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2012年1月 1日 (日曜日)

小さな城下町三春を歩く

 元旦。久しぶりに帰った三春町を歩き回る。

小さな城下町三春を歩く
 まずは北町,北野神社(天神様・てんじんさま)の階段。小学校の頃の通学路なので,とても懐かしい。
 右上にちらっと見えるのが三春交流館「まほら」。

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 階段の下から北野神社を振り返る。喪中なので神社への参拝は忌避しなければならないのだが,元通学経路なので……。

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 北野神社の鳥居の前から国道288号線の北町方を見る。以前はもっと商店が並んでいたと記憶しているのだが,かなり寂しい感じになっている。
 ちなみに,1978年の宮城県沖地震のときには,ちょうど学校帰りにここを歩いていて,電線が大きく揺れ,右側の土蔵の軒の部分が落ちたことを覚えている(土蔵が並んでいたので,他の土蔵だったかもしれない)。

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 大町の四つ角方向を見る。国道288号線の幅が広がっていることに驚く。
 右側の山田屋旅館は若山牧水ゆかりの旅館(廃業?)なのだが,地震で土蔵が崩れて,近づけないようになっている。補修にはかなりの費用が掛かりそうだが,どうするのだろう?

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 三春交流館「まほら」。町の中心で,昔は商店が並んでいたところに思い切って建てた公共施設。音楽会や演劇が開催できるホールや集会場や会議室が入っている。周辺には,中央児童館や町民図書館,郵便局,町役場,小学校……などが並んでいて,小さな町ではあるが,コンパクトシティ的な施策が行われていることが見てとれる。

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 三春交流館「まほら」の駐車場から山田屋旅館を見る。
 ここ山田屋旅館の中庭には,若山牧水の『時をおき老木の雫おつるごと静けき酒は朝にこそあれ』という歌碑がある。

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 山田屋旅館の前から真っ直ぐ,三春小学校への通学路が延びている。昔に比べると,だいぶ幅員が広がっている。
 石垣の上が三春小学校。三春城は城山のてっぺんに本丸のある山城だったが,秋田氏が入城してからは山頂の本丸ではなく,麓の三春小学校ところに御殿を建てて藩政を行ったらしい。当時のものかどうかはわからないが,ちょっとした石垣が残っている。

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 山田屋旅館方向を振り返る。昔は細い路地だったが,周りの建物がなくなって,昔の面影はどこにも残っていない。

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 三春交流館「まほら」の東側から,大町の商店街を見る。きれいにセットバックし,電柱が地中化された商店街だが,昔のゴチャゴチャした賑わいまできれいサッパリなくなってしまった感じだ。

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 NTTのビル(町民図書館も入っている)の前から三春郵便局,旧公民館のある通りを見る。左側に並んでいた商店が無くなった以外は,郵便局も旧公民館も昔からほとんど変わっていない。

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 三春小学校のグラウンドから,三春町役場の方向を見る。小学校のグラウンドと右側の旧公民館を繋いでいた通路は,老朽化のためだろうか,立ち入り禁止になっていた。

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 三春小学校。校庭も校舎も,約40年前からほとんど変わっていない。

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 強く 正しく 美しく……の目標は,昔から変わっていない。
 私が通っていた頃は体育館がなく,戦前に建てられた大きな木造の講堂(三春出身で大林組の副社長だった大林氏の寄付!)を体育館代わりに使っていた。

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 三春小学校の校門は,三春藩の藩校「明徳堂」の表門「明徳門」を移築したものになっている。

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 明徳堂の門の前から。右側が旧三春町公民館。昔は図書館なども入っていたが,現在図書館は向かい側のNTTのビルの中に入っている。

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 後ろを振り返ると,三春町役場がある。庁舎が完成したのは1965年だから,築約45年……と,かなり老朽化している。

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 町役場の東側から郵便局や旧三春町公民館の方向を見る。

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 さらに東の南町から。三春町社会福祉会館や南町高齢者住宅などがある。

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 南町を東へ歩くと,旧遠藤医院の近代洋風建築が見えてくる。

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 旧遠藤医院の横の坂が,お城坂と呼ばれる急坂。上に行くほど急な勾配になる。自転車のフロントに32Tを付けてお城坂を登れたときは,嬉しかったなぁ……。

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 旧遠藤医院。寄せ棟造りで左右シンメトリーに半切妻屋根を配置した,下見板張りの近代洋風建築に惚れ惚れする。

 子供の頃には,優しい感じの太った女医さんに目薬を差してもらった記憶があるなぁ……とか昔のことを思い出していたら,ガタガタと大きな音がし始めた。地震だ。鳥島近海が震源のM7.0の大きな地震で,震源が約370kmと深かったこともあって,宮城県から神奈川県という広い範囲で震度4を記録したようだ。三春町大町の町役場に設置されている地震計は震度2だった。がっちりした地盤の上にがっちり固定されているので,三春町の震度は周辺の市町村よりも震度1ぐらい小さめだ。

 それにしても元旦早々にM7.0の地震が起きるとは,さすがに「辰」年だ(地「震」や「震」動の辰年)。

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 南町をさらに東へ。S字カーブを抜けると山中(さんちゅう)になる。

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 山中の街並み。ここも昔はびっしりと家屋が並んでいたのだが,歯抜けになった部分がすっかり多くなってしまった。

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 山中の北側の斜面に見えてきたのが,田村大元神社の山門。田村大元神社は元三春藩領の総鎮守で,旧名は大元帥明王社で「みょうおうさま」とも呼ばれている。

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 南町方向を振り返る。

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 田村大元神社の入口。地震の影響か大雨の影響か,崩れた崖の修復工事が行われていた。

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 山中から新町・化粧坂への道が分岐する交差点。

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 坂道が続く新町(しんまち)の家並み。

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 桜川にかかる橋から桜川に沿って清水へと続く家並みが無くなっている。

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 3月11日の地震で崩れたのか,台風による大雨で桜川が氾濫したのか……と思ったが,後者が近く,町全体で桜川の大規模改修工事(川幅を広げる)を行うため,立ち退いたらしい。

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 清水方向を見る。かつては清水に福島交通三春営業所があり,郡山からのバスが頻繁に走っていたのだが,現在は営業所が無くなり,バスの本数も大幅に減少している。1時間に1本のバスがあるかないか,という状況は本当に寂しい。

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 新町(しんまち)の坂をほんの少し登ったところにあるのが州伝寺。秋田氏の前に三春藩主だった松下氏の菩提寺である。

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 新町の街並み。正面に見える山がお城山。三春城は舞鶴城とも呼ばれたが,現在は山頂に平坦な土地が残っているだけで,城は跡形もない。

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 新町の落ちついた街並み。カーブの先で化粧坂となる。

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 少し坂を上ったところにあるのが真照寺。江戸時代の三春藩主秋田家の祈願寺。寺の裏側には小さな池があり,春にはミズバショウの群生が花開く。

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 真照寺の入口,三春昭進堂の横の駐車場は,かつて馬のセリ場(セリ市場)だったところだ。三春は馬産が盛んで,ここで馬の市が開かれていたのだ。私が子供の頃は,そのセリ場の名残が感じられる場所だったが,今では普通の駐車場になってしまっている。

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 その旧セリ市場跡地の向かい側の坂道を上ると……

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 坂の上の弓町には,旧遊郭庚申坂跡がある。廃屋になった建物(中央の島屋楼と双葉楼)がかなり傷んでいる。
 弓町にあるのに庚申坂(新地とも)というのは,かつては化粧坂の近くの庚申坂にあった遊郭が移設されたからだと聞く。

 三春の盆踊り歌「三春甚句」に,“奥州三春に庚申坂なけりゃ 旅の馬喰も金残す”と歌われる遊郭,庚申坂。セリ場で馬を売り買いした金で,さぞかし賑わったことだろう。

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 島や荘(島屋楼)はずいぶん荒れてしまっている。前には枝垂れ桜があり,春の晴れた日に来たら,ゾクゾクするほど美しい風景が見られるかもしれない。

 ふと,山口百恵の「霧雨楼」を口ずさんでいた。

格子戸越しに ぼんやりと
頬杖ついて おもてをみてます

覗きこんでく 人の目は
淋しさだけを 探しているよう

一夜の夢
一夜の恋

わけ合いましょうか 幸福を
黄昏時は 心細く
あなたの名前をつぶやいてます

(作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童)

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 奥の唐破風と入母屋破風を組み合わせたような入口の一軒(島村楼)は住宅として使われているらしく,車が停まっていた。

 実は,私が中学で野球をやっていたときの監督は,大学を出たばかりの若い英語のY先生で,この一番奥の建物に下宿していたのだった。何度か部屋に入れてもらって,野球談義をしたり,学生時代の写真を見せてもらったりしたっけ。

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 庚申坂の入口の下り坂のほうをみる。
 まぁ,私も各地の遊郭跡地を見ているが,これほど遊郭の雰囲気が残っているところは珍しいように思う。

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 このまま朽ちさせてしまうのはもったいない気がする(双葉楼)。

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 名残惜しさを感じがながら立ち去る。右側が花楼。
 背中から,もっとゆっくりして行きなよ〜と声を掛けられたような気がしたが,気のせいだった。

今宵だけの
今宵のひと
分け合いましょうか 不幸せ

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 庚申坂からの坂道を下る。

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 新町の坂道が見えてくる。

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 新町の坂道を下る。右上に見えるのが田村大元神社の山門。門の両脇には伊東光運作の金剛力士像が立っている。

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 南町を通りがかった際に,道路の反対側から,再び旧遠藤医院を撮影。こちら側からの写真のほうが,左右シンメトリーの半切妻屋根の美しさが際立つ。

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 三春町役場前を三春行きのバス(三春清水行きかな)が走る。階段の上にあるのは守城稲荷神社。

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 三春町役場前のバス停。

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 三春町役場の裏の桜川。

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 桜川沿いでは下水道もかなり普及したが,まだまだ生活雑排水が流れ込んでいて,私が子供の頃からあまりきれいな川ではない。昔はとても綺麗な川で,春には桜の花びらでいっぱいになるから桜川と呼ばれるようになった,という話だけは何度も聞いて育った。
 左は後免町(ごめんまち)の福聚寺の前に抜ける坂道。途中に三春町歴史民俗資料館がある。曲がりくねった坂道を,私たちが子供の頃は,みんな「三春スカイライン」と呼んでいた。

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 三春町役場の方向を振り返る。

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 三春町大町の裏道の,桜川沿いには蔵がたくさん並んでいた。みはる壱番館というビルができて,景観ががらりと変わってしまったように見える。

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 NTTのビル(町民図書館)を振り返る。

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 裏道から大町の四つ角(三春で一番賑やかだったところ)を見る。

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 大町の四つ角から北町方向に延びる国道288号線を見る。
 何かちょっと寂しい。

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 1996年に撮った同じ場所の写真。道路が広がり,歩道が広がったけど,何かを失っているような気がする。

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 四つ角交差点の一角にある三春交流館「まほら」。

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 三春中央大町。四つ角から三つ角交差点方向を見る。

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 三春中央大町バス停付近。三春町で一番の繁華街……である。

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 大町の裏通りに戻る。
 桜川の大規模な改修工事が始まっている。

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 このあたりは,横の道路だけでなく桜川にも傾斜があるので,ごつごつした岩の間を流れる。ここも改修されて,綺麗サッパリになってしまうのかな……。

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 桜川沿いに続く裏道。

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 中町と大町の境界を国道288号線に抜ける路地。

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 中町(手前が国道288号線)に大きな更地ができている。左側にスーパーのヨークベニマルが移転してくるらしく,ここが駐車場になるそうだ。昔は,福島交通の営業所(ボンネットバスが並んでいた記憶がある)などもあって賑わっていたところだ。
 本来なら,ヨークベニマルも郊外のバイパス沿いの広大な土地に店を構えたいところだろうが,町としても街の核店舗に去ってしまわれては困るので,こういうことになったのだと思われる。人口1万8千人ほどの小さな町に,密集した商店街があることを期待するのは難しくなってしまったようだ。

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 中町の商店街を見る。商店街というには,ちょっと寂しい感じになってしまった。右側が建築中のヨークベニマル。

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 大町の三つ角交差点を見る。後の山は紫雲寺山。
 かつては町の中心商店街として賑わったところだ。

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 裏通りに戻る。

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 右側が桜川。桜川の右側には武道場や蔵が建ち並んでいたが,工事のために撤去されている。

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 それにしても,この桜川の改修工事にはびっくりだ。かつては川沿いに家や店が並び,一軒一軒それぞれに橋が架かっている風景があったのだが,それが綺麗さっぱりなくなっている。このあたりから後免町に渡る橋もなくなっている。

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 地球温暖化の影響か短時間に強い雨が降ることが多くなり,桜川による浸水被害の回数が増えたのが,河川改修の理由だという。都会の郊外であれば,上流の宅地化が進んだことによって河川の保水能力が低下して氾濫回数が増えることも考えられるが,田舎町の三春の桜川では考えにくい。

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 三春写真館の付近は昔の状態が残っている。

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 職人横丁に続く路地を見る。

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 矢吹医院のあたり。

小さな城下町三春を歩く

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 矢吹医院。入口の曲線の造形が綺麗な建物だが,この角度だと電信柱が邪魔になってしまった。

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 ヨークベニマル三春店の裏側から三春大神宮入口にかけての八幡町のこのあたり,桜川がカーブしたところに路地があって,昔は映画館もあったりして,たまに夢にも出てくる思い出の場所だったのだが,すっかり変わってしまうことになりそうだ。

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 写真の左側に,元の映画館三春座があった。

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 三春大神宮の前。

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 三春大神宮の前の橋は架け替え工事中。三春大神宮は神明宮から「しんめさま」とも呼ばれている。

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 三春大神宮入口から国道288号線の交差点を見る。
 と,なんとここでLUMIX DMC-GX1のバッテリーが切れた。バッテリーの持ちが悪いとは思っていたが,気温が低いことと相まって,わずか数時間で使えなくなってしまった。ポケットからCanon PowerShot S100を取り出して撮り続ける。

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 桜川に沿った裏道を西へ。

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 ぬる湯旅館。昔からの三春の景観が残っている。二階の手すりを見ると「ユルヌ ユルヌ……」と彫られていたりして,ちょっとシビれる。

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 レンガ造りの部分が銭湯になっている。

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 ぬる湯旅館。

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 法華寺の前の橋の上から,桜川の下流,雁木田方向を見る。このあたりは改修工事が終わっているようだ。

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 国道288号線に出る。

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 国道288号線の踊場方向を見る。

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 八幡町の商店街。小滝食堂と会津屋食堂が並ぶ。

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 左の通りの正面が三春大神宮になる。

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 三春八幡町郵便局の前にあるヨークベニマル三春店。八幡町と中町の境にあり,商店街の核店舗になっている。3月頃に中町の中心部に引っ越し予定。

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 丈六薬師堂のある丈六の家並み。

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 国道288号線の北側の裏路地を歩く。

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 愛宕神社……あたごさま。

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 愛宕神社の参道。

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 佐藤酒造の敷地内の細い路地を通って,道場町通り(三春職人横丁)へ。

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 三春職人横丁といっても,古い家並みが残っているわけではない。

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 三春職人横丁から下ると,しょんべん横丁……。しょんべん横丁の左半分が無くなり,道幅が広がっている。ここは移転予定のスーパー,ヨークベニマルの裏側にあたり,商品荷さばき搬入用の道路になるらしい。

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 しょんべん横丁の飲み屋。狭かった路地が広がって,ちょっと不思議な感じに見える。

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 職人横丁への坂道。右側には土蔵が残っていたはずだが,それもなくなっている。

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 三春職人横丁。すっかり暗くなってしまった。

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 古い鍛冶屋さんの吉田屋。数少ない現役の職人さんだが,まだ元気だろうか。

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 荒町から大町の商店街を見る。

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 荒町の裏道を通って渋池方面へ。

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 渋池の商店街。右が三春中学校の石垣とフェンス。右側の坂を上ると田村高校になる。

 長い間,ほとんど変化のない田舎町だと思っていたが,それでも少しずつ変わってきていることがよく分かった。この記事にアップした写真は108枚。大晦日に鳴った除夜の鐘と同じ,煩悩の数だ。

 ── Panasonic LUMIX DMC-GX1 + LUMIX G VARIO 14-45mm F3.5-5.6 ASPH. or Canon PowerShot S100

【参考】
1996年8月 我が故郷 三春町の写真
記憶の断片 三春

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コメント

 ありゃま。三日画師さんてば三春の出身だったんですか。ってプロフィール見たら書いてあったな(=^_^;=)。

 なぜかは知らねど、三春には妙に縁があって、3案件で6回くらい行ってるんではなかったか。
 ひとつは、以前に親しかった友人(人妻(笑)。もう縁は切れてしまった)が三春の出身者で、夏のツーリングの途中に宿を提供してもらったり、元旦フリーパスでどこに行くか迷った末そいやそいつが里帰りしてたなってことを思い出していきなり襲撃したり。もうひとつは、これまた以前に親しかった友人(これまた人妻(笑)。もう縁は切れてしまった・・・はずだったのだが、東日本大震災のあと一回電話があった)が里帰りしていたいわき付近の実家から京都に戻るっていうときに、なんでか知らんが郡山発の高速バスに乗るとかで磐越東線を乗り潰そうぜっていう話になって、その途中下車駅として選んだところのひとつ(あとは背戸峨廊でハイキングとかやたら健康的で疲弊するなコース(=^_^;=)でした)。もう一個が、近所の老人医療に力を入れていた病院が突然「葬式で参列者にご挨拶を~遺言ビデオ」なるムチャな企画を打ち出しその撮影者に借り出されたんですが、その対象のご老人のひとりが三春出身、そのネタにNHKが食いついてきて旅費宿泊費が出ることになったので「少年の頃の思い出の場所を訪ねる」という口実でロケを敢行。
 現役の鍛冶屋さんがあったり、三春馬車鉄道の石碑を見つけちったり、あのなんだっけほら櫓形式ではなくて舞台形式の盆踊りが珍しかったり、なんだかんだけっこう思い出深かったりして。
 いずれも今みたいにめったやたらな写真を撮り始める前で、それほどちゃんと町並みを見て回ってはいないのだけど。そいや三春の桜というのは有名ですが、いわゆるところの観光と呼ばれる行動はしないので、それは見てません(=^_^;=)。

 おれが出没していたのは、1980年代前半から2000年頃にかけての10年くらいの間だったのだが、あれからももう10年以上経っているのですね。それからでもずいぶん変わってしまっているのだろうなあ。それ以前からとなると、愕然とするくらいに変わっていても不思議はありませんね(と、遠い目をする)。

投稿: 猫が好き♪ | 2012年1月14日 (土曜日) 20時38分

お晩でございます。そして今年もよろしくお願いいたします。
久しぶりに拝見しましたら、なんと生まれ故郷を訪れていたとは・・・。

10年ぶりの三春はいかがでしたでしょうか?

それにしても12/31の画像にしてはあまりにもさびしげな町の雰囲気・・・。

う~~ム・・。
書き込みでは語りつくせないことがありますので、一度じっくりと(笑)

投稿: 伊達屋酔狂 | 2012年1月15日 (日曜日) 01時07分

 三春に縁があるというのは奇遇ですね。でも,親しかった友人様がことごとく人妻とは……,そっちの偶然のほうが気になります(笑)

 盆踊りの形式に目が行くとか,目のつけどころが違いますね。確かに太鼓用に高い櫓は組みますが,踊りは櫓を囲みませんね。
 詳しいことはわかりませんが,古くは町中のたくさんの場所で行われていた盆踊りをひとつにまとめた際に,櫓が組まれる大町おまつり道路が広くないので,しかたなく櫓の前を廻るかたちになったのではないかと推測します。
 と言いますのも,地区ごとにバラバラに開催されていた当時,私が住んでいた荒町地区では三春中学校のグラウンドに櫓を組み,そのまわりを回っていた記憶があるからです(櫓の位置がグラウンドのど真ん中ではなく,端のほうだった記憶もある)。同様に,大町地区も三春小学校の校庭に櫓を組んでいて,たぶんそのまわりを回っていたんじゃないかと思います。

 盆踊りや三春の風習・風俗に関しては,コメントを下さってる伊達屋酔狂さんのほうが非常に詳しいので,何か追加のコメントがあったらよろしくお願いします>伊達屋酔狂さん

投稿: 三日画師 | 2012年1月16日 (月曜日) 05時01分

 伊達屋酔狂さん,こちらこそよろしくお願いいたします。
 帰省するとだけ連絡はしたものの,大晦日の晩,真っ暗になってから三春駅に降り立つというルーズっぷりで,ますます株を下げてしまいました。
 10年ぶりの三春でしたが,やっぱり帰って良かったと思いました。思い出のものがどんどんなくなっても,やっぱり生まれ育った場所は違いますね。

 町の寂しげな雰囲気は……12/31ではなく1/1なのが,ちょいと救いです。でも,初詣に出かける人の姿もまばらで,町が厳しい状況であることはよくわかりました。初市の新聞折り込み広告で,大町,中町,八幡町,荒町の店の数が寂しいことになっていますが,中でも北町の店の数が数えるほどになっていて,ちょっと卒倒しそうになりました。

 こんどゆっくりと話をしたいですね。

投稿: 三日画師 | 2012年1月16日 (月曜日) 05時02分

歴史的建物が残っている美しい街ですね。遊郭の写真を見てちょっと背筋がゾクッとしました....なんだか出てきそうな雰囲気ですよね....eyeそれにしても三日画師様は故郷の事を隅から隅まで知ってそうですね。観光ガイドが出来そうですね。paper

投稿: ひろやん | 2012年1月21日 (土曜日) 00時55分

今年もよろしく。
いつもとは雰囲気の違う写真ばかり。
知っているということ、深く感じてシャッターを切るということでしょうか。

投稿: osa | 2012年1月21日 (土曜日) 09時05分

 ひろやんさん,こんばんは。
 元遊郭というところは,ここに限らず,何か怖いような独特の雰囲気がありますね。カメラを構えながら,ちょっと心臓がばくばくしているような,そんな感じが写真に現れているのかもしれません。

 故郷のことに詳しくみえるのは,本当に小さな町だからです。掲載した写真の場所を地図上にプロットすると,とても狭い範囲だということがバレバレになって,ちょっと恥ずかしく感じるほどです。

投稿: 三日画師 | 2012年1月22日 (日曜日) 23時45分

 osaさん,こんばんは。こちらこそ,今年もよろしくお願いします。

 いつもと雰囲気が違うのは,たぶん,いつもなら通りすぎてしまうところまで撮っているからかもしれません。それと,やっぱり故郷への「愛」ですかね(笑)
 他所の町だと,残念なことになってしまったところがあっても,そのまま素通りしたり,残念なことを皮肉っぽく撮ってしまったりしますが,さすがに故郷の町には突き放せない何かがありますので……。

投稿: 三日画師 | 2012年1月22日 (日曜日) 23時50分

お久しぶりです。
2010年:兄を亡したとき貴殿の三春町の写真を見つけ励まされたマルサです。
あれから東日本大震災・原発事故、いろいろありましたね、あちこち飛び回っているうちにもう今年も5月、ふっと貴殿のURLを開けてみました。
またまた懐かしい写真のアップ。
しみじみです。
またまた励まされた感じがします。
私も去年10月頃久しぶりに三春に行ってきましたが、その時に言っていた友人の言葉が思い出されました。
「花が咲いて、鳥が鳴いていて、秋になったら虫も鳴いているこの三春、自分達も生きていけなくはないだろう、このままここにいるよ」
きっと今日あたりは三春は桜の花々に埋もれているでしょうね。私達の故郷は美しいです。
ではまた。

投稿: マルサの女 | 2012年4月27日 (金曜日) 21時19分

 お久しぶりです。コメントありがとうございます。

 震災から,あっという間に1年が経ってしまいました。今年は春先の気温が低かったこともあって,滝桜はちょうど今(ゴールデンウィークの始め)が満開らしいですね。たくさんの方が三春の桜を楽しんでいることと思います。

 美しい三春町を故郷に持ったことが,本当に誇らしい季節です。

投稿: 三日画師 | 2012年4月29日 (日曜日) 01時24分

こんにちは。
驚いたことが有ったので報告させてください。
昼食で入ったお店でテレビが流れていたのですが、
流れるCMを見て、「あれっ、これぬる湯っぽいな~」と思ってたら、
やっぱりぬる湯でした。
他にも紫雲寺前とか、吉田加治屋、松島太鼓屋なんかが映ってて、
あとお菓子屋さんが出てたけど、あれは儀同かな?

何処のCMだろう?と思って最後まで見ていたところ、
名前に東京と付いてるんだけど、都内で見かけることは無い、
東北ではお馴染みのあの家具屋さんでした。

去年だったか、アウディーのラジオCMで三春の紹介がされてました。
こんな感じで地元がチョロっと出てくると、何となく嬉しいですね。

そうそう、私は八幡町方面に住んでたのですが、
その昔、通学途中に感心させられたことが有るんです。
前出の松島太鼓屋、皮は太鼓で使いますが、中身は松島肉屋で売ってます。
う~ん、無駄が無い...。
本当は違うのだろうけど、当時の私は本気でそう思ってました。

投稿: ちゃお | 2014年4月 1日 (火曜日) 19時38分

 そのCMをぜひとも見てみたいと思い,YouTubeを探したら,バッチリ見つけました。東京インテリアのCMですね。

https://www.youtube.com/watch?v=MsGEaWqyxVI

 これはびっくりですね。最初に一瞬だけ映る一直線の道はわかりませんが,それ以外は全編「三春町」ですね。八幡町の松島太鼓屋も,店は閉まってますがわかりますね。CMを見て,私もぬる湯を対岸から撮ればよかった……なんて,ちょっと悔しく思いました。

 テレビなどで三春町が紹介されるのは嬉しいですね。誇らしく思います。いろいろな街を歩いていますが,いろいろ歩くたびに,自分が生まれ育った三春町の良さがわかってくるような気がします。いいところで育ったんだなぁって。

投稿: 三日画師 | 2014年4月 2日 (水曜日) 09時34分

こんにちは。
そうです、まさしくそのCMです。
帰省した時に見たのならそんなに驚かなかったと思うのですが、
都内でこんなのがいきなり流れたもんだから、ビックリしたのなんのって。

うちのお墓は法華寺なのですが、以前はお墓からぬる湯が見えませんでした。
ところが河川工事をしてからというもの、遮るものが何もなくなり
ぬる湯の全貌が見えるようになりました。
古臭いイメージしか無かったのですが、それ以来、風情が有る建物と言う認識に変わりました。
不思議なものですね。

そうそう、映っているのは吉田加治屋じゃ無かったですね。
作業場の位置とかまったく違いました。
失礼しました。
表の石垣の感じなどから、町中から馬場の湯に向かう途中の鍛冶屋ですかね?
三春で鍛冶屋と言うと、吉田加治屋、南町の村上鍛冶屋(大分前に廃業)ぐらいしか
知らなかったのですが、ある時ブラついてたら、あの辺で鉄を打つ音を聞いたことがあります。
私にとっては南町の鍛冶屋には思い出が沢山有るんです。
幼稚園、小学校の帰りに寄り道しては作業を見させて貰ってたので。
仕事してる時の職人さんはかっこ良いですよね。

高校時代には、郡山市内の友達にバカにされたことも有りましたが、
今になると三春って良いところだなと私もつくづく思います。
出来れば古い町並みとか残してほしいですね。

投稿: ちゃお | 2014年4月 3日 (木曜日) 17時32分

 自分で検索して見たCMなのにびっくりしたほどですから,いきなりテレビで流れたら驚きますよね。

 桜川の河川工事はかなり大規模で,町裏の風景が一変しましたね。ぬる湯の対岸は,法華寺のお墓か駐車場になるんですね。機会があったら行ってみようと思います。

 鍛冶屋さんは尼ケ谷の鍛冶屋さんっぽいですね。職人横丁の吉田鍛冶屋は,このブログ記事では「まだ現役の職人さん」と書いていますが,もうおやめになってしまったと聞きました。

投稿: 三日画師 | 2014年4月 5日 (土曜日) 20時22分

はじめまして。
懐かしく拝見いたしました。
私も三春出身です。5年程帰省してませんし、帰省しても町内を回ることはありませんでしたので、変化に驚きました。
三日画師さんの写真にたいするコメントから察すると、多分同世代なのではないかと…?
今度、帰省した時には私も町内を散策してみようかと思います。

投稿: SUZ | 2014年5月27日 (火曜日) 13時52分

 SUZさん,コメントありがとうございます。
 三春町もどんどん変貌中ですので,機会があれば見て回るといいと思います。
 私と同世代だとすると,三春小学校の木造校舎を経験したことがあるかどうかで,上か下かがわかりそうな気がします…

投稿: 三日画師 | 2014年5月31日 (土曜日) 10時31分

三日画師さん
SUZです。
木造の校舎ですか?それは憶えてないですね。木造というと講堂でしたね。トイレが暗くて嫌だったのを思い出しました。卒業後数年で建て替えとなってしまったのを憶えています。
同じくらいの年代でしょうか。

投稿: SUZ | 2014年6月12日 (木曜日) 14時05分

 どうやら,私のほうがだいぶ年を食ってるようです。

 私が小学校の低学年の頃は,まだ下の校庭に木造の古い校舎がありました。ちょうど,上の校庭に車がのぼる坂道の前に校舎があり,上の校庭の渡り廊下で繋がっていたと記憶しています。

 講堂の暗いトイレは,階段を下ったところにあったヤツですよね。

投稿: 三日画師 | 2014年6月15日 (日曜日) 09時56分

三日画師さん、そうでしたか。先輩ですね。
そうです!トイレは階段を降りたところにあった薄暗いトイレです。
当時はいろいろと怖い噂があり、出来るだけ講堂のトイレは避けていました。
懐かしいなあ。
今度、帰省した時には学校を見に、お城山にでも行って見ようかと思います。

投稿: SUZ | 2014年6月21日 (土曜日) 18時10分

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