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2009年3月12日 (木曜日)

1996年8月 我が故郷 三春町の写真

 古い画像ファイルを整理していたところ,骨董品的なデジカメ RICOHのDC-1で撮った三春町の写真が出てきた。本体のみで15万円近かった41万画素のデジカメだが,写りの方はさすがに時代を感じさせるレベルである。それでも,当時のライバル機だったCasioの人気デジカメQV-10の画質を,はるかに凌駕していて,ブログに載せる写真レベルならそこそこ使えそうな感じである。

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 三春町は緑豊かな阿武隈高地に位置し,街の中心にある城山(大志多山)のてっぺんに三春城趾がある。まずは街を俯瞰するため,城山を登る。
 遠くに見える山は,奥羽山脈の安達太良山である。冬になると安達太良山の上には分厚い灰色の雲がかかることが多い。奥羽山脈の西側の会津地方にたくさんの雪を降らせる雲である。そのため,奥羽山脈の東側の郡山盆地や阿武隈高地には積雪が少ない。

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 北町付近。北町から荒町に抜ける切り通しに沿っての家並み。一番奥には,三春中学校の校舎が少しだけ見えている。

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 三春城の二の丸跡地に作られている城山児童公園。すっかり草生している。ここで遊んだ25年ぐらい前から,遊具の種類は変わっていないようだ。

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 田舎なのでトンボがたくさん飛んでいる。夏の終わりから秋にかけて,電線にびっしりトンボがとまっている状態になるほどだった。
 トンボのヤゴは水の中で成長するので,水質が悪化している都会や都市部では,トンボを見る機会が激減しているように思う。

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 ウルサいほどに啼いているミンミンゼミ。セミの幼虫は土の中で成長するので,都市部でも環境の悪化に影響されにくい。セミは都会でも力強く繁殖している。

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 城山から三春町の中心街,大町付近を俯瞰する。右側にちょっとだけ見えるのが三春小学校。大きな屋根のお寺は法蔵寺。境内には保育園があった。

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 三春小学校の校門。三春藩の藩校だった明徳堂の表門が移築されている。

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 明徳堂の扁額。

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 三春町の中心商店街である大町商店街。既に一部の建物のセットバック(左側)が始まっている。
 ここの様子が大きく変わってしまったと聞き,ショックを受けている。三春の写真を撮りたいという気持ちは強いのだが,実際にその変貌ぶりを見てショックを受けたくないという気持ちもあり,最近は帰省をためらう理由にもなっている。

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 大町から北町に延びる国道288号線。

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 大町の裏,桜川に沿った裏道。

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 大町の裏道。蔵が並ぶ一郭。

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 大町から中町方向に続く裏道。桜川の水は,私が小学生の頃から「昔はキレイだった」と言われ続けていた。

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 中町の裏道。

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 裏道から中町に出る路地。

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 紫雲寺の山門に続く階段……だったのだが,山門は取り壊され,階段は舗装道路になっていた。これはショックだった。その後,山門が復元されたという話が……あったら嬉しい。

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 荒町の裏路地。

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 荒町の龍穏院の入口。龍穏院は三春城の出城としての機能を持った寺である。龍穏院には実家の墓があるので,小さな頃から寺の中に入ったことがあるのだが,地獄絵が描かれた大きなふすまがあって,その絵が怖かった記憶だけが強烈に残っている。

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 渋池から切り通しを登って実家に戻る。左側に見えるのが,三春中学校の体育館。できた当時は,東北一?だとかいう話があって,町の自慢の体育館だったようだ。

 ── RICOH DC-1(すべて1996年8月16日に撮影)

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コメント

美しい故郷。ふるさとは遠くにありて想うもの、なんて言いますから、しばらく離れてみて良さがわかるというものでしょうか。福島は会津だけでなく三春城址もあるのですね。山奥少年の(おっと、それほど山奥ではないですね)子供の頃の物語、思い出しましたか?

投稿: べる まっちす | 2009年3月16日 (月曜日) 01時56分

 今の福島県には,三春藩のような小さな藩がたくさんあったのが特徴です。

 ふるさとは遠くにありて想うもの,とは良く言った言葉で,しばらく離れていると,良い思い出ばかりが積み重なって,桃源郷のようなイメージができています。

 掲載した写真の一枚一枚のそこかしこに,いろいろな思い出が詰まっていますので,たぶん何時間でも見ていられます。

投稿: 三日画師 | 2009年3月16日 (月曜日) 02時11分

懐かしかった、ひたすら懐かしかったです。
最近、まだ63歳だった兄が急逝しました。。我々の故郷は三春です。現在の住まいは、兄は和歌山のすぐそばの阪南市でしたし、私は東京です。もう何年も帰っていません。両親ともに亡くなりましたから。
そして、その兄を思うと同時に、わが故郷が思い出され、「三春の写真、三春の映像」とネットで探しまくり、この写真を見つけました。
涙が止まりませんでした。三春小、三春中、田校と通いましたし、お城山、あの道、あの横丁、あの裏道、桜川、みんな懐かしかったです。その景色のなかに、まだ幼く元気だった兄の子供の頃の姿がいっしょに映っているようでした。
いい写真を本当にどうもありがとう!!

投稿: マルサの女 | 2010年8月 6日 (金曜日) 21時19分

 初めまして,マルサの女さん。

 お亡くなりになったお兄さんと,故郷が三春町とのこと。小さな町なので,同郷の人というだけで親近感があります!

 三春町も三春町なりにどんどん変化していますが,城山も裏町も小学校も,桜川も,みーんなそのまま残っています。
 私もしばらく三春町に帰省していませんが,写真を見ると,いつでも同胞として迎え入れてくれそうな,そんな優しい町です。

 最近は,早く帰って,もう少し綺麗なカメラで三春町の写真を撮っておきたいなと思ってます。
 その時には,現在の三春町の姿を(見たくないところはあるかもしれませんが)見てやって下さい。

投稿: 三日画師 | 2010年8月 7日 (土曜日) 01時25分

祖父が三春町大町で生まれました。
明治10年の話です。
縁があって最近三春に通い詰めています。

昔の写真はいいですね。

投稿: 影山 | 2014年8月 9日 (土曜日) 19時57分

 明治10年ですか。激動の時代で,三春に一番活気があった頃かもしれませんね。
 戊辰戦争〜明治維新で,三春藩から三春県・平県・磐前県・福島県と変わり,三春馬車鉄道建設の機運が盛り上がっている頃ですね。

 その後は眠ってしまったかのような町ですが,少しずつ変わりつつあるようで,どんな町になるのか楽しみです。

投稿: 三日画師 | 2014年8月10日 (日曜日) 14時42分

“切り通し 三春”で検索したらヒットしました
大町から中町方向に続く裏道、荒町の裏路地のPHを見て、懐かしさが募りました
ありがとうございます

投稿: ttsn | 2016年8月17日 (水曜日) 02時17分

 コメントありがとうございます。大町から中町の桜川沿いの裏道は,川の改修工事で一変してしまいましたね。

投稿: 三日画師 | 2016年8月19日 (金曜日) 07時22分

懐かしい写真、有り難うございます。
三春を離れて50年、退職を機に三春滝桜を毎年撮影しています。
町の様子はすっかり変わってしまい、昔は何屋さんがあったはずと思っていたところに、この写真に出会いました。
私も写真が趣味ですが、街並みは撮らず三春滝桜とその他の桜の写真のみです。
横浜戸塚在住 shin


投稿: shin | 2017年6月11日 (日曜日) 18時47分

 滝桜を初めとするしだれ桜の人気はすごいですね。帰省する機会は少ないですけど,誇らしく思います。素敵な写真をどんどん撮って残してください。

投稿: 三日画師 | 2017年6月14日 (水曜日) 22時49分

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