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2015年1月12日 (月曜日)

「福島のへそのまち」本宮市

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「福島のへそのまち」本宮市



 本宮市は,2007年に本宮町と白沢村が合併して生まれた新しい市である。

 1980年ぐらいまでは,私の故郷である三春町と本宮町はいずれも人口が約2万人程度で,三春町がわずかに人口を減らしつつあるのに対して,本宮町は平坦な土地に新しい工場が立地して,徐々に三春町の人口を追い抜きつつあった。その後,本宮町は隣の白沢村と合併して本宮市となり,町村合併しない選択をした三春町は現在も人口を減らしつつある。

 本宮は奥州街道の宿場町で,会津街道や三春街道,相馬街道が本宮から分岐していたため,とても賑わった宿場町だった。
 その本宮市の駅前に,本宮映画劇場という大正3年建築の映画館があり,しかもあの3.11の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)のときもびくともしなかった。ときどき上映が行われているという風の便りもあり,せっかく隣の三春町まできたから……ということで,我が弟にクルマで本宮駅前まで送ってもらい,本宮の町を軽く散策してみる。

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 JR東北本線の本宮駅。駅舎は変わっていないが,本宮駅前東口広場整備工事が完了し,駅前は広くさっぱりしている。

 本宮・本宮駅がかつて交通の要衝だったことを語る際には,日本鉄道が後に東北本線となる鉄道の本宮駅を開業した1887年の数年後,野口英世は猪苗代町から馬車で本宮までやってきて,本宮駅から列車に乗って上京したという逸話が語られる。
 現在では郡山が福島県の中心部の交通の要衝になっているが,磐越西線・磐越東線・水郡線が郡山駅に集まることになる以前は,県内の各街道が集まる本宮の方が栄えていたことを示す話らしい。

 郡山の街は,荒涼とした安積原野が猪苗代湖からの安積疎水により大規模な灌漑が行われた安積開拓事業によって大きく発達したと言われる。

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 しかし,「日本地誌提要」によると,安積疎水の工事が始まる1879年より前の1873年の時点で,郡山の人口は4782人で本宮の3523人を上回っており,奥州街道の宿場町としても本宮より郡山の方が大きかった可能性が高い。

 奥州街道の宿場町須賀川は人口5028人,城下町三春は人口5086人と郡山よりも多く,これらの町では「昔は郡山から須賀川(三春)に買い物にくるぐらいだった」と語られることがある。
 須賀川や三春の約5000人という都市の規模は,全国的にみてどうだったのだろうか。同じ「日本地誌提要」により,1873年の時点で人口5000人前後の都市を探してみた。

 小樽3903人,気仙沼4377人,福島5813人,白河7250人,桐生3894人,栃木3968人,熊谷4171人,土浦7788人,八王子7675人,横須賀2810人,千葉3110人,長野6928人,上田6019人,飯田5736人,豊橋7506人,小倉7459人,大分6821人,延岡6861人……。この当時は人口3万人の都市は大都市だったのだ。本宮・郡山・須賀川・三春は全国的に見てもそこそこ大きな町だったことがわかる。

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 本宮駅前にある大天狗酒造の煙突。

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 本宮駅前に小さな飲み屋街「駅前横丁」がある。

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 創業1872年(明治5年)の大天狗酒造。建物に自動販売機が埋まっている。

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 大天狗酒造。

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 杉玉(酒林)が下がっている。

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 本宮市中條,本宮映画劇場の裏側。

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 本宮映画劇場の裏の路地(北側)。何の木だろう? ひょっとしてテングシデ(天狗四手・天狗椣)? 本宮の造り酒屋は大天狗。いや,そりゃできすぎだろ……

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 本宮映画劇場の裏の路地(南側)。

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 本宮映画劇場の裏の路地を南へ。ブロックの壁に巨大なグラフィティアートが描かれている。

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 小料理「鹿住」がある路地。

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 本宮映画劇場の建物は周囲の建物よりひとまわり大きい。

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 正面に回り込む。

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 本宮映画劇場の隣の中央コーポ。

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 福島県本宮市本宮字中條9の本宮映画劇場。1914年(大正3年)に開館したそうだから,築100年になる。ずいぶん古い建物だが,あの東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の揺れにも耐えた。

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 大映映画のマークが残っている。1963年に閉館したが,館主がずっと映写機と建物を守ってきたのだという。すごい。現在もときどき上映イベントが行われているらしい。映画「ハーメルン」のロケ地になったことを示す看板もある。

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 本宮映画劇場。通称「定舞台(じょうぶでい)」。昔は本宮座と呼ばれていたが,昭和になってから本宮映画劇場となった。
 見事な建築物だが,本宮市のWebサイトを見ると,本宮市ガイドブックにも観光スポットのページにも載っていない。こんなに貴重な建物に市が気付かないなんて,もったいない。

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 本宮の街の中心を南北に縦断する旧奥州街道(陸羽街道)。うっすらと「娯楽の殿堂」という文字が読み取れる。

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 本宮の街を縦断する旧奥州街道は,このあたりでは「南の本陣通り」と呼ばれているようだ。
 本宮駅前の「駅前ふれあい通り」との交差点付近から北側の旧奥州街道(下町)は拡幅工事が完了し,店舗のセットバックしている。このあたりから南側の上町も,数年後には似たような景観になるだろう。

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 旧奥州街道の寿司居酒屋「大和」。ここから北側では拡幅工事が完了している。大和の奥に唐破風の建物がある。

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 見事な唐破風。元は旅館だろうか。

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 すぐ裏側に阿武隈川が流れている。本宮は阿武隈川に沿って街が形成されている。大きな堤防はなく,古くから何度も水害の被害を受けてきた。

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 旧奥州街道と「駅前ふれあい通り」の交差点。ずいぶんと大きくセットバックしている。

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 駅前の交差点にある本宮市消防団第1分団屯所裏の火の見櫓。

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 本宮駅前ふれあい通り。

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 ホテル堺屋と本宮市消防団第1分団屯所。

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 駅前ふれあい通りから飲み屋街「駅前横丁」へ。

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 駅前横丁。
 昨晩の雪が残っている。三春はかなり積もっていたが,本宮はそれほど降らなかったようだ。
 雪といえば,この日は晴れているのにずっと雪がちらついている。三春でもよくある天気だ。福島県の中通り地方では,こんなふうに晴れているのに雪がちらつくことがよくある。西高東低の冬型の気圧配置では,奥羽山脈の西側の会津地方では雪が降り,強風に乗って雪が奥羽山脈を越えてくるのだと思われる。

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 駅前横丁のスナック「ル・ボン」……

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 駅前横丁。駅前側の入口が見えてきた。小さな飲み屋街である。

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 食堂「平次」。酒はもちろん地酒の大天狗。

 このあたりの飲食店には「本宮二業組合員の店」の札が掛かっている。二業地といえば,芸妓屋・料理屋の営業が許可された地域であると思われる。三業地は待合・芸妓屋・料理屋の営業が許可された地域。かつての花街を指すことが多い。

 本宮二業組合の歴史のページを見ると,本宮二業組合は1908年(明治41年)に本宮料理店飲食業組合として発足したという。郊外にあって景勝地として人気だった蛇の鼻遊楽園の出張料理店と町内料理店の料金・その他を統一するのが目的だったようだ。
 1914年(大正3年)に料理業・旅館業に加えて芸妓置屋と貸座敷業を含めて本宮四業組合となる。「花の本宮」として賑わったという。
 1945年(昭和20年),第二次世界大戦の影響もあり,町の南部の鳴瀬の「新地」と呼ばれた遊郭もなくなり,「料理」と「旅館」の二業として組合の名称を本宮二業組合としたらしい。
 そして現在,本宮市内の54店舗が組合に加入し,旅館部会,食堂部会,料理部会,バー・スナック部会に分かれて活動しているという。

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 駅前横丁の本宮駅側のアーチ。

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 駅前ふれあい通りから南に延びるまゆみ通りの大天狗酒造と煙突。

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 駅前ふれあい通りのエビスヤパン店とまゆみ通り。

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 駅前ふれあい通り。国分フォトやホテルFOUR C'Sなどがある。

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 まゆみ通り。

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 右が世界一菓子店。創業昭和5年の老舗菓子店で,10月~4月という寒い季節しか営業せず,「かいてん焼」が人気だとか。

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 まゆみ通り。
 ちなみに「まゆみ通り」のマユミは,本宮の「市の木」に指定されているニシキギ科ニシキギ属の木である。漢字では「檀」「真弓」「檀弓」と書かれ,強くてしなることから弓や櫛の材料として使われるという。

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 不思議なかたちの永生堂広告社の横の路地を入ると……

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 銭湯「玉の湯」。男湯・女湯の表示がなく,廃業しているようだ。

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 銭湯「玉の湯」。左は永生堂広告社の階段。

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 玉の湯の前の路地を通ってまゆみ通りに戻る。

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 まゆみ通りのラーメン・餃子「ひょうたん」。

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 まゆみ通りの道路のペイント。相互通行の狭い道路だが,一方通行だと勘違いしないようにという意味だろうか。

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 永生堂広告社とその裏の玉の湯。

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 まゆみ通りの阿部写真館の前の十字路。

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 ラーメン類専門店「味よし」と阿部写真館。

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 しびれるような阿部写真館の建物。大正から昭和初期の看板建築だと思う。「舘眞寫部阿」の文字もカッコいい。
 右隣は温古堂治療院。

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 形のいい松の木。両側が駐車場になってしまって可哀想な感じ。

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 阿部写真館の前の十字路。

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 阿部写真館の前のビューティサロン「タシロ」。

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 まゆみ通りの十字路から東に延びる安達橋中央通り。右は井筒屋酒舗。

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 TACHINOMI。サウスポーのお姉さんはなかなか良い投球フォームだ。

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 まゆみ通りと安達橋中央通りの十字路。

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 安達橋中央通り。スナック「花房」……

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 井筒屋酒舗の前。

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 ラーメン類専門店「味よし」。

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 同じ十字路で何枚も写真を撮ったが,思ったような写真が撮れなかった。

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 阿部写真館を正面から撮影。

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 まゆみ通りの北端,本宮市中央公民館前の丁字路にある市立歴史民俗資料館。この洋風建築は旧東北電力本宮町出張所で,1924年(大正13年)に本宮電気株式会社の社屋として建築されたもの。アール部分に出入り口があってカッコいい。

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 本宮市立歴史民俗資料館。
 貴重な建物だということで,旧本宮町が国や県の補助を受けて建物を買い取り,保存しているとのこと。ぜひとも本宮映画劇場の建物も保存してほしい。

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 南町裡の幸楽の路地を入る。

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 南町裡の幸楽。“おやじの店”に空目したが,よく見たら“鳥・おじやの店”だった。おじやの店とは珍しい……

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 狭い路地を入ったところが少し広くなっていたりする。

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 南町裡のMOTOMIYA 103 BAN-KAN。複数のスナックが入店している。

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 南町裡のMOTOMIYA 103 BAN-KANのスナック「ロゼ」。

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 東邦銀行の裏の金刀比羅神社の前の路地。

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 金刀比羅神社の前の丁字路。

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 金刀比羅神社の前の路地。「歩行者専用道路です。許可車両以外通行禁止」の立て札がある。安達橋中央通りに続いている路地だが,ここも安達橋中央通りなのかどうかはわからない。

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 金刀比羅神社の鳥居と路地。マピオンやGoogleマップでは「金乃比羅」神社となっているが,額束の表記を見る限りでは「金刀比羅」神社が正しそうだ。

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 金刀比羅神社の前から西に延びる安達橋中央通り。エアコンの室外機のまわりに猫がたむろっている。あれっ,冬に暖房しているエアコンの室外機って暖かいか?

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 金乃比羅神社の前の高野屋呉服店。

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 理容・美容ホソガイがある十字路。

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 石田商店と高松山観音寺への道標の鳥居。元は安達橋(阿武隈川に掛かる橋「中の橋」)のたもとにあったらしい。

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 南町裡の石田商店の前から南を見る。

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 石田商店横の押し縁下見板張り木造二階建て建築。

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 粋里館。

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 空き地。

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 粋里館と大衆割烹「天狗」。

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 大衆割烹「天狗」の前の路地。飲食店が多い。

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 駅前ふれあい通りの駅前なべ酎。「本宮二業組合員の会」の札がかかっている。

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 本宮駅前ふれあい通り。若松屋などがならぶ。
 暗い雲が大きくなってきた。

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 駅前ふれあい通りの寿司「江戸常」。

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 東北本線の本宮駅。綺麗に改修されているが,昔からの駅舎が使われている。2面3線のホームで,改札口を抜けると,そのまま1番線になる。

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 本宮駅から東北本線の上り電車に乗り郡山駅へ。郡山始発の新幹線「なすの号」があるので,帰りは楽ちんだ。

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 郡山駅の新幹線コンコースにはたくさんの「かかし」がいる。気付かずに歩いているとドキッとする。

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 郡山駅始発の新幹線「なすの号」。各駅に停車する列車だが,車両はE5系が使われていた。

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コメント

本宮映画劇場、かなりいい雰囲気だしてますね。
私も今度行ってみます【^_^】

投稿: oozekichan | 2015年1月23日 (金曜日) 20時24分

 いいですよね,本宮映画劇場。一見の価値ありと思います。

投稿: 三日画師 | 2015年1月23日 (金曜日) 23時33分

素晴らしいお写真に、一瞬別の町を見るようですcoldsweats01

私の記憶には昭和30年代~40年代の本宮町の映画館と言うと、人が多く入っていた「本宮中央館」のほうしかないですね。
「本宮映画劇場」はそのころはすでに廃業状態で、たまに大人しか見られない映画を上映し、恐ろしい場所と言う印象でした。

本宮町は明治20年(1887)に本宮駅が開業し、急激に発展した町です。
野口英世がここから東京へ向かったのはさらに後年になり、そのころは銀行や県立病院もある発展後の本宮町だったころになりますね

ですから、人口が記載された資料にある年代のころは駅が開業する10年以上前ですから、当然まだ本宮駅は無いです。
そのころの本宮町は会津戦争(戊辰戦争)で官軍と三春藩兵の合同軍と、会津・仙台・二本松軍との戦闘で町が全焼し、それから復興間もないころなのでまだ人口も少なかったころの数値です。

本宮には「大天狗」、「富の山」、「開運」などの酒蔵が有りましたが、今は二つだけになりました。

本宮の本来の中心地である「本陣跡」が有る場所まで足を延ばしていただくと、さらに嬉しかったです。

投稿: 玉井人ひろた | 2015年1月28日 (水曜日) 09時12分

 とても詳しい情報ありがとうございます。いや〜,本当に助かります。

 本宮映画劇場が成人映画館だった名残は建物の色使いにありますね。たまに上映する状態だったにもかかわらず,建物が現存するところがすごいですね。

 野口英世が上京する際に本宮駅を使用したというのは,町の大きさとは関係なく,整備された越後街道があったからと言えそうですね。

 戊辰戦争で三春が無血開城した隣では,本宮の町が全焼ですか……。知りませんでした。

 本宮の本陣は安達太良川を渡った旧北町(大町・仲町・荒町)にあったことは知っていて,まだ道路拡幅も行われていないようですので,是非とも(今のうちに)見て回りたかったのですが,昨年から息切れがひどくてあまり歩けず,断念しました。
 次の機会には見て回りたいです。

投稿: 三日画師 | 2015年1月29日 (木曜日) 00時28分

うーーーん、『鳥 おじやの店』気になりますねえ。。。とても美味しい鶏ベースのおじやを出してくれるのかな?

投稿: ひろやん | 2015年2月17日 (火曜日) 14時57分

「おじやの店」気になりますよね。
今の季節は温かいおじやもいいですね。

投稿: 三日画師 | 2015年2月18日 (水曜日) 08時19分

野口英世が使用したのは、街道筋が整備されていたからというのは正しいと思います。本宮の存在価値というのは南北と東西の街道の合流点であることです。
まぁ、栄えていたかどうかという点では、明治期はどうか不明ですが、少なくとも街道整備時点では、郡山につなぐより本宮につなぐ方がメリットがあったということなのでしょう。郡山には九州の地名がつく場所が多いのからわかるように、維新後の大規模な開拓で広がった場所で、それ以前は未開拓地域だったわけですので。

ちなみに、細かいことですが、野口英世が使用したのは、越後街道ではなく会津街道かと思います。
本宮の街をみる上では、太郎丸の(旧)会津街道と奥州街道のぶつかるあたり、未だに当時を思わせるものも多く、おもしろいと思います。

投稿: おっSUN | 2015年6月12日 (金曜日) 20時29分

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