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2007年5月 5日 (土曜日)

粉河寺の門前町 - 粉河

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粉河寺の門前町 - 粉河


 和歌山から和歌山線に乗って粉河(こかわ)に行ってみることにする。

 行き先を粉河にするか名手(なて:地名は名手市場)にするか迷ったが,迷ったときには当初から行きたいと思っていた場所にしよう,ということで粉河に決めた。自宅にある「失われた日本の風景」という本には,写真家の薗部澄氏が各地で撮った写真がたくさん載っていて興味深いのだが,その中の昭和30年頃の粉河町の写真が私のひねくれた琴線に触れ,印象に残っているのだった。

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 和歌山駅に王寺(奈良県王寺町)からの電車が到着。

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 折り返し王寺行きの電車になるのかと思ったら,そのまま車庫に引っ込んでしまった。

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 和歌山線のホームに入ってきたのは,粉河駅行きの電車。名手駅まで行こうと心に決めていたら,粉河で次の電車に乗り換えなければならないところだった。

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 粉河駅に到着。

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 味も素っ気もない粉河駅の駅舎。

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 粉河の駅前通りはそのまま粉河寺の参道になっていて,文字通り粉河町のメインストリートなのだが,すっかり道路が拡幅され,綺麗に整備されてしまっているので,横道に逸れながら町中を歩くことにする。

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 粉河の町中を流れるのは中津川。

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 中津川に架かる和歌山線の鉄橋付近から粉河駅を見る。粉河まで乗ってきた電車が,折り返しの和歌山行きとなってホームに停まっていた。

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 最近はどこにでもガードレールができてしまって,気持ちの悪い外観の風景が増えた。こうやってガードレールのない川端の風景を見ると心が和むような気がする。

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 表通りはすっかり新しい街に変貌しているが,路地を歩くとかつての反映を忍ばせる古い民家があちこちに残っている。

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 粉河温泉。

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 粉河寺への参拝は平安時代から行われていて,近くの高野山と一緒に参拝する人々で賑わったという。こうやって古い家並みを見ると,ずいぶんと寂れてしまったものだなぁ,という思いが込み上げてくる。

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 小さな坂を登ると中津川となる。

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 中津川沿いの家並み。

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 駅前から粉河寺まで続く表参道と中津川の間のエリアに,古い家並みが多く残っている。

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 ここがメインの参道。こうやって道路幅員を広げ,歩道を綺麗に整備した結果,商店街が賑やかになっていれば良いのだが,あまりそういう事例を見たことがないし,粉河の街も賑わいはさっぱりである。やっぱり,商店街の中を車が自由に通行できるようにしてはいけないのだ。歩道の段差ですら,どれだけ街を歩きにくくしているか,少しは考えて欲しいところである。

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 福生寺前の葵町付近。

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 中津川。

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 粉河の街でももっとも商店の密集した一角。写真家の薗部澄氏が撮った粉河町の写真は,たぶんこのあたりの街並みだと勝手に推測してみた。その変わりようには驚かされる(と,勝手な推測で勝手に驚いてみた)。

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 鳴尾屋裏の根来町方向にのびる路地。

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 粉河の西にある長田方面にのびる旧道だったのだろう,古い家並みが残っている。

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 登り坂の袂にある理容さかい。懐かしい感じがする。

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 廃屋が集まる一角。

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 廃屋は,あっという間に緑に包まれる。

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 運行寺の裏付近だっただろうか……。

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 上の段地区。文字通り,地形的に少し高くなっている。

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 粉河寺の山門の西側,上淡路街道と中津川が一緒にカーブするあたり。

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 山門の前には旅館が建ち並ぶ。

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 粉河駅からここまでずいぶん路地を歩いたが,まだ歩いていないと思われる路地を選びながら,粉河駅に引き返す。

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 鍛冶町から中町付近。

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 上淡路街道秋葉公園前交差点の対岸付近。

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 中津川の西側に沿った路地を南に下る。廃屋が点在している。

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 中津川に掛かる橋の袂の小さな祠。

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 粉河駅。ホームに和歌山行きの電車が入ってきた。
 粉河に来る途中の電車の中から見た打田(うちた)駅周辺の雰囲気が気になって,和歌山行きの電車に乗って二駅だけ引き返すことにする。

【使用したカメラ】
・縦横比3:4の写真…Canon IXY DIGITAL 800IS
・縦横比2:3の写真…PENTAX K10D + smc PENTAX-DA16-45mm F4 ED -AL-

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コメント

和歌山線沿線の岩手、打田、粉河で下車されるなんて、すごいですね。実は私の実家がこの沿線の妙寺という駅なので「ようこそ」と思ってしまいます。

それほど有名ではないのですが、妙寺駅から隣の中飯降という駅の間にも古い町並みがかなり残っています。私の実家は古い町並みの真ん中にあります。古い町並みは、高野口や橋本にもあります。

小学生の頃はSLが走っており(おそらくご存じだろうと思いますが)和歌山線の列車が紀伊中ノ島と紀和駅に停車したあと、南海和歌山市駅に乗り入れていました。当時の紀和駅はいい感じの駅だったと思います。東和歌山駅が現和歌山駅になるなど、それなりに複雑な和歌山市の鉄道史を体験してきたという思いを持っています。

紀和駅から徒歩10分のところには天王新地という置屋街が今でもかぼそくやっています。

私は和歌山線に乗って、橋本の高校に通っていたのですが、高校の頃は気動車とDL牽引の客車がまだ走っていました。京都、白浜を結ぶ急行などもあったのですが、電化されてから二両編成の103系が中心になり、地味な路線がさらに地味になってしまった感じです。

投稿: たくろう | 2010年5月20日 (木曜日) 22時18分

 和歌山線沿線というか,紀ノ川沿いというか,大和街道沿いは,各駅毎に感じの良い家並みが残ってそうですね。意外に早く国道24号線のバイパスが造られたためか,古い家並みが残ったんでしょう。
 妙寺から中飯降方向に歩いても気持ち良さそうですね。

 行きたいところはたくさんあるのに,何でこんなに時間がないんでしょう。

 和歌山市の駅の変遷は,地図を見るだけでワクワクしちゃいます。和歌山のような大きな都市の表玄関が変遷すれば,街も大きく変わるでしょうし,そういう歴史も頭に入れて,また和歌山の街を歩いてみたいです。
 和歌山市の人口が急激に減っていることが,実はとても心配です。他県でも,県庁所在地の人口が大きく減少しているのは例がないように思います。

 私も,DL牽引の客車列車を経験した世代です。磐越東線という,地味な中でも地味な路線ですが。
 昔はローカル線にも長距離を走る急行や準急が走っていて,鉄道趣味的にも変化があって面白かったという記憶があります。

投稿: 三日画師 | 2010年5月20日 (木曜日) 23時14分

和歌山市の凋落ぶりには愕然とします。三日画師さんも歩かれたぶらくり町は、昔は本当に賑っていました。小学校の頃、1カ月に一度くらい和歌山市のぶらくり町入り口近くにあった丸正百貨店の食堂でランチを食べるのが私の相当の楽しみだったのです(こう書きながら、私は60年台の典型的な子供じゃないかと思ってしまいました)。

その丸正百貨店はとうに閉鎖しています。この前の連休で帰省したとき、ぶらくり町入り口にあったマックが閉店になっていました(マックは全国的に店舗の統廃合を進めているようで、私の今住んでいる鶴ヶ峰店も閉店しています)。

以前、和歌山市の人口減少に関する報告をネット上で読んだことがあります。報告書はそれなりの体裁を整えたものであったにもかかわらず、内容がまったくなかったので、これじゃあ人口減少など止まるはずはないと思ったものでした。そのとき、和歌山駅前の地下道を思いだしました。

横浜市や川崎市のように、駅前広場に島型のバス乗降口を設けなければならないのなら、一度地下道に人を誘導することが必要なのですが、駅前にちょうどよいスペースのバス乗り場がある和歌山駅では、地下にもぐらせる意味はありません。それにほとんどの人は信号を待って、道路を渡ります。

駅前の地下は、画師さんご指摘のようにほとんど意味はないと思います。


投稿: たくろう | 2010年5月21日 (金曜日) 21時03分

磐越東線には乗ったことがあります。郡山からいわきまでを通しで2回(10年以上前)、それとは別に郡山・三春間を往復しました。会津若松からいわきまで高速バス(郡山で乗り換え)で通過したこともあります。

小野新町辺りの景色がすごくよかった印象があります。

三春に行ったのは3年ぐらい前の冬でした。天気予報で爆弾低気圧が福島辺りで発生すると言われていたときでした。小出から只見線で会津若松まで行き、磐越西線で郡山に出ました(磐越西線を走行中に列車は2度ストップしました)。真冬の爆弾低気圧とやらを経験してみたかったからですが、かといって只見線が運休されると困るので(なんといっても真冬の只見線なので)、そういうタイプの旅行の実施にはかなり微妙な判断が必要になってきます。

そのときは郡山で宿泊し、翌朝三春に行きました。三春の町の中心は駅から少し離れたところにありますよね。雪がうっすら積り、凍りついた長い坂を高校生に追い抜かれながら、滑らないようにゆっくり歩きました。三春の町はかなり整備が行き届いている印象を受けました。道路も歩道も余裕がある感じで、近隣からの小旅行にはもってこいの
ところなのだろうなあと思いました。


投稿: たくろう | 2010年5月21日 (金曜日) 21時17分

 政令指定都市と都道府県庁所在地の人口を大雑把に見てみましたが,大きく減少しているのは和歌山市の他に,長崎市,北九州市ぐらいですね。長崎市と北九州市は何となく理由がわかる感じです。

 和歌山市の地図を見て一番驚くのは,住友金属の和歌山製鉄所が巨大なこと(普通の街が一つや二つ,すっぽり入ってしまう大きさ)なんですけど,関係会社も含めて,従業員の方が減ったのが要因なんですかねぇ。

 磐越東線の小野新町から太平洋側の小川郷までの車窓は綺麗ですね。昔,江田駅が正式な駅ではなく,江田信号所と呼ばれて時刻表に載ってなかった頃は,川前〜小川郷間が16kmもあって,本州では一番長い駅間距離だったという話を聞いたこともあります。
 が,本当にそうなのかどうかは,ちょっと調べても記録が出て来ないし(北海道にははるかに長い駅間距離がありますし),ちょっと聞き違いかもしれません。

 たくろうさんは三春にいらっしゃったことがあるんですね。嬉しいです。

 三春の中心部は様変わりしてしまったようなんですよね。実は長いこと帰省してないので,拡幅工事後の様子を見たことがないんです。城下町由来のクランクや曲がり角の多い町でしたが,その面影はすっかり無くなってしまったようです。
 小綺麗にはなっても,賑わいがなくてはダメですよね。昔は道幅が狭く,車の渋滞がひどいこともあったけど,商店街を歩いている人も多くて,危険な感じすらした記憶があります。

 雪がうっすら積もった凍り付いた長い坂が,細い道で,高校生(田村高校)の通学路だとしたら,その途中に私の実家があります。ちょっとした山の陰になってるので,雪が降ると溶けにくいんですよねぇ。

投稿: 三日画師 | 2010年5月21日 (金曜日) 23時26分

大阪の天王寺駅から和歌山駅までがJR阪和線で61㎞ですから、東京近郊で言うと国府津駅や熊谷駅、古河駅、土浦駅、成田駅といった距離です。大阪の都市規模は(大阪の人には怒られそうですが)東京に比べると正直かなり小さいですから、実際の感覚的には、東京で言うところの100㎞圏(駅で言うと熱海駅、高崎駅、宇都宮駅、水戸駅、勝浦駅あたり)に近いと思われます。

さすがに速達が売りのJR西日本アーバンネットワーク利用者でも、通勤には二の足を踏む距離なんじゃないでしょうか。阪和線快速の日根野駅以遠が、実質4両編成になっている現状も、それを反映しているのでしょう。

バブル経済以前、土地価格が右肩上がりだった時代には、京阪神でも和歌山市や、三重県の名張市、滋賀県の彦根市周辺等が遠距離通勤者向けの住宅地として脚光を浴びていた事もありました。当時、南海本線を何度も利用する機会があった私ですが、何時乗車しても、和歌山市行きの特急「サザン」や急行は、もの凄く混雑している印象でした…。

東京圏以上に昨今の不況の影響を蒙っている京阪神地域では、通勤者の都心回帰傾向がより強く影響を及ぼしていると考えられます。

現に、名張市等では、かつて開発された住宅地で未分譲のまま取り残された土地や空家住宅が目立ち、商店の撤退なども相次いでいるとか。開発当初から住む住民の高齢化にも拍車がかかっており、深刻な地域社会の問題になって来ているようです。

投稿: もりあき | 2010年5月23日 (日曜日) 08時04分

 東京圏でも都心回帰傾向が強いので,京阪神でも同様なんでしょうね。団塊の世代ぐらいまでは強烈な「一戸建志向」があって,住宅地がどんどん郊外に広がっていきましたが,最近はそのへんの意識のバランスが変わってきてそうです。

 名張市の周辺のニュータウンの規模には驚かされます。大阪の中心部まで1時間半ぐらい(ドア・ツー・ドアだと2時間?)かけて通勤することになるはずなので,大変そうです。

 和歌山市が大きく人口を減らしているのに対して,隣の岩出市(私が頻繁に見ている日本地図帳では岩出町)は,近年人口が激増しています。
 岩出市の北側の和泉山脈を越えるとすぐに「りんくうタウン」で,十分に通勤圏だという話に納得していましたが,素人目には和歌山市に対して岩出市に,距離的に大きなアドバンテージがあるようには見えません。地元の人には感じる,何らかの違いがあるんでしょうね。

投稿: 三日画師 | 2010年5月23日 (日曜日) 11時21分

三春町訪問で私の歩いた「長い坂」は、駅前からJRの線路をまたいで町中に向かう道路で、たぶん細くはなかったです。おそらく画師さんのご実家付近には足を踏み入れてないかと思います。

和歌山のことが話題で、和歌山出身者であるわたしが多少なりとも実のある、しかも気の効いたコメントをしたいのですが、和歌山市の人口減、岩出市の人口増を事実として知ってはいても、その原因や理由があいまいなのは実はみなさんと同じなんです。

大阪と和歌山の間に距離があることは感じます。大阪と奈良の距離は、神戸、京都と同等だと思いますが、和歌山は遠いという印象は免れません。感覚的にいうと、大阪の人がよく行く神戸、京都については近所にでも行くかという感覚を持っていると思います(なんといっても3都物語なので)。次が奈良でしょう。和歌山と大津を比べると、どっちがどうとは言いにくいですが、両方とも離れているという感覚はあると思います。難波の位置はよくても、天王寺のターミナル感覚は昔ほどはなくなっているように思います。

JR西は、阪和線に関しては努力しているとは言い難いですね。くろしおの京都・新大阪乗り入れで努力したのは、JR西ではなく、和歌山県側だと思います(なにしろ悲願だったので)。それも通勤とはほとんど関係がありませんが。

私の感覚的な印象では、(電化の時期からいっても)阪和線は、片町線、関西線、宝塚線より上に位置していたはずなのですが、今はわからないです。

現阪和線の最高時速が、昭和初期の阪和電鉄時代に打ち立てられたものが破られていないことが、努力不足の象徴かもしれません。

1960年代、和歌山市の人口は33万~35万ぐらいで奈良は20万台だったのですが、いつの間にか詰められてしまいました。

ただ不動産価格を考慮しないで、距離だけでいうと、名張はさすがに遠すぎる感じはありますね。


岩出の人口増についても実はよくわかりませんが、和歌山線の電化前は1時間に1本の列車本数だったのが、現在は和歌山・粉河間は30分に1本になっています。画師さんが書かれたように、これはあきらかに粉河・和歌山間が、和歌山市の商圏であることを示しています。それに加え、長期的にみれば関空効果が挙げられ、また泉南へのアクセスの良さなどが言われています。車利用の場合、岩出辺りからのほうが、和歌山から南海本線経由よりも泉南地域へのアクセスはよいようです。

投稿: たくろう | 2010年5月24日 (月曜日) 22時02分

 駅から三春町中心に入る道は,新しく拡幅工事をして(と言っても20年以上も前かな),それなりの歩道も付いた道ですね。

 磐越東線を越える高架道路になっていますが,私が高校生の頃はまだ踏切が残っていて,少し家を遅く出ると,これから乗ろうとする列車(DD51牽引の旧客9両編成でした)目の前を通過するんですよね。駅までは約1kmは自転車で猛ダッシュになります。朝のラッシュ時とはいえ,次の列車は1時間後ですから……。
 反対方向への列車交換もあるので,列車には何とか間に合うんですが,足腰はこれでだいぶ鍛えられたと思ってます。

 旧客に乗るときの,いつものポジションはデッキの手摺りに捕まり,足は床よりも一段低いステップに立ってました。復員列車の写真にあるような光景が,毎朝磐越東線にはあったわけです。

 夏はデッキに立つ乗客が多くて,遅く行くと客車に乗れないこともあって,仕方なくDD51機関車のデッキ部分に立ったこともありました。三春駅から郡山駅までは,二つの短いトンネルがあるのですが,DD51の排気ガスは怖いぐらいに熱かったです。

 阪和線に対する私のイメージは,環状線,京都−大阪,大阪-神戸に次ぐぐらいの,戦前からの重要路線という感じです。
 和歌山市の人口は,特に1995年以降にずいぶんな割合で減少していますが,和歌山駅の年度ごとの平均乗車人員は,それほど減っておらず,健闘していると思います。「たま」電車の効果などもあるんでしょうか。

(カッコ内は定期利用者の再掲)
1998年度 21,982人(13,108人)
1999年度 21,203人(12,696人)
2000年度 20,976人(12,588人)
2001年度 20,726人(12,581人)
2002年度 20,387人(12,457人)
2003年度 20,391人(12,584人)
2004年度 20,346人(12,810人)
2005年度 20,145人(12,803人)
2006年度 20,214人(12,892人)

 持っているポテンシャルは高い都市だと思うので,何とか持ち直してほしいものです。

投稿: 三日画師 | 2010年5月24日 (月曜日) 23時14分

磐越東線の「DD51牽引の旧客9両編成」は豪華ですね。今考えると、夢のような列車ですね。

SL引退後に和歌山線に投入されたのはDE10でした。他の線区でDD51を見たとき、迫力あるなあと思ったものです。当時の紀勢線はDF50?が動いていたと思います(中学・高校時代、私の関心は「鉄道」でしたが、途中から「旅」のほうに移行していったので、車両の形式にはあまり自信がありません)。

私が和歌山線で高校に通っていたとき、1日のダイヤのなかで客車列車は4本だったと思います(残りがディーゼルカーです)。毎朝、私が乗っていたのは旧客6両編成でした。
<旧客に乗るときの,いつものポジションはデッキの手摺りに捕まり,足は床よりも一段低いステップに立ってました。
これ、わかります。私もそうでした。乗る車輌はそれなりに混んでいて座席はおそらく満席だったものの、車内の通路に立つことはできたのはずですが、好きこのんでデッキから体を出していたように思います。国鉄が苦情を出したのだと思いますが、高校から汽車通学の生徒に注意があった記憶があります。

<仕方なくDD51機関車のデッキ部分に立ったこともありました。
これって、DD51のすぐ後ろの客車(先頭車)のデッキ(機関車側)という意味ですよね。私も客車の先頭車の前のほうのデッキ(機関車のすぐ後ろ)にいたことは何度もあります。あそこ、迫力がありますよね。

投稿: たくろう | 2010年5月25日 (火曜日) 20時29分

 寄せ集めのような旧客9両でしたから,本当に「豪華」でした。昔はその9両が満員でしたけど,現在は確かキハ110系5両編成で済んでいるらしく(日中はもちろん2両編成),寂しくなったもんです。
 磐越東線にDD51が使われていたのは,貨物輸送が主力の路線だからですね。大越(おおごえ)駅に住友セメントの大きな工場があって,そこからの貨物列車が多かったんです。

「デッキ乗車禁止」は,駅のあちこちに注意書きがありましたし,やっぱり学校からも注意されてました。でも,デッキ付近に止まっちゃう人が多くて,ぶら下がらないと乗れないんですよね(と,当時も言い訳してました)。

 数回だけですけど,本当にDD51の機関車のデッキに乗ったことがあります。
 何でそんなことになったかと言えば,私たちバカ高校生と機関士との駆け引きの結果と言えるかもしれません。

 当時は,列車の混雑のため停車駅毎に少しずつ乗車に手間取って,列車が遅れるのが常態化してました。さらに,無茶苦茶混雑したデッキに立つよりも,最後にステップに立って手摺りに掴まるほうが(経験上)安全で気持ちいいので,なかなか乗ろうとしない高校生も多かったんです。
 そんなわけで,まだホームに高校生が残っている状態で,機関士さんが発車の汽笛を鳴らしたり,ときには少し列車を動かしたりのフェイントをかけることがありました(そう感じただけかもしれませんけど)。
 で,汽笛が鳴ったり,動き出したりしたら,慌ててどこかにしがみつく必要があるため,先頭車両近くにいたときにDD51にしがみついたわけです。

 いや,こんなことをこういう場に書いていいものかどうか迷ってしまいましたが,もう時効ですよね……。ドアが開いたままの列車が走るなんてことは,現代にはあり得ませんし。
 当時は,朝の通勤通学時間に郡山駅に到着する列車は,上下の東北本線や磐越西線も旧客で(水郡線だけがディーゼルカー),やはりデッキ乗車が多かったようです。

 小学生の頃,(子供だけで行くことを禁じられてた郡山に行くときに)デッキとステップのところに座って乗っていたら,車掌さんに「ちゃんと掴まって乗れよ」って,頭を撫でられた記憶もあります。

 ……って,年寄りの昔話みたいになっちゃいました。

投稿: 三日画師 | 2010年5月25日 (火曜日) 22時24分

前のコメントを読ませていただいたとき、まさかDD51そのもののデッキじゃないよねと思ったのですが・・・、そのDD51のデッキだったんですね。武勇伝ですね。
DD51へのしがみつきは余裕で時効です。

私は、DE10の引っ張る旧客の先頭デッキにいて、目の前のDE10に乗りたくて仕方がなかったのですが・・・。しかしそうする勇気がなかったのか、画師さんよりややお行儀がよかったのか(笑)、生涯に渡ってそうする機会を失してしまいました(残念)。

当時阪和線にEF15が走っていて、その前後にもデッキがあったので、乗りたいなあなんて思っていました。


投稿: たくろう | 2010年5月26日 (水曜日) 20時40分

 旧客の先頭車両のデッキは,目の前に揺れる機関車が見えて迫力ありますよね。
 一番後ろの車両のデッキも,貫通幌の先に線路が見えて,また別の雰囲気があって好きでした。

 私も,列車の網棚に寝転がった経験などはないので,行儀の良さは五十歩百歩でしょう(笑)

 EF15のデッキは,DD51のデッキよりも乗りやすそうですね。

投稿: 三日画師 | 2010年5月26日 (水曜日) 23時32分

どうでもいいですが、和歌山線には京浜東北線からの電車は走っていませんから王子発は1本もありません。

投稿: | 2014年9月12日 (金曜日) 15時05分

どうでもいいですけど,直しときました。サンキュー!

投稿: 三日画師 | 2014年9月12日 (金曜日) 16時40分

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