を越えてくるのだと思われる。

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 駅前横丁のスナック「ル・ボン」……

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 駅前横丁。駅前側の入口が見えてきた。小さな飲み屋街である。

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 食堂「平次」。酒はもちろん地酒の大天狗。

 このあたりの飲食店には「本宮二業組合員の店」の札が掛かっている。二業地といえば,芸妓屋・料理屋の営業が許可された地域であると思われる。三業地は待合・芸妓屋・料理屋の営業が許可された地域。かつての花街を指すことが多い。

 本宮二業組合の歴史のページを見ると,本宮二業組合は1908年(明治41年)に本宮料理店飲食業組合として発足したという。郊外にあって景勝地として人気だった蛇の鼻遊楽園の出張料理店と町内料理店の料金・その他を統一するのが目的だったようだ。
 1914年(大正3年)に料理業・旅館業に加えて芸妓置屋と貸座敷業を含めて本宮四業組合となる。「花の本宮」として賑わったという。
 1945年(昭和20年),第二次世界大戦の影響もあり,町の南部の鳴瀬の「新地」と呼ばれた遊郭もなくなり,「料理」と「旅館」の二業として組合の名称を本宮二業組合としたらしい。
 そして現在,本宮市内の54店舗が組合に加入し,旅館部会,食堂部会,料理部会,バー・スナック部会に分かれて活動しているという。

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 駅前横丁の本宮駅側のアーチ。

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 駅前ふれあい通りから南に延びるまゆみ通りの大天狗酒造と煙突。

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 駅前ふれあい通りのエビスヤパン店とまゆみ通り。

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 駅前ふれあい通り。国分フォトやホテルFOUR C'Sなどがある。

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 まゆみ通り。

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 右が世界一菓子店。創業昭和5年の老舗菓子店で,10月~4月という寒い季節しか営業せず,「かいてん焼」が人気だとか。

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 まゆみ通り。
 ちなみに「まゆみ通り」のマユミは,本宮の「市の木」に指定されているニシキギ科ニシキギ属の木である。漢字では「檀」「真弓」「檀弓」と書かれ,強くてしなることから弓や櫛の材料として使われるという。

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 不思議なかたちの永生堂広告社の横の路地を入ると……

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 銭湯「玉の湯」。男湯・女湯の表示がなく,廃業しているようだ。

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 銭湯「玉の湯」。左は永生堂広告社の階段。

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 玉の湯の前の路地を通ってまゆみ通りに戻る。

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 まゆみ通りのラーメン・餃子「ひょうたん」。

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 まゆみ通りの道路のペイント。相互通行の狭い道路だが,一方通行だと勘違いしないようにという意味だろうか。

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 永生堂広告社とその裏の玉の湯。

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 まゆみ通りの阿部写真館の前の十字路。

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 ラーメン類専門店「味よし」と阿部写真館。

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 しびれるような阿部写真館の建物。大正から昭和初期の看板建築だと思う。「舘眞寫部阿」の文字もカッコいい。
 右隣は温古堂治療院。

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 形のいい松の木。両側が駐車場になってしまって可哀想な感じ。

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 阿部写真館の前の十字路。

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 阿部写真館の前のビューティサロン「タシロ」。

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 まゆみ通りの十字路から東に延びる安達橋中央通り。右は井筒屋酒舗。

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 TACHINOMI。サウスポーのお姉さんはなかなか良い投球フォームだ。

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 まゆみ通りと安達橋中央通りの十字路。

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 安達橋中央通り。スナック「花房」……

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 井筒屋酒舗の前。

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 ラーメン類専門店「味よし」。

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 同じ十字路で何枚も写真を撮ったが,思ったような写真が撮れなかった。

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 阿部写真館を正面から撮影。

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 まゆみ通りの北端,本宮市中央公民館前の丁字路にある市立歴史民俗資料館。この洋風建築は旧東北電力本宮町出張所で,1924年(大正13年)に本宮電気株式会社の社屋として建築されたもの。アール部分に出入り口があってカッコいい。

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 本宮市立歴史民俗資料館。
 貴重な建物だということで,旧本宮町が国や県の補助を受けて建物を買い取り,保存しているとのこと。ぜひとも本宮映画劇場の建物も保存してほしい。

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 南町裡の幸楽の路地を入る。

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 南町裡の幸楽。“おやじの店”に空目したが,よく見たら“鳥・おじやの店”だった。おじやの店とは珍しい……

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 狭い路地を入ったところが少し広くなっていたりする。

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 南町裡のMOTOMIYA 103 BAN-KAN。複数のスナックが入店している。

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 南町裡のMOTOMIYA 103 BAN-KANのスナック「ロゼ」。

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 東邦銀行の裏の金刀比羅神社の前の路地。

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 金刀比羅神社の前の丁字路。

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 金刀比羅神社の前の路地。「歩行者専用道路です。許可車両以外通行禁止」の立て札がある。安達橋中央通りに続いている路地だが,ここも安達橋中央通りなのかどうかはわからない。

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 金刀比羅神社の鳥居と路地。マピオンやGoogleマップでは「金乃比羅」神社となっているが,額束の表記を見る限りでは「金刀比羅」神社が正しそうだ。

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 金刀比羅神社の前から西に延びる安達橋中央通り。エアコンの室外機のまわりに猫がたむろっている。あれっ,冬に暖房しているエアコンの室外機って暖かいか?

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 金乃比羅神社の前の高野屋呉服店。

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 理容・美容ホソガイがある十字路。

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 石田商店と高松山観音寺への道標の鳥居。元は安達橋(阿武隈川に掛かる橋「中の橋」)のたもとにあったらしい。

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 南町裡の石田商店の前から南を見る。

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 石田商店横の押し縁下見板張り木造二階建て建築。

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 粋里館。

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 空き地。

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 粋里館と大衆割烹「天狗」。

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 大衆割烹「天狗」の前の路地。飲食店が多い。

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 駅前ふれあい通りの駅前なべ酎。「本宮二業組合員の会」の札がかかっている。

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 本宮駅前ふれあい通り。若松屋などがならぶ。
 暗い雲が大きくなってきた。

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 駅前ふれあい通りの寿司「江戸常」。

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 東北本線の本宮駅。綺麗に改修されているが,昔からの駅舎が使われている。2面3線のホームで,改札口を抜けると,そのまま1番線になる。

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 本宮駅から東北本線の上り電車に乗り郡山駅へ。郡山始発の新幹線「なすの号」があるので,帰りは楽ちんだ。

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 郡山駅の新幹線コンコースにはたくさんの「かかし」がいる。気付かずに歩いているとドキッとする。

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 郡山駅始発の新幹線「なすの号」。各駅に停車する列車だが,車両はE5系が使われていた。

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2015年1月11日 (日曜日)

三春町渋池「愛姫小路」~墓参り

 正月休みは痛風で帰省できなかったため,成人の日をからめた1月10・11・12日の三連休に帰省した。
 近所の渋池の商店街を見て回りつつ,墓参りする。懐かしいところの写真を撮り歩いたので,いつものようにブログ記事にまとめるが,あくまで非常に「個人的」な写真が続くので,普段の記事とはかなり違った感じになると思う。

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 旧三春中学校。後ろの山は金刀比羅山。
 三春中・沢石中・要田中・桜中の4中学校が統合し,昨年の4月から三春町貝山地区に新しい三春中学校が開校したため,現在はもぬけの殻でひっそりしている。写真右の体育館と左端の校舎(昔は図書室や理科室,音楽室があったところ)は耐震設計になっているが,それ以外の古い建物は取り壊されることになりそうだ。
 旧桜中学校は1991年に中郷・中妻中学校が統合してできたため,校舎は比較的新しく,アニメーション等を制作するガイナックス社が廃校舎を利用してスタジオやミュージアムを開設することになったらしい。

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 旧三春中の正門から坂の下の渋池の商店街を見る。この道路は,三春町が城下町だった頃に城下北町と荒町を結ぶため,紫雲寺山の裾を切り通して作られたもので,現在でも「切通し」と呼ばれている。

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 私が三春中で軟式野球をやっていた頃は,ここのフェンスがかなり老朽化していて,ネットの下の方がめくり上がっていた。隙間から転がり出たボールを追って,スパイクシューズをカチャカチャさせて,何度もこの切通しの坂道を下った記憶がある。

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 切通しを下ったところが渋池地区の商店街になっており,「水戸屋」がある。現在は水戸屋の前は暗渠になっているが,昔は店の出入り口以外のところが少し深い開渠になっていて,坂道を転がったボールがそこに落ちるとあきらめざるを得なくなった。

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 水戸屋の前の道路は旧県道28号本宮三春線。かつては本宮や二本松行きのバスがここを通っていたが,すぐ裏側にバイパスができ,しかもそれらのバス路線は今はない。

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 渋池の旧県道28号本宮三春線の南側を見る。旧道は城下町らしい複雑な鍵曲がりになっていて,よくこんなところをバスが走っていたものだと思う。

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 切通しの坂の下から旧三春中を見る。三春中の野球部で軟式野球をやっていた頃は,バッティングにそこそこ自信があって,フリーバッティングではここのフェンスを越す打球を打つのが夢だったのだが,一度も超えることはなかった。

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 渋池商店街の菊地ラジオ電器店。
 旧県道28号本宮三春線は左にカーブする。そのまま上り坂になっているのは小浜海道。北に伊達政宗が幼少期に居城としていた小浜城があった小浜町(その後岩代町となり,現在は二本松市小浜)があり,三春城下と小浜を結ぶことから小浜海道であると思われる。なぜ小浜街道ではなく小浜「海」道なのかは不明。

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 渋池の旧県道28号本宮三春線のカーブ。

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 渋池地区はもう少し密集した商店街だったが,商店街色はかなり薄れている。

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 小浜海道の登り口。消防団の屯所の車庫に三春駒と三春張子の腰高とらの絵が描かれている。

 三春駒は旧三春藩高柴村(現在の郡山市西田町)の高柴デコ屋敷などで作られる木製の郷土玩具で,日本で最初の年賀切手の絵柄として採用されたり,日本三大駒として青森県八戸の八幡駒,仙台の木ノ下駒と並び称される。
 また,三春張子人形も高柴デコ屋敷などで作られる和紙の張子人形で,腰高とらは寅年の年賀切手に使われたことがあるが,いずれも近年は影が薄いような気がする。

 三春滝桜は人気の観光スポットになっているが,三春駒と三春張子人形のほうも,三春町としてもう少しPRが必要ではないだろうか。滝桜が開花する頃の周辺道路の渋滞は限界に達している。町としてこれ以上滝桜をPRしても意味はない。

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 渋池の商店街「愛姫小路」と小浜海道。

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 小浜海道。右側は旧三春中学校の石垣。

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 小浜海道から渋池の愛姫小路を振り返る。

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 旧三春中のグラウンドの西側のフェンス。

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 渋池の商店街の高橋米店と伊藤精肉店。昔,コロッケやハムカツを買い食いした伊藤精肉店だが,今は「三春グルメンチ」で知られる。三春町はピーマンの生産量が全国2位ということで,特産のピーマンをふんだんに使った青椒肉絲風のメンチカツを,いわゆるご当地B級グルメとして売り出し中なのだ。三春グルメンチが食べられる店は町内に数店ある。

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 この商店街には「愛姫小路」という愛称がついている。「めごひめこうじ」かと思ったら「めごひめこみち」と読むそうだ。バイパスができる前は県道本宮三春線として,通行量の多いところで,古くから三春城下と本宮・二本松への往来に使われていた。
 戦国時代の三春城主田村氏の一人娘愛姫(めごひめ)が,伊達政宗の元へ嫁いでいったときには,たぶんここを通って北へ向かっただろうという推測から,近年になって「愛姫小路」と名付けたらしい。

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 渋池の愛姫小路。

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 加藤木呉服店。

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 渋池の愛姫小路。後ろに見える山は紫雲寺山。

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 記憶に残っている渋池の商店街よりも,歯抜けになった部分が多くなっている。

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 カンコー学生服の看板は岡本衣料店。中学生の頃はここで学生服やジャージを買ったっけ……

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 バイパスができる前は,この渋池の愛姫小路が真っ直ぐ伸びて,八島川に架かる担橋(かつぎばし)に続いていた。

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 古い商店街の雰囲気が残る一郭。

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 三春名物「味噌まんじゅう」の菓子処三春儀同。三春町は小さな町だが,他にもかんのやの「家伝ゆべし」や三春昭進堂「おたりまんじゅう」,相模屋菓子店の「ビスまん」,福内屋の「かりんとう饅頭」など,甘いものの名物が多い。

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 八雲神社の階段。八雲神社は牛頭天王を祀っており,三春では「きゅうり天王」「天王さま」と呼ばれている。祭りのときにはきゅうりを二本持って参拝し,きゅうりを神前に供えて別のきゅうりを一本受け取って帰るんである。このきゅうりを食べると病気にならないとか。

 この八雲神社の祭りの動画がYouTubeにアップされているので,興味のあるかたは見ていただきたい。とても素朴な祭りだ。子供の頃は獅子舞(長獅子)や神主の踊りには興味がなく,もっぱら露店を見て回るばかりだったかな。長獅子に頭を食われたときに泣いた記憶はある。


〔三春町八雲神社のきゅうり天王祭 8 2012.7.26〕

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 八雲神社の鳥居と渋池愛姫小路。

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 愛姫小路の碑。

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 現在の県道本宮三春線。まっすぐ行くと磐越東線三春駅がある。

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 県道本宮三春線の渋池のバイパス。

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 県道本宮三春線のバイパスから金刀比羅(こんぴら)山を見る。山国の人から見れば,山とは言えないような小さな起伏だが,阿武隈高地の三春町周辺の山はだいたいこんな感じである。

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 渋池バス停。かつては福島交通の本宮行き・二本松行き・三春駅行きなどのバスが走っていたが,どの路線も廃止となり,現在は三春町町営バスが走るのみである。

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 バイパスから見た旧県道本宮三春線。

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 馬頭観音堂,華正院の前の旧県道本宮三春線の鍵曲がり。

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 馬頭観音堂,華正院の前の旧県道本宮三春線の鍵曲がり。広角レンズで撮っているので広く見えるが,細い道路が90°よりも小さな角度で曲がっているので,かつて通っていたバスの運転手は大変だったと思う。

 ちなみに,言葉で書いてもわかりにくいので,この日歩いた渋池周辺のマピオンの地図をアップしておく。

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 馬頭観音堂,華正院の前の旧県道本宮三春線の鍵曲がりというのは,地図の中央下部の「荒町」という表記の上のところ。

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 旧県道から荒町の県道本宮三春線を見る。

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 三春町荒町の商店街。

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 相模屋菓子店と龍穏院の参道。

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 左が旧県道本宮三春線,右がバイパス。

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 龍穏院の山門。
 曹洞宗秋田山龍穏院は三春藩主(安東)秋田家の菩提寺。うちの墓もここにある。叔母の法要に出られなかったので,ひとりで墓参り。

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 うちの墓地の前。桜の巨木が根元から切られている。真ん中に大きなうろがあり,枯れてしまったようだ。
 以前は桜の木の右側に六地蔵があったのだが,地蔵さんが一体になっている。この地蔵さんがある場所は,以前は何もなくて,昔飼っていた猫が死んだときにここに埋葬し,墓参りにくるたびに石を置いて線香をあげていたことを思い出す。

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 桜の木以外にも,以前はうっそうと茂っていた木がなくなっている。見晴らしが良くなり,晴れた日には日光がよく当たるようにはなったが,どうなんだろう?

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 龍穏院。中のふすまには地獄絵が描かれていて,とても怖かったという記憶がある。

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 この日の気温は2℃。この晩は雪になり,けっこうな積雪となった。

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 旧県道本宮三春線。

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 馬頭観音堂,華正院の前の旧県道本宮三春線の鍵曲がりを振り返る。

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 藤田理容店の前のL字カーブ。

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 旧県道本宮三春線。

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 渋池のひろ美食堂の前。旧三春中学校のグラウンドのフェンスが見えてきた。

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 藤田理容店の前のL字カーブ。建物が密集していたときとはずいぶん雰囲気が変わった。

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 切通しの登り口の丁字路。

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 狭くて車がすれ違いにくかった切通しの拡幅工事が始まっている。ここに建物が並んでいたときにはわかりにくかったが,切通しと言っても,このあたりは盛り土になっている。

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 切通しのトウツミ農機店の前のカーブ。次に帰省したときには道路拡幅が済んで,まったく違った風景になっているかもしれない。

 カメラのおかげでまだまだ明るく撮れているが,実際はだいぶ暗くなっている。実家の晩飯は早いので,このへんで撮影終了。

── SONY α7S + Vario-Tessar T* FE16-35mm F4 ZA OSS or iPhone 5s

【過去の三春町の写真】
1996年8月 我が故郷 三春町の写真
記憶の断片 三春
2012年1月 1日 (日曜日):小さな城下町三春を歩く
2012年1月 2日 (月曜日):三春町内ぐるぐるりん

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2012年12月31日 (月曜日)

途中下車して郡山駅前界隈を歩く

 14時03分,定刻に郡山駅に到着。ここで磐越東線のディーゼルカーに乗り換える。時刻表を見ると,ちょうど14時23分の列車があるが,ちょっとだけ途中下車して郡山駅周辺を歩き,15時10分の列車に乗ることにする。

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 郡山駅前。以前は郡山駅の高架下にあったヨドバシカメラが,ATi(元西武デパート)に移っている。これは良かった。

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 そのATiの横から旧丸井デパート(2008年閉店)を見る。こちらは空きビルのままだ。

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 駅前アーケード商店街。とても寂しい感じになっている。昔はものすごく賑わっていたんだけどなぁ。右側のビルは元丸光デパート(仙台資本のデパートで1980年に郡山から撤退)。

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 郡山駅を振り返る。左側は元丸光デパート。

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 飲み屋が多い陣屋町界隈。さっきまで晴れ間が出ていたのに,なんと雪が降ってきた。

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 郡山一番の繁華街,中町商店街(うすい通り)。左側が地元資本のうすい百貨店。古くから郡山一番のデパートで(浅野ゆう子がCMに出ていたとか,♪デイトも「うすい」〜夢のデパートというCMソングが耳に残っているとか),ダイエー・ヨーカドーをはじめとするライバル店を圧倒して,現在も生き残っている。しかし,その後の中心市街地の衰退と高級品指向の失敗やらで,天下のうすい百貨店の業績も低迷しているようだ。

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 安積国造神社の参道。ときどきかなりの雪が舞う。

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 中町商店街を東へ。

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 駅前大通りからさくら通りを見る。右側のビルは元津野デパート(1987年廃業)。

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 駅前大通りのスクランブル交差点。旧奥州街道でもある中町商店街(中央通り)と大町商店街(大町通り)を結ぶ重要な交差点である。私が高校生だった頃(30年以上も前)は,交通量が急増した時代で,ここの交差点は,歩行者は狭く暗い地下道を歩くようになっていたと記憶している。横断歩道が復活して,たくさんの歩行者が渡るシーンも記憶に残っているが,今はとても寂しい感じだ……

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 スクランブル交差点を渡り,大町商店街へ。ここは中町と並んで郡山の中心商店街だったところ。

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 大町商店街から駅前アーケード商店街へ。
 あれっ,あの大勝館(ポルノの殿堂)がなくなってる! ビデオ〜DVDが普及して成人映画館には厳しい時代になっても,しぶとく生き残っていると思ったが,2009年11月に閉館したとのこと。

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 人通りのない駅前アーケード商店街。見るのがつらい。

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 駅前アーケード商店街。これからどうなってしまうんだろう。

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 磐越東線のディーゼルカーが待っているので,そろそろ郡山駅に戻る。

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 かなり激しい雪が降る中,郡山駅から郡山駅前を見る。なかなか水平がとれないと苦労しているうちに,うっかり15時10分の発車時刻が過ぎてしまい,乗り遅れてしまった(大ボケ)
 次の磐越東線の列車は16時49分。なんと1時間半も列車がない。さてどうすっぺ。

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 すっかり本数が少なくなってしまった三春(三春清水)行きのバスを使うことにする。かつては日中でも1時間に4本程度あったのに,今では1〜2時間に1本程度しかない。それでも,次の磐越東線の列車を待つよりは早く三春に着きそうだ。

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 三春大町バス停に到着。街の周囲を小高い山が囲んでいるので,既に日没後のように暗くなっている。

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 大町から西側の法蔵寺の方向を見る。法蔵寺の屋根が白くなっている。

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 北町の坂道。

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 切り通し(と呼ばれる道)へ入る。屋根や木々に白く雪が積もっている。

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 切り通しを抜け,どんどん実家に近づく。街灯のところを右に曲がると田村高校がある。
 子供の頃から,ほとんど変わっていない風景だ。

 ── iPhone 5

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2012年1月 3日 (火曜日)

故郷の三春町からUターン

 びっくりするほど長期間,ブログの更新をサボってしまっていた。
 とりあえず,帰省した福島県の三春町から帰ってくるところから,ブログ記事を再開……。

三春からUターン
 年末には磐越東線で三春まで行ったのだが,帰りは郡山まで弟の車で送ってもらった。写真は,郡山駅前のペデストリアンデッキから延びる歩道橋。

三春からUターン
 郡山駅前のバスターミナル。右奥は元丸井デパート。正面は元西武デパートだったATi(アティ)。東北新幹線のガード下にあったヨドバシカメラ郡山店は,このATiに収まることになったらしい。こりゃめでたい。

三春からUターン
 帰省からのUターン時,東北新幹線はイヤになるほど混雑する。
 だが,私には「なすの号」がある。郡山始発なので余裕で乗れる。現在は写真のように,盛んに「なすの号」をサポートする体制が整っていて,昔みたいにガラガラのままで郡山駅を発車することはないだろうが,それでも郡山を出た時点で余裕があることだけは確かだ。

三春からUターン
 郡山駅の東北新幹線上りホームに二階建て車両の列車が入ってきた。車内は仙台・福島と乗客を詰め込んでびっしりなのに,先頭車両のところまで行列ができていて,見ているだけでため息が出そうになる。

三春からUターン
 そして上りホームとは反対の下りホームの奥にある,我が「なすの号」。ここにはUターンラッシュの喧噪はない。
 さすがに今ではこの列車の存在も知られ利用する人は多くなったが,座席争いなどとは無縁の乗車率なので,ひとり旅の私でもこうやってホームをうろついていても問題ない。

 今回は乗客がそこそこ多かったので写真を撮れなかったが,10年前の帰省からのUターン時に「なすの」に乗ったときの写真があったので参考までに貼り付けておく。

2002年1月5日なすの号郡山駅の乗車具合
 郡山駅を発車してすぐの写真なのだが,こんな感じでガラガラだった(2002年1月5日の写真)。

 行楽シーズンの各新幹線は,どこも混雑するので旅行するのがイヤになってしまうほどだが,郡山駅始発の「なすの」,越後湯沢駅始発の「たにがわ」,名古屋駅始発の「こだま」を抑えておくと,楽できることが多いと思う。

三春からUターン
 東京駅に到着。この二階建ての車両は,郡山駅で一本前に発車していった列車だと思われる。どうやら「なすの号」は,この列車の後をずっと走ってきてたようだ。

 東京駅に着いて最初に出た言葉は,「やっぱ東京は暖けえな!」かな。

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2012年1月 2日 (月曜日)

三春町内ぐるぐるりん

 1月2日……弟が車で三春の町中を案内してくれた。
 兄弟とは不思議なもので,特にどこそこが見たいと言わなくても,ちゃんと私の興味のツボを抑えたところを廻ってくれる。
 とりあえず,前回帰省した後で変わったところを中心に見て回った(いろいろ事情もあり,あまり写真は撮らなかった)。

 まずは,特別養護老人ホームあぶくま荘や三春町の敬老園が併設された町立三春病院から。県立三春病院が町立になったのは知っていたが,現在は郡山市の星総合病院の傘下になっているそうだ。
 三春バイパスを通って,田村西部工業団地……。まだまだ空き地がたくさん残っている。その一角に積み上げられているビニールを巻いた干し草ロールのようなものは,町内の学校や公園の除染で出た廃棄物だろうか。

 そこから南へ走り,大滝根川を渡ると……

三春町内ぐるぐるりん
 三春滝桜。やっぱり桜の花が咲いている時期に見たいね。

三春町内ぐるぐるりん
 滝桜の周囲の畑はだいぶ少なくなったけど,まだこのように普通の畑も残っている。

 せっかくだから,近くの紅枝垂地蔵桜も見に行く。

三春町内ぐるぐるりん
 紅枝垂地蔵桜。枝の向こうに月が見えていた。枯れ枝が少し気になった。滝桜と違って,すぐ横にアスファルト舗装の道路が通っているのが,ちょっと心配だ。
 こちらは三春町内ではなく郡山市中田町にある。といっても,元は三春藩だけどね。

三春町内ぐるぐるりん
 桜の木の袂に紅枝垂地蔵桜という名前の由来となった地蔵堂がある。
 福島県の枝垂れ桜番付では,東の横綱が三春滝桜,西の横綱が紅枝垂地蔵桜(三春滝桜の娘と言われる)になっているそうだ。やっぱり花が咲いている時期に来てみたいな。

三春町内ぐるぐるりん
 滝桜のすぐ近くにあるのが三春ダム。三春城の石垣を模したデザインになっているという。

三春町内ぐるぐるりん
 三春ダムの堤体のすぐ横にあるのが郡山市の取水口。湖水の状況によって,取水口の水深を上下できる構造になっているらしい。上流に田村市の市街地があったり,畑や田んぼなどの耕作地が多い異例のダムなので,取水には気を遣うようになっているのだろう。

三春町内ぐるぐるりん
 春田大橋から三春ダムによってできた「さくら湖」を見る。阿武隈高地は浸食が進んだ隆起準平原なので,ダム湖もヒトデのような複雑な形状になっている。

三春町内ぐるぐるりん
 全長218mの斜張橋春田大橋の主塔。

 三春ダム周辺に限らず,たくさんの仮設住宅が建っている。葛尾村は全村で三春町に避難。原発のある富岡町の仮設住宅も多い。仮設住宅の供与期間は2年間だが,戦いはそれよりも長く続く……。

三春町内ぐるぐるりん
 国道288号線の三春バイパス〜三春西バイパスの三春町内部分(一本松付近)まではかなりできあがっているが,そこから郡山東バイパスまでのつなぎ(磐越自動車道とクロスするあたり)の工事がなかなか進んでいないようだ。とは言え,磐越東線とオーバークロスする部分ができているそうなので,行ってみた。
 少しきれいになった道路と八島川に挟まれて,全然目立たないのが磐越東線の線路。このタイミングで列車が走ってきてくれると最高だったんだが,残念ながら10分ぐらい前に行ってしまったばかりだった。

 橋を降りて,三春駅近くまで行くと見えてくるのが……

三春町内ぐるぐるりん
 雪村庵。画僧雪村周継が終の住み処としたところで,桜の季節には横の雪村桜が見事な花を咲かせる。

三春町内ぐるぐるりん
 郡山市西田町木村で磐越自動車道を広域農道がくぐるところが,連続アーチ橋になっている。郡山東バイパスの工事が進めば,三春から郡山への移動がさらに楽になりそうだ。

 この後はすぐに暗くなってしまったので,二本松のおばさんのところへ向かい(久しぶりの)挨拶。二本松は三春や郡山よりもさらに線量が高めだったりするので,今後もストレスを溜め込んでいかないかだけが心配かな。

 ── Panasonic LUMIX DMC-GX1 + LUMIX G VARIO 14-45mm F3.5-5.6 ASPH.

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2012年1月 1日 (日曜日)

小さな城下町三春を歩く

 元旦。久しぶりに帰った三春町を歩き回る。

小さな城下町三春を歩く
 まずは北町,北野神社(天神様・てんじんさま)の階段。小学校の頃の通学路なので,とても懐かしい。
 右上にちらっと見えるのが三春交流館「まほら」。

小さな城下町三春を歩く
 階段の下から北野神社を振り返る。喪中なので神社への参拝は忌避しなければならないのだが,元通学経路なので……。

小さな城下町三春を歩く
 北野神社の鳥居の前から国道288号線の北町方を見る。以前はもっと商店が並んでいたと記憶しているのだが,かなり寂しい感じになっている。
 ちなみに,1978年の宮城県沖地震のときには,ちょうど学校帰りにここを歩いていて,電線が大きく揺れ,右側の土蔵の軒の部分が落ちたことを覚えている(土蔵が並んでいたので,他の土蔵だったかもしれない)。

小さな城下町三春を歩く
 大町の四つ角方向を見る。国道288号線の幅が広がっていることに驚く。
 右側の山田屋旅館は若山牧水ゆかりの旅館(廃業?)なのだが,地震で土蔵が崩れて,近づけないようになっている。補修にはかなりの費用が掛かりそうだが,どうするのだろう?

小さな城下町三春を歩く
 三春交流館「まほら」。町の中心で,昔は商店が並んでいたところに思い切って建てた公共施設。音楽会や演劇が開催できるホールや集会場や会議室が入っている。周辺には,中央児童館や町民図書館,郵便局,町役場,小学校……などが並んでいて,小さな町ではあるが,コンパクトシティ的な施策が行われていることが見てとれる。

小さな城下町三春を歩く
 三春交流館「まほら」の駐車場から山田屋旅館を見る。
 ここ山田屋旅館の中庭には,若山牧水の『時をおき老木の雫おつるごと静けき酒は朝にこそあれ』という歌碑がある。

小さな城下町三春を歩く
 山田屋旅館の前から真っ直ぐ,三春小学校への通学路が延びている。昔に比べると,だいぶ幅員が広がっている。
 石垣の上が三春小学校。三春城は城山のてっぺんに本丸のある山城だったが,秋田氏が入城してからは山頂の本丸ではなく,麓の三春小学校ところに御殿を建てて藩政を行ったらしい。当時のものかどうかはわからないが,ちょっとした石垣が残っている。

小さな城下町三春を歩く
 山田屋旅館方向を振り返る。昔は細い路地だったが,周りの建物がなくなって,昔の面影はどこにも残っていない。

小さな城下町三春を歩く
 三春交流館「まほら」の東側から,大町の商店街を見る。きれいにセットバックし,電柱が地中化された商店街だが,昔のゴチャゴチャした賑わいまできれいサッパリなくなってしまった感じだ。

小さな城下町三春を歩く
 NTTのビル(町民図書館も入っている)の前から三春郵便局,旧公民館のある通りを見る。左側に並んでいた商店が無くなった以外は,郵便局も旧公民館も昔からほとんど変わっていない。

小さな城下町三春を歩く
 三春小学校のグラウンドから,三春町役場の方向を見る。小学校のグラウンドと右側の旧公民館を繋いでいた通路は,老朽化のためだろうか,立ち入り禁止になっていた。

小さな城下町三春を歩く
 三春小学校。校庭も校舎も,約40年前からほとんど変わっていない。

小さな城下町三春を歩く
 強く 正しく 美しく……の目標は,昔から変わっていない。
 私が通っていた頃は体育館がなく,戦前に建てられた大きな木造の講堂(三春出身で大林組の副社長だった大林氏の寄付!)を体育館代わりに使っていた。

小さな城下町三春を歩く
 三春小学校の校門は,三春藩の藩校「明徳堂」の表門「明徳門」を移築したものになっている。

小さな城下町三春を歩く
 明徳堂の門の前から。右側が旧三春町公民館。昔は図書館なども入っていたが,現在図書館は向かい側のNTTのビルの中に入っている。

小さな城下町三春を歩く
 後ろを振り返ると,三春町役場がある。庁舎が完成したのは1965年だから,築約45年……と,かなり老朽化している。

小さな城下町三春を歩く
 町役場の東側から郵便局や旧三春町公民館の方向を見る。

小さな城下町三春を歩く
 さらに東の南町から。三春町社会福祉会館や南町高齢者住宅などがある。

小さな城下町三春を歩く
 南町を東へ歩くと,旧遠藤医院の近代洋風建築が見えてくる。

小さな城下町三春を歩く
 旧遠藤医院の横の坂が,お城坂と呼ばれる急坂。上に行くほど急な勾配になる。自転車のフロントに32Tを付けてお城坂を登れたときは,嬉しかったなぁ……。

小さな城下町三春を歩く

小さな城下町三春を歩く
 旧遠藤医院。寄せ棟造りで左右シンメトリーに半切妻屋根を配置した,下見板張りの近代洋風建築に惚れ惚れする。

 子供の頃には,優しい感じの太った女医さんに目薬を差してもらった記憶があるなぁ……とか昔のことを思い出していたら,ガタガタと大きな音がし始めた。地震だ。鳥島近海が震源のM7.0の大きな地震で,震源が約370kmと深かったこともあって,宮城県から神奈川県という広い範囲で震度4を記録したようだ。三春町大町の町役場に設置されている地震計は震度2だった。がっちりした地盤の上にがっちり固定されているので,三春町の震度は周辺の市町村よりも震度1ぐらい小さめだ。

 それにしても元旦早々にM7.0の地震が起きるとは,さすがに「辰」年だ(地「震」や「震」動の辰年)。

小さな城下町三春を歩く
 南町をさらに東へ。S字カーブを抜けると山中(さんちゅう)になる。

小さな城下町三春を歩く
 山中の街並み。ここも昔はびっしりと家屋が並んでいたのだが,歯抜けになった部分がすっかり多くなってしまった。

小さな城下町三春を歩く
 山中の北側の斜面に見えてきたのが,田村大元神社の山門。田村大元神社は元三春藩領の総鎮守で,旧名は大元帥明王社で「みょうおうさま」とも呼ばれている。

小さな城下町三春を歩く
 南町方向を振り返る。

小さな城下町三春を歩く
 田村大元神社の入口。地震の影響か大雨の影響か,崩れた崖の修復工事が行われていた。

小さな城下町三春を歩く
 山中から新町・化粧坂への道が分岐する交差点。

小さな城下町三春を歩く
 坂道が続く新町(しんまち)の家並み。

小さな城下町三春を歩く
 桜川にかかる橋から桜川に沿って清水へと続く家並みが無くなっている。

小さな城下町三春を歩く

小さな城下町三春を歩く
 3月11日の地震で崩れたのか,台風による大雨で桜川が氾濫したのか……と思ったが,後者が近く,町全体で桜川の大規模改修工事(川幅を広げる)を行うため,立ち退いたらしい。

小さな城下町三春を歩く
 清水方向を見る。かつては清水に福島交通三春営業所があり,郡山からのバスが頻繁に走っていたのだが,現在は営業所が無くなり,バスの本数も大幅に減少している。1時間に1本のバスがあるかないか,という状況は本当に寂しい。

小さな城下町三春を歩く
 新町(しんまち)の坂をほんの少し登ったところにあるのが州伝寺。秋田氏の前に三春藩主だった松下氏の菩提寺である。

小さな城下町三春を歩く
 新町の街並み。正面に見える山がお城山。三春城は舞鶴城とも呼ばれたが,現在は山頂に平坦な土地が残っているだけで,城は跡形もない。

小さな城下町三春を歩く
 新町の落ちついた街並み。カーブの先で化粧坂となる。

小さな城下町三春を歩く
 少し坂を上ったところにあるのが真照寺。江戸時代の三春藩主秋田家の祈願寺。寺の裏側には小さな池があり,春にはミズバショウの群生が花開く。

小さな城下町三春を歩く
 真照寺の入口,三春昭進堂の横の駐車場は,かつて馬のセリ場(セリ市場)だったところだ。三春は馬産が盛んで,ここで馬の市が開かれていたのだ。私が子供の頃は,そのセリ場の名残が感じられる場所だったが,今では普通の駐車場になってしまっている。

小さな城下町三春を歩く
 その旧セリ市場跡地の向かい側の坂道を上ると……

小さな城下町三春を歩く
 坂の上の弓町には,旧遊郭庚申坂跡がある。廃屋になった建物(中央の島屋楼と双葉楼)がかなり傷んでいる。
 弓町にあるのに庚申坂(新地とも)というのは,かつては化粧坂の近くの庚申坂にあった遊郭が移設されたからだと聞く。

 三春の盆踊り歌「三春甚句」に,“奥州三春に庚申坂なけりゃ 旅の馬喰も金残す”と歌われる遊郭,庚申坂。セリ場で馬を売り買いした金で,さぞかし賑わったことだろう。

小さな城下町三春を歩く
 島や荘(島屋楼)はずいぶん荒れてしまっている。前には枝垂れ桜があり,春の晴れた日に来たら,ゾクゾクするほど美しい風景が見られるかもしれない。

 ふと,山口百恵の「霧雨楼」を口ずさんでいた。

格子戸越しに ぼんやりと
頬杖ついて おもてをみてます

覗きこんでく 人の目は
淋しさだけを 探しているよう

一夜の夢
一夜の恋

わけ合いましょうか 幸福を
黄昏時は 心細く
あなたの名前をつぶやいてます

(作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童)

小さな城下町三春を歩く
 奥の唐破風と入母屋破風を組み合わせたような入口の一軒(島村楼)は住宅として使われているらしく,車が停まっていた。

 実は,私が中学で野球をやっていたときの監督は,大学を出たばかりの若い英語のY先生で,この一番奥の建物に下宿していたのだった。何度か部屋に入れてもらって,野球談義をしたり,学生時代の写真を見せてもらったりしたっけ。

小さな城下町三春を歩く
 庚申坂の入口の下り坂のほうをみる。
 まぁ,私も各地の遊郭跡地を見ているが,これほど遊郭の雰囲気が残っているところは珍しいように思う。

小さな城下町三春を歩く
 このまま朽ちさせてしまうのはもったいない気がする(双葉楼)。

小さな城下町三春を歩く
 名残惜しさを感じがながら立ち去る。右側が花楼。
 背中から,もっとゆっくりして行きなよ〜と声を掛けられたような気がしたが,気のせいだった。

今宵だけの
今宵のひと
分け合いましょうか 不幸せ

小さな城下町三春を歩く
 庚申坂からの坂道を下る。

小さな城下町三春を歩く
 新町の坂道が見えてくる。

小さな城下町三春を歩く
 新町の坂道を下る。右上に見えるのが田村大元神社の山門。門の両脇には伊東光運作の金剛力士像が立っている。

小さな城下町三春を歩く
 南町を通りがかった際に,道路の反対側から,再び旧遠藤医院を撮影。こちら側からの写真のほうが,左右シンメトリーの半切妻屋根の美しさが際立つ。

小さな城下町三春を歩く
 三春町役場前を三春行きのバス(三春清水行きかな)が走る。階段の上にあるのは守城稲荷神社。

小さな城下町三春を歩く
 三春町役場前のバス停。

小さな城下町三春を歩く
 三春町役場の裏の桜川。

小さな城下町三春を歩く
 桜川沿いでは下水道もかなり普及したが,まだまだ生活雑排水が流れ込んでいて,私が子供の頃からあまりきれいな川ではない。昔はとても綺麗な川で,春には桜の花びらでいっぱいになるから桜川と呼ばれるようになった,という話だけは何度も聞いて育った。
 左は後免町(ごめんまち)の福聚寺の前に抜ける坂道。途中に三春町歴史民俗資料館がある。曲がりくねった坂道を,私たちが子供の頃は,みんな「三春スカイライン」と呼んでいた。

小さな城下町三春を歩く
 三春町役場の方向を振り返る。

小さな城下町三春を歩く
 三春町大町の裏道の,桜川沿いには蔵がたくさん並んでいた。みはる壱番館というビルができて,景観ががらりと変わってしまったように見える。

小さな城下町三春を歩く
 NTTのビル(町民図書館)を振り返る。

小さな城下町三春を歩く
 裏道から大町の四つ角(三春で一番賑やかだったところ)を見る。

小さな城下町三春を歩く
 大町の四つ角から北町方向に延びる国道288号線を見る。
 何かちょっと寂しい。

i
 1996年に撮った同じ場所の写真。道路が広がり,歩道が広がったけど,何かを失っているような気がする。

小さな城下町三春を歩く
 四つ角交差点の一角にある三春交流館「まほら」。

小さな城下町三春を歩く
 三春中央大町。四つ角から三つ角交差点方向を見る。

小さな城下町三春を歩く
 三春中央大町バス停付近。三春町で一番の繁華街……である。

小さな城下町三春を歩く
 大町の裏通りに戻る。
 桜川の大規模な改修工事が始まっている。

小さな城下町三春を歩く
 このあたりは,横の道路だけでなく桜川にも傾斜があるので,ごつごつした岩の間を流れる。ここも改修されて,綺麗サッパリになってしまうのかな……。

小さな城下町三春を歩く
 桜川沿いに続く裏道。

小さな城下町三春を歩く
 中町と大町の境界を国道288号線に抜ける路地。

小さな城下町三春を歩く

小さな城下町三春を歩く
 中町(手前が国道288号線)に大きな更地ができている。左側にスーパーのヨークベニマルが移転してくるらしく,ここが駐車場になるそうだ。昔は,福島交通の営業所(ボンネットバスが並んでいた記憶がある)などもあって賑わっていたところだ。
 本来なら,ヨークベニマルも郊外のバイパス沿いの広大な土地に店を構えたいところだろうが,町としても街の核店舗に去ってしまわれては困るので,こういうことになったのだと思われる。人口1万8千人ほどの小さな町に,密集した商店街があることを期待するのは難しくなってしまったようだ。

小さな城下町三春を歩く
 中町の商店街を見る。商店街というには,ちょっと寂しい感じになってしまった。右側が建築中のヨークベニマル。

小さな城下町三春を歩く
 大町の三つ角交差点を見る。後の山は紫雲寺山。
 かつては町の中心商店街として賑わったところだ。

小さな城下町三春を歩く
 裏通りに戻る。

小さな城下町三春を歩く

小さな城下町三春を歩く
 右側が桜川。桜川の右側には武道場や蔵が建ち並んでいたが,工事のために撤去されている。

小さな城下町三春を歩く
 それにしても,この桜川の改修工事にはびっくりだ。かつては川沿いに家や店が並び,一軒一軒それぞれに橋が架かっている風景があったのだが,それが綺麗さっぱりなくなっている。このあたりから後免町に渡る橋もなくなっている。

小さな城下町三春を歩く
 地球温暖化の影響か短時間に強い雨が降ることが多くなり,桜川による浸水被害の回数が増えたのが,河川改修の理由だという。都会の郊外であれば,上流の宅地化が進んだことによって河川の保水能力が低下して氾濫回数が増えることも考えられるが,田舎町の三春の桜川では考えにくい。

小さな城下町三春を歩く
 三春写真館の付近は昔の状態が残っている。

小さな城下町三春を歩く
 職人横丁に続く路地を見る。

小さな城下町三春を歩く
 矢吹医院のあたり。

小さな城下町三春を歩く

小さな城下町三春を歩く
 矢吹医院。入口の曲線の造形が綺麗な建物だが,この角度だと電信柱が邪魔になってしまった。

小さな城下町三春を歩く
 ヨークベニマル三春店の裏側から三春大神宮入口にかけての八幡町のこのあたり,桜川がカーブしたところに路地があって,昔は映画館もあったりして,たまに夢にも出てくる思い出の場所だったのだが,すっかり変わってしまうことになりそうだ。

小さな城下町三春を歩く
 写真の左側に,元の映画館三春座があった。

小さな城下町三春を歩く
 三春大神宮の前。

小さな城下町三春を歩く
 三春大神宮の前の橋は架け替え工事中。三春大神宮は神明宮から「しんめさま」とも呼ばれている。

小さな城下町三春を歩く
 三春大神宮入口から国道288号線の交差点を見る。
 と,なんとここでLUMIX DMC-GX1のバッテリーが切れた。バッテリーの持ちが悪いとは思っていたが,気温が低いことと相まって,わずか数時間で使えなくなってしまった。ポケットからCanon PowerShot S100を取り出して撮り続ける。

小さな城下町三春を歩く
 桜川に沿った裏道を西へ。

小さな城下町三春を歩く
 ぬる湯旅館。昔からの三春の景観が残っている。二階の手すりを見ると「ユルヌ ユルヌ……」と彫られていたりして,ちょっとシビれる。

小さな城下町三春を歩く
 レンガ造りの部分が銭湯になっている。

小さな城下町三春を歩く
 ぬる湯旅館。

小さな城下町三春を歩く
 法華寺の前の橋の上から,桜川の下流,雁木田方向を見る。このあたりは改修工事が終わっているようだ。

小さな城下町三春を歩く
 国道288号線に出る。

小さな城下町三春を歩く
 国道288号線の踊場方向を見る。

小さな城下町三春を歩く
 八幡町の商店街。小滝食堂と会津屋食堂が並ぶ。

小さな城下町三春を歩く
 左の通りの正面が三春大神宮になる。

小さな城下町三春を歩く
 三春八幡町郵便局の前にあるヨークベニマル三春店。八幡町と中町の境にあり,商店街の核店舗になっている。3月頃に中町の中心部に引っ越し予定。

小さな城下町三春を歩く
 丈六薬師堂のある丈六の家並み。

小さな城下町三春を歩く
 国道288号線の北側の裏路地を歩く。

小さな城下町三春を歩く
 愛宕神社……あたごさま。

小さな城下町三春を歩く
 愛宕神社の参道。

小さな城下町三春を歩く
 佐藤酒造の敷地内の細い路地を通って,道場町通り(三春職人横丁)へ。

小さな城下町三春を歩く
 三春職人横丁といっても,古い家並みが残っているわけではない。

小さな城下町三春を歩く
 三春職人横丁から下ると,しょんべん横丁……。しょんべん横丁の左半分が無くなり,道幅が広がっている。ここは移転予定のスーパー,ヨークベニマルの裏側にあたり,商品荷さばき搬入用の道路になるらしい。

小さな城下町三春を歩く
 しょんべん横丁の飲み屋。狭かった路地が広がって,ちょっと不思議な感じに見える。

小さな城下町三春を歩く
 職人横丁への坂道。右側には土蔵が残っていたはずだが,それもなくなっている。

小さな城下町三春を歩く
 三春職人横丁。すっかり暗くなってしまった。

小さな城下町三春を歩く
 古い鍛冶屋さんの吉田屋。数少ない現役の職人さんだが,まだ元気だろうか。

小さな城下町三春を歩く
 荒町から大町の商店街を見る。

小さな城下町三春を歩く
 荒町の裏道を通って渋池方面へ。

小さな城下町三春を歩く
 渋池の商店街。右が三春中学校の石垣とフェンス。右側の坂を上ると田村高校になる。

 長い間,ほとんど変化のない田舎町だと思っていたが,それでも少しずつ変わってきていることがよく分かった。この記事にアップした写真は108枚。大晦日に鳴った除夜の鐘と同じ,煩悩の数だ。

 ── Panasonic LUMIX DMC-GX1 + LUMIX G VARIO 14-45mm F3.5-5.6 ASPH. or Canon PowerShot S100

【参考】
1996年8月 我が故郷 三春町の写真
記憶の断片 三春

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2011年12月31日 (土曜日)

三春へ(10年ぶりの帰省)

 あれこれ,いろいろなことが起きた2011年。福島県三春町の実家もいろいろと大変だ。正月休みはいつもふらふらと旅行して,親不孝を繰り返してきたが,今年ばかりはそういうわけにもいかない。

三春に帰省する
 東京駅の八重洲口。大きく変貌した丸の内口と違って,八重洲口の前は昔からあまり変わっていない。

三春に帰省する
 八重洲口の駅前は変わっていないが,駅そのものが大きく変わりつつある。大丸が入っていた巨大な鉄道会館ビルが解体され,その南北にグラントウキョウサウスタワー(クレーンがあるところに建築中)とノースタワーが建つ。

三春に帰省する
 グラントウキョウノースタワーには,鉄道会館ビルに入っていた大丸が移転済み。

三春に帰省する
 数年後に東京駅の八重洲口がどのような姿になるのか,今から楽しみだ。

三春に帰省する
 グラントウキョウノースタワーの中をうろついてから,東北新幹線のホームへ。今まで利用したことのない改札口から入ったので,半分迷い気味で階段を上ったら,ホームの北端だった。

三春に帰省する
 東京駅から郡山駅までは1時間30分弱だが,特急料金を払った上で立ったまま乗るのは耐えられない。というわけで,指定席を確保できる列車を選んだら,東京駅発車が午後4時過ぎになってしまった。

三春に帰省する
 郡山駅で磐越東線のディーゼルカーに乗り換える。立ち客でいっぱいになるほどの混み具合だったが,乗客が若い人ばかり(平均年齢は20歳以下かな)で驚く。

三春に帰省する
 磐越東線のディーゼルカーが三春駅に到着。
 寒くて雪がちらちらと舞っているが,積雪はない。天気が良いので,雪が降っているわけではなく,奥羽山脈の安達太良山や会津地方で降った雪が風で飛ばされてきている感じだ。よくあることだ。

 ── Canon PowerShot S100

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2010年8月 7日 (土曜日)

記憶の断片 三春

 久しぶりに「1996年8月 我が故郷 三春町の写真」を見て,とても懐かしく感じた。7-8年も帰省してないからだ。
 というわけで,2000年前後に帰省した際に撮った写真をアップしてみた。子供の頃によく遊んだ,田村高校や三春中学校の周辺の写真で,個人的に強い思い入れがあるだけで,文章も写真も面白いわけではないので悪しからず。画質も良くない。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 三春病院のところから田村高校の陸上グラウンドを俯瞰する。日向町・北向町の家並みと,三春中学校の体育館(ドーム型の屋根)が見える。昔はグラウンドの手前側で田村高校の野球部が練習をしていた。
 グラウンドの真ん中は草っ原になっていて,トノサマバッタやショウリョウバッタがうじゃうじゃいたっけ。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 1枚目の写真に写ったグラウンドの右側に,「松林」と呼んでいた岩場があって,絶好の遊び場になっていた。松の木は木登りがしやすいし,岩場を使ったかくれんぼも楽しかった。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 松林の真ん中には放送設備用の小さなタワーが建っていた。昔から真っ赤に錆びていて,当然のように登って遊んだりするわけだが,松の木と違って,登っているのを見つかると怖いオジサン(田村高校の先生?)が飛んでくるのだった。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 松の木の根っこ。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 松林の間の坂を登ると,田村高校の校舎がある。
 この写真の左上が卓球場になっていて,よく忍び込んで卓球して遊んだものだった。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 グラウンドの横にある岩場。子供たちが遊ぶには十分な急角度を持っていた。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 陸上グラウンドの西端。野球部のグラウンドが校舎の裏側にできたので,現在は陸上部専用グラウンドになっているようだが,昔は東側で野球部が練習をしていて,僕たちはこの西端でいつもソフトボールをして遊んでいた。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 田村高校のグラウンドから三春中学校に向かって続く,細い路地を下る。日向町。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 日向町の路地。三春中学校の校舎と体育館をつなぐ渡り廊下が見える。
 ここらへんでもよく遊んだ。昔は側溝に蓋がなくて,(あまり綺麗ではない)小川が流れていた。ここではドジョウがたくさんとれたっけ。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 三春中学校の体育館への渡り廊下。正面が体育館。
 周辺住民の生活道路と中学校の渡り廊下が交差していた。都会の学校のように,敷地がくっきり区切られているわけではなく,学校の中を住民が歩くのは普通のことだった。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 三春中学校の自転車置き場と校舎。裏側の校舎は山の傾斜部に建っていて2階建てだった。このあたりも,子供の頃の遊び場だった。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 中学校の本校舎。左側に体育館がある。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 同じ位置から後ろを振り返る。体育館は雨漏りがするということで改修工事の真っ最中だった。その後,体育館は新しく建て替えられている。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 野球部のバックネットの方向を見下ろす。昔はバックネットがもう少し後ろにあり,先生方の車が通るたびに,野球部の練習がストップしていた。ちなみに,僕は野球部だった。
 子供の頃からこのグラウンドでソフトボール(野球ではなくソフトボールだった)をして遊んでいて,体育館や校舎のガラスを割ったりして,職員室に謝りに行ったので,中学に入学する前から職員室の場所はわかっていた。
 中学生の軟式野球だと,セカンドの守備位置のすぐ後ろに校舎があるという狭いグラウンド(レフト側はそこそこ広かった)だったが,フリーバッティングでもガラスを割る打球を撃つ選手が少ない,弱小チームだった。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 校舎の前にある水飲み場。夏,野球の練習が終わった後に,たらふく飲む水が美味かったのを覚えている。足を洗えるようにもなっていて,これがまた気持ちいいんだ。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 三春中自慢の体育館。できた当時は東北一とか言われていたそうだが,老朽化がひどく,最近新しい体育館に建て替えられたようだ。
 昔,僕がピッチング練習をしたブルペン(思い出の場所)には雲梯が作られている。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 三春中のグラウンド越しに見る渋池・荒町の町並み。
 昔はフェンスがボロボロで,下の方にはたくさんの穴が開いていて,すぐにボールが抜けてしまい,スパイクの音をカチャカチャ立てて渋池の商店街に降りていって,ボール探しすることも多かった。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 バックネットの裏側から校舎を見る。
 グラウンドの周辺に沿ってドブが流れていて,ここに落ちたボールを拾うのが嫌でしょうがなかった。すぐに拾わないとドンドン流れて,暗渠の中に吸い込まれていってしまうのだ。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 磐越東線の踏切の写真。中学校の横の小浜海道を走ると,ここに出る。たぶん三春中で運動部に所属していた人は,ここを通って六斗蒔のほうに走らされたことと思う。今はこの踏切の下にあった浄水場跡に,三春中のプールができたらしい。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 中学校横の小浜海道の坂道。磐越東線の踏切を越えてランニングした後,このへんまで戻ってくるとホッとするところだ。
 現在は二本松市と合併した旧岩代町の中心の小浜町に続く街道なので「小浜街道」だと思っていたのだが,正確には「小浜海道(おばまかいどう)」。耳慣れた地名なので不思議に思わなかったが,なぜ海道なのかはよくわからない。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 突然,三春駅の写真。1999年1月,帰省していた三春から帰るときの写真。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 舞木駅。三春駅を出たときには晴れていたが,隣の舞木駅は冬景色だった。昔は2面2線の対向式ホームとして使われていたが,今は1面しか使われていないようだ。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 2002年1月の北向町・日向町の切り通し。田村高校に通学した人は見覚えのある坂だと思う。

1997年98年99年2002年,我が故郷 三春の想い出
 坂の下のほうを振り返る。右側には三春中学校がある。
 大きな屋根は龍穏院。

【参考】
2009年3月12日 (木曜日):1996年8月 我が故郷 三春町の写真

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2006年8月 8日 (火曜日)

槻木から阿武隈急行で福島へ

 岩沼の隣の槻木から福島までは阿武隈急行線の電車が走っている。槻木から丸森までを結んでいた超ローカル線の国鉄丸森線を引き継いだ,第三セクター鉄道である。丸森線はもともと,福島と宮城の県境に急勾配区間を抱える東北本線の勾配緩和のためのバイパス線として作られた鉄道だが,未完だったため超ローカル線になってしまった。「全通すれば…」ということで,第三セクター鉄道として全通したものの,複線電化している東北本線と競合して厳しい経営を強いられている。

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 岩沼から東北本線の下り電車に乗る。

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 槻木に到着。阿武隈急行のホームには電車が乗り換え客を待っていたが,乗るのは次の電車にして,しばらく槻木の街を歩いてみることにする。

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 槻木駅の駅舎は古いホームの上に作られている。廃ホームを見ていたら,阿武隈急行の電車が槻木駅を発車していった。

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 古い旅館が残っている。見事な佇まいである。

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 「川っぱだ」は「川の端(はた)」のことだ。東北出身の私にとっては耳になじんだ言葉である。

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 が,その川はすっかり暗渠化されてしまっている。

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 槻木駅のホームに阿武隈急行の電車が入ってきた。折り返しが福島行きの電車となる。

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 槻木駅から福島駅までは,阿武隈急行で940円。JR東北本線を使うと950円なので,阿武隈急行の運賃は通常の第三セクター鉄道の感覚からするとずいぶん安い。JRが意識しているのか,阿武隈急行が意識しているのか,ほぼ同じ時刻に槻木駅を発車する電車があるのが面白い。

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 大半の乗客は丸森で下車。福島と宮城の県境を挟んだ区間は乗客が激減する。

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 列車は阿武隈川に沿って走る。

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 福島駅に到着。阿武隈急行は福島交通飯坂線の電車と島式ホームを共用する。

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 東北電力に横付けするタクシーが行列をなしていた。

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 置賜町の吾妻通り。置賜町といえば福島随一の繁華街だが,このあたりはスカスカになってしまっている。

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 いつも驚きの最高気温を記録する福島市。今日も気温がうなぎ登り。少しでも木陰があると嬉しくなる。
 ここは米沢に通じる国道13号線である。

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 栄町交差点では駅前通りと国道13号線が交差する。

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 もう少し商店が密集していても良いところだが,大型店が撤退した跡地が残ったままである。

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 福島駅前にある広場。有効活用されているようには見えない。座る場所でも設ければよいのに,と感じた。本当の一等地なのに,もったいない使い方をするものである。福島駅前には自転車の乗り入れが禁止されているようだが,無駄に空けておくなら,自転車置き場にでもしたほうがよほどマシだと思う。

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 福島の小売店の代表でもある「中合(なかごう)デパート」。

【使用したカメラ】
・KONICA MINOLTA DiMAGE A2
・Canon IXY DIGITAL 800IS
・PENTAX Optio WP

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湯本から相馬へ

 常磐湯本温泉の温泉街をぶらつきながら,湯本駅へ向かう。

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 小さな旅館が多い他は,温泉街の特徴は少なめである。

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 駅前広場の一角にある足湯。最近はこのような足湯をあちこちで目にするようになった。

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 湯本駅のホームへ。ホームにも足湯がある。裏側には手湯があり,手を浸してみるとかなり熱く,朝からうだるような暑さの中ではかえって気持ち良かった。

 湯本から電車に乗り,相馬駅で下車する。
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 相馬駅まで乗ってきた電車が走り去る。

 相馬市は相馬藩の城下町として栄えた町で,福島県の北東部に位置する。勇壮な相馬野馬追いで有名だが,祭のメインとなる古式甲冑競馬や神旗争奪戦は,隣の南相馬市の雲雀ヶ原で行われる。
 ちなみに,南相馬市は旧原町市と周辺の町が合併して誕生した新しい市だが,相馬よりも都市規模の大きかった原町市がその名前を捨ててしまったのには驚いた。

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 相馬駅の駅舎。

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 相馬駅前。相馬の城下町としての中心部は駅から少し離れているため,次の列車が来るまで駅周辺をぶらつくことにする。

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 駅前にある(旧?)旅館の見事な建物。

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 再び常磐線に乗り,さらに北を目指す。

【使用したカメラ】
・KONICA MINOLTA DiMAGE A2
・Canon IXY DIGITAL 800IS

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