« 横浜弘明寺商店街で野暮用を思い出す | トップページ | シーサイドライン延伸工事が進む 金沢八景 »

2017年3月11日 (土曜日)

北品川から青物横丁へ 旧東海道を歩く

170311143612edit
170311155002edit

北品川から青物横丁へ 旧東海道を歩く


 上大岡から京急線の品川行き普通(=各駅停車)に乗り,どこへ行こうかと考えながら拙ブログの過去記事を読んでいたら,前回北品川駅で下車したのは9年前の2008年3月ということに気づいた。

 もう10年近く北品川駅で下車していないことに驚く。再開発が急ピッチで進む品川駅北部ほどではなくても,新しい高層ビルが立ち並ぶJR品川駅港南口は近いし,北品川駅周辺が大きく変わっていても不思議ではない。あるいは,10年近く経ってもほとんど変わっていない可能性もある。とりあえず下車して歩き回ってみることに決めた。

170311-132014
 北品川駅で下車。乗ってきた品川行きの普通電車を見送る。電車の行先にはJR品川駅港南口のビル群が見える。

170311-134445
 北品川駅のすぐ横の踏切を渡ってすぐに旧東海道に出るのもいいが,まずは北品川駅の北側にある第一京浜の八ツ山橋の踏切を見てみる。踏切付近の大規模な工事が終わり,JR品川駅港南口側と第一京浜新八ツ山橋東詰交差点を結ぶ道路が踏切の下を通るようになったため,地上の(正確には築堤の)道路もだいぶ変わったのではないかと思っていたが,大きな変化はなさそうだ。

170311-134804
 踏切の築堤からの下り坂にある都営北品川アパート(1966年昭和41年竣工)も健在だ。

170311-135007
 八ツ山橋の踏切(品川第1踏切)の京急線の電車と都営バス。
 理想をいえば,品川駅方面に去って行く電車ではなく,向かってくる電車が写真に収まってくれたら嬉しいのだが,そうなるともう少しカメラを右に振らなければ構図のバランスが悪くなってしまい,しかも左端に写っているマンション「ペアシティルネッサンス高輪」が写らなくなってしまう。

 ちなみに「ペアシティルネサンス高輪」は1980年末の竣工で,同年結婚引退した山口百恵・三浦友和夫妻が最初に入居した高級マンションであることは知る人ぞ知る話であり,それを構図に入れるかどうかはますますどうでもいい話ではある。

 どうでもいい話を続けると,百恵ちゃんは芸能界デビューしたときに,横須賀市の不入斗中学校から中学3年生で北品川の品川中学校(現在は品川女子学院中等部に名称変更)に転校している。北品川駅のホームで電車を待つセーラー服姿の百恵ちゃんの写真が,当時の雑誌に掲載されたりしていた。初めての住居,ペアシティルネサンス高輪が,卒業した中学とは東海道線・山手線を挟んで斜向かいにあるというのはなかなかの巡り合わせである。

 品川中学を卒業した百恵ちゃんは,芸能活動への理解があり当時から多くの芸能人が通っていた堀越高校ではなく,普通の高校生として通いたいという理由で芸能コースのない日出女子学園に進学する。芸能人「山口百恵」ではなく,同級生と一緒のときには普通の高校生になれることに幸せを感じていたようだ。授業中にサインをねだった簿記の先生の授業を最後までボイコットしたりしつつ,出席日数不足で同級生から遅れること約3か月,6月末に無事に高校を卒業する(そんな日出女子学園も現在は日出中学・高校となって芸能コースが設置され,芸能人がとても多いようだ)。

 普通の高校生であることに幸せを感じ,特別扱いしない友人たちを大切に思う。引退〜引退後と同じだ。弱冠21歳の山口百恵が提示してみせた,大スターや売れっ子芸能人の座にあるより普通の主婦になるほうがとても魅力的であり幸せなのだとする判断は,いつの世も一般の民衆に対して説得力を持ち続けるはずだ。

170311-135408
 北品川駅ホームのすぐ北にある品川第2踏切から南に続くのが旧東海道(品川宿・北品川本通り商店街)である。

170311-135522
 旧東海道の北品川本通り商店街。「くさ餅」の幟が立つ枡翁軒。ちなみにATOKの候補は「草餅」「草もち」のふたつ。わかりやすい「草」をひらがなにして「餅」が漢字のままなのは不思議な「かんじ」。

170311-135937
 枡翁軒の前の丁字路でこの写真(八百半商店)を撮ろうとしていたら,品川浦のほうから坂を上ってきたクルマが丁字路を曲がろうとして,たどたどしいハンドルさばき。私が立っていたのは路側帯の上だったけど,我が身の危険をも感じたので大きく道を譲って差し上げたら,なんとそのまま八百半商店の前に路上駐車,運転していた老人はそのまま八百半商店の中に消えていった。「撮れるときに撮るべし」は,このような短時間でも,数年から数十年のスパンでも,街歩き&写真撮影では鉄則だと思う。

170311-140853
 北品川郵便局の前から北品川本通り商店街の北側を振り返る。野菜・果物の八百半商店はお客さんでいっぱいだ。

170311-141022
 フローリスト「はなの樹」の前から北品川本通り商店街の南側を見る。

170311-141035
 北品川郵便局の前。ちなみに品川宿の北寄りの北品川本通り商店街あたりには,幕府の命により歩行役(かちやく・人足役)が配置されていたことから,歩行新宿(かちしんしゅく)と呼ばれていた。

歩行新宿
(昭和22年発行の地理院地形図。「今昔マップ on the web」より)

170311-141426
 路上駐車の老人が単なる八百半商店の客なのか(しばらくすれば立ち去る),付近の住人だったりして何十分も停めたままなのか気になりながら,郵便局の前に居続ける。写真の撮影時刻を見ればわかるように,八百半商店の付近に15分も立ち続けている……(なんと酔狂な)

 八百屋での買物に15分もかかるとは思えないので,あきらめて立ち去ろうとしたとき,私の目は見覚えのある老人の姿が店から出てくるのを見逃さなかった。

170311-141717
 くさ餅の枡翁軒の前に戻り,最初に撮ろうと思っていた構図で撮影。ここまで約20分。そこまで時間を掛けて撮るような写真かと言われればそれまで。

170311-141843
 せっかくなので問答河岸の碑が立つ丁字路の坂を下る。

170311-141906
 多国籍料理「居残り 連」の横,八ツ山通りの交差点へ。

170311-141947
 八ツ山通りの交差点にある多国籍料理「居残り 連」。交差点に面した看板建築の切り欠き(面取り・C面・Chamfer)が美しい。

170311-142105
 八ツ山通りの栄歩道橋の下から都営北品川アパートを見上げる。

170311-142141
 都営北品川アパートには都営バス品川営業所が併設されていて,そこからバスが次々に出てくる。

170311-142205
 八ツ山通りから旧東海道を見ると,旧東海道がかなり高いところにあるのがわかる。

170311-142354
 都営バス品川営業所の事務所棟。

170311-142537
 都営バス品川営業所の前の交差点から路地を入ると,品川浦の船溜まりが見えてくる。その横には古い民家の家並みが残っている。

170311-142602
 品川浦の船溜まり。

170311-142642
 屋形船が並ぶ品川浦の船溜まりに小さな漁船が帰ってきた。

170311-142700
 小さな漁船が屋形船の間を抜けて船溜まりの奥へ。

170311-142746
 それにしても見事な古民家群。路地は未舗装で,中央に石畳がある。

170311-142819
 建物も植栽も丁寧に手入れされていて,気品を感じる。

170311-142906
 超高層ビルが立ち並ぶ街のすぐ近くに,このような家並みが残っているのは貴重だ。

170311-143417
 八ツ山通りを歩いて品川浦船溜まりの南側へ。

170311-143434
 品川浦がL字型になっている部分に架かる北品川橋。

170311-143454
 豊かな水産物の水揚げがあり,海苔の産地でもあったかつての品川浦に思いを馳せていたら,突然耳をつんざく轟音が響き,現実に引き戻された。
 公道を走るゴーカートの集団だった。その姿からすぐに,任天堂が提訴したことがニュースになっていた「マリカー」だとわかった。そしてこれはやっぱり“あかんやつ”だと思った。任天堂には相当な苦情が届いたのだろう。個人が任天堂のキャラクターに扮して公道走行しているのならまだしも,レンタルサービスでの集団走行では言い訳できない。

 この後も北品川付近をブラブラしていたら,ゴーカートの爆音が何度も聞こえてきた。調べてみたらこの公道ゴーカートのレンタルショップが北品川にあるようだ。近隣住民の方,大変だね……

170311-143600
 たくさんの屋形船が並ぶ品川浦と品川の超高層ビル群。

170311-143612
 品川浦の対岸に先ほどの古い民家の家並みが見える。

170311-143649
 品川浦(かつての目黒川)に架かるのは1925年(大正14年)竣工の北品川橋。橋のたもとに鮨処「石橋」がある。北品川橋の親柱は石積みなので,それにちなんで石橋なのか,ご主人の名前が石橋さんなのかは不明だ。

170311-143826
 北品川橋の西側を振り返る。

170311-144009
 旧目黒川の船溜まり。

170311-144024
 旧目黒川の右岸(写真左)は河口にできた砂州で,幕府に魚介類を納める御菜肴八ケ浦のひとつ南品川猟師町(現在の東品川一丁目。洲崎とも)と呼ばれる漁業の町だった。沖は埋め立てられ,東京湾が遠くなってしまったが,猟師町だった頃の名残がかすかに感じられる。

170311-144037
 北品川橋の上から北側を見る。

170311-144330
 旧目黒川に沿って八ツ山通りを歩く。屋形船・釣り船「ひらい丸」の看板が立つ。

170311-144613
 品川浦旧目黒川の一番奥。ここから上流側はすっかり埋め立てられ,品川浦公園となっている。

170311-144756
 品川浦公園から旧目黒川を見る。

170311-145029
 品川浦公園の横にある利田(かがた)神社。沢庵和尚が弁財天を祀ったのが始まりと言われ,かつて洲崎弁財天・洲崎弁天と呼ばれていた神社である。目黒川河口の南品川猟師町の沖は,江戸時代の中頃から南品川宿の利田吉左衛門によって埋め立てられ開墾(南品川新開場)されたことから利田新地とも呼ばれたという。

170311-145523
 利田神社(洲崎弁天)といえば「鯨塚」で知られ,品川浦公園にはクジラのオブジェや遊具がある。

 1798年(寛政10年),品川沖に迷い込んだ巨大な鯨を漁師たちが浅瀬に追い込み捕獲,一目見ようとする人で浜は大賑わい。浜御殿(現在の浜離宮)沖まで運び,11代将軍徳川家斉が上覧するほどの大騒動になったという。その後,鯨の骨を埋めて祀ったのが利田神社脇にある鯨塚である。

170311-150309
 八ツ山通りの台場歩道橋……の下の横断歩道を渡り,台場横丁の坂を上って旧東海道に戻る。

170311-150457
 星野金物店の見事な看板建築。

170311-150538
 星野金物店。レンガまたはスクラッチタイルの壁に銅板張りのパラペットがすばらしい。

170311-150611
 星野金物店の前から旧東海道の南側を見る。

170311-150718
 同じ場所を撮っても,広角側(この写真は24mm)と中望遠側(ひとつ前の写真は60mm)ではこんなに印象が変わってくる。

170311-150746
 旧東海道と黒門横丁の交差点。

170311-150906
 黒門横丁から旧東海道を振り返る。写真左側にあったはずの「天ぷら三浦屋」がなくなってる。がっかりしているところを,「マリカー」装束の外人軍団とすれ違った。こうやって時代は変わっていくんだな……

170311-151104
 黒門横丁から法禅寺に抜ける。

170311-151254
 臨海山光照院法禅寺。1384年(至徳元年)開創,芝増上寺の末寺である。

170311-151434
 法禅寺の山門とレンガ塀。突き当たりが旧東海道である。

170311-151540
 法禅寺。門の横に品川小学校発祥の地の碑が立っている。品川小学校は品川区で最も古い公立小学校で,法禅寺にあった寺子屋を引き継ぐかたちで開校したという。

170311-151557
 法禅寺から旧東海道へ。

170311-151715
 法禅寺の入口から旧東海道(北品川本通り商店街)の北側を見る。

 旧東海道は電線類地中化され,電線は共同溝に埋設されている。しかし,道路上から電柱をなくす無電柱化は行われていない。広い歩道のある道路であれば,歩道上に変圧器や開閉器を納めた地上機器を設置すれば良いが,旧東海道のような道路では設置場所の問題が大きいため,地上に電柱を残して,電柱の上にトランスを設置している(単柱頂部設置方式)。

 トランス用電柱(街路灯)から下がる東海道品川宿のバナー(垂れ幕)には,「きたしなカード葵」と書かれている。北品川地区の北品川本通り商店街・北品川商店街・京急新馬場商店街の三つの商店街共同のポイントカードらしい。

170311-151802

170311-152017
 野菜・果物「マルダイ」とせんべい処「あきおか」の前。

170311-152158
 喜楽すしの前の実用自転車。懐かしいロッド式ブレーキだ。

170311-152352
 喜楽すしの横には品海公園がある。品海公園の入口には小さな街道松とともに品川宿と刻まれた石碑があり,「日本橋より二里 川崎宿へ二里半」と記されている。

170311-152600
 トーモンハウスの前に東海道品川宿と書かれた門柱のようなものが立っており,ここから南が北品川商店街となる。歩行新宿と北品川宿の境もこのへんになるのだろうと思われる。

170311-152635
 創業明治23年の老舗尾張屋の前から北品川宿(北品川商店街)を見る。このあたりから目黒川に架かる品川橋までが北品川宿である。

170311-152914
 尾張屋の前から歩行新宿(北品川本通り商店街)を振り返る。

170311-152958
 北品川商店街の米の専門店「新実商店」。その奥の緑に囲まれた山門は一心寺。

170311-153024
 北品川商店街の丸屋履物店は1865年(元治2年・慶応元年),激動の幕末の創業である。店頭にはたくさんの下駄や雪駄・草履が並んでいる。店内には鼻緒をすげていない下駄も並んでおり,ちゃんとした職人さんがいる店らしい。すばらしいね。

170311-153056
 一心寺。江戸三十三箇所(昭和新撰江戸三十三観音札所)の30番札所である。
 境内は広くなく,山門を入るとすぐに本堂が建っている。

170311-153104
 一心寺の前から北側を振り返る。

170311-153123
 一心寺の向かい側,養願寺(品川虚空蔵尊)に続く路地を入る。

170311-153140
 一心寺側を振り返る。

170311-153309
 品川虚空蔵尊(天台宗養願寺)。

170311-153329
 品川虚空蔵尊の前から一心寺方向を振り返る。

170311-153349
 狭い路地と虚空蔵尊(養願寺)の境内が一体化していて,路地を歩く人が自然に虚空蔵尊の本堂の前を通り抜けるようになっている。

170311-153446
 虚空蔵尊(養願寺)には女性の参拝者が絶えなかった。

170311-153519
 虚空蔵尊の南側に続く路地へ。この路地は虚空蔵横丁と呼ばれているらしい。

170311-153644
 正徳寺を囲む虚空蔵横丁のレンガ塀。

170311-153729
 正徳寺のレンガ塀と虚空蔵横丁。レンガは下のほうがイギリス積み,上のほうがフランドル積み(フランス積み)になっていて面白い。一般的にはイギリス積みのほうが新しい場合が多いので,施工時期の違いによるものでもなさそうだ。

 そもそも,なぜここにレンガ塀があるのかが不思議だ。由緒ある寺とレンガ塀が結びつかない。古い地図を見ていたら,大正8年発行の地形図のこの付近に学校を示す「文」マークがあることに気づいた。昭和に入ってからの地図には「文」マークが見当たらないが,それがレンガ塀に関係しているのかもしれない。そういえば法禅寺もレンガ塀になっていて,品川小学校発祥之地でもあった。

170311-153822
 正徳寺のレンガ塀から北品川公園に続く路地に旅館「靜正」がある。

170311-153952
 旅館「靜正」の横には壊れた井戸がある。このあたりは江戸時代に小泉長屋と呼ばれたところで,入り組んだ路地に共同井戸が残っていることで知られる。探せばまだ現役の共同井戸が見つかるはず。共同井戸の水質は飲用に適さなくても,散水などの生活用水としては十分利用でき,住民に大事に守られている。全国には,「名水百選」に選ばれているのに,飲用不可となっているその土地自慢の名水も多い。飲用に使わないのに,地下水が飲み水の環境基準を満たさないから“安全だけど安心じゃない”とか言っている都知事の行動に唖然とするばかりだ。

170311-154022
 誰も遊んでいない北品川公園と,寂しく佇む黒猫。

170311-154158
 入り組んだ路地の中にある北品川公園には飛行機のかたちをした遊具がある。しかも複座だ。印象的な遊具から「ひこうき公園」とも呼ばれるらしい。

170311-154357
 レンガ塀のある虚空蔵横丁に戻る。

170311-154604
 虚空蔵横丁から新馬場北口通りへ。

170311-154732
 新馬場北口通りの京急新馬場商店街。

170311-154836
 京急新馬場商店街(北馬場参道通り商店街)。以前は商店街の東西に「サクセス品川」という商店街アーチがあったのだが撤去されたようだ。サクセス品川商店街あるいは新馬場北口通り,または新馬場サクセス通りと呼ばれていたのは確かだ。品川神社の前の第一京浜北品川三丁目交差点から東海道北品川交差点まで続く新馬場商店街は,品川神社の参道として発達した商店街である。通りや商店街の名称が定まらないところに迷いが感じられる。

170311-154911
 明治時代の一軒家を改装したレンタルスペース松本は,戦前は松本酒店,戦後はもつ煮込みが名物の居酒屋「松本屋」だったそうで,この日は山形の野菜を販売中だった。

170311-154921
 新馬場参道通りから虚空蔵横丁を見る。

170311-155002
 京急新馬場商店街(新馬場参道通り)に並ぶ看板建築。

170311-155056
 お菓子の太子堂とリサイクルショップ桃色雛。

170311-155253
 麺屋「まる」と休み処「品川宿参道」,桃色雛の並び。見事な三軒長屋の看板建築だ。

170311-155319
 王将せんべいとさっぽろジンギスカン喜楽,そしてパン屋の龍月堂。

170311-155417
 京急新馬場商店街(新馬場参道通り)は看板建築の宝庫だ。

170311-155443
 サクセス品川(新馬場北口通り)から北馬場参道通りとなった商店街アーチ。赤い電車が走る京急線の高架橋の先には品川神社がある。

170311-155533
 電線類の地中化でスッキリした北馬場参道通りの京急新馬場商店街。まだ「サクセス品川」だった2008年11月撮影の写真と比べると,そのスッキリ具合がよくわかる。

170311-155720
 上の写真からわずか2分後の写真。撮ろうと思った瞬間に撮っておかないと,後で後悔することになる。

170311-155902
 北馬場参道通りを東へ歩き,正徳寺の門前から京急新馬場駅方向を振り返る。

170311-155939

170311-155956
 創業宝暦11年(1761年)の加藤畳店(創業時は湊屋)。写真右は正徳寺。

170311-160149
 木村屋和菓子店とトモ薬局。

170311-160233
 北馬場参道通り商店街のトモ薬局の看板建築。

170311-160306
 北馬場参道通り商店街。

170311-160446
 チャイニーズレストラン「野沢屋」の並びの看板建築。

170311-160711
 ここの看板建築を2008年11月に撮ったときのようにもう少し引いた位置から撮影したかったのだが,ちょうど向かい側で建築工事をやっていて,その関係者のものと思われる車(工事用車両ではない)が路上駐車をしていて,引きの写真が撮れなかった。残念。

170311-160722
 突き当たりのやまのて青果の前の道路が旧東海道。

170311-160905
 北馬場参道通り商店街のミツワヤ化粧品店。ちなみに,上に書いた路上駐車の工事現場はここではない。

170311-160945
 マルサングループやまのて青果。

170311-161042
 旧東海道の花と園芸「花本園」と旬菜料理「竹乃家」。このあたりは北品川商店街となる。

170311-161229
 北品川商店街の若素園と魚より。

170311-161404
 東海道品川宿本宿「北品川商店街」と書かれた商店街事務所と中国料理「登龍」。

170311-161635
 若素園と魚よりの間に緑の多い路地がある。

170311-161930
 東海道品川宿本陣跡は聖蹟公園となっている。江戸初期には南北の品川宿それぞれに本陣が置かれたが,江戸中期に本陣は北品川宿のみとなったらしい。「聖蹟」の名は明治天皇の明治元年の行幸の際に行在所となったことから。

170311-162039
 山手通りと旧東海道が交差する東海道北品川交差点。油そば専門店「ぶらぶら」の油っぽい名前に惹かれたが,がまんがまん……

170311-162404
 山手通りを渡り,旧東海道をさらに南へ歩き,品川屋海苔店の前。このあたりも北品川商店街になる。「○○○品川店」と「○○○新馬場店」が混在している。

170311-162502
 北品川商店街の品川宿交流館本宿お休み処。駄菓子屋や休憩所,多目的スペースが設置されている。

170311-162546
 品川交流館の横から北浜公園に続く石畳の路地に割烹神戸家がある。

170311-162623
 品川橋のたもと。

170311-162738
 目黒川に架かる品川橋。品川橋を境に北品川宿と南品川宿に分かれることから境橋とも,昔は北品川宿の品川神社の天王祭と南品川宿の荏原神社の天王祭が同じ日に行われ,この品川橋の上で行き会ったことから行合橋とも呼ばれたという。目黒川の改修で南品川宿側にあった荏原神社が,目黒川の北側になってしまい,紛らわしくなった。
 品川駅の南に北品川があったり,品川駅が品川区ではなく港区にあったり,品川区では海岸通りと呼ばれる道路が,港区に入ると旧海岸通りになったり,紛らわしいといえば紛らわしいことだらけの土地であるとも言える。

170311-162944
 目黒川の左岸にある北浜公園の北浜こども冒険広場。

170311-163023
 目黒川の横の須山米店と新品川橋(洲崎橋)。

170311-163253
 品川橋の上流に架かる赤い欄干の鎮守橋。荏原神社の参道に架かる橋である。大正末期から昭和にかけて,曲がりくねっていた目黒川を真っ直ぐに改修した際,南品川から荏原神社へ渡る橋が必要になり,1928年(昭和3年)に鎮守橋が架けられた。

 南品川から品川橋を渡れば,図らずも北品川側に移ってしまった荏原神社を詣でることは可能だが,荏原神社は南品川の鎮守だったから話は複雑だ。結局,荏原神社の氏子の拠出により,南品川地区から北品川を通らずに目黒川の北に移った荏原神社に直接参拝できる鎮守橋が架けられることとなった。

170311-163309
 品川橋を渡って南品川宿(品川宿場通り南会商店街)へ。橋のたもとにある小さな建物は,どこからどう見ても旧交番っぽいが,特に説明書きは見当たらなかった。

 その向かいの城南信用金庫品川支店には案内板があり,信用金庫の場所が南品川宿の脇本陣の百足屋だったこと,東海道から荏原神社への道を天王横丁といい,荏原神社の鳥居の向きから往時の様子が推定できることが書かれている。
 地図を見ると,荏原神社から鎮守橋に続く参道の角度は北品川地区の町割りの角度とは違い,目黒川の対岸の南品川地区の町割りに一致することがわかる。

170311-163804
 品川宿場通り南会商店街のまいばすけっとの前から品川橋を振り返る。

170311-163905
 旧東海道の南品川宿の品川宿場通り南会商店街。写真右の建物のシャッターに「南品川一郵便局」の文字が残っている。現在郵便局は約100m南に移っている。

170311-164435
 南品川宿の街道松の広場と「浜松宿の松(品川宿の松)」。浜松市の有賀氏から寄贈された樹齢80年の黒松で,1993年に植樹されたものらしい。

170311-165311
 品川診療所のある四ツ辻。品川診療所の北隣には昭和ネオンの品川本社がある。

170311-165728
 南品川二丁目児童遊園でトイレ&休憩。

170311-171506
 南品川二丁目児童遊園の隣にある青波堂木庭印房(創業明治四十年)。その隣は床屋さん風だが,今は空き家になっている。

170311-171548
 創業明治二十七年の富田屋工業所。軒下の古い看板は富田工業所となっている。

170311-171937
 長徳寺の入口付近の旧東海道(品川宿場通り南会商店街)。このあたりになると「○○○品川」「○○○南品川」「○○○東品川」の他に「○○○青物横丁」がチラホラ。

170311-172033
 写真右側が開校明治七年の城南小学校の正門。品川区立城南小学校と区立城南幼稚園の共用の正門になっている。長年川崎市と横浜市に住んできたため,幼稚園は私立という思い込みがあり,公立の幼稚園と小学校が併設されていることに驚いてしまったが,都市によってはごく普通のことなのかもしれない。

 城南幼稚園・小学校の正門付近から,旧東海道の商店街は青物横丁商店街となる。

170311-172403
 1779年(安政8年)創業の松岡畳店。大正時代の建築である。

170311-172429
 畳松岡の看板がある松岡畳店。

170311-172633
 古い「魚長」の看板が残る居酒屋えいちゃん。

170311-172701
 青物横丁商店街の焼肉「オモニ」。

170311-172750
 派手な看板の焼き鳥店(店名読めず)の横に諏方神社の参道がある。

170311-172900
 南品川二丁目の諏方神社。境内の狛犬は1831年(天保2年)につくられたもの。

170311-173353
 旧東海道とジュネーブ平和通りが交差する東海道南品川交差点。竹内醫院の下見板張りの洋館は健在だ。

170311-173401
 東海道南品川交差点から東側の八潮高校入口交差点・南品川二丁目郵便局方向を見る。青物横丁商店街のエンドウ豆風の街路灯が面白い。

170311-173410
 東海道南品川交差点から旧東海道の南側(南品川三丁目)を見る。

170311-173436
 東海道南品川交差点から西側の京急青物横丁駅方向を見る。

170311-173728
 東海道南品川交差点のフードマーケット平野屋。もともとは1800年(寛政12年)創業の酒屋「平野屋」。

170311-173824
 青物横丁商店街の街路灯は照明の部分がエンドウ豆風になっているだけじゃなく,柱の部分にも果物や野菜が刻まれている。

170311-174059
 東海道南品川交差点のすぐ南,南品川三丁目の青横ファーマシー薬局。旧東海道らしい縦書きの看板に,創業平成三年と記されている。旧東海道とはいえ,江戸時代や明治・大正時代創業の店ばかりではないのだ。平成生まれでも既に二十年以上になり,昭和生まれの私は時の流れを感じる。

170311-174241
 ジュエル靴クリームの矢場靴店。

170311-174438
 青物横丁駅が近づいてきた。

170311-174444
 青物横丁駅前のジュネーブ平和通りの青物横丁商店街。南品川三丁目にある品川寺(ほんせんじ)の行方不明になっていた梵鐘が大正時代にスイスのジュネーブの美術館に所蔵されていることが判明し,その返還交渉が契機となって品川区とジュネーブ市が友好都市の関係を結んだ。それがジュネーブ平和通りの名の由来になっている。

170311-174739
 京急本線の青物横丁駅のガード下。

170311-174836
 青物横丁駅前の横断歩道。モスバーガーの看板を見たら,腹ぺこだったのでハラペーニョがのったスパイシーチリドッグが無性に食いたくなり,足が勝手に横断歩道を渡ろうとしている。

170311-174941
 横断歩道を渡る。看板通りなら50m先にモスバーガーがある。

170311-175034
 京急線のガードをくぐる。

170311-175045

170311-175834
 モスバーガーのスパイシーチリドッグにむしゃぶりつき,一休み。

170311-180742
 青物横丁駅から京急線の普通電車に乗り,のんびりとした帰路につく。

北品川〜新馬場〜青物横丁 2

── PENTAX K-1 + HD PENTAX-D FA 24-70mmF2.8ED SDM WR or RICOH GR

【関連記事】
2008年11月29日 (土曜日):京急線新馬場駅周辺を歩く
2008年3月22日 (土曜日):北品川駅界隈(品川宿〜品川湊)
2005年4月 3日 (日曜日):京浜急行青物横丁〜鮫洲

|

« 横浜弘明寺商店街で野暮用を思い出す | トップページ | シーサイドライン延伸工事が進む 金沢八景 »

・13 東京23区」カテゴリの記事

」カテゴリの記事

」カテゴリの記事

鉄道」カテゴリの記事

コメント

北品川…
数年間通い続けた界隈だけに、懐かしいですね。
旧三浦屋の通りの北側にある、善福寺は覗かれましたか?
江戸期の鏝絵の名工「伊豆の長八」の龍の作品が、堂の正面上部に施された素晴らしい建物です。見応えがあるのですが、東日本大震災等の被害も有り、目下のところ、かなり深刻な保存状況になってしまっています。
利田神社に弁財天を祀った沢庵和尚、目黒川沿いの東海寺の創建にも関わった、品川所縁の人物ですね。先だって、JR東海道線と新幹線・山手線に挟まれた東海寺の大山墓地を訪ね、沢庵和尚の墓を詣でて来ました。
沢庵和尚の他にも、国学者賀茂真淵、明治維新後に鉄道敷設に尽力した井上勝、品川出身の歌手島倉千代子等の墓所も並び、小ぢんまりとした敷地に歴史が詰まった一角になっておりました。
墓所を取り巻く鉄道の見応えも、勿論の事。
大山墓地と山手通りの間では、リニア中央新幹線の工事(変電所施設)も始まっておりました。

投稿: もりあき | 2017年4月21日 (金曜日) 12時44分

 善福寺は星野金物店の横から入るんですね。鏝絵のあるお堂を見たかったところですが,実は頭の中が「昼食時を過ぎ三浦屋もそれほど混んでないだろうから天丼食べていこう」と天丼でいっぱいになり,善福寺の入口に気づくことなく通りすぎてしまいました。

 星野金物店の前で引き返してしまったので,そこから北側の旧東海道も歩き忘れていることにGPSのログを見て気づきました。今考えると,よほど「三浦屋」に気を取られていたようです。気ままに歩く楽しさにひたっていますが,もう少し「下調べをして計画的に」というのは,昔からやらなければならないと思いつつできていません。

 品川のことを調べていると必ず出てくる東海寺も未訪問です。もりあきさんはマメに歩いていらっしゃいますね。品川宿のあたりは本当に見どころ盛りだくさんで,何度歩いても新しい発見があって楽しいです。

 それにしても,もう東京でもリニア中央新幹線の工事が始まっているんですね。

投稿: 三日画師 | 2017年4月23日 (日曜日) 11時57分

リニア新幹線の建設が進み、つい先だっては京急の北品川駅と八ツ山橋付近の高架化計画もスタートしました。
見所の多い界隈も、今後急速に姿を変えてしまうかもしれません。
職場としては離れてしまいましたが、私も機会が有れば、旧品川宿を歩き続けていきたいと思っております。

街道筋の美麗な品揃えの履物屋さん、店のお名前でTwitter(@shinagawamaruya)もされているので、ご覧になってみては?

日々呟かれている「今日の一足」は、良い目の保養になっています。

投稿: もりあき | 2017年4月23日 (日曜日) 13時51分

 教えていただいた丸屋履物店のTwitterをフォローしてみました。「今日の一足」には圧倒されました。たしかに目の保養になりますね。

 北品川宿界隈,あまり変わっていないように見えても約10年前に撮った写真と比べながら眺めると,どんどん変わっていることがわかります。変わるときには本当に急速に変わっちゃいますので,目が離せないですね。

投稿: 三日画師 | 2017年4月24日 (月曜日) 16時00分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/14019/65169647

この記事へのトラックバック一覧です: 北品川から青物横丁へ 旧東海道を歩く:

« 横浜弘明寺商店街で野暮用を思い出す | トップページ | シーサイドライン延伸工事が進む 金沢八景 »