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2016年1月 7日 (木曜日)

網干の町を歩く 新在家から興浜へ 山陽網干

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網干の町を歩く 新在家から興浜へ 山陽網干


 去年のゴールデンウィークに時間がなくて歩けなかった網干の町を歩く。網干といっても,JR網干駅ではなく山陽電鉄網干線の山陽網干駅界隈である。

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 高砂駅で乗った姫路行きの普通電車が大塩駅に停車。高砂の街をゆっくり歩いたため,時刻は既に午後4時過ぎ。ここで姫路行きの直通特急に抜かれるので,少しでも急ぐために特急に乗り換える。

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 飾磨駅の網干線の櫛形ホームに電車が入ってくる。飾磨駅で網干線の山陽網干行き電車に乗り換える。全線単線の網干線の電車は4両編成のワンマン運転で,飾磨駅と山陽網干駅の間を15分間隔(平日ラッシュ時は12分間隔)で往復している。

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 山陽網干駅(兵庫県姫路市網干区)に到着。日没が近い……

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 山陽網干駅前。
 かつてはここに播電鉄道(播電軌道)の余子浜(よこはま)町駅があった。横浜から旅をしてきて,余子浜町駅跡に立つ。不思議な気持ちになる。横浜村は大岡川の河口の入り海に,横向きに突き出した砂州だったことから横浜と名づけられたという。余子浜も揖保川の河口の三角州に少し突き出しているようにも見える。横浜と余子浜,由来まで同じだったら面白い。

Photo
〔1923年(大正12年)発行の地形図〕

 播電鉄道が開通したのは,まだ山陽電鉄網干線が開通する前の,1909年(明治42年)のことで,網干港〜余子浜町〜網干駅〜龍野〜觜崎(現たつの市新宮町觜崎)を結んでいた(その後新宮町まで延伸)。

 余子浜町駅を出た播電鉄道は,現在の山陽網干駅の西側を南下し,国道250号線の山陽網干駅前交差点付近から兵庫県道222号線(たぶん播電鉄道の跡が県道になったものと思われる)に沿ってカーブして東雲橋北交差点付近まで延びていたことがわかる。現在の網干港バス停付近に網干港駅があった。

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 山陽網干駅を出て,播電鉄道の跡に沿って南へ歩く。

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 国道250号線の山陽網干駅前交差点の交和書房。写真左が国道250号線である。

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 山陽網干駅前交差点から県道222号線を南へ歩き,中華浜さき網干店の前から南を見る。左側にカーブしているのが県道222号線で,ここが播電鉄道跡だと思われる。

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 左が県道222号線(播電鉄道跡と推測),右が余子浜商店街。

 龍野から網干駅を通り網干港への鉄道が,龍野(本竜野駅)を通り姫路に向かう国鉄姫新線や,網干と姫路を結ぶ山陽電鉄よりも先に開通したというのが興味深い。
 1889年(明治22年)に開通した山陽本線(開業時は山陽鉄道)の網干駅が,龍野や網干の市街地から離れたところに設けられたため,まずは手っ取り早く網干駅とをつなぐ播電鉄道が必要になったのだと思う。
 さらに,龍野(やその上流の山崎)から網干に流れる揖保川は,江戸時代から高瀬舟での水運が盛んで,揖保川が物流の大動脈となっていたため,播電鉄道はその物流に沿ったものだったと考えられる。

 水運から鉄道の時代になり,直接姫路までを結ぶ姫新線のほうが便利になると,播電鉄道は経営不振になり廃線。そして,鉄道から自動車の時代になって,その姫新線の貨物輸送や優等列車がなくなり,現在に至る。

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 網干区余子浜の専念寺。日没まであと10分ぐらいだろうか。網干区興浜の揖保川まで歩くつもりだったが,日没までにはたどり着けそうになくなってしまった。

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 余子浜商店街を南へ。商店街色は薄れ,住宅街になりつつあるようだ。

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 余子浜商店街を南へ歩く。このあたりは,写真右が網干区余子浜,左が網干区新在家となっている。

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 余子浜商店街の西口洋品店の前。

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 余子浜商店街の東側に沿って水路が通っており,商店街の建物が水路の上に作られていることがわかる。

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 余子浜商店街の銭湯「木村温泉」の前に,マッサージ車堂の網干店・南店・ゆとり店の3店が並んでいる。

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 ただ「ゆ」とある銭湯「木村温泉」。「ゆ」がなければ銭湯とは気付かないだろう。

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 網干川に架かる網干橋の先に橋本町商店街の商店街アーチが見えてきた。網干橋では補修工事が行われている。

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 網干川。揖保川から分流し,網干の市街地を東に流れ,大津茂川と合流して播磨灘に注いでいる。一級河川の揖保川から分流して,二級河川の大津茂川と合流するため,網干川は大津茂川の支流ということになる。一級河川から分流して二級河川になるのは珍しい気がする。

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 網干川を渡ると橋本町商店街となる。

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 網干区新在家の橋本町商店街。網干橋から少し下っていて,文字通り橋の袂にある。

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 橋本町商店街。ドーム状の屋根と赤煉瓦が特徴的な塔屋のある近代建築が見えてきた。

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 この建物は旧網干銀行の本店で,大正末期の竣工である。

 網干銀行は1930年(昭和5年)に三十八銀行に買収され,1936年(昭和11年)には三十八銀行・神戸岡崎銀行・五十六銀行・西宮銀行・灘商業銀行・姫路銀行・高砂銀行の7つが合併して神戸銀行網干支店となり,その後,1970年(昭和45年)に婦人服飾店「タケダ」となり,現在に至る。

 婦人服飾店「タケダ」が,この貴重な建築物を文化財として丁寧に,大切に使ってきたのだろう,美しいままの姿が残されている。
 そのタケダは,昨年末に閉店。姫路市の都市景観重要建築物に指定されているので,簡単に取り壊されてしまうことはないだろうが,今後どのようになっていくのかが気になるところだ。

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 網干橋方向を振り返る。

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 旧網干銀行本店と橋本町商店街のアーケード。

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 閉店した婦人服飾店「タケダ」と橋本町商店街。

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 橋本町商店街の山田産業「ワールドアートショップ」,コーヒー専門「ドルメン」。

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 橋本町商店街の全蓋式アーケード。テントが日焼けしてぼろぼろになっている。

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 アクセサリー・袋物「ムラオ」とファッションバッグ専門店「ロベール」。

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 ぼろぼろになったアーケードの隙間から旧網干銀行本店が見える。

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 橋本町商店街の「電気のカナイ」。

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 御食事処「福助」。横に「ちょっとメニュー」「ラーメン(あっさり)」,そして「とんかつ」という文字の顔が描かれている。その右側には,はっきり見えてはあかんヤツの絵も……

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 橋本町商店街のファミリーショップ「ミワシン」。かなり大きな店だ。

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 橋本町商店街の全蓋式アーケードの南端。商店街の歯抜けになったところに,マピオンの地図ではまだ商店が描かれているので,取り壊されたのは最近らしい。

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 橋本町商店街のハマサ電機商会。

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 橋本町商店街のクリーニング英国屋オウギヤ店。

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 橋本町商店街と網干一番街の交差点。

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 網干一番街(あぼし一番街)。日の入り時刻となり,写真を撮るのは厳しい状況になってしまった。

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 あぼし一番街を西へ。

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 あぼし一番街と橋本町商店街の交差点を振り返る。

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 網干本町郵便局の前。御菓子司「菊忠」,喫茶軽食「月苑」がある。

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 あぼし一番街のサンルート鍋吉と紳士服のモリヤマ。

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 あぼし一番街の紳士服のモリヤマ。

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 あぼし一番街の「ふじわら洋品店」。

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 あぼし一番街の西側の商店街アーチ。

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 あぼし一番街の西側の商店街アーチ。ここまでが網干区新在家で,交差点から先は網干区興浜となる。

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 網干区新在家と興浜の境界となる交差点に石橋の欄干が残っていて,横に案内文が掲げられている。

 案内文によると,万治元年(1658年)から明治維新まで,興浜地区は丸亀藩(京極家)の所領,新在家地区は竜野藩(脇坂家)の所領であり,この石橋は両藩の境界の堀割に架けられていたので「境橋」と呼ばれたらしい。昔はここに通行門が設けられ,朝夕時刻を定めて門が開閉されていたという。
 つまり,興浜と新在家の境界には堀割があり,現在境界を南北に走る道路は堀割になっていたようだ。

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 丸亀藩の興浜側から竜野藩の新在家(あぼし一番街)を振り返る。

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 網干区興浜の山田病院の前の変形四叉路。

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 山田病院の前の変形四叉路。

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 御菓子司「浪花堂」。

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 興浜の加納結納品店の前を西へ。

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 加納結納品店の前から東側を振り返る。

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 網干区興浜の金刀比羅神社と鮮魚「まるまん」。

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 鮮魚「まるまん」の前から東側を振り返る。

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 興浜公園と興濱歴史資料館。

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 写真右が興濱歴史資料館,左が旧水井家住宅。

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 旧水井家住宅。ここは旧材木問屋で(西50mぐらいを材木等の水運が盛んだった揖保川が流れている),大正時代に建築された母屋や土蔵は姫路市の都市景観重要建築物に指定されている。
 すっかり暗くなってしまって,ISOオートのISO4000でなんとか撮影。

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 網干区興浜の旧水井家住宅(旧材木問屋)。

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 揖保川に架かる本町橋の袂から興浜の家並みを見る。

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 本町橋の袂の西原洋傘提灯店横の路地。

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 揖保川のゆったりとした流れ。地図を見ると,写真の右側にあるはずの本町橋と歩道橋(歩行者用の橋)が撤去され,その15mぐらい上流側に真新しい新本町橋が架かっていた。

 このへんで山陽網干駅方向に引き返すことにする。

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 ISOオートでISO10000になっている。

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 金刀比羅神社と鮮魚「まるまん」。

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 網干区興浜,望楼のある山本家住宅。母屋は明治時代,別館は1914年(大正3年)に建てられたものらしい。もちろん姫路市の都市景観重要建築物に指定されている。
 あと30分早く行動していれば,もう少しまともな写真になっていたのに……と少し後悔する。

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 網干区興浜の加納結納品店の前を東に戻る。

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 あぼし一番街から橋本町商店街へ。

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 橋本町商店街を北へ歩く。

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 橋本町商店街。

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 橋本町商店街の婦人服飾店「タケダ」(旧網干銀行本店)。

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 暗くなってもめげずに撮る。

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 網干川に架かる網干橋が見えてきた。

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 橋本町商店街と旧網干銀行本店の望楼。

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 橋本町商店街の商店街アーチ。

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 銭湯「木村温泉」(写真左)と派手なLEDイルミネーションのマッサージ車堂。

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 山陽網干駅前交差点の交和書房。

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 山陽網干駅前の山崎屋本店。1854年(安政元年)創業の老舗和菓子屋である。粒あんをどら焼き風に包んだ「はまぐり」は,一見するとハマグリには見えないが,四等分すると表面に焼き付けられた模様がはまぐりの貝殻のような模様になる。昔は四等分して売っていたらしい。
 歩道橋は山陽網干駅と市立図書館分館を結ぶように架かっている。
 ちなみに,この道路が播電鉄道跡である。

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 山陽電鉄網干線の山陽網干駅。

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 山陽網干駅のホームに飾磨からの電車が入ってきた。

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 山陽網干駅のホームに停車する飾磨行きの電車。
 今晩の宿を姫路駅前に確保したので,電車に乗って山陽姫路駅を目指す。

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 網干線のホームが櫛形になっている飾磨駅に到着。反対側のホームに山陽姫路行きの電車が入ってきた。

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 終点の山陽姫路駅に到着。

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 山陽姫路駅の改札口。

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 新しいJR姫路駅の駅ビル「ピオレ姫路」。外壁がLED照明を使った動く照明になっている。時間帯によっては羽ばたく白鷺の映像になったりするらしいのだが,タイミングが悪くて見ることはできなかった。

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 JR姫路駅前の大手前通り。正面にライトアップされた姫路城(白鷺城)が見える。

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 姫路駅前のサンクンガーデン(キャッスルガーデン)。

山陽網干

── SONY α7S + Vario-Tessar T* FE16-35mm F4 ZA OSS or SONY Cyber-shot DSC-RX100M3

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